荻上チキの αシノドス
αシノドス vol.122 いい人だけじゃいられない
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荻上チキ責任編集
“α-Synodos”
vol.122(2013/04/15)
いい人だけじゃいられない
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★今号のトピックス
1.対談/伊勢崎賢治×大野更紗
いい人だけじゃいられない――平和のための紛争学
2.読書、時々、映画日記
………………………荻上チキ
3.シノドス・ブックレビュー
ウルリッヒ・ベック『ユーロ消滅?――ドイツ化するヨーロッパへの警告』
………………………吉田俊文
4.法制度からオープン・データを考える
………………………生貝直人
5.対談/瀬尾傑×荻上チキ
ネットメディアのこれから
○編集後記
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chapter 1
伊勢崎賢治×大野更紗
いい人だけじゃいられない――平和のための紛争学
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いやおうなく世界とつながれてしまうグローバル化社会で
我々はどれだけ国際社会の当事者であることを意識しているだろうか。
作家の大野更紗さんと伊勢崎賢治氏が語る。平和のための紛争学。
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伊勢崎賢治氏
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大野更紗氏
◇日本にある紛争
大野:伊勢崎先生は、東京外国語大学で紛争予防、平和構築のゼミを開講されているとうかがいしました。
伊勢崎:ゼミというか講座です。2年間通して全て英語で教える修士課程です。
大野:今、何か国から何人くらいの学生が在籍しているんですか?
伊勢崎:修士は定員8名です。あと、博士課程もあって、今ぼくが主任指導しているのは6人ですね。学生の出身国としては、イラク、アフガニスタン、チャド、インドネシアなど現在進行形の紛争国。アメリカ、中国、インドなど他国に戦争を仕掛けている超大国。スリランカ、カンボジア、東ティールなど終戦後の復興を模索している国々ですね。
大野:彼らが、この講座に集まる動機には、何か共通したものがあるのでしょうか。
伊勢崎:僕たち日本人には意外な動機かもしれませんが、日本には、欧米には備わっていない独自の平和を構築する技能があるのではないか、と。何せ、日本は、こんな経済大国なのに戦争をしていない。彼らからみる大国は、皆、戦争をするんで。こう言われると日本人として嬉しい限りですけど、本音は、欧米にいきそこなった人がきているのではないか(笑)。2001年の同時多発テロ後、特にイスラム圏の学生は欧米にはいきにくくなっていますから。こんな状況で、入学の競争率は2倍以上を維持してきましたが、最近になって、定員割れに苦しむようになりました。
大野:直近の定員割れの要因は、東日本大震災でしょうか。
伊勢崎:そうです。放射線への脅威ですね。それに追い打ちをかけるのが、民主党政権時代で変に「仕分け」したでしょう。教育事業も奨学金の枠が狭くなった。それがないと途上国からの学生なんて、物価の高い日本ではやってゆけない。このままでいくと、ホント、エデュケーションセンターとしての日本の教育は滅びるかも……。
欧米がすごいのは、最貧弱小でも国家外交戦略にとって重要な国、例えばアフガニスタンから学生を、お金をつけて呼んで勉強させる。欧米社会はイスラム・フォービアが蔓延していても、戦略的に重要な国の研究を地域研究として定着させるためにお金を出す。これは、欧米自身の研究者にとっても刺激ですし、何より、学生が帰国して、その国の教育行政のみならず国家・社会の中枢を担うようになる。日本では、地域研究に特化した奨学金制度なんてあんまり聞かない。
大野:シノドスの読者の方もそうだと思いますが、ほとんどの人は地域研究と言われても、パッとイメージがわかないと思うんです。私はもともと上智大学のグローバルスタディーズ研究科地域研究専攻というところの末席にいたのですが、地域研究、つまり ’Area Studies’ はこういうことをする研究ですということを、周囲にうまく説明できたことがないんです。「学際的」と言われますが、その一言で説明がつくものではない。
ただとにかく、地域研究ってダイナミックでおもしろかった。21世紀の今起きている複雑で劇的な出来事を、ディシプリンや理論をあえて担がないでとらえようとする。「感性の学」とも言われましたが、現地語を学び、現地の人たちと過ごし、彼らから学ぶ訓練をまず受けます。
何かありきではなく、そこで何が起きていて、どういう人達が暮らしているのかを重層的にみる。現地語、あるいは英語を補助的に使って、直接コミュニケーションを取ることによって得られるものがすごく多い。地域研究は、グローバル化が叫ばれて久しい現代社会では、直近に必要とされていると感じていました。
伊勢崎:でも、政府もお金を出さなくなったし、すごくやりづらい。奨学金がなかったら、日本にいられないんですよ。
大野:伊勢崎ゼミには日本人の学生は、あまり入らないんですか。
伊勢崎:特に日本人枠は設けていません。今は英語力も日本人の方があるんですよ。帰国子女なんていっぱいいるでしょ。だから英語力の問題ではない。研究計画書を書かせる。2年間で何がやりたいかというところで厳選する。そこで大半の日本人は落ちます。
だって、大学で国際協力学んだだけで、アフリカにいったこともなければ、いったとしても旅行程度で。それで、アフリカの少年兵のことをやりたいと言われても、何をどういう風に指導していいかわからない(笑)。逆に、日本人だから、沖縄の問題をやりたいだとか、あるいは、フリーター、非正規就労の問題でもいいですよ。そういう若年層の失業って戦争がおこる原因と直結することがある。
大野:貧困と暴力と言ったら、もう紛争研究のメインテーマですよね。
伊勢崎:そういうふうに、地に足がついていたら、すぐ取りたいですけど、皆、いきなりアフリカ……。
大野:構造の問題として日本国内の出来事をとらえようという意識があまりないのかもしれません。
伊勢崎:貧困を構造の問題じゃなく、単なる現象としてとらえている。国内問題も国際問題も、直結しているんですけれどもね。
◇9.11以後を振り返る
大野:伊勢崎先生のことを知らない読者もいるかもしれないですが、私が学部生のときはちょうど9.11後の国際情勢が荒れに荒れていて、その中で伊勢崎先生は「超有名」でした。私が大学に入ったのは2004年です。
伊勢崎:つい、最近ですね。
大野:9.11のときには17歳でした。自分の原体験として、9.11ってすごく大きかった。夜だったと思いますが、福島の山奥の田舎の家に住んでいたのに、テレビの生中継でツインタワーが崩落しているのをみました。そのテレビの画面をみながら、「あ、世界が変わるんだ」と感じた。自明だと思っていたはずの世界が、文字通り突如崩れ去って変わりうるということが、強烈に印象に残りました。
それから、9.11以後の各国の対応を、ティーンエイジャーの最後の時期にずっとみていました。あのころは、日本社会の国際情勢への反応が未熟だったからなのかもしれませんが、高校生レベルの頭で考えても、おかしなことばかりなわけです。
とにかく、ものすごくたくさんの人が各地の紛争で亡くなっていく。それなのに一方で、それらの出来事はまるで存在しないかのようにニュースが切り替わる。当時は子どもでしたけど、根幹の部分で大人の社会が信じられないと感じる部分がありました。
伊勢崎:すごいですね、17歳でそこまで……。
大野:9.11って、そのくらいショッキングでした。田舎の高校生にそれくらいの気持ちを植え付ける程度には、大きな出来事だった。今回は、震災後を振り返るというより、さらに遡って9.11後を振り返ってみたいと思ったんです。非常に大きな転換点だった。それで、伊勢崎先生とお会いしたいと思いました。『インドスラム・レポート』(明石書店)は、伊勢崎先生が最初に出された本ですよね。
伊勢崎:なつかしいな。みるのも久しぶりです。
大野:出版されたのは1987年、私が3歳のときです。実際に読んだのは大学に入ってからなので、2000年代以降ですが。本当に衝撃的でした。この中にすでに、途上国支援の問題のほとんどのことが書かれていたからです。ソーシャルワーカーとしてインドのスラムに住み込むということを、1980年代に先駆的になさっておられる。スラムのコミュニティで住民運動を組織して、その中で外部者として活動するありさまが生き生きと書かれています。おもしろいのが、伊勢崎先生はインドにいかれる前は建築を学ばれていたんですよね。
伊勢崎:このとき、インドにいったのも、建築学の論文を書くための調査だったんです。そのときは、早稲田にいました。都市部のスラム化の問題がテーマでした。ですが、本当は、スラムを一つの魅力ある造形としてとらえていたんです。デザインとは対局の、人間が生物として生存するためにつくった巣の密集と無秩序と混沌に、美しさを感じてしまった。
その混沌をぼく個人の作風として表現できないか。叶わぬ想いかも知れないけど、少なくとも、その混沌の中に身をおきたいという、ちょっと変質的な欲求を抑えられなくなってしまった。それが、インドに渡った動機です。
大野:それは意外です。いまだに、そういうふうに思われますか。
伊勢崎:思いますね。最近、あの昔のスラムを25年ぶりに訪れる機会があって、やはり美しいですね。わくわくドキドキします。
大野:『インドスラム・レポート』を書かれたころは、インドの住民を組織していらっしゃった。とはいえ、それが具体的にどういうことなのかは、なかなか日本の読者には、想像が及ばないのではないでしょうか。インドの都市部では、スラムはその存在そのものが違法です。居住する権利を持たないスラムの住民が、居住権を獲得するために当局とバトルします。この住民運動に関わるという、ダイナミックな現実のストーリだった。そこに住んでいること自体が「違法占拠状態」という人達をどう組織して、当局、行政側と交渉する。少しでもスラムの環境を改善したり、彼らの住民組織をつくって住民参加型のプロジェクトをやったりする。
日本にないもの、日本で失われてしまったものを、第三世界にもとめていくというのは、1970年代から80年代の気分として多くの領域にあったと思うのですが、伊勢崎先生がインドに向かわれた契機というのは何かあったのですか。
伊勢崎:内田雄造という東洋大学の先生の存在がまずありました。2011年に亡くなってしまいましたが。ぼくが学生のときに、新進気鋭の都市計画家であった内田先生は、「若竹グループ」という若手建築家の集団をつくったのです。日本の部落解放運動を側面支援するためです。
例えば、部落の人たちが、依然劣悪な環境におかれた部落を社会差別ととらえ、その改善のために市当局と交渉をやる。すると、住民側には都市計画の専門知識がないから、役人に言いくるめられてしまう。だから、部落の側に寄り添って交渉を助ける必要がある。当時は、日本の部落は、アジアのスラム街みたいだった。ぼくは、このグループの実務に協力というよりも、ただ、お付き合いをして、部落に近づきたかった。
もう一人が、上智の(ホルへ)アンソレーナ先生。世界中のスラム各地を彼自身が根気よく歩き、住民運動を発掘し、紹介し、これを地道に続けることによって草の根の市民活動の世界的ネットワークを築いていた。彼は、後に、「アジアのノーベル平和賞」と言われるマグサイサイ賞を受賞しました。このお二人との出会いが大きかったですね。やはり、内田先生やアンソレーナさんは全くブレない社会的な倫理感と正義感がある。でも、ぼくは、それがあんまりないんですよね。
大野:伊勢崎先生はあんまり、いい人じゃないんですね(笑)。
伊勢崎:いい人じゃない(笑)。社会的な動機より、単に美しいと感じたから、スラムという社会差別の対象に近づきたかった。
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