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明けましておめでとうございます。
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明けましておめでとうございます。

2019-01-22 08:10
    旧年中は大変お世話になりました。
    本年もよろしくお願いいたします。
    (ってこの挨拶をするタイミングは
     完全に逸しております。あしからず)

    「いやー今年は災害のない年にしたいですね」的な
    内容で書き出していたけれども
    変更せざるを得なかったばかりに遅れてしまった。

    新年早々
    1月3日に熊本で震度6弱ってどういうことやねん。
    幸い何事もなかった様子ですがほんとにどういうことやねん。
    どうもなんか地球がテンパっているご様子で
    落ち着かないったらありゃしない。
    いったいぜんたいなんだってんだ。

    この地震は何かの前兆で
    前途は多難でのっぴきならない
    暗澹たる一年が待っているとでもいうのだろうか。

    いやいや、こんなレアなことが起こったんだから
    前途洋々たる明るい一年が待っているというものなのか。

    はたまたこれは啓示であり警告であるから
    備えよというナンタラ様の思し召しだという
    銀河宇宙的理解の仕方が望ましいのか。

    いろいろラフに考えて見ましたが
    考え方や捉え方は人それぞれでしょう。
    まー暗雲とか明るいとかは別として。
    思し召しかどうかは置いといて。

    何であるにせよ、もう
    ”災害ってのは起こるものだ”と
    ドライに捉えて備えておくほうが
    無難ということなのかなと考えたりします…しました。

    そうした「覚悟」、というとちょっと重いか…
    あー「決意」というと…これはこれで固いか…

    まーそうですね。
    ベタではありますけども
    「心の準備」ということになるんでしょうかね。
    そういうものを秘めて日々生活していく。
    緊張でも弛緩でもなく、ちょうどよく適度に構えておく。
    そうしたバランス感覚を求められているのかもなぁと
    新年早々の地震から思ったわけです。

    自然が相手のことですしね。
    こういう風にしてこうしたら、このようにうまくいく
    データではこのようであるからそのようになる
    的な考え方のほとんどが通じないでしょうし。
    この何年かで多発した災害が示してきたことは
    「現状、人間の力での予測は困難であります」ということだ。

    だったら
    いろいろあるけど、あったけど
    私は元気です的なノリのほうがよっぽどいいんじゃないか。
    あんなことやこんなこともあったけど
    総合して楽しかった、とか。
    そういう風に生きることのほうが
    そういう風に生きていける元気さのほうが
    とても大事なんじゃないか、と思う。

    鈍感さ、と言ってもいいかもしれないが
    それはそれで生きて行く上で必要な能力だ。
    (度がすぎると周りに迷惑かけるけどもw)
    大変だけども楽しく、なんか運良くやっていける。
    そういう風になれるといいな、と。
    そんなしゃっちょこばらない生き方・佇まいを
    お利口になるよりも先に身につけていくことが
    なんだかとても重要なのではないかと
    実家で箱根駅伝見ながら酒飲んでるときに感じたのです。

    心の準備、と書きましたが
    準備運動なしで全力ダッシュしたら
    アキレス腱切っちゃうのと一緒で
    心の準備がない状態で
    突然災害に遭遇して心が乱されたら
    アキレス腱を切るようにあっという間に
    自分自身が崩壊してしまうかもしれない。
    そういう意味で、心の構えが大事なんだろうと。
    なにか実際に防災用の装備を整えるとか
    具体的にルートを確認するとか
    いきなりそうした大袈裟なことではなく

    「心を結ぶ」

    これが大事なんじゃないかと。
    そうすれば、それぞれの立場や環境の中で
    考えるべきこと、すべきことが明確になって
    本当に大切で適切な対策というものを
    立てることができるのではないかな、と。
    そして、そういうことを土台にした上で
    あっけらかんとしながら今の生活を大切にする。
    日々の暮らしをちゃんとすることの重要性を
    思わずにいられなかったということでした。

    ぼんくらにぐーたらに
    ぼーっと過ごしているだけの正月が恒例だったのに
    地震のおかげで飛んだ頭脳労働をさせられてしまった。
    そもそも正月は無邪気に新年をお迎えすることを
    酒飲んで喜んでいればそれでいいんじゃないのか。

    なんて思いながら興味本位で「正月」を検索してみると
    ただのお祝い行事ってわけでもなかった。

    正月とは本来、その年の豊穣〔ほうじょう〕を司る歳神様〔としがみさま〕をお迎えする行事であり、1月の別名です。現在は、1月1日から1月3日までを三が日、1月7日までを松の内、あるいは松七日と呼び、この期間を「正月」と言っています。地方によっては1月20日までを正月とする(二十日正月・骨正月)こともあります。

    正月は家に歳神様をお迎えし、祝う行事です。歳神とは1年の初めにやってきて、その年の作物が豊かに実るように、また、家族みんなが元気で暮らせる約束をしてくれる神様です。正月に門松〔かどまつ〕やしめ飾り、鏡餅を飾ったりするのは、すべて歳神様を心から歓迎するための準備です。

    そもそも、私たちの祖先は"全てのモノには命がありなんらかの意味がある"という「アニミズム」を信仰しており、作物の生命〔いなだま〕と人間の生命〔たま〕は1つのものであると考えていました。そのため、人間が死ぬとその魂はこの世とは別の世界に行き、ある一定の期間が過ぎると個人の区別が無くなり「祖霊」という大きな集団、いわゆる「ご先祖様」になると信じられていました。この祖霊が春になると「田の神」に、秋が終わると山へ帰って「山の神」に、そして正月には「歳神」になって子孫の繁栄を見守ってくれているのだと言います。

    1年の始めである正月は春の始まり、すなわち「立春」とも考えられており、人々は春の訪れがもたらす生命の誕生を心から喜びました。「めでたい(芽出度い)」という言葉は「新しい春を迎え芽が出る」という意味があります。また新年に言う「明けましておめでとうございます」という言葉は、実は年が明け歳神様を迎える際の祝福の言葉でした。つまり、神様への感謝の言葉を人々の間で交わすことにより、心から歳神様を迎えたことを喜びあったということです。
     日本文化いろは事典 より
    (http://iroha-japan.net/iroha/A01_event/01_shogatsu.html)

    なるほど。
    ご先祖様の最終形態(?)が歳神さまで
    その歳神さまをみんなでお迎えするってあたりが
    なにやらお盆的な感じがしないでもない。
    死者を祀るのがお盆であり
    死者を喜んでお迎えするのが正月という感じか(ざっくり)。
    まさか、正月が死者と関わりがある行事とは知らなかった。

    地震ひとつであれこれ考えて
    色々と勉強になるとは思わなかったが
    こうしてみると地震に遭遇するのも悪くはな…
    やっぱいいッスw


    お正月と霊的なことって
    実は無関係ではないってことでw
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