11/14日日記
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11/14日日記

2017-11-14 23:16
    「なにもない」が「ある」

    こんな言葉が頭に浮かんだ。
    いやなに、景観とか風流とか、
    なにも感じない若者が近くにいるもので、
    なにかがあるからそこに出向くor留まるのではなく、
    そこになにもないから、そこにいたいんだ、という感覚を、
    どうしてもその若者に伝えられなくて、
    私はもう古い人間なのか・・・彼ら彼女らこそ新人類なのか・・・と、
    想うこともしばしば。

    休日に、パンクズなど持って自然公園の広場のベンチに腰掛け、
    木漏れ日の中、パァーッと撒くと、
    鳩たちが一斉に集まって足元に集まります。
    横にある運動場からは野球少年たちの声。
    時折吹く風が木々をさざめかせ、
    緑の息吹に包まれて、空を仰げば、
    まぶしくて目を細める・・・

    或いは、そうだな、河原などはとてもいい。
    汚れなど気にしなくていい服装で出向いて、
    水面に近い川岸の砂の上に座る。
    近くを覗けば小魚たちや砂利と小石が踊り、
    視線を上げたなら川面に光が反射して地上の天の川だ。
    なにより目を閉じてなにも声を上げず、
    穏やかな気持ちで心音をメトロノームにし、
    緩やかに響く川のせせらぎを16ビートで刻めば、
    そこにあるのは世界と、自分だけだ。

    さて、このようなことはたまにやる。ご褒美として。
    なにがご褒美かって?時間をそんなに無駄にすることがご褒美なのです。
    年中時間と仕事に追われてマトモに寝ることもできないのだから、
    常になにかが「あって」当たり前なのが普通の社会人です。
    だからこそ、「なにもない」ということが「ある」
    その価値を否定しないでもらいたいのだが・・・

    残念ながら我が周辺の若者には理解してもらえない。

    若「その公園でなにしてるんですか?」
    私「ボーッと鳩に餌やってんだよ。」
    若「それって意味あるんですか?」
    私「ないぞ。鳩が喜ぶくらいのもんで。」
    若「むなしくないですかそれ?」
    私「なんでよ。」
    若「いや、なんか、意味なくないですか?」
    私「・・・」

    若「川観てぼーっとするんですか。」
    私「おお。まあ、色々してるけどな。」
    若「色々って?」
    私「魚が何回はねたなとか、電車が何台通ったなとか。」
    若「罰ゲームっすか?」
    私「なんでやねん!」

    わからんもんかねえ・・・
    家でゲームするのも遠出して遊びに行くのもいい。
    でも、なにもないということを楽しむ人間もいるのだと、
    意味ないとかむなしいとか思わず、受け入れてほしいなあ・・・
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