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2016-11-06 15:07
  • 2

 こんなものが我が家に残っていたなんて。
 二階の子供部屋の改装準備をしていて、思いがけないものを発見した。どういう経緯で自分の手元に渡ってきたのか? 今となっては覚えていないが、少年軟式野球時代のスコアブック
が出てきたのだ。荷物運びの手を休め庭のベンチに腰を降ろすと、20年の時を経て私の懐に
舞い降りたスコアブックを少年のような心で開いてみた。

 5月xx日。音羽町少年野球大会。於・小松原運動公園。

 
最初のページに書かれた内容を見ると、これは私が小学校六年生だった時のものらしい。
 メンバーの欄には懐かしい仲間たちの名前が連なっている。そして9番バッターの欄には、
守備位置1として懐かしくも悔しいアイツの名前が記されている。

「この試合もアイツの完封勝利だったんだな。それに引き換え、自分の名はまだ出てこない」

 攻撃の推移を指でなぞりながら呟いた。私はスコアブックを膝におき、少年時代の思い出を瞼の裏のスクリーンに映し出してみる。
 リンリン。
 自転車のベルがなり、続けてけたたましいブレーキ音が聞こえる。
「パンパー。ただいまー。今日は二本ヒット打ったよ」
 秀彰の甲高い声がした。パンパというのは秀彰が私を呼ぶときの呼び方である。
「ただいま」
 智宏の落ち着いた声が続く。
「試合の結果はどうだったんだ」
 と聞くと
「んー。まあまあかな」
 とそっけない答え。
 
智宏が小学六年生、秀彰が小学五年生の年子で、二人とも地元の少年野球イーグルスに所属
している。
「七対二、十対八で二試合とも勝ったんだけど、二試合目は兄ちゃんがリリーフして八点も取られたんだよ」
「うるさいな。お前だってチャンスには凡退だったじゃないか」
「智宏選手が怒っているよ。ニャシャ・ニャシャ・ニャシャ」
 秀彰が智宏をからかって妙な踊りを踊ってみせる。
「あら、帰ってたの」
 二階から母さんの声がした。
「ごめんね。中が散らかってるから、ちょっと待ってくれる。手が空いたら降りてくから
外でオヤツにしましょう。あら、お父さんなにやってるの」
 しまった。油を売っているのが女房殿に見つかった。 しかたなく
「いやぁ、ちょっと懐かしいものを見つけたもんだから」
 とスコアブックを振ってみせた。母さんはそれで納得したのかどうなのか、しょうがないわ
ねといった体で頷き
「夕方までには荷物を物置にしまって頂戴ね。お願いしますよ」
と言いながら二階の部屋に引っ込んだ。
「お父さん、それ何?」
智宏が側にやってきた。
「何々。パンパ」
と秀彰が割ってはいる。
「これは、お父さんの少年野球時代のスコアブックだよ」
「見せて見せて」
「お父さんの記録も載ってるの」
二人が争ってスコアを覗きこむ。
「待て待て、そんなに慌てなくても、いま見せてやるよ」
と私は子供たちを制し、それから、ちょっと勿体つけて
「いいか、ここには凄い記録が残ってるんだぞ」
と付け足した。
「えー。何々。それってお父さんの記録なの」
秀彰が興味津々の顔を私にむけた
「うーん、お父さんも少しは関係しているかな」
 そうだな。このことは子供たちに話しておいた方が良いかも知れない。私は、頭の中でことの成行きを整理すると、カレンダーを20年前に戻して話を始めた。

 僕がブレーブスに入ったのは小学校四年のとき。野球が大好きというほどではないが、遊び友達のヤマちゃんに誘われたのがきっかけだった。休みの日に家でゴロゴロしてるよりはマシだろうと両親も賛成した。
 わりと真面目な性格だったので、土日の練習には休まず参加した。たまたま他の子たちより
もコントロールが良かったので、四年生以下で作るBチームではエースピッチャーに納まり、
ヤマちゃんとバッテリーを組んだ。進級してAチームになってもピッチャーで使われるのだと
思っていた。
 ところがアイツが五年生の四月に転校して来て状況が変わった。アイツは転校してくると直
ぐにブレーブスに入団した。同じ五年生ながらアイツはぼくより五センチは背が高かった。前
の学校でも少年野球に所属していてピッチャーをやっていたとのことだった。
 投げさせてみると、細い身体に似合わぬバネの持ち主で、流れるような美しいフォームから驚くほどの速球を繰り出した。僕はアイツとピッチャーの座を争うことになったのだが、球のスピードはアイツの方が断然速かった。
 アイツは二番手ピッチャーの地位を与えられ、試合では終盤に抑えの切り札として活躍した。僕は三番手ピッチャーの座に甘んじることになり、ライトの守備に追いやられた。

 六年生になって、僕はもう一度ピッチャーにコンバートされた。前の六年生が卒業してピッ
チャーが足りなくなったのが理由だが、球のスピードが前より速くなったのも確かだった。それだけ、僕の身体も大きくなったのだ。アイツとの身長差はいつのまにか無くなっていた。
 だけどアイツはエースピッチャーの座を譲らなかった。球速、制球力、守備力、どれをとっ
ても僕より優れていた。三振をとると鼻の横を擦って見せるのが癖なのだが、それが何とも
カッコよくて憎たらしかった。
 スタミナが無いのが弱点だったが、アイツの一番の持ち味は精神力だった。どんなに打ち込まれても凹まずに投げぬいたし、味方の酷いエラーで失点しても試合を捨てたりはしなかった。アイツはナインの誰からも好かれていたし、後輩たちからも慕われていた。
 アイツのピッチングと四番に収まったヤマちゃんの活躍で、その年のブレーブスは創設以来
の大躍進を続けた。町内大会で優勝し、続けて郡の大会でも優勝した。県大会への出場は惜し
くも逃してしまったが、他にも二つばかり地方の冠大会で優勝した。
 前にも言ったようにアイツはスタミナがないのが弱点だった。そこで僕がリリーフとして登
場するのだが、あまり優秀なリリーフとは言いがたかった。球速が早くなった代わりに、コントロールが上手くいかい。ストライクを取りにいっては打たれるパターンが多かった。
 アイツが守っていたリードを僕がぶち壊しにしたこともある。そんなときもアイツは何も言わなかった。僕としては文句の一つでも言われたほうが気が楽なのだが。
 アイツは僕にとってちょっと煙たい存在になっていた。今思えば、完璧過ぎるアイツに対し
て一方的なライバル心を感じていたのかもしれない。そのライバル心に突き動かされて。僕は
夏の間に密かにチェンジアップを練習した。これで、アイツやみんなをビックリさせてやるん
だと意気込んでいた。

 六年生の秋。ブレーブスは秋季県南大会に招待チームとして出場した。それが僕たち六年生
の最後の公式戦だった。初戦の相手はジャガーズ。優勝の常連で、先の郡大会でブレーブスに
優勝をさらわれたのが気に入らないらしく、試合前から対抗心を顕にしていた。
 その日、練習の時からアイツのピッチングは絶好調だった。けれどもコーチたちはアイツの
スタミナを気にしていた。この大会が七イニングス制だったからだ。いつでもリリーフできる
ように準備をしておけよと監督に声をかけられた。
 試合が始まっても、アイツは好調を維持していた。芸術的な投球フォームから生み出される
ストレートがコーナーを突く。三振と内野ゴロの山がスコアブックに書き加えられていった。
ブレーブスは初回にヤマちゃんのスリーランホームランが出て3対0、その後は膠着状態で五
回まですすんだ。
 その五回の裏。守備位置から返った野手が記録員のノブの所に集まった。
「今のところ完全試合なんですよ」
 ノブが呟いた。スコアブックの相手チームのページには三人ずつになったアウトの記録が並んでいる。みんな顔を見合わせた。このことを知ってか知らずか、アイツはヘルメットを被っ
て素振りをしている。
「おい、みんな。アイツに完全試合やらしてやろうぜ」
 ヤマちゃんが皆の顔を順繰りに見ながらそういった。皆黙って頷いた。

 この回の攻撃はアイツの打順からだった。アイツはピッチングは素晴らしい一方でなぜか
バッティングはからきし下手だった。どうやら、ピッチャーの球が怖いらしい。腰が引けて手
だけでバットを振り回している。内角にきわどい球が来たりするとヒャッとか言って尻餅をつ
くこともある。
 だが、この日のあいつは違っていた。ピッチャーマウンドでの気合が、バッターボックスまで持続して、いつになくボールに向かっていったのである。そして、そのことが結果として仇になった。
 三球目に相手ピッチャーが内角にとんでもないクソボールを投げてきた。普段のアイツなら
身を翻して避けるのに、今日はまともに横腹にぶつかった。アイツはお腹を押さえてしゃがみ
込んだ。審判は一塁を指差すジェスチャーをしたが、すぐには起き上がらない。お腹を押さえ
たままで、遠くの方を見てボンヤリとしている。
 コーチと監督が慌ててバッターボックスに走った。監督がアイツと二言三言話したあと、僕の方を見て手招きをした。僕が監督の方に駆け寄ると、
「臨時代走だ。一塁に行け」と言われた。
 アイツは監督とコーチに挟まれ、お腹を押さえた格好のままベンチに引っ込んでいった。
 一塁ランナーになった僕は、アイツの様子が気になって仕方がない。この回の攻撃が終るま
でにアイツが投げられるようにならなかったら、僕がリリーフに立つしかない。その僕が臨時
代走でここにいるのだから、投球練習なんてやってる暇はない。こんなことまで考えて打順を
組むわけではないが、かなり間の悪い巡り合わせになった。
 そうこうしているうちに、アイツは応援に来ていた母親に付き添われてグラウンドから出て行った。
―こりゃ最悪だ―
 と思った。次の回のピッチングのことで頭が一杯になる。
「こらっ。谷田部。もっとリード取らんか」
 コーチの声で正気に戻り、慌ててリードをとった。僕は一塁キャンバスの上で丸太のようにつっ立っていたのだ。
 次打者のショートオーバーのヒットで一・二塁になった。ピッチャーのワイルドピッチで
二・三塁になったあと、フォアボールで満塁。三番バッター三振の後、期待の四番ヤマちゃん
が走者一掃の三塁打を放って6対0になった。
 五番バッターがフォアボールで出塁し、二塁盗塁の間にヤマちゃんがホームを狙ったが直前でタッチアウトになった。その後再び満塁にまでなったのだが、僕の空振り三振でこの回の攻撃を終了した。

 僕は急いでグローブを取りにベンチに戻った。ところが、いつの間に帰ってきたのか青い顔
のアイツが監督と何か話をしていた。監督は腕組みをして困った顔をしていたが、主審に誰が
投げるのかと確認されると、アイツにマウンドの方を指差した。
 また、アイツが投げるんだ。僕は、何だか安心した。そして、僕はそのままライトの守備位
置に走っていった。
 けれど、外野からアイツの投球練習を見ていて、様子が変なのは直ぐに分かった。投球する
時の左足の上げ方が十分でない。下半身がグラグラしている。こんなんで大丈夫なのかと心配
になった。
 規定の投球練習が終って、相手の七番バッターを迎えた。
 初球はど真ん中のスローボール。相手が見逃してくれて助かった。何で絶好球を見送るんだよ、と相手の監督が怒声を飛ばす。
 二球目三球目はキャッチャーも取れないような高い球だった。異状は誰の目にも明らかだっ
た。四球目をファールにされた後、五球目にようやくアイツらしい速球がコーナーに決まって
三振をとった。
 八番バッターへの初球は又もど真ん中の棒球だった。これを相手が打ち損ねてファースト
ファールフライに討ち取った。パーフェクトまであとアウト四つになった。僕は心の中で自分
の所に飛んできませんようにと祈った。きっと野手全員が同じ気持ちだろう。
 九番バッターに代打が出た。お腹の突き出た巨漢の左バッターだった。キャッチャーがライトバックの支持を出した。僕は二メートルばかり後退した。監督がもっとバックしろと手で合
図をした。僕は更に一歩後退した。
 一球目、二球目、三球目。全部外角に外れた。ストライクを取るのに苦労している。遠目か
ら見てもフォームの乱れが良く分かる。フォアボールでパーフェクトが崩れる。嫌な考えが頭
をよぎる。
「ヘーイ。バッター打てないよ」
 内野から声が上がった。
「バッチ来―い。バッチ来―い」
 僕も大声でそれに続いた。
 アイツも覚悟を決めたようで、四球目の投球モーションに入った。
 だが、ストライクを取りにいったその球は内角高めに甘く入った。カキンと澄んだ金属音が
響いた。ライナーの打球がファーストの頭を越え、僕の目の前でワンバウンドした。僕はその
球をキャッチすると全力でファーストに送球した。
―頼む。間に合え―
 ファーストが捕球するのと、バッターランナーがドタドタと一塁を駆け抜けるのが同時だった。一瞬の間が空いて、一塁塁審がアウトをコールした。ライトゴロに打ち取ったのだ。
パーフェクトは続いている。

「ナイス・ライト」
 ベンチに引き上げるナインから祝福された。
「谷田部君かっこいいー」
 ベンチの後ろに控える母親応援団からも黄色い声がとんだ。アイツも僕に向かって笑顔を送ってくれた。その笑顔を作るのさえ辛そうに見えて、僕は却って心配になった。
 七回表。先頭バッターのアイツはバッターボックスの一番端に立って、三つのストライクを
黙って見送った。打順は一番に帰ったが、続く二人もあっという間に凡退した。
 七回裏。相手は一番バッターで三回めのアットバット。そろそろ目が慣れてきている筈だ。
前の回、アイツは殆ど休めなかった。こっちに不利なことばかりが頭に浮かぶ。最後の守備位
置に向かいながら、あと三つアウトを取ることが、とてつもない難題のように思えてきた。
 パーフェクト、パーフェクト。母親応援団から声援が上がった。
―ちぇっ。余計なこと言ってるよ―
と思った。
 その応援で相手の監督がパーフェクト進行中であることに気がついたようだ。次のバッターを呼び止めると何やら作戦を伝授した。
 先頭バッターは最初からバントの構えでバッターボックスに立った。どうやら、これでピッ
チャーを揺さぶる作戦らしい。
―なんて姑息な手を使うんだろう―
 そう思うと相手の監督に対して腹がたった。
 アイツはキャッチャーのサインに頷くと、大きく振りかぶって一投目を投じた。そして投球
と同時にバント処理のためにマウンドを駆け下りた。バッターはバットを引いて判定はボールだった。
 二球目も一球目の再生ビデオを見るように同じシーンが繰り返され、カウントはツーボール
ナッシングになった。その後、三球目四球目とバントがファールになってくれた。これでツー
エンドツー。しかし、投球の度にバント処理のためにマウンドを駆け下りるのだから、アイツ
にとっては相当こたえているに違いない。普段弱いところを見せないアイツなのに、肩で息を
しているのが遠くからでもよく分かる。
 バッターはバントを諦めたのか、ヒッティングの構えでボックスに入りなおした。
 ユニフォームの袖で額の汗を拭って、アイツが五球目をバッターに投じた。その投球をバッターはスリーバントした。三塁線に絶妙のゴロが転がった。マウンドを降りたアイツは、右手
でボールを掴むと振り向きざまにファーストに矢のような球を送った。間一発のタイミング。
塁審がアウトのコールをした。
 アイツはフィールディングも上手いのだ。これで相手もバント作戦を止すだろう。
 ワンアウト・ワンアウト。キャッチャーが内野に声をかけた。あとアウト二つ。
 二番バッターが青ざめた顔でバッターボックスに入ってきた。守っている方が緊張している
のと同じように、攻撃側も緊張しているのだ。そのせいで萎縮しているのか、一球目はボール
球を空振りした。何とかなりそうだ。と思った矢先に、二球目をレフト線ギリギリに痛烈な当
たりのファールを打たれた。あと五センチ内側だったらヒットだった。僕は額の冷や汗を拭った。アイツもマウンドで同じことをしている。
 三球目。金属音が響くのと、打球の直撃を受けてアイツがマウンドで崩れ落ちるのが同時
だった。アイツは四つんばいで打球を拾い、膝をついた体制でファーストに送球すると、その場にへたり込んだ。塁審のアウトのコールがアイツの耳に届いたろうか。
 監督がタイムを要求してマウンドに駆け寄った。アイツはとんび座りでへたり込んだままだ。打球を受けたのは胸か腹なのか。胸の前で腕を組んだまま身じろぎもしない。
 監督が審判に何かを告げた。それから僕の方を向き、ピッチングのジェスチャーをしてから手招きをした。投手交代だ。それまで動かなかったアイツが顔を上げて監督に何か言った。監
督は首を横に振ると、コーチと一緒にアイツを抱きかかえ、自軍のベンチまで運んでいった。

 僕はピッチャー用のグローブを取りにベンチに走った。
「まだ投げられます。まだ投げられます」
 アイツが監督に嘆願しているのが聞こえた。でも、アイツが限界なのは誰の目にも明らか
だった。それに監督は既にピッチャー交代を審判に告げている。僕がマウンドに向かう姿を見
ると、アイツは観念したようにベンチに腰を落とした。がっくりと項垂れている姿がいつもよ
り小さく見える。
 プレートを踏んで投球練習を始めようとしたとき、タオルを目に押し当てているアイツの姿が目に飛び込んだ。アイツが涙を流しているところを初めて見た。僕は自分がアイツを泣かせ
たような気になって、胸の辺りが冷たくなった。
「ピッチャー。早く投球練習をはじめたまえ」
 審判に促されて、僕はキャッチャーに向かって投球を始めた。一球二球とボールはあらぬ方
向に飛んでいった。こんな責任重大なシーンでマウンドを任され、腕が縮み上がっている。そ
れに、アイツの涙も重荷になっていた。規定の投球練習を終えて、ストライクは一球しか入ら
なかった。
 僕の投球の様子を見て、相手のベンチが一挙に和やかになった。ブンブンと素振りをし、相手の三番バッターがにやけた顔で左のバッターボックスに入った。相手ベンチから、黙ってい
てもフォアボールだぜ、という野次が飛ぶ。
 それに引き換え、こちらのナインはみんな青ざめていた。きっと料理される前の七面鳥と同じ顔色に違いない。まだパーフェクトが進行中で、ヒットはおろかエラーも許されないのだ。  
 そして、この僕自身がマウンドから逃げ出したい気分になっている。フォアボール・デットボールでもパーフェクトが崩れてしまう。日が陰ったせいか、背中の辺りが妙に涼しい。「ツーアウト・ツーアウト」
 キャッチャーのヤマちゃんが声を張り上げた。
 呼応して「ツーアウト・ツーアウト」の声がマウンドのまわりを一周する。
 審判のプレイの声がかかった。もう、やるしかないんだ。アイツのために。
 僕はありったけの力で第一球を投じた。外角低めに決まったが、判定はボールだった。二球目も内角いっぱいに決まったと思ったが、やはり判定はボールだった。
 くそっ。何でとってくれないんだよ。審判に対して腹がたって唇を噛んだ。ヤマちゃんが立ちあがって、リラックスしろとジェスチャーした。僕はそれに従ってマウンドで二三度肩を上下させた。
 気を取り直して投じた三球目は、一球目と同じところに決まって、今度はストライクの判定だった。バッターがボックスを外して又素振りをした。再びボックスに入ったときには、さっきのにやけ顔は消えていた。
 次がボールだとワン・スリーになってしまう。何とか平行カウントにしなくては。ヤマちゃんのサインも内角ストライクにストレートだった。僕はサインに頷いて、四球目を投げた。   
 カキーン。痛烈な音が響いた。ライト方向に高々と打球が上がった。切れろ。切れろ。心の中で叫んだ。打球はライトの頭上を越えて、ラインギリギリのところに落ちた。判定は?
 一塁の塁審がファールのジェスチャーをした。
「入ってるじゃないか」
 相手の監督が抗議したが聞き入れられなかった。
 助かった。これでツー・エンド・ツー。
 そこで一安心したのが不味かった。次の投球は明らかにボールと分かる球で、フルカウントになってしまった。
 六球目と七球目はキャッチャー後方のファールフライだった。段々とタイミングが合ってきた気がする。
 さてどうしようか、ストライクを投げて討ち取る自信は全くなかった。さりとてボール球を
振ってくれそうもないし。と、そのとき。ヤマちゃんが今まで見たことの無いサインをだした。ミットの下でOKマークを出しているのだ。僕は直ぐにピンと来た。でも、あの球はまだ試合で投げたことがない。
 僕が首を横に振ると、ヤマちゃんはもう一度OKマークを出して、バンバンとミットを叩いてみせた。僕も、ここで投げなきゃいつ投げるんだと観念した。首を立てに振ると、僕もグ
ローブの中でOKマークを作った。
 ぼくはモーションを起こすと、思い切りよく最後の球を投じた。もらった。とばかりにバッターがスイングを始めた。けれど、ボールのスピードは今までとはほんの少しばかり違っていた。僕が投げたのはチェンジアップだったのだ。そして、その少しのタイミングのずれがバッターの体勢を崩した。
 ボテボテのゴロが一塁方向に転がり、ファーストがキャッチして、カバーに入った僕にボールをトスした。
 アウトのコールが聞こえて、野手全員が踊り上がって喜んだ。まるで優勝したような騒ぎだ。審判団に促されて整列した。その列の中に帽子を目深に被ったアイツの姿があった。相手チームへの挨拶、審判団への挨拶、エールの交換の間中、アイツは俯いたままだった。ベンチ前で、選手同士がパーフェクト達成を称えあっているときも、それが自分とは無関係なことのように、椅子に座ってじっとしていた。
 監督コーチから
「お前がやったパーフェクトじゃないか」
と肩を叩かれたが、アイツは何も答えようともしない。

 僕にはアイツの気持ちが分かるような気がする。一人でパーフェクトを達成したかったんだ。アイツならそれが出来る筈だった。それなのに最後の一人になってマウンドを降りなくちゃならない悔しさ。そしてパーフェクト完成の瞬間を僕に横取りされてしまった口惜しさ。
 芝生の上に移動して、監督コーチが今の試合を振り返って解説する。アイツは一人だけ離れた場所にいた。体育座りした自分の膝に顔を押し当てて、動こうともしなかった。アイツの周
りだけ暗い空気が漂っているようだった。その暗さが全員に伝染し、まるで自分たちがパーフェクトを食らったような気分になった。
 その時になって、僕はグローブの中にボールが入っていることを思い出した。ゲームセットのプレイで、ファーストからトスされたボールを審判に返さずに隠し持ってきたのだ。
―そうだ、このボールを―
 監督たちの話が終って、短い自由時間が与えられた。
 ぼくはボールを持ってアイツに近づくと、直ぐ側に膝立ちした。アイツが僕に気がついて顔
を上げた。僕は手に乗せたボールをアイツの前に差し出した。アイツはキョトンとした顔でしばらくボールを見ていたが、いきなり右手でそれを払いのけ、再び膝に顔を埋めた。ボールは
芝生の上を点々と転がった。
 一瞬頭に血が昇った。だけど、僕でも同じことをしたかもしれないと思うと、暫くはそっとしておこうと考えた。僕は転がったボールを拾い上げると、自分のバッグの中にコッソリとしまいこんだ。

 第二試合はそれから一時間半後に始まった。アイツは具合が悪いからとの理由で先発メンバーから外れた。それどころか、アイツはベンチにすら入らずに、自分の母親と一緒に応援席の椅子に腰掛けていた。黒いウィンドブレーカを腰に巻き、お腹を押さえて青い顔でグラウンドの僕たちを見下ろしている。
「お前ら、この試合に勝てばあした準々決勝だぞ。そうすれば、またアイツが投げられるんだ。アイツのためにも、この試合勝つんだぞ」
 監督がナインに発破をかけた。
―そうなんだ。アイツが又投げられるように頑張らなくちゃ―
と僕も気合を入れた。
 だけど、意気込みだけじゃどうにもならない時もある。僕が先発した第二試合は三回まで二対二の均衡した展開だったが、四回に僕が相手打線に捕まった。ホームランを二本打たれて七
対二の五点差になった。五年生の控えピッチャーにマウンドを譲ってからも、詰まらないエ
ラーが重なって、終ってみれば十三対四の大敗だった。ゲームセットの声をベンチで聞いて、
観客席を見上げたときにはアイツの姿は見えなくなっていた。

 翌日の日曜日。準々決勝が無くなったので、ブレーブスはいつも通りの練習日となった。前日に気合が入りすぎたせいか、何となく気の抜けた練習だった。アイツは具合が悪いという理
由でその日の練習にも来なかった。試合で打球を受けたのが実はすごい大怪我なのかと心配になった。
 月曜。アイツはいつもと変わらぬ様子で登校してきた。なんだ元気なんじゃないかと思った。僕はアイツに「どこが具合悪いんだ」と聴いてみた。「なんでもない」とアイツは答えた。僕は納得できなくて、「何があったんだ」と更に幾度も問いただした。そのしつこさに怒ったのか、アイツは顔を赤らめ「うるさい」といって走り去った。
 それ以来、僕とアイツは何となくシックリいかなくなった。練習中も用事があれば声をかけるが、それ以外ではお互いを敬遠するようになっていた。何故かと言われても上手く説明できないが、アイツにとっては記録を横取りされた悔しさが、僕にとっては記録を横取りした負い目があったのだろう。そんな訳で僕は記念ボールを渡すタイミングをなくしてしまった。

 冬になった。一月はブレーブスの練習はお休みだ。二月から練習再開なのだが、来シーズンに備えて五年生がAチームの主力になるため、六年生は自由参加ということになる。とはいっても皆野球が好きだから、六年も全員参加するのが常だった。ところがアイツだけは顔を見せなかった。授業にはちゃんと出席しているのだから、病気ということではないらしい。
 三月に六年生追い出し大会というのがある。といっても公式戦というのではない。町内にあるチームから六年生だけ集まり、混成チームを作って試合をするのだ。外野しかやった事がない選手がピッチャーを買って出たり、右打ちのバッターが左打席に立ったりで、とんでもない珍プレーが続出して結構笑えた。アイツはその最後の大会にも参加しなかった。何か別の用事と重なったとのことだった。アイツの華麗なピッチングフォームが見られなくて僕も少し残念だった。
 卒業式があって僕の小学生生活は終った。中学生になることに何となくの不安はあったけれど、ブレーブスの仲間たちも同じ中学校に進むんだと考えると、その不安もやわらいだ。だから、春休みの間にアイツが私立の中学に進学すると聞いたときは、正直いってショックだった。アイツが冬の練習を休んだのも、追い出し大会を欠席したのも、進学準備のためだったらしい。これでアイツに記念ボールを渡すチャンスが完全に無くなった。
 僕の胸にボール一個分の穴が開いた。


 アイツと再会したのは、それから六年も経ってからだった。
 ブレーブスの四番ヤマちゃんは、中学からリトルシニアに入っていた。ヤマちゃんは甲子園常連の私立高校に進学し、三年の夏に甲子園に出場してベストエイトになった。四番でキャッチャーのヤマちゃんは甲子園でも大活躍で、ホームランを二本打っている。
 ブレーブスがそのヤマちゃんを招いて、臨時コーチをしてもらうことになった。そのことを聞きつけて、その日のブレーブスの練習場所には当時のチームメートが集まっていた。その中にアイツが混じっていたのはちょっと意外だった。ヤマちゃんの周りに皆が集まって手荒い祝福をしているのを、アイツは少し離れたところから眺めていた。
 小学生のころは日焼けした顔で元気に飛び回っていたのに、今のアイツは透けるように白い奇麗な肌をしている。身長もいつのまにか逆転して、僕の方が十センチ以上高かった。アイツに下から見上げられて、嬉しいような寂しいような不思議な気持ちになっていた。
 この日のために持ってきていた記念ボールをアイツの前に差し出すと、最初それが何か分からないような顔をしていたが、やがて
「ありがとう。大切にする」
と言って素直に受け取ってくれた。ずっと胸につかえていた物がとれた気がした。
 練習の後で、誰からともなくこれから同窓会にしようぜということになった。お酒が飲めるわけではないから、近くの焼肉屋で食事会だ。仲直りができた僕とアイツは、そこで失われた六年分の話をした。
 アイツが中学校からバトミントンに転向したことを、そのとき初めて聞かされた。なるほど、ずっと屋内にいる競技だから日に焼けないんだと納得した。アイツはバドミントンでも力を発揮しているようで、今度の高校総体には県代表として出場するんだと嬉しそうに話してくれた。
 それでも、アイツは野球のことを全く忘れたわけではないようだ。この夏の甲子園大会予選で僕とヤマちゃんが対戦し、僕がホームランを打たれたことを知っていた。
「打たせてやったんだよ」
と負け惜しみをいうと
「実力。実力」
と笑われた。
 焼肉屋での同窓会がお開きになっても、皆なかなか帰ろうとはしなかった。もうこれで当分会えなくなるのかと思うと寂しくて、焼肉屋の駐車場でアイツと立ち話を続けていた。
 するとヤマちゃんが僕たち二人のところにやってきて
「お前たちって、昔からそんなに仲良かったっけ」
 と聞いてきた。僕が不思議な顔をすると、
「だって、今の店では最初から最後まで二人っきりで話しこんでたじゃん」
 といわれた。僕とアイツは顔を見合わせ
「そうだっけか」
 とハモリながら笑った。


「ふーん。じゃ、そのボール、今はその人が持ってるんだね」
秀彰に尋ねられて
「そういうことになるな」
と答えた。
「何かもったいなかったね。パーフェクトなんて滅多にあるもんじゃないから」
智宏が不満そうな声を漏らした。
「でも、お父さんはアウトを一つとっただけだからな」と言い訳した。
「もう、その人とは会ってないの」
と秀彰。
「それがね、縁というのは不思議なもんで。その次の年お父さんは大学に進んだんだけど、五月の天気の良い日にキャンバスを歩いていて偶然アイツと出くわしたんだ。
 お父さんは経済学部でアイツは文学部。授業が重なっていなかったので、同じ大学に進学したことにそれまで気がつかなかったんだな。
 その日から二人はいつも一緒に行動するようになった。
 映画やコンサートにも誘い合って行くようになった。お互いの家に呼んだり呼ばれたりする家族ぐるみの付き合いをするようになったんだ」
 私の頭に当時の光景がよみがえる。
「ふーん。じゃ、その人にお願いすれば、パーフェクトのボールも見せてもらえるよね」
と智宏が嬉しそうに言い、
「ああ。無くしてなければな」
と私が答えた。

「あらー。まだ野球の話が続いてるの、しょうがないわね」
と背中からお母さんの声が聞こえた。
 ありゃ、昔話に夢中になってすっかり仕事のことを忘れていた。お母さんの剣幕を想像して、おそるおそる振り向いてみた。しかし、お母さんはニコニコした顔で、それほど怒っているようには見えない。
すまん、すまん。これから荷物を運ぶよ」
 私はその場を取り繕うように、慌ててダンボールを持って立ち上がった。
「いいから。お父さんはその場所にいて」
 お母さんはそういうと、私の隣にやってきた。普段はサンダル履きなのに、どういう分けか
今はスポーツシューズをはいている。
 続いて、お母さんは一歩二歩と歩数を数えながら、私の側から歩き出した。二十歩とちょっと進んだところで振り返ると、そこで柔軟体操を始めた。何が始まるのだろうと見ていると、「智宏。あなたのグローブ。お父さんに貸してあげて」
といった。
 私が息子からグローブを受け取る。お母さんは腕をグルグルと回しながら
「それじゃ、お父さんは座って構えてくれる」
 と言い出したので、私はその場に腰を落とした。子供たちがキツネにつままれたような顔で私たち二人のやり取りを見ている。
「お父さん。私も懐かしいものを見つけたんだ」
 お母さんはそういうと、ポケットから丸い物を取り出した。それを右手に持つと、大きく両手を振りかぶった。足が高く上がる。久しぶりに見る華麗なフォームだ。長く伸びた腕が振りぬかれる。低い弾道のストレートが繰り出され、乾いた音とともにグローブに収まった。
「なになに」
 と子供たちが寄ってきてグローブの中を覗き込んだ。そこにはパーフェクト達成と書かれた軟式ボール。そして達成日が記された直ぐ下にはアイツと私の名前が並んでいる。
「えー。それじゃ、お父さんの言ってたアイツって」
 子供たちが声を張り上げ、六つの目が一斉にお母さんの方に向けられる。
 腰に手を当て、得意げに鼻の横を擦っているアイツがそこに立っていた。


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こんにちは
素直に面白かったです!
読みやすいのも良かったです。
今後のブログも楽しみにさせて頂きますね(^^
59ヶ月前
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>>1
おお!ありがとうございます。
まぁ、こんな感じで色々投稿していきます
59ヶ月前
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