全訳古語辞典さん のコメント
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漫画や小説などのストーリーを考える時、先人の知恵をどう使うか。 創作術の本を20冊ほど買って読んだが、ほぼ無収穫で絶望したことがある。 お金かえして!!! だが、ハリウッド式の『三幕構成』( ブレイク・スナイダー など)はガチだった。 巨大な市場、分業制、合理主義、この辺の事情が関係して、 体系的なノウハウが蓄積しているのだろう。 三幕構成 (Wikipedia) →「面白い物語」の構造・要件を経験則によって体系化したもの。 元は神話の共通点の研究に始まり、 今ではほぼ全てのハリウッド作品がこれで作られている。 ただしコレを守れば面白いという訳ではない。 しかし、「コレを守れていないと破綻するかも」というのも事実なのだ! しかし最初、僕は失敗した。 テンプレ構造に当てはめる事を目的に、ストーリーを組み立てたからだ。 創作は穴埋め問題じゃねえ!!!!! 結果、生真面目で、ユーモアに欠ける、苦しい作品になってしまった。(未公開) エンタメはあくまでエンタメだ。 三幕構成はガチで重要だが、扱い方が難しい。 中途半端に使うと「なんだ、三幕構成ゴミじゃん」という苦い思い出だけが残るのだ。 でも違う。三幕構成は有能だった! 無能なのは僕だった!!!(吐血) 僕の場合、一度勉強して、数年おいて再び触れたところ強烈に腹落ちしたので、 多分、学んだあとに実践で何度も使って、体得するしかないのだろう。 漏れが多く、まだまだ未熟だとも痛感する。 そういうのを踏まえた上で、 僕の過去作「 ゼクレアトル 」(三幕構成を知らずに書いた)を、 この視点で見なおしてみる。 (三幕構成の詳細は Wikipedia ) ____________________ 一幕 一幕(前半)セットアップ 1~3話 ・主人公(カンタ)が、作者(ゼク)に「お前はこの漫画の主人公だ」と告げられる ・「この漫画を面白くしろ」と言われ、凡人なりに奮闘する 一幕(後半) 悩みの時 4~5話 ・作品を盛り上げるため、両親が「魔王軍」なる組織に殺される ・「変身ヒーローになって、魔王軍と戦え!」と言われる 第一ターニングポイント (大転換点①) 5話 ・物語上の茶番で両親が殺された事に怒り、 魔王(作中の敵)ではなく作者「ゼク」に宣戦布告する セントラル・クエスチョン (物語上の最大焦点): 「漫画世界の駒に過ぎない」というメタ支配構造から脱出できるか!? ____________________ ここまでは我ながら結構良く出来ていたと思う。 (編集者氏の力に頼っていたと思うが。) 書きやすかったし、読者からの評判も良かった。 (肩に力が入っており、ゴチャゴチャした描写の省略が甘い、などの難はあったが) で、問題は第二幕なわけです。 二幕の前半は、Bストーリーと言って、 Aストーリー(一幕のお話)とは真逆の、無関係そうな話が始まる。 映画で言うと、予告編で流れる、小気味よいシーンがこれだ。 ここで主人公は、いつの間にか何かを学んでおり、 その後の大ピンチ(Aストーリー上の問題)を切り抜ける。 これはまさしく、人間の思考法における「類推」(アナロジー)だ。 (例:ヤカンの蓋が動くのを見て、蒸気機関を思いつく) 何かを解決する思考法は「演繹」「帰納」「類推」の3つがあるのだが、 類推が最も気持ちいい!(※個人の感想です) 要は三幕構成とは、 ・ある問題を類推で解決する時の快楽を最大化する構造 だと僕は考えている。 で、ゼクレアトルをどう組み立てるべきだったかという話。 セントラル・クエスチョンは 「メタ構造から脱出できるか」だ。 ここからは逃げられない。 (問題のすり替わりという手もあるが、なるべくやめた方が良いでしょう。) これを二幕の後半で解決するわけだが(しないと、物語として構造欠陥)、 その解決法をガッチリ決めてないと、 Bストーリーも決めようがないということだ。 僕はこれを、 連載開始時には思いついていなかった。(←ダメゼッタイ!) だが確か、5話目までには思いついていたと思う。 それは、以下のとおり。 ____________________ 問題:マンガ内のキャラが、どうやってマンガの外の世界に出るか 解法: ・マンガ内世界の文明レベルを上げて、「脳の電子化」技術を達成する ・主人公の脳を、電子データ化 ・そのデータを、漫画の紙面上に仕込む(QRコードのイメージ) ・漫画の読者(ファン)が、その電子データを元に、主人公を再生 (料理漫画のレシピを見て、現実世界の人間がその料理を再現するイメージ) ・漫画の外の世界に脱出! ____________________ 大分ややこしいけど、コレ以外は思いつかなかったのだから、仕方ない。 (もう1個、もっとややこしいもの(エゼルという設定)も思いついたが、 それは前提説明がもっと必要で面倒くさい) その時点で僕がすべきことは、 「じゃあ、主人公がこの方法に至るには、何が必要か?」と考え、 Bストーリーにそれを仕込むことだ。 そして、然るべき最大ピンチの時に 「そうだ!!!!! 脳を電子化すればええんや!!!!!!」と、 類推によって思いつかせれば良いのである。 (思いつくのは他人でもいい。主人公の主体的な決断・行動によって実現すればよい。) 類推による逆転アイデアには、無理矢理感、唐突感、ご都合感がない。 さっきも述べたが、人間の三大思考法の1つだからだ。 しかし実際には、 『セットアップが終わったら次はとりあえず「ライバル(シャドウ)」登場っしょ!』 というマンガ経験則に従って、闇雲に進んでしまった。 シャドウとは、主人公と別の解法で、セントラル・クエスチョンに向き合う存在だ。 別に、性格が真逆とか、境遇が真逆とか、そういう発想で入れてもいいけど、 ストーリー上、それは無意味だと思う。 (キャラものとしての際立ちなどはあるが、優先度は下がる。) いかに主人公と衝突するか。 そして その衝突が、セントラル・クエスチョンの解法(物語の背骨)にどう影響を与えるか 。 その点に注意してシャドウを投入すべきだったと思う。 実際には、「境遇や性格が真逆の存在」を投入した。 「これで何か起きるだろ!」くらいの曖昧な認識だったと思う。 主人公は~~という価値観だが、 シャドウAは~~という価値観、 シャドウBは~~という価値観で問題に関わり、 衝突しあって、影響を受け合う。 これが理想だったと思う。 ただ一応、グダグダではあるが、三幕構成に当てはめてみる。 ____________________ 二幕 二幕(前半) Bストーリー お楽しみタイム ※Aストーリーが暗いので、逆にBは明るくする ・ヒーローとしての活動 ・一幕で苦戦した不良に圧勝 ・ヒーロー活動中に、死の危機 ・先輩(シャドウ)に救われ、ヒーロー部的なものを一緒に作る ・先輩も、「この世界が漫画の中だ」と知る人物で、初めて理解者を得た ※「この世界は漫画の中」は他言禁止だった(孤独) ・ヒーロー部的な活動が楽しい ミッドポイント (Aストーリーの危機が再び忍び寄る): ・先輩が、実は敵だった ・両親の飛行機を落とした犯人だった ・両親を化物に変えられていた ・魔王軍の黒幕だった 二幕(後半) 最大の危機 ・先輩がカンタを憎む理由:自分が主人公に選ばれなかったから ・先輩、カンタを殺すと宣言 ・ヒーロー部を内部分裂させられる 第二ターニングポイント: ・カンタ、「それでも先輩と仲良くなりたい!」と言う ・先輩、自分が主人公に選ばれなかった理由を理解 ____________________ 無理やり当てはめてみたが、お分かりだろうか? 焦点が、セントラル・クエスチョン 「メタ構造からの脱却」に合っていない!!! ぎょあ~~~~~~~~~~~~~~~!!!! ミッドポイント (Aストーリーの危機が再び忍び寄る): ↑とか書いてあるけど、全然忍び寄ってない!! ゼクちゃん見てるだけ。 一応、ピンチとか転換点とか、それっぽくなりそうなイベントは配置してあるのだが、 (僕なりに、どうにかして面白くしようと全力で足掻きました)、 どう頑張ればいいか分かっていないのだから、空回りだ。 焦点の先がズレているので、ピントのぼやけた読み味に。 作者的に描きにくかった理由もこれだ。 この構造欠陥に気づいていれば……!!!!(;_;) 先輩、という偽の問題に囚われ、物語の本筋を見失ったということだ。 何となく「失敗は、メタ構造のせい」と総括していたが、 その根源的な理由はここにあった。 一幕で強烈に意識された焦点が、二幕では消えていた。 いや、消えてはいないのだが、保留されたままだった。 だから読者は「いつまで経っても話が進まねえ」と感じたのだ。 (ごめんなさいね) 僕がすべきだったのは、 「メタ脱却」に関するミッドポイント(再び迫り始める危機)、 「メタ脱却」に関する最大ピンチ、 「メタ脱却」に関する第二ターニングポイント(大転換点②)を考えることだったのだ。 コレに当てはめるなら……(後付なので話半分で) ____________________ 二幕前半 Bストーリー お楽しみタイム ・先輩や部員とワイワイ ・先輩と対立→和解「戦うべき相手は作者だ!」(←これをさっさと終わらせる) ・ヒーロー的な超能力を、平和のためではなく、科学技術の発展のために全力投資 ・数年で、爆発的に科学を進歩させる ミッドポイント 折り返し地点。 迫り来る危機 ・漫画読者が「ヒーローモノやれよ!科学とかしらねーよ!」と不満 ・漫画が「打ち切り」の危機。それをゼクが、カンタと先輩に伝える 二幕後半 最大の危機 ・打ち切りが決まり、神だったはずの作者「ゼク」が泣いて主人公、先輩に謝る ・全てを失う。主人公が内面をさらけ出す。(←雑か!) ・主人公の言葉に心を打たれたゼク、『上』からの打ち切り宣告を無視して、 自力で作品世界を維持することにする 第二ターニングポイント: 主人公の脳の電子化に成功し、漫画の外の世界への脱出に成功!!! 作者ゼクが、カンタの味方に! ____________________ こんな感じだろうか。 これだと、焦点がちゃんとセントラル・クエスチョンに当っている。 後付でこじつけたので、 初めからコレに向かってアイデア、展開を練っていれば、 もっとしっくり来る展開もあっただろう。 本来だと、 この第二ターニングポイントで、 主人公カンタは、最初に抱えていた内面的な問題をも克服する わけだが、 その辺のセットアップがそもそも一幕にあまり仕込まれていないので、絡められなかった。 例えばだが、 ・一幕「自分は凡人だ、と諦めて自信がもてず、勇気も出ない」 ・Bストーリーで成長し、自信、勇気、仲間を手に入れる ・最大ピンチを、自信、勇気、仲間によって、乗り越える という構成とか。 これがもっと、「おおお!」と思う変化、テーマ性のある学びになっていると、もっと気持ちいい。 これは主人公を練る、企画段階での根本的な話だ。 むしろココの練り込み、発見こそ、その作品の個性なのだから、 一番がんばって練るべきところだろう。 後付じゃなく、最初に考えるべき、発想力、作家性の見せ所だと思う。 (耳が痛い。) この観点でいうと、 Bストーリーの内容も、 元の主人公とは、かけ離れていた方が面白い。 「【欠点】だった主人公が、【異物(Bストーリー)】に出会い、【成長】する」 というのがシナリオの骨格(ログライン)になるのだから、 出会う異物は、元と違う方が際立って面白くなる。 この「組み合わせを何にするか」こそ、着想(面白さ)の核と言っても良い。 凡人×ヒーロー(本作カンタ) も一応あてはまるが、例えば 不良×ヒーロー とかの方が派手だろう。 この作品の設定上、Bストーリーは「主人公らしい役割を演じる」パートなのが自然だろう。 で、その対比となる初期主人公は、 凡人(モブ)もありだけど、悪役とかでも面白かったかもしれない。 極悪人だった主人公が、漫画の主人公に選ばれ、 打ち切りを回避するため仕方なく行動するうちに、主人公的な言動に目覚める。 ありきたりだが、王道でもある。 企画時、選択肢にすらなかった。 こういう着眼点が抜けていたのは痛かった。 (余談) 最近の作品で面白いと思った組み合わせは、 社畜×幽霊 :幽霊が社畜を脅かそうとするが、激務過ぎて全く怖がってくれない 鬱男×サキュバス :サキュバスが男から精気を吸おうとするが、鬱を治さないとそれが出来ない おもしゅろい……(両方「となジャン」作品だ。狙ってやってるのかな?) それで、 ____________________ 三幕 ・成長したカンタが、漫画の作者の世界で戦い、問題を解決する ____________________ これだ。第二ターニングポイントで、作中で示した問題はだいたい解決しているはずなので、 (内的、外的両方の問題) 三幕は気持ちよく敵をぶっ倒すだけでいい。 成長したカンタの力で俺TUEEEEEEEして気持ちよく終わればいいと思う。 (実際に本作に関しては、スッパリは行きそうにない。複雑な設定にしすぎた。) ちなみに映画の構成としては、 一幕:二幕:三幕=1:2:1 の時間配分らしいが、漫画的には、二幕がほとんどの時間を占めると思う。 二幕のターニングポイントを経てもまだ、 三幕が気持よくスッキリ終わらなさそうであれば、 「第二章 ~作者世界編~」を始めればいい。 次のセントラル・クエスチョンを使って、 また一幕からやっていくのだ。 大事なのは、提示したセントラル・クエスチョン「メタからの脱却」をグダグダ放置せず、 ちゃんと三幕構成的に向き合い、始末してから先に進むことだった。 第二幕のBストーリーをグダグダと引き延ばすのは、よくない。 もうやめにしましょうよ、そういうの! 最大の焦点→その解法 くらいは考えてから始めましょうよ!!!!!? 実際のゼクレアトルの第三幕がどうなったのかは、割愛します。 「カンタと先輩が和解」の付近で、 リアル作者世界(この現実世界)での打ち切りが決まったので、 スペシャルエクストリーム完結祭りに突入し、 とにかく完結まで持って行ったという形です。 力不足をあれほど痛感したことはなかったです……。 というわけで、 今書いている作品は、この辺の反省点に関しては、大丈夫です。 でも、まだまだ他にも、学ぶことは多いのだろう。 (キャラ立てとかキャラ立てとかキャラ立て。あとキャラ立てなど。)
ちなみに色々と理屈を書いたが、 現在の僕の「創作論」の肝は ・作品の中身を描いてるその最中は、「面白くする!」以外の言語(思考)を捨て、 一切の理屈を意識せず、ゾーン状態で書け! 「気づいたら出来てた」が理想だ!!!!! ・どうやって脳をいい状態に持っていくか? 運動、睡眠、食事、音楽、作業環境、習慣、作品鑑賞などなど、それが重要だ!!!! です。三幕構成関係ねえ! 三幕構成はお風呂の中とかで使いましょう!!!!! (こっそりエクセルで練ったりしてますが、これは違法です。) ____________________ 作品ができたら Twitter でお知らせするのでフォローしてください!!!!!!!! はやく描け!!!!!!!はいすいません!!!!!!
<ブロマガ内容>
・近況報告
・「ゼクレアトル」「オーシャンまなぶ」関連
<その他の内容>
・ボツネタや、未公開ネーム
・最近読んだ漫画の感想、オススメ
・科学,哲学ネタ
・読者との交流
・考え
・その他なんでも
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・「ゼクレアトル」「オーシャンまなぶ」関連
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記事を読ませて頂き、大きく違和感を覚えたので書き込ませて頂きます。初見なのに長文を書かせて頂きますこと、どうかご容赦ください。
初めに率直に私の結論を述べます。三幕構成は週刊少年漫画という形式にはそのまま当てはまらない、敢えて用いるならば細かい単位で当てはめるものであり、戸塚様は無理にそれで物語を分析していて、要点を見誤っていると思います。
以下、具体例を出して論を展開させてください。
以前戸塚様は冨樫先生のコマ割りを分析なさっていたので、ハンターハンター(以下ハンターと表記します)を引き合いに出してみます。
三幕構成の用語で言えば、ハンターのセントラルクエスチョンは「父親探し」であったと端的に言えると思います。現在では既に達成されていますが、それまでは「父親探し」が物語の目的であったでしょう。
三幕構成の理論からすれば、特に二幕以後は、このセントラルクエスチョンを軸にして物語が展開されていくはずです。しかしながら、ハンターを読み進めていく時、それが「父親探し」の物語であるということは常に意識されているでしょうか。読者からしても、その都度の展開の方に意識を置いて読むのが普通のように思われますし、作者もそのように書いているように見受けられます。
ハンター試験、天空闘技場での闘い、と物語が続いていく時、大枠では「父親探し」が目的となっていますが、むしろ「ハンター試験に合格できるのか」「念を習得して、ヒソカと対等に闘えるのか」と言ったそれぞれの場面における細かな目標の方がクローズアップされているのではないでしょうか。
そのことが決定的になるのが、いわゆる「ヨークシン編」です。ここで主人公のゴンは父を探す重要な手がかりとして「グリードアイランド」というゲームを落札しようと目論み、そのための資金繰りに奔走します。しかし、次第に友人のクラピカと幻影旅団との抗争に注目し始め、最終的にはグリードアイランドは保留にして、一先ずクラピカの助力に専念することを決めます。
三幕構成で見たら、これはすなわち、セントラルクエスチョンの放棄を意味します。戸塚先生のゼクレアトルの分析で言えば、メタ構造と直接関係のない、魔王とのやり取りを描くのに近いと言えるでしょう。しかし、だからと言って冨樫先生はそれを「さっさと終わらせ」るようなことはせず、話数をかけて「ヨークシン編」を描き切りました。セントラルクエスチョンに直接関わらない、という意味では後の「蟻編」も同様です。
このように、セントラルクエスチョンから外れた構成をしているから、ハンターは構成上失敗しているのか、と言うと、もちろんそうではないでしょう。ハンターを批判する意見として「構成が弱い」というものはそこまで耳にしたことがありません。
では、ハンターは三幕構成に依らないという意味で、特殊な作品なのでしょうか。私見では、それは逆で、むしろ現在の少年漫画でこのような構成を取っているものは少なくないと思います。
その構成とは、具体的には、ある程度のまとまりを持った章を次から次へと展開させていく、というものです。作品全体のセントラルクエスチョンがあるなら、それは連なった章の全体から見えるものであったり、また作品を締め括る最後の章で重点的に描かれるものであったりするわけです。ですから、全ての章がセントラルクエスチョンと密接に関わっている必要はありません。
もちろん、構成に関しては作品ごとに特色がありますから、一概に言えるものではありませんが、そのような傾向があるということは指摘できると思います。
ですから、ゼクレアトルに関しても、魔王とのいざこざが中心になり、「メタを破る」というセントラルクエスチョンから一時離れたとしても、それは構成上の失敗とは言い切れないと思います。
ごく自然に考えてみても、魔王と立ち向かうことにある程度話数を費やし、丁寧に話を展開することが悪いこととは思えません。
むしろ、そこのところをおざなりにして、いきなり「脳をデータ化して対抗する」などと言われても、だったら魔王は何だったのか、ということになります。そう簡単に和解するようならその目的に全く重みがありませんし、敵として登場させた意味も極めて薄くなってきます。
ハンターの例に戻ると、ヨークシン編の最中に、「グリードアイランドはどうなったんだ! 幻影旅団なんてどうでもいいから、早くジンの話に進め!」という読者もいたかもしれません。しかし、少なくとも現在はヨークシン編はかなりの程度支持されています。
それはヨークシン編が純粋に面白いからでしょう。たとえ当初の目的(セントラルクエスチョン)と違った展開になったとしても、その都度面白ければ基本的に漫画は受容されていくものだと思います。
ここでゼクレアトルの問題について述べれば、結局面白い展開が作れなかった、ということに尽きると思います。極端に言えば、さおりさんがおっしゃっているように、言葉で示されるだけで展開すらないと言えるかもしれません。戸塚様自身仰っている、「構造に当てはめる事を目的に、ストーリーを組み立て」るという傾向は完成した作品からも非常に強く感じられるのです。
魔王との戦いは、むしろしっかり描くべきだったのではないですか。バトルスーツになったり、エゼルを使ったり、部活を作ったりと、話の展開はどんどん変わるのに、全てがおざなりになっていたのが問題だったと思うのです。仮に、これらの展開が全てハンターのヨークシン編並に深いものだったら、(たとえセントラルクエスチョンから外れていたとしても)きっと大成功していただろうと思います。
それは極端な譬えだとしても、とにかく今回わざわざ長文を書いたのは、「三幕構成に当てはまっていないから問題である」というのは間違っていると思ったためです。問題点があるとすれば、他にあるのです。
最後に、なぜ現状少年漫画が三幕構成をあまり取り入れていないのか、愚見を述べたいと思います。
そもそも、三幕構成は映画のために作られている、ということを考える必要があるでしょう。
映画は時間の芸術でもあります。表現上、時間は武器であるとともに制約でもあり、映画監督はこの意識なくして作品を作れません。
途中休憩のある長いものもありますが、それも含めて映画の上映時間というものは大体決まっているわけです。そうなると、その時間の配分について、あまりに導入が長すぎても良くない、主題からずれた展開を長々とする暇はない……と、ある程度の基準が考えられます。二時間でそうそういくつもテーマを盛り込めるはずもありません。三幕構成というはっきりしたものが打ち出される以前にも、こうした意識が存在したことは間違いありません。
また、テレビの興隆による映画産業の斜陽化により、長い作品は一層好まれなくなりました。ハリウッドでも、定式化した作品が六十年代以降加速的に増え、求められました。こうした状況が、三幕構成という一つの公式を作り出す機運にもなったのでしょう。
時間に制約がある映画の脚本について言うなら三幕構成は妥当なものなのですが、他の媒体にそれが直接当てはまるとは言えないのではないでしょうか。小説や漫画はいくら展開を足しても支障がないので、三幕に限定する必要はありませんし、(特に長編であればあるほど)大きな主題から逸れる瞬間があっても、必ずしも問題にはならないのです。
連載を前提としている週刊漫画が三幕構成を取らない理由がここにあります。1巻や2巻で完結するなら、三幕構成で良い展開ができるでしょう。しかし、長くなってくるとそれに従う必然性もありませんし、多くの場合、一つの中心的な主題だけで引っ張るのは無理があるでしょう。単純に話が持たないということもありますし、週刊連載でそこまで長大なスパンで考えるのは難しいということもあります。ですから場合によってはテーマを一時保留して違う話に移っても全く問題がないわけです。
しかし、例えば少年漫画でそれぞれの章について三幕構成を当てはめる、ということは便宜上できると思います。もう一度ハンターを例に取ると、ヨークシン編についてはセントラルクエスチョンは幻影旅団の壊滅、一幕と三幕は……などと考えてみると面白いのではないでしょうか。
このように、他の媒体でも三幕構成を応用したり、考え方を取り入れたりすることは有用となる場合もありますが、今回戸塚様が行っているように、直接漫画に当てはめて、それだけで分析するのはあまり意味がないと思います。したがって、その分析結果もほとんど的外れのように感じられてしまいました。
長くなってしまいましたが、以上です。乱文失礼いたしました。それでは十一月を楽しみにしております。
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