幼い頃の夢はなんだったかな
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幼い頃の夢はなんだったかな

2019-11-18 11:26
    漫画家だった気がする。たしか。
    か、もしくは
    スーパードクターKが好きだった影響で
    世界を渡り歩く天才外科医的なものだった気がするw

    すごい身の程知らずw

    ぜんぜん勉強しないでゲームばっかりやってて
    目が悪くなったりしているっていうのに。
    天才の「て」の字も自分にはなかったというのに。

    なんということでしょう。
    ビフォーもアフターもありゃしません。
    ずっとビフォーのままでしたね。

    当時は世の中のことも自分のことも
    周りのこともよくわからなくて。
    だから、何もかも、望んだことのすべてが
    叶うような気がしていたんだろうな。
    少しずつ歳をとって、人間関係や社会や
    自分の好き嫌いがわかっていく中で
    能力というものも理解してくる。
    その過程で、幼いころに持っていた夢や
    描いていた青写真を少しずつ捨てていく。
    「身の程しらずだな」
    「こんなんでやってけるなら苦労はしない」
    「これで食ってけるほど世の中甘くない」
    とかなんとか、やれない理由を無数にあげていって
    自分を説得したり、努力しない自分を正当化したりして
    安全に生きていける道を見つけていった、のだろう。

    夢を持つことを善きこととして
    手放しで推奨してくるものに対する
    なんとなく持っていた警戒心は、自分としては正常なことで
    そういうものを正しく持っていくことが
    大人になるということだと理解していった。

    ただ、なにもかもを振り切って飛び出して
    優しくない環境に身を置いて
    ものすごい努力を積み重ねる人の物語に憧れ
    そうしたテレビをみたり、本を読んだりするのが
    とても好きな自分もいた。

    じぶんはどっちの道にいくべきなんだろう?
    大学浪人しているときに真剣に悩んだ。
    夢を叶えるためにはいろいろなことを捨てなければならない。
    そんな風に考えてみたりして、浪人したことは
    もしかするとチャンスかもしれないと考えたこともあった。
    ベッドに入って、悩んで考えていたら
    外からスズメが鳴く声が聞こえてきて驚いたりしてた。

    でも、いろいろと考えた末、普通に受験し
    ちゃんと就職する道を選んだ。
    夢を叶えるためにはいろいろなことを捨てなければならない
    というのは、自分のホントのホントを辿っていくと
    間違いだったことに気がついたからだ。

    正しく翻訳すると
    いろいろなことを捨てれば、夢が叶う、と思っていた。

    つまりは、ただの取引だった。

    なにか全てを捨てて、それっぽい努力をすれば
    自分の望んでいた夢が叶うという薄甘い考え方でいて
    それはそれはテキトーな姿勢で臨まんとする自分に気づいた。
    だったら就職しようと。
    本当に心からやりたいことであれば
    就職してからだって始められるはずだ、と。
    始めようとするはずだ、と。
    そう思って、今の道を選んだ。
    それから普通に就職して、普通に勤めながら
    特にドラマやスペクタルなことはなく
    平らな生活を送っているが、そんな日々の中で
    自分のやりたいことに巡り合うことができた。

    それは、なにか人が笑ったり楽しんだりすることを
    「創る」ことが好きなんだな、ってことだった。

    単純に好きなことを、なんとなくでいいから
    できる範囲でかまわないから
    ぽつぽつと、やってみようということが
    割と前向きに思える状態になれた。
    つい、評価や報酬を求めようとすると気負ってしまって
    一歩も踏み出せなくなってしまうものだが
    北野武監督が映画「アキレスと亀」のインタビューで
    「芸術・芸能は携わっていけるだけで十分なことで
     そこで売れるとか当たるとか考えるのは図々しいことだ」
    的な話をしていたのは、自分にとっては救いだった。
    (芸術や芸能ではないですけれどもw)
    もちろん、武監督は大当たりしている人だし
    まったく自分とはスケールが違う人ではあるけれども
    そんなすごい人が、そんなことを言っているというのは
    なにか、とても心強い気がしたものだ。
    それで、変に気負わず、できなくなったらやめればいいと
    そのくらいの気楽さをまとうこともできた。

    あのときに諦められたから今がある。
    要するに妥協とか挫折とか、そういうものでしょうと。
    折れた自分の正当化ですよね、言い訳ですよねって。
    そう聞こえるだろうし、実際にそうなんだろう。
    でも、だからこそ今の、そこそこ楽しい暮らしを
    平々凡々な人生を歩むことができているのは事実だ。
    今の暮らしを精一杯肯定しながら
    できる努力を続けていきたいと思っている。
    状況や場合が変われば、恨んだり憎んだりすることも
    これからあるかもしれないが
    それも含めて精一杯味わえるようになったら
    それはそれでいいのかもしれない。

    でも、どこか。

    もうずっと開けていない箱の中から
    忘れていた懐かしいものが出てきたような感じで
    様々な夢を思い描いていた自分とか
    どっかにいってしまったと思っていた青写真が
    ふと現れたり、目に浮かんだりすることがある。
    高いところから見下ろす風景の中、アリのような小ささで
    もじもじしてたり、蠢いたりしている人間の景色が浮かぶ。
    それは
    偉人や成功者の高みから眺めたときの自分という凡人のさま。
    「あんなところで何やってんだw」みたいな。
    ほんとにどうでもいいところ
    なんでもないところで右往左往し、彷徨っている自分の俯瞰。
    夢ではない現実を生きている自分に
    夢の世界を生きる過去の自分が目を向けてくる。
    迷いを抱えながら生きる、フツーのおっさんになったんだと
    そういう時に実感する。

    そのおかげで、当時はわからないで聴いていた歌が
    この歳になってよく沁みるようになった。
    アニメの内容はほとんど忘れてしまったけど
    歌だけは強烈に覚えていた。
    改めて聴いてみたら、涙が出てきた。
    過去に聴いた歌の良さに気づき、感動できるというのもまた
    幸せなことなのかもしれない。

    要するに「人生万事塞翁が馬」ということなのだろう。


    東北きりたんver.もありました。
    いいですね〜ギターのやつも。

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