• 寺山修司

    2019-07-18 21:3623時間前
    ほんとに自分に誠実であるためには、どんな手段でもとっていいたいことをいうべきだ。そこになんかの形で修飾や風刺や、演技ということが入ってくるんで、そういうものを見ると目の色変えてポーズだなんてけなすのは滑稽だと思う。

    8歳から詩を書きはじめ
    18歳で短歌を発表し、歌壇で華々しいデビューを飾った後
    19歳の寺山修司が語ったとされる言葉である。
    「職業は寺山修司」と自称していた意味が
    この言葉の中に集約されている。

    寺山修司は1935年(昭和10年)
    青森県に長男として生まれる。
    出征した父は戦病死。
    戦中、戦後の混乱を母、はつと二人で乗り越えた。
    米軍キャンプで働いていたはつだったが
    福岡の米軍キャンプに移ってしまったため
    寺山は母方の叔父の元に身を寄せることになる。
    母親以上の存在であったはつとの突然の離別は
    寺山の孤独を深め、若い感性を大いに刺激した。
    母への想いを短歌に詠み、詩に落とし込むことで
    寺山芸術の最初の一歩が踏み出された。
    腎臓を患って病床に臥せった18歳からの4年間は
    彼の、死に対する深い洞察を育み
    作家性を大きく花開かせた。


    若くして世間を賑わせた才能は
    「職業は寺山修司」という言葉に表されるとおり
    短歌を詠むだけに止まらなかった。
    短歌は自己表現手段の一形態に過ぎず
    それは、後に寺山が舞台や演劇の脚本を書き
    戯曲を仕上げ、評論を執筆し、詩集を編み
    作詞を手がけ、映画監督までつとめたことからも理解できる。
    多才という言葉で表現するにはあまりに陳腐かもしれない。
    それは「寺山修司」そのものの一級品の表現として
    多種多様な形をとって彼から溢れ出し
    世界もそれを欲していた。
    「書を捨てよ、町へ出よう」では
    当時の若者の「気分」をすくい上げ
    日本を挑発し、人々を熱狂へと駆り立てた。

    過激に時代を疾走し、数々の芸術を生み出してきた寺山は
    晩年、米国のエッセイストであるスタッド・タッカーのルポ
    「Division Street」に魅了される。

    「Division Street」とは、タッカーが住むアパート近くの
    小さな路地裏に関することを20年に渡って書き記したもの。
    建築される家々とその消滅。
    ある飼い犬の歴史。
    ゴミ捨て場の変遷。
    小さな犯罪事件などなど、細部にわたって克明に記録され
    それは「日常生活の冒険」に昇華される。
    触発された寺山は、この「Division Street」の
    日本版を企画することになる。
    それは「路地」を考え、「路地」から現代社会を考察する
    寺山らしい試みになるものだった。

    「寺山修司・遊戯の人」の著者、杉山正樹に
    寺山はこのように語っている。

    「ぼくらがふつう路地というと、両手を伸ばすとどちらかが塀に触れる幅だよね。ところが日本の近代はそういうものをどんどん無用化し封鎖してしまい、道は人間中心から車中心になって、散歩という思想を切り捨ててしまった。だから、人間が通れる道についてもういっぺん観察して、そこから人間の捉え直しをしてみてもいいんじゃないかと思った。文学や映画に描かれた路地あたりをひとつの手がかりにして、消えてゆく路地について考えてみたいんだな。一葉とか荷風の文学のなかの路地とか、落語や大衆演劇のなかの路地とか、滝田ゆうの『抜けられます』という表示のある路地とかさ」

    「路地」というものを改めて考えていくことで
    現代社会を捉える切り口、視点が浮かび上がってくることを
    寺山は見出していた。

    「路地というのは、表通りの喧嘩を解決する場所だったり、酔っぱらいがヘドを吐く場所だったり、じっくり別れ話をする場所だったりした。つまり、きわめて個人的な場所として意味をもっていたわけだけど、その突き当たりには、集合的な場所があった。たとえば、銭湯とかさ。銭湯がなくなってきたことと、路地が減ったことは無関係ではないんじゃないかな」

    「路地にただよう味噌汁の匂いとか、紙芝居の自転車のベルとか、そういう懐かしい日常はどこへ行ってしまったのか。子どもたちのユートピアだった場所は、もはや取りもどすことはできないのか。つまりこの企画は、都市論の補注としての路地の考察だといってもいいわけだし、人間関係の考察でもあるわけだ。人間疎外をとりのぞくための手段を考えることでもあるんだからね」

    路地への考察を深め、現代社会を観察すると
    そこには人間関係を見つめ直すヒントがあった。
    ”社会から排除されたもの”を見つめ
    その”排除されたもの”からの視点を芸術に生かしてきた
    寺山なりの新たなアプローチが展開されるはずだった。

    だが、「路地」を創作する過程で寺山は
    思わぬ不運に見舞われる。

    1980年(昭和55年)7月13日午後10時ごろ
    寺山が渋谷区宇田川のアパートの敷地内に入り込み
    階段付近をうろついていたところ
    住民につかまり渋谷署に突き出されてしまった。
    寺山は住居侵入の事実を認め、釈放。
    罰金の支払いを求められる略式起訴となる。
    「朝日新聞」は朝刊に
    〈寺山修司"夜の顔"〉
    〈アパート侵入、捕まる〉などと報じた。
    それをきっかけに、「毎日」「読売」をはじめとした
    全国の地方紙が一斉にこの事件を
    ”寺山修司が女性アパートを「のぞき」”
    というふうに面白おかしく報道した。

    「路地」を執筆するため、その考察対象である路地を訪れ
    実地研究していただけであったのだろうが
    この報道によって寺山は変質者扱いをされてしまった。
    恐らくこの事件をきっかけに、寺山は路地に足を運び
    思索を巡らすことが難しくなってしまったにちがいない。
    「路地」の執筆は頓挫してしまったと考えられる。

    この事件の3年後。
    未完の「路地」を残して、寺山はこの世を去った。
    享年47歳。

    路地も路地裏も消滅し、人々が共有できていた空間は
    もはや絶滅していたのだ。
    共有空間ではない、ただの私有地を訪れた寺山は
    ”異物”として”排除”されてしまった。
    寺山自身が人間疎外の被害者となってしまった。

    彼の「路地」が完成し、その著述のなかで
    人間疎外をとりのぞく手段が浮き彫りになっていたとしたら
    現代の日本にうずまく閉塞感や孤独感は
    幾分か薄まったのではないだろうか。

    生活感溢れる生身の空間を求めた寺山のように
    散策や散歩が難しくなってしまった現代を
    残された我々はどのように生きていったらいいのかとか
    そういうことはとりあえず一旦置いといてですね
    以上のようなことを踏まえてこちらの動画をどうぞw

    似てるーww

    喋り方や顔形とかだけではなくて
    思想性や思考の積み上げ方までも似せてきてるって
    最近のものまねでは見たことないw
    (受け手がいないという問題もあるww)

    格調高いものまね?w
    元祖こまかすぎて伝わらないモノマネ?w
    (いや当時は伝わっていたのだろうけども)

    もしかしたら、坂道を散策したり
    ブラタモリをやったりするのは
    寺山修司なるものを求めていたりとかだったりして…w
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  • 【ネタバレ】忘れていた君の名は。【あんまりなし】

    2019-07-01 23:08
    見ようと思っていて忘れていた上に
    録画から消し去っていたことをも忘れていた。

    ブロマガ書き始まったときに
    書こうと思っていたネタの一つだったのにw
    去年の1月くらいにそのうち書こうとかいって
    それっきりでしたね〜。
    TV放送! あざぁす!

    なるほど〜
    よくできた仕掛けですね〜w

    映画の後半で
    二人の関係を隔てるファンタジックな設定を知ったときに
    (ってかまぁ概ね床屋で聞いたんだけどもw)
    素直にそう思いましたですね。
    もう一捻り、といいますか
    入れ替わってて、さらにそこへ来て
    そういう距離感を出しますかぁ、と。

    加えて、新海監督の映像美。
    空や光だけにとどまらず
    古来より伝わる伝統と飛騨の美しさ。
    日本的なものの映像美もすごく映えていたように思う。

    青春胸キュンラブコメ学園ラブストーリーを
    一回半ひねりなSF?設定で新しく見せてくれたようで
    なんかみずみずしいアニメになっていたと思いますね。

    正直、「入れ替わってる!?」系のものって
    もう手垢が付いている設定といいますか。
    その設定にときめく人って今はあまりいないのではないかと。
    だからだろうけど、上映当時に批判していた方々の意見で
    入れ替わる設定に対しての批判については
    同じように手垢がついた、聞き慣れた意見としか聞こえず
    特に真新しさを感じることはできなかった。
    (男女入れ替わったらもっと大変なことがあるだろう、とか
     なぜそういうことになるんだ、とか)
    入れ替わり設定単品で批判することは
    過去、入れ替わり系が批判されてきた内容を
    ただなぞっているだけになっているようで
    それではなんだかつまらない。

    「君の名は。」を見て思ったのは
    その手垢がついている設定をSFで磨くことで
    手垢が払拭されて新しい見せ方として生まれ変わったこと。
    入れ替わったが故に生まれる葛藤や
    二人で協力しあって解決策を模索する流れ
    入れ替わったからこそ見える景色などは
    なかなかに見応えがあったと思う。

    「秒速5センチメートル」との比較で語る人の意見も
    どっかで見聞きしたことがあるが
    いわく、秒速のほうが面白かった、とか
    いわく、秒速のほうが泣けた的な意見が多いような印象だ。
    でも、あの話では新海監督独特の「距離感(遠距離)」が
    あまりにも悲しかったように思う。
    切な過ぎ、というか。

    「ほしのこえ」でもそうだけど
    新海監督の遠距離は、やっぱ悲しい。
    二人とも両思いなのに、二人の間を隔てる距離がありすぎて
    少しずつ、でも確実に二人の関係を引き裂いていく様を
    超美麗な映像でじっくりとみせてくれるのがすごーく悲しい。

    悲しい物語が悪いとは言わないし嫌いではない。
    遠距離ものとしてよく描けている。
    ただなんというか、描け過ぎているという感じか。
    見たあと気持ちが沈んでしまう。
    個人的な好みの話なのかもしれない。
    そういう悲しい話で泣いて発散するという人もいるだろうし
    登場人物に共感して色々考える人や過去を振り返る人も
    もちろんいるんだろう。

    でも、何かもう少し救いがあると助かる。
    あるにはあったようなうっすらとした記憶はあるけども
    もうちょっと、あともうちょい上のあたりに
    救ってほしかったように思った記憶がある。
    遠距離に隔てられていく人の心を描くものとしては
    そっちのほうがいいんだろうけど。

    そういう意味では「秒速5センチメートル」ほどの
    悲しいえぐり方をせずに青春ラブコメよりにしたから
    もっというと明るいハッピーエンドにしたから
    「君の名は。」が世界的に売れたんだと思う。
    新海監督の恋愛の距離感と学園ラブコメが絶妙に馴染んで
    いや、馴染むだけでなく反応して爆発したような。
    スカッとさわやかでワクワクして少しエロいwという
    青春学園ものの定番を踏まえつつ
    新海監督のウエットな遠距離の悲しさと葛藤で
    物語を味付けすることで
    アニメ映画として完成したってことだと思う。

    「秒速〜」や「ほしのこえ」では
    挿入される日本語の歌になんとなく抵抗があったけど
    「君の名は。」でRADWINPSの跳ねるような透明な曲が
    違和感なくハマってた。物語の追い風になっていた。
    全体的にちゃんとしていた。

    売れることが全て、とは言わないが
    売れるということはとりあえずすごい。
    力のあるアニメでした。
    面白かったと思います。

    まーそういうわけで
    がっちり売れたわけですからw
    またとがったものを作ってもらいたい気持ちもあるし。
    悲しい気持ちになるけれどもw
    そういうのも含めて、新海監督には
    じゃんじゃん創ってほしいもんですね。

    そういや「秒速〜」のMAD。
    サーフィン娘の話も切なかったな〜。
    熊木杏里の曲と合わせたMADを見たとき
    まだ「秒速〜」を見てなかったんだけど
    曲と映像がすごく合ってて
    なんだか背景が浮かんで来て泣けてしまったw
    どうやらニコニコにはもう、ないっぽいけどもね。

  • 怖いかもの話

    2019-06-21 00:42
    自分の母親の話。


    母親は看護師でして。
    自分が小学生のころは救命救急に勤めてたんですが。
    ある休日、1〜2時間ほどで夜勤も終わりだなと思っていると
    ぐったりした4〜5歳くらいの男の子を抱いた女性が
    半狂乱になってセンターに走りこんできて

    「ウチの子がお風呂で溺れて!助けてください!
     息をしてないんです!」

    と叫んだらしい。
    子供ならではの休日の早起きが災いした。
    母親が寝ている間に起き出して
    お風呂で遊んでいたら溺れてしまったとのこと。
    救命室で処置をして、一命をとりとめた。

    入院の手続きをとりながら
    改めて、子供の母親に話を聞いたとき
    あれ?と思ったという。

    なんで寝てたのにわかったんだろう?

    溺れて意識を失ってすぐ連れてきたような状態だった。
    母親がもう少し気づくのが遅かったら…という
    正直、ギリギリの状態だった。
    不幸中の幸いで、目が覚めたということなんだろうかと思い
    「たまたま目を覚ましたから良かったものの
     危ないところでしたよ。本当に良かったですね」
    と声をかけたら、母親は首を振って言った。

    「ちがうんです。子供が溺れる夢を見たんです。
     たすけてー!と叫ぶ子供の声が聞こえて飛び起きたんです」

    お母さんってのはすごいわ〜、と
    しみじみ母親が言ってました。





    ウチの父親の最近の話。


    神社の御朱印を集めるのが最近の流行りですが
    我が母親も御朱印集めに勤しんでいる。
    娘(自分の妹)と一緒にあちこちの神社に足を運んでは
    立派な御朱印帖に、これでもかという大胆な筆書きの
    色鮮やかな御朱印を書いてもらって
    互いに見せ合ってわいわいやっている。

    父親はというと
    あんまり流行りものが好きではなく(ってか分からない)
    へぇーすごいもんだなー、くらいの返しで適当に
    女子達の話を右左していた感じなんですが。
    なにやらパワースポット的なところの金運が高くなるお札?
    的な話には食いつきまして。
    「よし!そのお札を買ってこい。
     お父さん、そのお札持って宝くじ買って来る!」と
    煩悩満載の命令を飛ばしたそうな。

    しばらくしてそのお札は手に入り
    お部屋の高いところに置いとくと良いとのことで
    居間の鴨居の上あたりにさしこんで
    金運アップのご利益を期待していたのですが

    ほどなくして、お父さんは原因不明の腹痛に襲われます。

    胃痛かなと思い受診してみても異常なし。
    エコーだのMRIだのやってみても特に問題なし。
    でも、しくしくとした腹の痛みはおさまらず
    少しずつひどくなっていく。

    ほとほと困っていたある日、ばあちゃんの古くからの友人が
    仏壇に手を合わせに家を訪ねてきた。

    手を合わせた後、友人にお茶をすすめて
    ばあちゃんが亡くなってからずいぶん時間が経った〜とか
    そういえばばあちゃんは昔はこうで〜とか
    あれやこれやの思い出話や世間話に花を咲かせていたが
    その流れで、例の金運アップのお札と腹痛の話になった。

    すると、その友人。
    「ケンカしてるんじゃないですか?」
    と一言。

    曰く、ばあちゃんの仏壇と
    そのお札とがぶつかり合っていて
    その障りが父親の腹痛として現れている、と。

    その後、友人の言われたとおりにお札を処分したら
    (塩を盛っただ燃やしただか言ってたが忘れたw)

    腹痛は嘘のように消えたそうです。

    不思議なことってあるもんだな〜と
    しみじみ父親が言っていました。