■こんにちは、編集長の荻上チキです。7月1日、青山ブックセンター本店にて「復興アリーナ」のローンチイベントを開催いたしましたが、お陰様で大盛況となりました。ありがとうございました。新サイト・復興アリーナは、下記のURLにて更新中です。何卒、ご支援下さい。
青山ブックセンター本店では関連図書×選書フェアも来週中ごろまで開催中です。
http://synodos.livedoor.biz/archives/1938870.html
フェア終了後も常設コーナーでシノドスの関連本を紹介していただけるそうなので、是非、お立ち寄り下さい。
■今号もまた、いくつかの告知をさせていただきます。
7月18日には、おまたせしていた『日本の難題をかたづけよう』(光文社新書)が発売されます。荻上チキ編、安田洋祐氏、菅原琢氏、井出草平氏、大野更紗氏、古屋将太氏、梅本優香里氏といった若手論客が、現状分析と問題解決のための思考法を提示する一冊です。
その刊行を記念して、
リブロ池袋本店で、
7月26日(木)19時~菅原琢さんと“データで政治を可視化する”
http://p.tl/jbic
(書籍館1階でブックフェア開催中)
三省堂神保町本店で、
7月30日(月)18時半~ 安田洋祐さんと“社会を変える新しい経済学”
http://t.co/lTmrDlUQ
(4階でブックフェア開催中)
と連続してトークイベントを開催します。いずれも、非常に貴重な機会ですので、是非、いらしていただければ幸いです。
■さて、今号では、若田部昌澄氏と菅原琢氏の対談を企画させていただきました。失敗の歴史を食いとめるためにこそ、失敗そのものから目を背けてはいけません。「失われた20年」とはどのような時代だったのかを、経済学的視点と政治学的視点から照射していく、ここでしか読むことのできない非常に濃密な対談です。
■橋本努氏による論考「格差社会論とは何であったのか」は、ここ数年の間に流通していった「格差社会論」のパターンを言説分析しつつ、そのトレンドが時代背景にいかなる応答をしてきたのかを大胆にパラフレーズしていきます。そのプロセスは、当初は批判していたはずの「新自由主義」を、微妙に異化しながら受容していく過程であると氏は喝破します。果たして、その真意は?
■続いて、昨今の「生活保護叩き」を受けての緊急対談を、ライターの鈴木大介氏と行った「不正と不平の間」です。アングラ世界の取材を続ける鈴木氏とは、公式にはこれで3度目の対談。実際に「不正受給」を行っている家庭も、受給資格があるにもかかわらずそれを拒み続ける家庭も取材してきた鈴木氏の目には、特定のイメージが先行したバッシングがどのように映っているのかを伺いました。
■明石健五氏には、蓮實重彦氏講演「フローベールの『ボヴァリー夫人』―フィクションのテクスト的現実について」講演レポートをご寄稿いただきました。学生時代から蓮實氏の映画論・文学論に触れ続けてきたという人は多いでしょうが、ここしばらく、テクスト論争そのものを見る機会は減ったようにも思えます。ある意味では「ノンフィクション」の力が大きくなったともいえる今だからこそ、改めてテクストの役割について思考するための、重要な記録になると思います。
■αシノドスではこれまでも様々な書評を掲載してきましたが、今号は吉田俊文氏による、マイケル・サンデル『それをお金で買いますか―市場主義の限界』のレビューを掲載。サンデルの議論は、部分抽出されたアポリアを元に思考実験を繰り返すことで、共和主義の守備範囲を再確認するというものが多いようにも思えますが、そのサンデルがいま、改めて「市場」の役割について問い直します。
■今号の synodos journal reprintedは、白川俊介氏の「ナショナリズムの力―リベラル・デモクラシーを下支えするもの」を再掲。同タイトルの著作が絶賛発売中の白川氏が問う、ナショナリズムの今日的な機能とは?
■次号は vol.105、8月1日配信予定です。お楽しみに!
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★今号のトピックス
1.対談/若田部昌澄×菅原琢(司会:荻上チキ)
政治と経済の「失われた20年」
2.「格差社会論とは何であったのか」
………………………橋本努
3.対談/鈴木大介×荻上チキ
不正と不平の間
4.蓮實重彦氏講演『フローベールの『ボヴァリー夫人』
―フィクションのテクスト的現実について』講演レポート
………………………明石健五
5. シノドス・ブックレビュー
マイケル・サンデル『それをお金で買いますか―市場主義の限界』
………………………吉田俊文
6. synodos journal reprinted
ナショナリズムの力―リベラル・デモクラシーを下支えするもの
………………………白川俊介
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chapter 1
政治と経済の「失われた20年」
対談/若田部昌澄×菅原琢(司会:荻上チキ)
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曖昧な議論の状況を改善するために
専門領域を尊重しつつ果敢に横断する
シノドス・クロスオーバー・トーク第一弾
経済学者・若田部昌澄、政治学者・菅原琢の両氏に聞く「失われた20年」
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◇学問と現実
――現在の日本は、「失われた20年」が続いていると言われています。それは経済停滞によるものとも、また政治対応の遅れによるものとも言われています。そんな現在を把握するためには、政治の変動と経済の変動、両方の歴史を丹念に紐解いていく必要があると思います。
そこで今回は菅原琢さんと若田部昌澄さんに、政治学と経済学の視点で、この20年間がそれぞれどういった形で観察できるのかを伺いたいと思います。経済学と政治学から見える光景に、どのような共通点があるのか。現代は果たして、どのような課題を抱えているのか。じっくり聞かせていただければと思います。
若田部:経済学を代表することはできませんが、私の見方を簡潔に述べたいと思います。実を言うと私も、2000年代になるまでは日本の経済に関心があったわけではありません。経済学に限らず、社会科学の研究者で現在の状況に関心がある人はそんなに多くないのではないかと思います。
この20年というのは、端的に言って不況から完全には抜け出さなかった20年だったと言えるのではないでしょうか。少し遡ると、85年のプラザ合意によって円高に転換しバブル経済が始まるわけですが、そこからマクロ政策の掛け違いが連続的に生じています。
バブルを潰そうという強い意志が働き、株価が下がり、バブル崩壊へと向かうわけです。そこで金融政策の対応が遅れてしまい、バブルの後始末が長引いたことが「失われた20年」の始まりだと言えます。
’92、3年になると政策が転換され、ややケインズ寄りの財政によって景気が良くなりますが、’96年に第二次橋本龍太郎内閣が発足すると「もうマクロ政策は十分やった」ということで元祖構造改革路線が打ち出され、再び景気が後退するわけです。バブル以降の経済については構造的な要因がよく語られますが、90年代を見る限りは2、3年ごとに政策の失敗が起きているというのが私の印象です。
2000年以降の小泉政権時代についてはまた議論が分かれるところです。ただ、興味深いのは、小泉政権といえば構造改革の時代だと思われていますが、規制緩和は以前から行われており、彼がやったのは不良債権の処理と道路公団民営化と郵政民営化ぐらいです。政権の最初にやったのが不良債権処理で、道路公団民営化は中途半端に終わり、郵政民営化は最後に法案を通しただけです。だから、実を言うと構造改革は小泉政権の経済成果とはあまり関係ないというのが普通の見方でしょう。
それでは何が良かったのか。2001年3月以降の日銀による量的金融緩和政策です。これによって金融政策は緩和的に推移し、財政はある程度横ばいで推移し、円高になりかかったところで為替に介入し1ドル110円ぐらいで安定していました。不良債権処理がうまくいったのも、2002年初めごろから景気が回復していったことが大きいです。小泉以降は再びマクロ政策の失敗が続きますが、この20年を通して見ると、マクロ政策が比較的うまく行った時代とそうでない時代の繰り返しという印象です。