ユーザーブロマガは2021年10月7日(予定)をもちましてサービスを終了します

  • 引っ越しのお知らせ

    2021-04-22 19:12

     「ちょっとどうしたんですか、前回の記事からもう3ヶ月経過ですよ。いくら年度末の仕事が忙しかったからってなまけすぎじゃありませんか?」

     「いやぁ、本業の方で何年かぶりの大波乱を迎えてしまってね。働き方改革が浸透しつつある昨今、こんな〆切に追われた漫画家なみの日々を送らされるとは思わなかった。おかげで記事を書くヒマもネタを探すヒマもなかったのだよ」

    「そんな多忙な生活だって、先月末には解放になったんでしょう。期待の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の公開や、こまつ座の『日本人のへそ』上演、原始神母による『原子心母』完全再現ライブなど、あちこち出向く日々を再開していたはずでは?」

     「うむ、その辺の話題についてなにか書こうかと思って、ひさびさにブロマガを開いたら、なんとこの秋にユーザーブロマガ終了というお知らせが出ているじゃないの。いやはや、憩いの地をひさびさに訪れてみたら、不動産屋から立退きの札を立てられていたようなものでね。対応策を講じているうちに、別の仕事が始まってしまい、なかなか手を出せなかったのだ」

     「そういえばこのブロマガ『スローリィ・スローステップの怠惰な冒険』は2014年4月開始ですから、今月でまる7年ということになりますね。そろそろ潮時かもしれませんねぇ」

     「おいおい、引退はしないよ。沈みゆくニコニコと運命を共にするわけにはいかない。ちゃんと避難先を開発しました」

     「なんだ、まだ続けるつもりですか?」

     「こちらを見たまえ」


    星虹堂通信 https://goldenpicnics.hatenablog.com/


     「おおっ、いつの間に新しいブログが!」

     「まるで『ゲッターロボG』の第1話みたいだろ。ほら、前シリーズの最終回で破損したゲッターロボを火葬に付した直後に、新型のゲッターロボGが登場した瞬間……」

     「例えが古すぎかつオタクすぎてさっぱりわかりませんよ。この新ブログには、過去の記事もすべて移行されているんですか?」

     「その通り。いくつか画像やフォントの反映がうまくいってない箇所があるようで、少しずつ修正しているところだがね。とりあえず、こちらにある過去記事はすべて新ブログにサルベージしておいたので、興味のある方はサイドバーに並んだカテゴリ一覧から気になる記事を探していただきたい」

     「では、今後は『星虹堂通信』の方で、これまで通り書き続けてゆくのですね?」

     「そうだね。もともとこのブロマガは、『インターネットの時代だってのに、オレが好きなものに対するくわしい記事が少ない!』という不満からスタートしたもので、当然ながらマニアックで古いコンテンツに言及した内容が多かった。新ブログはそうした遺跡発掘作業を続けながら、“今”の気分を素直に綴ったコラム的な内容が多くなる気がする」

     「観る時間がないからとNetflixにも加入してない人に“今”なんて見えますかね」

     「勘違いされることがたまにあるが、私はべつにエンタメ業界の評判記を書いてるわけじゃないから。とはいえ、自分が何を見て何を思ったかを記録してゆくだけでも、2020年代という時代の『空気』を記録する内容になるはずだろう。そのための看板かけかえです」

     「再度の緊急事態宣言に、大混乱の東京オリンピック、群衆の中の隠遁者にどこまで者が見えますかね。とりあえず、新ブログ『星虹堂通信』をこれからはよろしくお願いいたします」


  • 広告
  • キネ旬の「映画監督、キム・ギドクの死に寄せて」を読んで

    2021-01-24 23:40


    個人的にもっとも好きなギドク作品『サマリア』(2004)

     1月20日の夜、アメリカのバイデン新大統領就任式を眺めながら、「キネマ旬報」2月上旬号を開いたら、追悼特集が3本も載っている。ひとつは岡田裕介東映社長、もうひとつは東宝出身の小谷承靖監督、そして最後に韓国のキム・ギドク監督だったのだが、キム・ギドクだけ「追悼」の二文字はなく、「映画監督、キム・ギドクの死に寄せて」という特集名になっている。
     2017年から2018年にかけて、複数のパワハラ・性暴力問題で告発され、国際映画祭の常連である鬼才監督から凶悪な鬼そのものへと評価が転落してしまったキム・ギドク。その存在を「なかったこと」とはせずに、あえて特集を組んだキネ旬紙面には、彼の顔写真すら載っていない。ギドクと個人的に交流が深かった杉野希妃のインタヴューと、成川彩の韓国映画界レポート、四方田犬彦の作家論が配置されている。
     記事の中では、杉野がキム・ギドクを「常に自問していた人間」と回想するのが印象深い。

     キム・ギドクの作品は一時期、熱心に追いかけていたことがある。その後も日本未公開作の『Amen』(2011)以外はいちおうすべて観ていたのだが、近作は密度の低下が著しく、例の報道を知ったことも影響して、去年3月公開の『人間の時間』(2018)はパスしてしまった。
     ヤクザ、娼婦、泥棒、浮浪者、脱北者、死刑囚など韓国社会の底辺層に目を向け、暴力とセックスにあふれた物語を露悪的に、かつ色彩豊かに描き出すキム・ギドクの作風は、「痛み」を媒介とした社会とのコミュニケーションだとか、被虐者にこそ福音が訪れるというキリスト教感覚だとかいろいろ解釈する人がいたが、私から見ると往年のATG映画や『ガロ』掲載の漫画に通じるアングラ・カルチャーの更新版であり、根本敬や蛭子能収、山野一、ねこじる、山田花子らの漫画の同類として楽しんでいた。90年代悪趣味ブームの延長というべきか。
     ギドク作品には意外に女性ファンが多かったのだが、現実の残酷さをあえて誇張した作品に触れることで、逆に癒しの効果を得るという感覚は、今でも多くの人が持っているはずだと思う。
     しかし、キム・ギドク自身はサブカルチャーの教養などぜんぜんなく、むしろエゴン・シーレを敬愛する古典的な芸術家意識に固まった人だったらしい。むしろシーレのようにありたい、という願望ゆえに数々の暴虐に及んだのではないかとさえ思う。なにしろ韓国と北朝鮮の境界あたりのど田舎出身、工員から海兵隊に入って5年も鍛えられ、突然画家を志して30歳でパリへ行くまで、映画を観たことがなかったという。そんな彼が吐き出すように量産した作品には、確かに野人めいた荒々しさがみなぎっており、同じく露悪的な作風で知られるラース・フォン・トリアーやミヒャエル・ハネケらの作品に比べても、キム・ギドクはもっとも「上出来」から遠く、「天然」の香りが濃厚だったし、後続世代のポン・ジュノやパク・チャヌクといった教養豊かな映画人がハリウッドに進出しても、キム・ギドクは絶対そうはならないしなれないだろう、という妙な信頼感(?)があった。

     一方、キム・ギドクは早くに燃えつきてしまった作家でもあった。作品歴を振り返ればそのピークが『宛先人不明』(2001)と『悪い男』(2001)なのはあきらかだ。最も完成度の高い『春夏秋冬そして春』(2003)を最後に、その作品世界はより抽象化し図式的なものになり、じょじょに痩せていった(その辺りは日本の北野武にも通じる)。
     最後の佳作は『弓』(2005)だと思うが、以後の作品からは衝撃力のあるモチーフを無理矢理つむぎ出そうと苦心している様子がうかがえた。とりわけくだらなかったのは『アリラン』(2011)で、「撮影で女優に重傷を負わせたショックで山に籠もったキム・ギドクが、自問自答の様子をデジカメで撮り続ける」という体裁のこの作品、はっきり言って自己憐憫のたれ流しにしか見えなかったが、これでカンヌ映画祭「ある視点」部門最高賞の評価が得られるというのは、かつての自意識こじらせ系サブカル愛好者から見ても退嬰的な現象に思えたものだ。「これじゃギドクは“次”へは行けないな」と直感した。だいたい書けない作家の泣き言など文学の世界にいくらでもあったではないか。

     そして伝えられたパワハラ・性暴力問題。これがキム・ギドクの過去作品の評価にどう響くかは、観る側が映画のどこに評価軸を置くかによるだろう。ヒッチコックがティッピ・ヘドレンにセクハラをしていたから『鳥』はもう評価できない、と考える人もいるだろうし、撮影用に本物の猫を殺した『幕末太陽伝』は今や無価値だ、と考える人がいてもいい。ただし、映画やテレビ、舞台の現場というのは、大昔から現在に至るまでさまざまな暴力に満ちた野蛮な世界なので、後になってあきらかになった事実をもとに歴史的評価や個人の印象に修正を加えようとするのは無理がある。むしろそうした事実を周知することで、「これだけの人間の奉仕や常識外れの行為が行われたがゆえに芸術が完成したのだ」などと美談化する風潮を戒め、より平和で安全な制作環境を整えていく方が建設的だと思っている。そうでなくてはまたおかしな芸術家幻想に固まったギドクのような男が出現しかねない。

     さて、キネ旬の特集では、四方田犬彦の論考にキム・ギドクが最晩年に書いたメールが紹介されていた(翻訳が硬くて少しわかりにくいが)。裁判で敗訴してなお被害者への謝罪ひとつなく、ラトビアへ逃亡して映画製作を続けようとしていたギドクが何を語ったのかと思えば、そこに反省の弁はいっさいなく、韓国から遠く離れた地に漂流する自分を見据える達観した内容だった。四方田は「キム・ギドクは苦い記憶しか残っていない韓国と韓国人にもはや何も期待しなくなっていた」と、その絶望の深さを指摘するが、ちょっと違うのではないか。
     私にはむしろ、「追放者」という境遇を得たことで、新たな芸術創造への期待を込めた不気味なメッセージにしか読めなかった。ある意味では芸術家の“業”なのかもしれない。しかし、キム・ギドクが飽くことなくくり返してきた「自問自答」とは常に他者が存在しない自己本位なもので、作品で描き続けてきた「痛み」も、独善的な自傷行為に過ぎなかったとすれば、作家としてたちまち行きづまったのも納得である。

     キム・ギドク、2020年12月11日、新型コロナウイルス感染症によりラトビアにて客死。享年59。彼が愛したエゴン・シーレもまた、スペイン風邪にかかって28歳で急逝したのだった。


  • 2021年に振り返る、寺田ヒロオの世界@トキワ荘マンガミュージアム

    2021-01-10 23:482

    公式サイト https://tezukaosamu.net/jp/mushi/entry/25467.html


     新年早々、2度目の緊急事態宣言が発出されることになったものの、こちらの日常にはたいした変化は起こらない。いちおうテレワーク推奨で出社を控えろ、という指令が出てはいるものの、仕事の納品スケジュールに影響が出ないのだから、あちこち駆けずり回る日々はあいかわらずだ。さて、まもなく2年目に突入するコロナ禍はどうなるのか。

     というわけで年明けそうそう忙しいことになっているのだが、それでも豊島区のトキワ荘マンガミュージアムで開催されている、「トキワ荘のアニキ 寺田ヒロオ展」には期間終了ギリギリに駆けつけることができた(注・その後、開催期間の延長が決定)


    トキワ荘マンガミュージアム全景

     私は子供のころにNHKで放送された『わが青春のトキワ荘〜現代マンガ家立志伝』を見て以来のトキワ荘ファン。昨年、豊島区にオープンしたばかりの「トキワ荘マンガミュージアム」のマニアックな再現ぶりは、同伴者がいたらうんちくが止まらなくなったことだろう。


    赤塚不二夫と石森章太郎が行水したことで知られる共同炊事場

     アパートの建物だけでなく、かの有名な「赤塚不二夫と石森章太郎が流行水した共同炊事場」や、寺田ヒロオ、水野英子、よこたとくお、そして石森章太郎の隣の部屋(アシスタント用に借りていた)が細かく再現され、椎名町の移り変わりや、漫画の描き方についての解説も丁寧に配置されている。


    再現された寺田ヒロオの部屋(ちゃぶ台の上にはチューダーのセットが)

     1階に降りると、資料室兼ミュージアム・ショップと展示室が並んでおり、こぢんまりした展示室で開かれているのが、おめあての「寺田ヒロオ展」。
     壁には、寺田ヒロオの生原稿がたくさん貼り出され、ショーケースには当時の掲載誌が展示されている。寺田ヒロオは枠線とよほど大きなコマ以外、すべてをフリーハンドで描いていたらしく、スッキリしたタッチに漂う温かみはそのせいだったのかと再確認。
     また、並べられた原稿や掲載誌が、まさに寺田ヒロオの作風と人柄を象徴する内容ばかりで、その的確な作品選択にスタッフの企画への熱の入りようを感じさせた。

     寺田ヒロオ(1931〜1992)、と言ってもその名前は今、ほぼ忘れ去られている。マンガ好きにとっては、藤子不二雄Aの自伝マンガ『まんが道』に登場する、面倒見のいい先輩・テラさんとして記憶していることだろう。
    『背番号0』や『スポーツマン金太郎』など、昭和30年代に心温まる児童漫画を描き続けた寺田ヒロオだが、トキワ荘の仲間たちが大メジャー作家へと飛躍していった昭和40年代、週刊化・過激化する漫画界になじめず、作品数を減らし続け、ついに絶筆へと至ってしまった伝説の漫画家。
     藤子不二雄や赤塚不二夫、石森章太郎らは出発点が手塚治虫であり、変貌する漫画界に合わせて作風を広げてゆく意欲を持っていたのに対し、出発点が井上一雄の『バット君』だった寺田は、「明朗快活で道徳的な児童漫画」という枠から抜け出すことも、アシスタントを雇って作画作業のプロダクション化を行うこともできぬまま、窒息してしまったようだ。
     漫画が進歩するたびに「表現の自由」をめぐる議論が絶えない。しかし、業界が表現の幅を獲得することで、逆に排除されてしまう才能もいた。


    寺田ヒロオの『パパニイ』と晩年作『七子の世界』(ポストカード)

     欲望充足を目的に描かれたマンガが氾濫する今、寺田ヒロオの良心的な作品群を読み返すと、その善良な世界に心が洗われる思いをするものの、やはり作品がよって立つ「良識」や「健全」の概念が、昭和30年代に閉じ込められたままなので、骨董品としての味わいしか感じられないのもつらいところだ。展示された作品の中に『パパニイ』という家庭漫画があり、これは父親が事故で生死不明になったため、たった一人の男手となった長男が、残された母親や姉妹たちを率いて家長を演ずるという内容らしいが、家父長制をなんの疑問もなく継続しようとするもので(形見らしきパイプを持ちパパ風に構えるのはカワイイが)、今の目で見るとかなりのズレを感じさせる。
    「健全」や「良識」、そして「道徳」も、時代と共に変化する。しかし、寺田ヒロオは時代に合わせて作風を更新できない作家だった。

     しかし晩年にあたる1982年ごろ、トキワ荘ブームや『「漫画少年」史』の編纂者として名前が浮上したからか、寺田ヒロオは雑誌連載で一コマ漫画を描いたことがあったらしく、それらの原稿も展示されていた。詩的なものから諷刺的なものまで、タッチも内容も決して衰えを感じさせるものではない。こうした作品をマイペースで描き続けられればよかったのに、と思ってしまう。


    トキワ荘の青春 デジタルリマスター版(公式サイト) http://tokiwasou2020.com/


     寺田ヒロオについては梶井純『トキワ荘の時代 寺田ヒロオのまんが道』(現在はちくま文庫)という評伝が描かれているが、この本を原案とする市川準監督の映画『トキワ荘の青春』(1996)が、今年の2月にデジタルリマスター版で再公開されるという。
     本木雅弘が寺田ヒロオを演じた『トキワ荘の青春』、私は公開時に観ているが、寺田ヒロオの挫折を中心に、若手漫画家たちの過ぎ去りし青春を淡々と描く、静謐な「三丁目の夕日」とでもいうべき映画だったので落胆した。

    「おいおい! なんでトキワ荘がこんなしみったれた純文学みたいな話になっちゃうの〜?」

     私にとってトキワ荘の魅力とは、「はちきれんばかりの想像力を胸に秘めた、それでいて貧乏な連中がくり広げる、若衆宿のバカ騒ぎ」そのものだった。昭和30年前後という時代だからこそ成立した、才能集団がつむぐ幸福な時間。しかし市川準監督は、その中で「取り残されてゆく男」を内省的に描くことを選んだ。「寺田ヒロオ展」を見た後で25年ぶりに再見したらどう思うか、改めて観に行くつもりではいる。

     そして帰り道には、『まんが道』でおなじみの中華食堂「松葉」(現存しているのだ!)でラーメンを食べるのであった。
    「ンマーイ!」


    『まんが道』でおなじみ「松葉」のラーメン

    NHK『わが青春のトキワ荘〜現代マンガ家立志伝』 (1981)取り壊し直前のトキワ荘が映っている