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「教養」と「リテラシー」を高める月刊誌
“α-Synodos”vol.315(2023/9/15)
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01 シノドス・オープンキャンパス「ポストコロナの観光と観光人類学」市野澤潤平
市野澤潤平
宮城学院女子大学教授。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻文化人類学コース博士課程単位取得満期退学。専門は文化人類学、観光学。著書に『被災した楽園――2004年インド洋津波とプーケットの観光人類学』(ナカニシヤ出版、2023年)および『ゴーゴーバーの経営人類学――バンコク中心部におけるセックスツーリズムに関する微視的研究』(めこん、2003年)。編著に『基本概念から学ぶ観光人類学』(ナカニシヤ出版、2022年)、共編著に『観光人類学のフィールドワーク――ツーリズム現場の質的調査入門』(ミネルヴァ書房、2021年)および『リスクの人類学――不確実な世界を生きる』(世界思想社、2014年)。共訳書にヴァレン・L・スミス編『ホスト・アンド・ゲスト――観光人類学とは何か』(ミネルヴァ書房、2018年)。
観光という希望
「観光立国」日本、という言葉を聞いたことがあるでしょう。国内経済の活性化および成長の牽引車として訪日外国人観光客の誘致に期待する、日本政府の政策方針です。訪日観光は、国外から国内に人が移動することから「インバウンド観光」と呼ばれます。アメリカやヨーロッパからやってきた訪日客が、食事をしたりお土産を買ったりして、持参したドルやユーロを国内で(円に両替して)消費する。貿易統計の観点から言えば、外国のお金が日本に流入してくるので、インバウンド観光収入を得ることは、サービスの「輸出」にあたります。
昭和の時代、経済成長を謳歌してきた戦後の日本は、インバウンド観光など歯牙にもかけませんでした。外国から原材料を輸入し、国内で自動車や機械などの製品に仕立てて海外に輸出する。この「加工貿易」によって巨額の貿易黒字を得られるので、日本にはインバウンド観光など必要ない――そうした空気が、20世紀の日本にあっては支配的だったように思います。事実、日本政府が観光立国宣言をしたとされるのが2003年、そしてインバウンド観光の振興を目指して「観光庁」が設置されたのは、ようやく2008年になってのことでした。
1990年代初頭にバブル経済が崩壊した後、出口の見えない国内経済の停滞が続いています。「失われた30年」と称されるこの期間を通じて、日本経済の稼ぎ頭であった製造業は、諸外国の競争相手に対しての優位性を失いました。国際貿易収支も、2010年からは赤字に転落したままです。凋落した製造業の代わりにインバウンド観光に期待する――観光立国化への方針転換は、貿易戦争で負け続ける日本政府による「転進」でした。
とはいえ、国の経済の柱のひとつに観光を据えるのは、珍しい話ではありません。むしろ世界を見渡せば、インバウンド観光振興に注力していない国の方が少数派。世界で最も多くの観光客を集めるフランスや、東南アジアの観光優等生であるタイなどを見れば、日本に半世紀以上も先駆けて観光庁にあたる政府機関を設置し、国を挙げて観光ビジネスに邁進してきました。「外国人は日本に来るな」と言わんばかりの態度を長年とり続けてきた日本が、むしろ異常だったのです。そして現在の日本では、観光に関する研究や教育を充実させることが急務となっている――上述の経緯からすれば、当然の帰結だと理解できるでしょう。製造業から観光業へのシフトを急ぐものの、日本という国には国際観光ビジネスの経験が乏しい。日本を観光で稼げる国にするための人材は、まだまだ不足しています。
マスツーリズムの時代と観光学
これまで現代日本のいささか特殊な事情をみてきましたが、国家の経済活動において観光が重要なのは、日本に限った話ではありません。そもそも、市井の人々が、地元の村や町から遙か遠く離れた場所へと気軽に遊びに行く――すなわち観光旅行に出かけるのが一般的になったのは、近代に入ってからの話です。例えば、江戸時代の農民たちは、生まれた村やその周辺に留まって人生を終えるのが普通でした。当時の移動手段といえば徒歩でしたから、何週間もかけて往復するお伊勢参りのような長距離旅行は、特別な機会にしかできなかったでしょう。ヨーロッパでも庶民の生活世界は似たように狭いものでしたが、18~19世紀の産業革命を境として、状況は一変します。農村を出て工場で働くようになった人々は、現金収入と余暇を得る。蒸気船や鉄道などの大量・高速の輸送手段が発達する。こうした産業革命の恩恵により、一般大衆がこぞって観光旅行を楽しむ「マスツーリズム」の時代が到来したのです。
20世紀後半には航空機が大型化し、海外旅行への敷居が一段と下がりました。そして、中国、東南アジア、インドなどの国々が経済成長を遂げつつあることも相まって、世界の観光市場は急拡大を続けています。UNWTO(国連世界観光機関)によれば、2019年における世界の国際観光客数は14億6000万人、各国における国際観光収入の合計は1兆4810億ドルに達しました。旅行や宿泊に加えて、飲食や娯楽や土産物なども含めた広義の観光産業は、一説には「21世紀最大の産業」と言われています。
観光がこれだけ巨大な現象になってくれば、それを研究する学問、すなわち「観光学」もまた盛んになります。観光学とは、経済学、経営学、地理学、社会学、文化人類学など、さまざまな学問の集合体です。具体的には、経済学の観点から観光を捉えるのが観光経済学、社会学の視座において研究すれば観光社会学になります。そうした「観光○○学」をひっくるめて総称したものが、観光を扱う学問の総合としての観光学です。観光学が、このような諸学問の集束として成立してきた背景にあるのは、その歴史的な新しさ。特に、国際観光が隆盛をみたのは20世紀後半で、上に列記したような社会科学の主要な学問は既に確立済みでした。諸学問が先にあり、後から巨大化してきた近代マスツーリズムを、それらの学問が受け止めて研究対象にしたというわけです。
加えて、観光が複雑かつ多面的な現象であることも、忘れてはなりません。近年は、日本においても街で外国人観光客を見かける機会が増えました。彼らにとって日本観光とは、余暇であり遊びである。立場を変えて、彼らを迎える日本人(例えばホテルやレストランの経営者と従業員)から見れば、同じことが接客の仕事であり営利のビジネスになる。日本という国にとって、インバウンド観光は貿易黒字という経済的恩恵を生むとともに、多数の外国人の流入が様々な葛藤を引き起こす社会問題でもある。日本観光の売り物と言えば、神社仏閣や和食などの文化が第一に思い浮かぶでしょうが、春の桜に秋の紅葉といった四季の自然も、外国人にとっては大きな魅力です。しかし一方で、多くの訪日客が集まる京都などの人気観光地では、ゴミのポイ捨てやマナー違反が目に余るだけでなく、公共交通機関の混雑や急激な観光開発による物価上昇など、地元住人が苦しむ事態が生じている(観光が引き起こすこうした種々の問題は、「オーバーツーリズム」と呼ばれ注目を集めています)。さて、観光はこのように実にたくさんの「顔」を持つ現象です。「余暇・遊び」「ヒジネス・経営」「仕事・労働」「経済」「社会」「文化」「自然」「環境」「交通」――これらはいずれも、学術上の重要な検討対象であり、それぞれ専門の学問分野から研究が進められています。