〇はじめに

いつもαシノドスをお読みいただきありがとうございます。シノドスの芹沢一也です。今号から、橋本努さんと志田陽子さんに編集企画にご参加いただくことになりました。これまでも「リベラルな価値観」を伝える記事をお届けしてきたのですが、今後はより一層、これからのリベラル、あるいはリベラル・デモクラシーを考える記事に力をいれていきたいと考えています。ひきつづきご愛読のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

01.田中将人「政治的リベラリズムから婚姻制度を考える」
政治的リベラリズムは同性婚をどう擁護するのか。あるいは、婚姻制度をどうとらえ直すのか。田中将人さんに、J.ロールズ、M.サンデル、そしてE.ブレークの議論を考察していただきました。J.ロールズであれば、この問題に対して「善に対する正の優先性」からアプローチします。それに対して、M.サンデルは善の構想に直接アピールしようとします。そして、E.ブレークは「ケア関係の形成」を婚姻制度の核心に見出しつつ、「最小の結婚」を提案します。三者のアプローチの違いを通して、公正な社会を考えるとはどういうことなのか、を読み取っていただけるでしょう。

02.柿埜真吾「「脱成長コミュニズム」の正体――日経もマルクスをもてはやす時代?」
「脱成長」という言葉が現在、何度目かの流行をみせています。その急先鋒は、地球温暖化問題を背景に、資本主義をコミュニズムによって乗り越えようとする斎藤幸平さんの議論でしょう。しかし、彼の脱成長コミュニズムは、例外なく独裁や権威主義に行き着いたかつてのコミュニズムから切断されているのでしょうか。また、環境問題を解決するのに、本当に資本主義よりも優れているのでしょうか。柿埜真吾さんに、「脱成長コミュニズム」の正体について、資本主義擁護の立場からご解説いただきました。

03.山本浩貴「アートとエコロジー――芸術の生態学、生態の芸術論」
気候変動や環境破壊が喫緊の問題として浮上するなか、近代的な「自然」概念、操作や支配の対象としての「自然」という概念を乗り越えなくてはならない。このような意識が各所で現れているように思います。そして、こうしたトレンドにあって大きなポテンシャルをもつのは、やはりアートでしょう。アートには世界を「再魔術化する力」が秘められています。しかしそれは、ただナイーブに前近代に回帰しようというのではなく、われわれ人間が世界といまとは別の仕方で関わることを可能にするオルタナティブな認識論を手にしようとすることだ、そう山本浩貴さんは論じます。

04.河本のぞみ「暮らしを支えるチーム――訪問看護の中に居る、作業療法士の日常」
「要介護だったり障害があって暮らして行くときに、本人と家族が何が困っているか、どう暮らしたいか、そこから話は始まる。」この文章を読んで、そこから始まる話をリアルに想像できない方が、たくさんいると思います。ぼくもそうでした。そこで作業療法士の河本のぞみさんに、「ふだん、どのようなことをしているのか」、教えていただいたのがこの記事となります。看護師、理学療法士、そして作業療法士たち「暮らしを支える包括的チーム」が支えるのは、老いや病、ケガによって、生活に支障をきたした人々の生活です。しかし、この支障は生活と別の場所にあるわけではなく、生活の一部として織り込まれながら、人びとの人生を形づくっていく、そうした人生を支える「包括的チーム」の仕事が死に至るまで、これもまた生活の一部として営まれていく。老いと病と死をめぐる現代社会のリアリティが、この記事には凝縮されている気がします。

05.志田陽子「今月の1冊――斉加尚代・毎日新聞映像取材班『教育と愛国――誰が教室を窒息させるのか』+映画『教育と愛国』(2022年公開)」
これまで芹沢一也が書いてきた「今月の1冊」ですが、志田陽子さんと橋本努さんとリレーでお届けすることになりました。今号の担当は志田陽子さん、『教育と愛国』を映画とともに取り上げていただきました。記事中であげられている「お雑煮」の例が卓抜です。ご存じのように、お雑煮は各地方によってバラエティに富んでいます。では、そうした多様性をめぐる議論、あるいは対立を前に、政治や教育が行うべきことは何でしょうか? お雑煮の正当な形について政府見解をつくり、それを教え込むことでしょうか。また、なかには気に喰わないお雑煮もあるけれど、そこは事情を理解し許容するようにと、寛容の精神を教えることでしょうか? あるいは、各地方によってお雑煮の形は異なっているのだと、ひとつの事実として教えることでしょうか? ぜひみなさんもこの問いを念頭に本文を読んでみてください。