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“排斥”は問題を余計に拗らせる要因…
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“排斥”は問題を余計に拗らせる要因…

2018-05-16 23:35
    5月14日、SNSで競馬に託つけた“ギャンブル依存症”に関する内容の投稿で、多くの競馬関係者がツッコミを入れる騒ぎがあった…ま、オイラも記事の内容をざっくり読んだのだが、あまりにもバカバカしいというか、先日の新潟幼女殺害事件の犯人を、いかにもアニヲタがやったと言わんがばかりの報じ方をしてる、某メディアの戦略と一緒で、本気でその分野に精通してる人とは思えない発言で呆れるしかない。どんなに“汚いモノ”を排斥しても、その結果、社会全体が改善することなんて、全くないどころか、その“息苦しい規制”のせいで、余計な犯罪が(表向きにならないだけで)増加するだけである。もちろん、必要最低限度の“規制”はやるべきでも、犯罪が多いからと言って、“他人様の趣味”を批判して排斥する“自己の正義”こそ、よっぽどの事がない以上は、振りかざしていいモノではない。むしろ、それこそ“正義”という名に対しての依存である。

    内容に関して一言でいえば、子供に馬券予想させるのは如何なモノかというトコから発展して、幼少期からギャンブルをやってるから依存症になるという“トンデモ論”である。そりゃ、競馬関係者のみならず、公営競技関係者全員が総ツッコミするわなw そもそも、いかなる依存症も、その多くは、精神的な部分での“居場所”を見失ってるからこそであり、ごく一部は、更にトラウマになる様な経験があって、そこからの“逃避”として…ぶっちゃけ、人間不信に陥ってるからこそ“自衛的に殻に篭る”手段として、様々なモノや事に“依存”する訳である。つまり、経験上、自分の“確固たる居場所”が多数ある人であればあるほど依存症になりにくく、逆に勉学や就労に集中するあまりに、様々な趣味や交流の場を絶ってしまった人ほど、ゆえに“自分の居場所”を見失って、少ないカテゴリーから一つに固執する事になる訳である。だからと言って、交友関係や近所付き合いがあったかどうかは別バナで、要は自分自身が“楽しい”と感じる時間が作れるか否かで変わる訳であり、“楽しい”と感じないのに居座ってるのは、生活習慣というよりも、そこ以外での付き合いに対して“鬱陶しい”と感じてるからこその逃避であり、更に言えば、完全に“一人になりたい”ってのが、精神的にあるからこその話である。

    逆をいえば、子供であっても“競馬が楽しい”と思う“理由”なんてのは、馬券予想だけではなく、身近に“動物と触れ合える”場という認識を持ってたり、同世代の子供達と一緒になって遊べる場として認識してるトコがあって、当然ながら、アニメや特撮のキャラクターショーを見たいからという理由のみで競馬場に行きたがる子もいる。(ま、そっちの方が稀なんだがw)しかし、そこをガン無視して“競馬は潰すべき”と唱えるのであれば、それに似合うだけの代替案と、競馬を含めた公営競技に足が向かない様な政策をやるべきであって、何で公営競技が行われているのかを、もう少し勉強した方がいい。なぜなら、公営競技の収益の殆どは、国庫や地方財政の補填として用いられ、競馬の場合は農水省や開催自治体を経由して、畜産農家の助成金として補填されてる訳であり、その“余剰金”が、福祉事業や国防費に回ってる訳である。(一応、公営競技の収益は、一般会計扱い…)つまり、一般大衆の“レジャー”として普及することは、ひいてはこれ以上の増税を避ける手段でもあり、当たり馬券の収益分を確定申告で報告し、納税してくれれば、これほど国や自治体からしたら、有難い話は無いのである。だから、宝くじは高額配当になればなるほど“当たらないガチャ”であると同時に、その控除率が高い(競馬は20〜30%だが、宝くじは90%以上…)から、当選金は“非課税”という扱いになる。(但し、それを受け取って使い込むと、翌年以降は“資産”とみなされ、高額課税対象になる…)

    つまり、依存症の“言い訳”として、幼少期からの“賭場通い”を原因とすること自体が、既に“的外れ”もいいトコであり、様々な“経験を積む”機会を奪ってしまうと、却って誤解や偏見から“否定”したいがために泥沼にハマる。依存症はあくまで、自己の存在を肯定するための所作てあり、見識の狭さから固執した精神疾患である。そして何より、自分の“楽しい”記憶の経験値があまりにも“少ない”からこそ、その選択肢は狭まる訳であり、それを他人が勝手に“取り上げ”てしまえば、自傷行為に走るか、凶行に及んで被害が大きくなるだけである。

    アルコールや買い物などの他の依存症でもそうだが、そもそも“外界からの刺激”が乏しいからこそ、一度経験して、それが“成功事案”だからこそ“楽しい”と思い込むだけでではなく、その“成功事案”のみを求めるからこそ依存するのであり、敗北や失敗を経験し、自分自身での歯止めがかけられる様に付き合う術を学んでこそ、本意で“好きだ”と言えるのである。ドルヲタやアニヲタでもそうだが、“超えてはいけない一線”を弁えてるからこそ成り立ってるのであって、握手会などのイベント会場で凶行に及んだり、自分の性欲を抑えられずに近所の女児を襲うのは、“相手を思う”という概念がないだけで、ヲタ活動とは完全に“別モノ”である…それこそ、弱者を襲って自尊心を維持しようとする、身勝手な態度である。そう、今回の“騒動”の“原因”を誘発させた筆者の“態度”こそ、実は“正義依存症”という精神疾患なのである。他人の趣味や活動を“批判”して、自己が掲げる“正義”以外認めないのであれば、その“正義”に凝り固まるあまりに、自分が“息苦しい”と感じていても、それを“他人のせい”にして駄々を捏ねている…本当は“やめたい”のにやめられず、アルコールを欲しては周囲に暴力を振るったり、借金過多なのに、まして人が羨む様な程のブランド品や宝飾品を持ってるにも関わらず、更に買い物をしようと見栄を張ったり、高額配当を得た経験が忘れられず、一攫千金“だけ”を夢見て散財する…といった、他の依存症と全く“同じ”なのです。

    出産経験がない&子育てやったことないモンが言うのも何ですが、“子育て”というモノの極意とは、様々な経験を自発的にやらせておいて、そこから物事の分別をつける指導を行うことではないかと考える。故に、周囲の“大人”がやってることを真似るのが“子供”の所作である以上、その“大人”がきちんと“歯止め”の掛け方を教えてナンボではなかろうか?例えば、店舗で商品にイタズラして破損したら、その“責任”を取るために、“いらないモノ”(子供のイタズラで破損させたモノ)を購入して、そこから子供に対して“叱る”のがスジであって、そういう経験をすっぽかして育児したら、そら、性格が歪みますよ…世間知らずなままで。

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