• 2010年代映画ベスト・テン

    2019-12-27 22:38




     「こんちはー、今年のベストテンをうかがいにまいりましたー」

     「三河屋の御用聞きみたいに現れるな、君は」

     「そんな昭和な例えじゃ、わかる世代はもう限られてますよ」

     「今年も忙しい中、新作映画をまめに観て歩いたけど、アンテナの感度が鈍ったのか、あまりのめり込めるものがなかった。疲れがたまるばかりでね」

     「つまりトシを取ったと?」

     「かもね。それに、テレビドラマや配信系の映像作品など、『映画』の成り立ちが複雑化した今、劇場公開作品に限定した形でベストテンを選ぶことの意味なんて、ほとんどないでしょう」

     「そんなもん個人の思い出以上のものがあるわけないじゃないですか。リアルタイムの資料として記録しておけばいいんですよ」

     「確かにね。なので、2019年で選ぶのはしんどいが、せっかくの10年代最後の年、『2010年代に映画館で観た作品のベスト・テン』というくくりで選んでみることにしたよ。10年後には『劇場公開作品』に限定した選出なんて価値がなくなりそうだからね」

     「ははは、そもそも2029年には生きてるかどうかも怪しいじゃないですか。では、さっそく見てみましょう」

    1.マッドマックス 怒りのデス・ロード(2015)
     監督:ジョージ・ミラー

    2.スリー・ビルボード(2017)
     監督:マーティン・マクドナー

    3.かぐや姫の物語(2013)
     監督:高畑勲

    4.ダンケルク(2017)
     監督:クリストファー・ノーラン

    5.ニーチェの馬(2011)
     監督:タル・ベーラ

    6.ロジャー・ウォーターズ ザ・ウォール(2014)
     監督:ロジャー・ウォーターズ&ショーン・エヴァンス

    7.ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q(2012)
     監督:庵野秀明

    8.バーフバリ 王の凱旋(2012)
     監督:S.S.ラージャマウリ

    9.LEGO(R)ムービー(2014)
     監督:クリス・ミラー&フィル・ロード

    10.ダークシステム[完全版](2013)
     監督:幸修司

    次.神々のたそがれ(2014)
     監督:アレクセイ・ゲルマン

    次.親密さ(2012)
     監督:濱口竜介


     「ほほう、1位は『マッドマックス 怒りのデス・ロード』。なんだ、ブログ『男の魂に火をつけろ!』がやったアンケート結果(http://washburn1975.hatenablog.com/entry/2019/12/22/221931)と同じじゃないですか」

     「トシをとって感性が平均化されてしまったのかなぁ、と思いつつやはりコレしかなかったのだ」

     「2010年代の1位が『マッドマックス』とジョージ・ミラーでいいんですかね。あまりに後ろ向きでは?

     「でもね、往年のコンテンツとクリエイターが、新たな視点を経て『更新』を果たすのも、21世紀映画の重要な方向性だと思うんだな。以前は業界のネタ切れだと批判的に見ていたが、これはこれで映画文化の成熟を示すものだと考え直した。その最大の達成をジョージ・ミラーが果たした、というのは大きいよ」

     「なるほど。2位は『スリー・ビルボード』、これも去年の大評判作です」

     「ミステリ映画としての面白さに加え、ブラックコメディとしての味わいも非常に巧みで、画の切り取り方も好みだった。マーティン・マクドナーは劇作家出身だが、本来映画志向らしいね。これから長い付き合いになりそうな監督だな」

     「3位は『かぐや姫の物語』。高畑作品は相性が悪いと言ってませんでしたっけ?」

     「凄い演出家だと思うけど、あまり見返したくならないし、視点の置き方がいちいち気に障るんだな。しかしこれは原作への目の向け方と解釈の方向性が私の趣味にぴったり。『セロ弾きのゴーシュ』(1982)以来の傑作と思いました」

     「4位はこれも苦手と言っていたクリストファー・ノーラン』

     「鈍重で下世話な印象があったノーランだけど、『ダンケルク』を3度観たら、根本的になにか読み間違えていたかもしれない、という気持ちになった。来年の新作公開の前に、また全作品見返してみたい人です」

     「5位はタル・ベーラ。今年は伝説の『サタンタンゴ』(1994)が一般公開されましたね」

     「ようやく観ましたよ、7時間18分の大作を。先に『サタンタンゴ』を観たらどう思ったかわからないけど、やはり『ニーチェの馬』は彼の到達点だったんだなぁ、という思いを深くしたのでここに入れました」

     「そして6位に『ロジャー・ウォーターズ ザ・ウォール』。このブロマガで詳細な記事を書きましたね」

     「2010年代は、ロジャー・ウォーターズが新作アルバムを出すだけでなく、『ザ・ウォール』と『US+THEM』の2本の映像作品を完成させたという、長年のファンとしては特別な年代となったわけだから記録に残さないわけにはいかない。しかもいずれも完成度がすばらしいんだからね」

     「7位はまた日本アニメですか。庵野監督なら『シン・ゴジラ』じゃなくていいんですか?

     「2010年代の日本映画を代表する作品として『シン・ゴジラ』が挙げられることに異論はないけど、私が強く支持したいのは『ヱヴァQ』の方なのね。来年の完結篇と『シン・ウルトラマン』への期待を込めてランクインさせました」

     「8位は大評判になったインド映画ですね」

     「もちろん1作目の『バーフバリ 伝説誕生』と合わせた上でのこの評価と思っていただきたい。堂々のスター映画であると同時に、日本の時代劇、マカロニ西部劇、香港活劇の遺伝子を受け継いだ現代娯楽映画。ハリウッドのアメコミ映画もいろいろあったけど、この作品のインパクトを超えるものはなかったな」

     「9位の『LEGO(R)ムービー』は2014年度のベストワンに挙げてましたね」

     「私が選ぶ以上は、コメディ映画を混ぜておきたいと思ってさ。マシュー・ヴォーン『キック・アス』(2010)やゴア・ヴァービンスキー『ローン・レンジャー』(2013)もよかったけど、やはりCGアニメから選ぶことにした。クリス・ミラー&フィル・ロードのチームはこれからも期待できそうだしね。今年公開のパート2も面白かったよ」

     「10位の『ダークシステム[完全版]』は自主映画ですよね?」

     「Hey!Say!JUMPの八乙女光が主演した連続ドラマ『ダークシステム 恋の王座決定戦』(2014)の原作になった傑作だよ。私としては『カメラを止めるな!』(2017)以上に感銘を受けた低予算コメディさ」

     「ググってみましたが監督の幸修司さんは現在、脚本家として活躍されてるみたいですね」

     「監督としての新作も期待したいところだ」

     「そして次点が2本。まず、アレクセイ・ゲルマン監督の遺作『神々のたそがれ』

     「ゲルマンの変わらぬ映画力に敬意を表して入れたかったがはみ出ちゃった。でも、邦題は『神様はつらい』のままにしてほしかったなぁ」

     「『神様はつらい』じゃ、なんだか寅さんが出てきそうですよ。もう一本の『親密さ』はENBUゼミナールの卒業制作で4時間以上ある映画なんですね」

     「濱口竜介監督はその後、『ハッピーアワー』(2015)や『寝ても覚めても』(2018)で第一線の監督に躍り出たけど、私としては『親密さ』の劇構造がいちばん刺激的だった」

     「こうして1ダースの作品を見渡すと、なかなか面白い映画が登場した10年だったんじゃないですか? 次の10年はどうなるんでしょう」

     「私はわりと楽天的に見てるんだ。これからMCUをはじめとするアメコミ大作と、Netflixなど配信系が製作する映画がせめぎあって、豊穣な作品市場を生み出すのか、いずれもタコツボ化して映画観賞という行為自体が好事家のものへと閉じてゆくのか、それはわからない。だけど、映画が技術の進化と世相の変化を反映しながら進歩する総合文化なのは今後も変わらないだろう。ハードの発展によって、思いもよらぬところから思いもよらぬ『映画』が飛び出してくればいいんじゃない?」

     「なるほど。でも、この12本に今年の作品は入らない……と」

     「たまたまだよ。ようやく『スター・ウォーズ』9部作が完結するかと思えば、『寅さん』が復活する2020年の正月映画界だからね。来年も何が起こるかわからない」

    「年明け早々にはポン・ジュノの新作も待っていますよ」

    「映画ファンは常に“Always Look on the Bright Side of Life”の精神で行きましょう」

    「それではみなさん、来年もよろしくお願いします」


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  • 『ピンク・フロイド 光〜PERFECT LIVE!』と『ロジャー・ウォーターズ US+THEM』〜ふたつのコンサート映画

    2019-12-08 11:56

    プロモ映像 https://www.youtube.com/watch?time_continue=16&v=KonVL3GKpto&feature=emb_logo



     今年の11月下旬は、ピンク・フロイドのファンにとっては熱く、忙しい時期となった。

     まず25日、ギルモアフロイドによる1988年のライブを収録したコンサート映画“Delicate Sound Of Thunder”(邦題『ピンク・フロイド 光〜PERFECT LIVE!』)のライブ絶叫上映があり、30日にはロジャー・ウォーターズの新作コンサート映画『ロジャー・ウォーターズ US+THEM』(2019)の一夜限定プレミア上映が開催。さらに日本が誇るフロイドトリヴュート・バンド「原始神母」のツアーまで始まるのだからたまらない。
     私としても2年前、わざわざN.Y.まで出向いて“US+THEM”ツアーを観ただけに、その映画版の仕上がりには期待がつのる一方だし、旗揚げから観ている原始神母は、今年のツアーではアルバム「ウマグマ」の50周年を記念して、2枚組再現ライブを行なっているというので絶対に聞き逃せない。
     年末進行の迫るスケジュールとにらめっこし、原始神母のライブは12月下旬の六本木公演のチケットを押さえ、ロジャーの『US+THEM』上映会は、発売初日にチケットを入手した。

     で、いちばんどうでもいい『ピンク・フロイド 光〜PERFECT LIVE!』のチケットを最後に取って、25日の夜はZepp Diver City TOKYOへ。この映画、1989年にVHSビデオで出たきりだから、若いファンは観たことがない人が多いだろう。
     監督はボン・ジョヴィやモトリー・クルーのビデオクリップを手掛け、「80年代伝説のMTV監督」と呼ばれたウェイン・アイシャム。しかしアイシャムとフロイドの個性は合っていたとは言い難く、このビデオ、初めて観た時の印象は最悪だった。
     まず画面全体に青味が強調され、モヤっと霧がかったようなトーンが寒々しい。フィルターかまして「幻想的」にしたつもりだろうが、ギルモアフロイドの指向性はこっちじゃないよ。おかげで色とりどりのヴァリ・ライトが飛び交う照明演出がだいなしだ。さらに、カットをベタ〜っと長くダブらせる編集が多く、しまりがないことおびただしい。ギルモアのギターの手元と歌う顔のどアップの多重合成なんて、暑苦しい上に見づらくてかなわないし、演奏やステージ演出のタイミングをハズした編集も目立ち、フロイドの音楽世界をとらえ損ねているように見えた。実は、1994年のツアーを収録したビデオ『P.U.L.S.E(DVD版邦題「驚異」)』を先に観てしまったせいもあり、とにかくガッカリしたものだ。
     問題は演出だけではない。演奏自体も、弾きながらぴょんぴょん飛び跳ねるベース(ガイ・プラット)や、腰を落として大股を開きながら吹くサックス(スコット・ペイジ)など、サポートメンバーたちのはしゃぎっぷりが、むしろピンク・フロイドの品格を落としているように思えてならず、コーラスを務めるボディコン三人娘がクネクネ踊るのをバックに、ギルモアが露天風呂で湯加減を味わうが如き表情でギターを泣かせる姿が、なんともオヤジ臭くて気恥ずかしかった。

     さて、それがHD版ではどうなったか。会場に着けば、私は「立ち見上等!」の気分でいちばん安いスタンディング席を取ったのに、前方自由席はパイプ椅子がずらりと配置され、高齢プログレファンに優しい仕様となっていた。スタンディングスペースは「立って騒ぎたい人用」に自由席の両端にちんまり設置されただけ。さすがにわざわざこのスペースにやってくる人は少なく、私も自由席で座って見た。まぁ、やはりというかなんというか、フロイド曲を聞きながら「絶叫」したい日本人はほぼ皆無なようで、自由席の客も特に立ち上がることもなく、黙って聴いていたのでありました。


    『ピンク・フロイド The Later Yeares 1987-2019』ジャケット


     上映前の前説に登場したのは、2年前にここで『デヴィッド・ギルモア ライブ・アット・ポンペイ』(2017)の極音上映会をやった時と同じく、ロック評論家の伊藤政則。セーソクさんによると、今度出る「ピンク・フロイド The Later Yeares 1987-2019」というアーカイブ・ボックスには、アルバム『鬱(モメンタリー・ラプス・オブ・リーズン)』(1987)の最新リミックス版が収録されるのだが、何が最新かというと各曲の“アップデート版”なるものが入っている。それは『鬱』の曲に、キーボードのリック・ライトのプレイを再ミックスして仕上げ直したものなんだとか。
     いやいやいや、そんなもん聞きたいですか、みなさん? ギルモアフロイド1作目である『鬱』が実質ギルモアのソロ・アルバムであることは今や周知の事実。ほんのちょっとしか参加してないリックのプレイを増量したところで贋作が真作になるわけじゃなし、新しいボックスを少しでも多く売るためなんだろうけど、ギルモア先生も商魂たくましくなったものですなぁ、と若干心が冷ややかになったところで上映開始。

     十数年ぶりに観る『ピンク・フロイド 光〜PERFECT LIVE!』、まず、80年代のコンサート映像とは思えない画質に驚いた。撮影素材が35㎜フィルムだったおかげで実現した高品質化。『P.U.L.S.E』はビデオ撮りだからこうはいかない。さらに、本来のテレビサイズ(4:3)から現行のワイドテレビ(16:7)にトリミングし直すにあたって、かなり編集に手を加えたようで、オリジナル版よりはるかに観やすくなっている。色調も補正したようだし、しつこい多重合成も控えめで、それぞれのプレイをしっかりとらえた結果、光と音のエンターテインメント・ショーで観客を酔わせる、ライブ・バンドとしてのギルモアフロイドの存在感が、21世紀によみがえった。
    『ザ・ウォール』(1979)、『ファイナル・カット』(1983)とロジャー・ウォーターズが主導する時期の重苦しさ、テーマ性から解放され、「わしゃー本来、こういう明るく楽しいショーをやりたかったんじゃー!」、というギルモアの魂の叫びがビシビシと伝わってくる。サポートメンバーの悪ノリが目立つ演奏も、解放感の露呈としてとらえれば貴重なものに聞こえてくるのだから不思議。実際、リック・ライトとニック・メイスンが調子を取り戻し、演奏スタイルが完成した『P.U.L.S.E』のまとまりの良さに比べると、こちらは若手の力を借りながら、「産業ロックで何が悪い!」とプレイを爆走させる様子がいっそすがすがしい。
     もっとも、奇跡のフィルム『ピンク・フロイド ライブ・アット・ポンペイ』(1971)で大暴れした若き前衛ミュージシャンたちの姿はここにはない。しかしアーティストの「成熟」を感じさせるひとつの姿ではある。


    日本版予告編
    https://www.youtube.com/watch?v=Soh6rOZ9FO8


     そして11月30日、映画『ロジャー・ウォーターズ US+THEM』のプレミア上映のため、新宿ピカデリーへ。世界最高水準のロックショーであったツアーの様子は、2年前に詳細なレポートを書いたので、そちらを参照していただきたい(ロジャー・ウォーターズ US+THEMツアー観賞記 https://ch.nicovideo.jp/t_hotta/blomaga/ar1343862 )。

     全国で抽選にしなければいけないほど客が入るのかよ、と心配だったがとりあえずピカデリー3は完売だった。品川のコヤもほぼ満席だったと聞いてひと安心。上映前の登壇ゲストは「またお前か」な伊藤政則。
     私と同じくN.Y.で「US+THEM」ツアーを観たというセーソクさん(日にちもいっしょだった)によると、このツアーの来日公演を打診したプロモーターはいくつかあったそうだ。
    「しかし、消防法の問題でダメになったみたいです。1階客席の真ん中から壁が出現して会場を左右に分断する演出があるんですが、日本ではあの仕掛けの下に観客を入れられないそうで。そうすると1階席中央ブロックをまるまる無人にしなきゃいけなくなり、それじゃ客数が制限されるから」
     ああ、消防法! ロジャーの「狂気」ツアーや「ザ・ウォール」ツアーも、舞台上でふんだんに花火を打ち上げるから、これは日本じゃ消防法的にキツそうだな、と思っていたが、まさか「US+THEM」ツアーでも引っかかるとは。外国でも数万人規模の巨大スタジアムが会場の場合は、あの壁の仕掛けをステージ背後に設置することもあったようだが、それを日本でやるとなれば東京ドーム級の会場を必要とするため、ペイできないということになったのだろう。実に残念。
     U2ならさいたまスーパーアリーナが埋まるのになー。現地に観に行っといてヨカッタ。


    会場となった新宿ピカデリー3

     上映された映画『ロジャー・ウォーターズ US+THEM』は、公演を忠実に記録し、映像で内容を再現するというものではまったくなかった。やはりライブ公演と映画はまったく別物、映画『ロジャー・ウォーターズ ザ・ウォール』(2014)が、ライブの記録映像とロードムービーを混ぜ込んで、ロジャー個人の私映画として独立した作品になっていたように、今回は紛争や暴力に追われる難民たちの姿を中心に、「US(我々)&THEM(彼ら)」の分断から「US+THEM=みんな同じ」の融和を訴えるアジテーション・フィルムとなっていた。
     冒頭に映し出されるのは、浜辺に座る難民の女性の後ろ姿、というのはステージと同じだが、映画版では、彼女と難民たちの姿を描く描写が随所にインサートされ、ステージで演奏される楽曲がすべて、「彼らに捧げる歌」であるかのように構成される。
     ギルモアフロイドの映画がギターの音色を中心に演者・観客が共に盛り上がる祝祭的な演奏であったのに対し、こちらはロジャーというカリスマを中心にしつつも、主題となる地球上の悲劇を決して忘れさせない理知的な演奏で、熱狂する観客たちの姿も含め、ひとつのコンセプトで統一された映像作品に仕上がっている。前作『ザ・ウォール』同様、ヴィジュアル・ディレクターのショーン・エヴァンスによる編集がじつに巧みだ。
     実際、この構成で演奏を聞かされると、かつては「内省的」といわれたフロイド楽曲が、まったく現代への批評性を失っていないことに改めて驚かされる。ロジャーの新作アルバムから演奏する曲が、21世紀の紛争や難民問題を扱っているのは当然だが、おなじみの「吹けよ風、呼べよ嵐」が日常に忍び寄る暴力を、「ようこそマシーンへ」が体制に飲み込まれてゆく現代人を、「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール」が思想統制を望む権力者の存在を、「あなたがここにいてほしい」がテロや戦争、災害で喪われた人々への思いを、「ドッグ」が無縁社会における人間の孤独を、それぞれ視野に含んでいることがまざまざと浮かび上がる。優れた芸術作品の多くは過去と未来の両方に開かれているものだが、ピンク・フロイドの曲もまた「当時」の殻に閉じ込められてはいなかった。
     後半の「ドナルド・トランプ=豚」を強調する演出ばかり報道されたこのツアーだが、映画『US+THEM』では「我々」と「彼ら」分断する、権力者や金満家を批判する曲として「ピッグ」が演奏され、トランプはそのわかりやすい象徴に過ぎない。映画版では続く「マネー」の冒頭にトランプの罵声をエフェクトとして使用、各国首脳の顔をモンタージュした上、間奏部には核爆発による世界滅亡のイメージをダメ押ししていることから、曲を単なる「資本家批判」のイメージから拡大していることは明確だ。ネットでは「リベラルなアーティストがまだ戦争も虐殺もしてないトランプを批判するのは偽善。本物なら習近平を批判すべきでしょ〜」とか言うこざかしい連中が目立つが、ロジャーの危機意識はもはやそういう呑気なレベルではない(その種の冷笑家の姿がすでに「ドッグ」で描かれているのもビックリだ)。権力者や金満家が世界を支配する状況、これを放置したらえらいことになるぞ、そのためには「抵抗(RESIST)あるのみ」、と強く訴えかける。

     驚いたのは、ステージでは感動的な盛り上がりを見せたアンコール曲「コンフォタブリー・ナム」をバッサリとカットしていたこと。これぞ「Comfortably Numb(心地よい無痛感)にひたってる場合じゃねーよ!」というチコちゃんばりのメッセージ。映画『US+THEM』のセットリストはアルバム「狂気」冒頭の「スピーク・トゥ・ミー」で始まり、「狂気」結末の「狂人は心に〜狂気日食」のメドレーで終わる。レーザーで描かれた巨大な三角形が浮かぶ会場に、球体(月の裏側)が出現して横切ってゆく。一方、映像では改めて難民の女性と浜辺を遊ぶ少女の姿が描かれ、彼女たちが抱き合う姿でエンディング。「あの太陽の下、すべては調和を保っている。しかし、その太陽はじょじょに月に侵食されてゆく」という最後の歌詞も、現代に向けた希望と不安として受け止められる。
     ステージで演奏された「コンフォタブリー・ナム」においても、曲の内容とは裏腹に「快楽に陶酔したままでいいのか?」というロジャーの声を感じたものだが、映画版『US+THEM』では、「我々」と「彼ら」がいかに協調できるか、という問題提起を、観客に必ず持ち帰ってほしい、という強い意図を感じた。エンドクレジットで歌うのも有色人種の子供たちで、子供に未来と希望を託す、いささか甘い結末も、ロジャーが脚本を書いたアラン・パーカー監督『ピンク・フロイド/ザ・ウォール』(1982)から変わらない。

     アンコールがカットされた代わりに、「fleeting glimpse」という15分の短編ドキュメンタリーが同時上映され、ツアーのメイキングを見せてくれた。リハーサルとして断片的に演奏されるのが「コンフォタブリー・ナム」なので意地が悪い(笑)。座長としてのロジャーの振る舞いがなかなか可愛いですぞ。
     ここで謎だったのは、最後にファンから握手を求められた際、ロジャーが「握手はできないんだ」と断っていたこと。「クソまみれでね。菌を持ってるから」などと言っていたが、どういう意味だろう。ステージではいつも、アンコールの間奏に舞台を降り、最前列のファンと触れ合っていたのだが、映像を見ると、その際もロジャーは手を伸ばすファンに、指先でチョンと触れるか肘をつつくだけで確かに握手をしていない。ロジャーは潔癖症なのか? それとも金正男暗殺犯のようなヒットマンを警戒してのこと?

     ともあれ、『ピンク・フロイド ライブ・アット・ポンペイ』でふてぶてしく生意気な態度を取っていた兄ちゃんは、今も怒れる後期高齢者として、熱く権力への反抗を呼びかけていた。来年には、早くも北米とメキシコで新たなツアーを計画中だそうで、もちろんアメリカ大統領選に向けてのアジテーションだろう。
     2005年〜6年の「狂気ツアー」と2010年〜2013年の「ザ・ウォール」ツアーで、自身のキャリアを総括し、「終活」に入っていた感のあるロジャー・ウォーターズ。しかし、トランプ大統領爆誕というニュースによって、その創造エンジンには新たな炎が灯った。「ピンク・フロイドの頭脳」は成熟を拒否し、まだまだ現在進行中だ。


  • 『キューブリックに愛された男』と『キューブリックに魅せられた男』を観て、武重邦夫監督を思い出す

    2019-11-12 17:53




    公式サイト https://kubrick2019.com/


     今年はスタンリー・キューブリックの没後20年であり、最後の作品となった『アイズ・ワイド・シャット』(1999)の公開20周年でもある。そしてこの秋、まさに『アイズ・ワイド・シャット』に出演した2人の人物をそれぞれ主人公とするドキュメンタリーが、日本で同時公開されている。

     一本は、『時計じかけのオレンジ』(1971)製作中にキューブリックと知り合い、その後30年近くに渡って運転手兼雑用係として仕えたエミリオ・ダレッサンドロを主人公とする『キューブリックに愛された男』(2016)。エミリオは『アイズ・ワイド・シャット』ではトム・クルーズが新聞を買い求めるスタンドの店員を演じていた。
     もう一本は、『バリー・リンドン』(1976)に俳優として出演した後、キューブリックの個人助手となったレオン・ヴィターリを主人公とする『キューブリックに魅せられた男』(2017)。レオンは『アイズ・ワイド・シャット』では洋館に登場する赤マントの男を演じていた。
     どちらもキューブリックの「家族」ともいえるスタッフの回想を切り口に、謎多き巨匠の人となりに迫るドキュメンタリーである。しかし、この2本の強力なライトを持ってしても、キューブリックという巨大な多面体を照らし尽くすわけにはいかないようだ。それでも、危険の多い森に踏み込むための、充分なガイド役を果たしてくれることは間違いない。


    スタンリー・キューブリックとエミリオ・ダレッサンドロ


    『キューブリックに愛された男』は、カメラの前で語るのはエミリオ・ダレッサンドロとその夫人のみ。かつて撮られたスナップ写真のひんぱんなインサートに、デジタル加工された写真がアニメ風に動くなどの演出はあるが、キューブリック作品の本編はいっさい引用しない禁欲的な作りになっている。というのも、エミリオはカーレースと自分の仕事以外はほとんど興味がない素朴な男で、キューブリック作品も晩年まで観たことがなかったという。そんな映画ファン気質とは無縁なところが、キューブリックに気に入られた一因なのかもしれない。
     エミリオの話から浮かび上がるキューブリック像とは、膨大なメモや電話、ファックスを次々と送りつけては事細かな指示を下す口うるさい雇い主であり、家族と動物たちを愛するよき家庭人。F1レーサーをめざしたエミリオの息子が事故で大怪我を負った際、励ましのメモを何度も届け、さまざまな医者を紹介するなど親身になって世話をしてくれるし、『シャイニング』(1980)の撮影中、ジャック・ニコルソンの送迎役を仰せつかったエミリオが彼の下品な振る舞いに嫌気がさして、苦情を訴えるやただちにその役から外してくれるなど、気配りの人でもあったことも伝えられる。もっとも、合理主義者のキューブリックにしてみれば、スタッフのモチベーションが低下したまま仕事を無理強いさせることは、あまりに非効率的と思えただけなのかもしれない。
     90年代のはじめに一度引退してイタリアに引き揚げたエミリオが、結局また『アイズ・ワイド・シャット』製作開始と共に呼び戻される友情物語も心温まるものがあるし、エンドクレジット後のオチともいうべきエピソードには大笑い。エミリオが著した回想録『スタンリー・キューブリックと私』の邦訳を早く出してほしいものだ。


    スタンリー・キューブリックとレオン・ヴィターリ


     一方、これが『キューブリックに魅せられた男』になると、主人公レオン・ヴィターリだけでなく、キューブリック作品の出演者やスタッフ、さまざまな関係者の証言を収集、映画本編の引用もふんだんに行われ、苛烈な映画作家・キューブリックの姿が生々しく立ち上る。
    『バリー・リンドン』で主人公バリーと対立するブリンドン卿を演じた有望な若手俳優レオンは、キューブリック組の映画作りを目撃するや役者の道を捨て、その一員になることを志望する。キューブリック組の映画づくりとは、コンテを立てて必要なショットをさっさと撮影する、という一般的な演出法とは対照的な、リハーサルからしつこく可能性を探し求め、撮影ではレンズを変えては何通りも撮り続け、採用に値する「何か」が起こるのを待つ、というものだった。
    『シャイニング』(1980)の子役探しからキャリアを開始したレオンは、5歳のダニー・ロイドを発見し、『フルメタル・ジャケット』では軍事アドバイザーに雇ったリー・アーメイの力量と野心に気づいてハートマン教官役に推薦するなど、キャスティング担当として活躍する。俳優としては素人だった彼らの演技コーチを受け持つ一方、照明や現像を学んでロケハンやカメラテスト、現像所のプリント作業を指揮したり、音響作業用のフォーリー(撮影現場における衣摺れや足音などの生音)制作をまかされたり、完成プリントから宣伝用のスチール写真を抜いたり、予告篇の制作に海外での配給管理など、細かい仕事をすべて請け負うなんでも屋へと成長してゆく。
     しかし注文主はあのキューブリック、「可能性の追求」に血道を上げる日々においては、無理難題の思いつきやカンシャクの矛先が向けられることもしばしばだ。24時間緊張を途切れさせることなくサンドバック役を務めるレオンはかなり疲弊しただろう。しかし、キューブリックもまた同じように疲弊していた。エミリオとレオンの映画を続けて観ると、最晩年のキューブリックは寝室に酸素ボンベを常備していたという。すべてにおいて映画作りを最優先し、集中力を途切れさせないない日々を続けるうちに、いつしか在宅酸素療法を必要とするほど心身を燃焼させ尽くしてしまったのかもしれない。
     マシュー・モディーンはキューブリックにこき使われるレオンを「フランケンシュタイン博士に仕えるイゴールのようだった。監督の奴隷に見えたよ」と率直に語っていたが、レオンはただ「イエス、マスター」と返答するだけの奴隷頭ではなかっただろう。キューブリックを納得させるだけの選択肢を発見し、目の前に運んでくる優秀な参謀長であり、演出の的確な助力者だったからこそ、深い信頼を築くことができたに違いない。ナポレオン好きのキューブリックなら、きっとレオンを「うちのベルティエ元帥」と呼んだと思う。


    武重邦夫監督(1939〜2015)


     エミリオとレオンの映画を続けて観ているうちに、個人的に思い出した人物がいる。学生のころに出会った武重邦夫監督だ。

     武重さんは、今村昌平の一番弟子だった。映画人生のスタートは設立されたばかりの今村プロ社員、『「エロ事師たち」より・人類学入門』(1966)の制作部や、『人間蒸発』(1967)の録音助手、『神々の深き欲望』(1968)の助監督を務め、その過酷な現場で監督の手足となって酷使され続けた。やがて、今村プロがテレビ用のドキュメンタリー製作を始めればカメラを担いで東南アジアを駆けずり回り、横浜映像専門学院(後の日本映画学校、現在の日本映画大学)を設立するとなれば、その創設スタッフとしてカリキュラムの作成や学生たちの指導を行なう。今村が取材や金策に回ればその運転手を、糖尿病治療としてテニスを始めれば相手を務めるという滅私奉公ぶりで、映画製作が始まるたびに、プロデューサーや助監督として今村演出を支え続けた。長く徒弟制度が残っていた日本映画界においても、ここまで師匠に尽くしきることができたのは武重さんが最後の世代だろう。

     武重さんは2015年に亡くなったが、ある人が「今村監督は弟子の中では長谷川和彦をかわいがり、『青春の殺人者』(1976)をプロデュースして華々しく売り出したが、武重さんへの評価は低かった。武重さんの持つ『優しさ』が今村さんには温く感じられたのではないか」といった内容のことを書いていた。確かに、武重さんには今村昌平や長谷川和彦のような「不逞さ」はなかった。テーマを見据える目は鋭く厳しかったが、狂気を感じさせる獰猛さで自己を貫き通すには、武重さんはあまりにも紳士だった。何度か劇映画を監督するチャンスがあったそうだが、いずれも流れてしまったと聞いて残念に思う。
     武重さんの晩年のエッセイに「(最近になって)今村昌平という人は、他者の能力の可能性に期待する気持ちが強く、半分は幻想と思いながらも挑戦させてみる……そうしたタイプの人だとわかってきたのである」と書かれているのを知った。そのエッセイは、さらにこう続く。

    "人間を信じ、可能性に期待する" これは今村さんの映画監督としての哲学である。

     素晴らしい哲学だ。私は彼のこうした生き方は好きだし尊敬もしている。
     しかし一方では、これは今村さんの片想いであり、人間に対する過信、もしくは、見果てぬ夢ではないかと思うこともある。

    (中略)

     そして今村さんは、私が才能のない助手と判っていながら、愚鈍な青年の前に少しずつハードルを積み重ねてきてくれたに違いない。

     不思議なことだが、私たちはハードルを与えられ、越える度に鈍い感性に焼きを入れられ、嗅覚を鍛えられ、少しずつだがクリエートする方法を学んできたのである。

    武重邦夫「全身映画監督〜活動屋外伝・今村昌平」よりhttp://www.siff.jp/essay/cinemauma_essay_16.html


     巨匠監督は弟子から「吸い取る」タイプと弟子に「与える」タイプに分かれる、とよく言われる。キューブリックや今村昌平は「吸収型」の際たるもので、ブラック労働への批判かますびしい昨今では、レオンも武重さんもわがままな巨匠によって搾取され続けた被害者に映るかもしれない。しかし一見、「暴君」に見える二人でも、その根底には他者への期待、可能性と選択肢を待ち続ける受け身の姿勢があった。彼らの期待に応え、納得のいく作品を成立させるために注力しながら成長を続けたレオンや武重さんも、やはり特殊な才能の持ち主であったと思いたい。それは、やはり師匠と映画、どちらにも惚れ抜いたからこそ出来ることだったろう。


    『キューブリックに愛された男』&『キューブリックに魅せられた男』パンフレットより

     なお、『キューブリックに愛された男』と『キューブリックに魅せられた男』は共通のパンフレットが制作されており、コラム執筆陣の中では原田眞人の文章が目を引く。『フルメタル・ジャケット』の字幕制作のため、戸田奈津子に代わって雇われた原田は(後にビデオ版『時計じかけのオレンジ』の字幕も担当)、その日本語吹替版の演出も担当した。十数年後、『アイズ・ワイド・シャット』の日本語吹替版でも、キューブリックの遺志により演出を担当する予定だったらしい。しかしレオンがキャスティングに口を出し始め衝突、降板してしまったという。レオンは自ら声優を選び、来日してトム・クルーズやニコール・キッドマンの演技を再現させる演出を監修、一週間がかりで収録した。
     原田が演出した『フルメタル・ジャケット』吹替版は、一昨年ついにソフト化された。これと『アイズ・ワイド・シャット』の日本語吹替版を比較すると、その出来は歴然たる違いがある。優れているのはあきらかに後者の方だ。キューブリック没後も、師匠に恥ずかしくない仕事を、と粘りに粘るレオンは、ついにキューブリックの判断を越える選択ができるようになってしまったのかもしれない。
     自分は「Film Maker(映画製作者)」ではなく「Film Worker(映画労働者)」だと自称するレオンに、自嘲の響きはまったく感じられない。これもまた映画屋のひとつの在り方なのだ。



    <おまけ> 武重邦夫さんのエッセイをもうひとつ紹介。

    「我が師を語る-今村昌平監督」
    深夜撮影中、ロケ先の長屋の壁を壊せといきなり言い出す今村監督など、こちらも面白いエピソードがたくさん。
    https://www.eiga.ac.jp/blog/blog/2010/12/28/%E3%80%8C%E3%82%8F%E3%81%8C%E5%B8%AB%E3%82%92%E8%AA%9E%E3%82%8B%E3%83%BC%E4%BB%8A%E6%9D%91%E6%98%8C%E5%B9%B3%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E3%80%8D%E3%80%80%E6%AD%A6%E9%87%8D%E9%82%A6%E5%A4%AB%EF%BC%88%E3%83%97/