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ふかくこの生を愛すべし〜「生誕100年 映画監督・小林正樹」@世田谷文学館
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ふかくこの生を愛すべし〜「生誕100年 映画監督・小林正樹」@世田谷文学館

2016-07-30 00:00



    生誕100年 映画監督・小林正樹 http://www.setabun.or.jp/exhibition/exhibition.html


    【関連記事】
    市川崑と小林正樹〜モダニストとクラシシスト
    http://ur2.link/xpo1


     今月16日より始まった、世田谷文学館の展示「生誕100年 映画監督・小林正樹」を見て来ました。
     まず、いきなりハッとさせられたのは、受付で売っている図録の表紙。
     青空と万国旗をバックに微笑んで立つ、若き日の小林正樹がクリアーに映し出されているではありませんか。こんな監督ポートレート、見たことない!
     じつはこれ、日本初の総天然色映画『カルメン故郷に帰る』(1951)の現場に持ち込まれたカラーフィルムを使って撮られた一枚とのこと。木下惠介のチーフ助監督として活躍していたころの小林正樹がはにかみながら立つ、よい写真です。展示ポスターとはまったく雰囲気の異なる写真の選択に、前回から17年ぶりとなる小林正樹展に向けた意気込みを感じます。


    図録の表紙

     さて展示は小林正樹の映画人生の出発点となる脚本の紹介からスタート。
     まず『われ征かん』と題された古い脚本がガラスケースに入っています。1941年、松竹大船撮影所に入所したものの、その年の暮れには出征が決まった小林が、かつて早稲田大学でともに東洋美術を学んだ友人2人とともに共作した脚本です。青春を捧げた古寺・古仏の研究に別れを告げるために書かれたもの、と説明されています。
     もう一冊、『防人』という脚本も展示されています。これは1943年、ソ連満州国境線の警備についていた小林正樹が、来るべき前線出兵を予期し、遺書として書き残した脚本です。南方への移動が決まり、船が九州の港に寄った際、小林は「拾った人は留守宅に届けてください」というメモと10円札を付して、脚本の入った風呂敷包みを洗面所に置いてゆきました。はたして復員後、家族のもとに戻った小林は無事に届けられた『防人』の脚本と再会することができたそうで、小林作品を貫く理想主義はこのような体験にも支えられていたのかもしれません。
     こうしたエピソードを聞くと、『われ征かん』と『防人』の脚本、ぜひとも読んでみたいものだ……と思えばなんと、2作とも図録に完全再録されているではありませんか! 
     その内容については後述します。

     そして、学生時代の小林正樹がとったノート、友人・恩師からの書簡や葉書、軍隊時代の資料と展示が続きます。
     小林正樹は早稲田大学で歌人・書家としても有名な會津八一(1881〜1956)に師事し、東洋美術を学んでいました。その講義を記録したノートは、會津全集に一部再録されているほど精緻なもので、文化財の見分け方についての解説を、写真や図版を丁寧に切り取ってノートにコラージュしているあたり、小林の勤勉さを物語っています。
     そして會津八一が門下生と認めた人物にのみ揮毫したことで有名な「学規」の書も実物が展示されています。『野の人 會津八一』を書いたノンフィクション作家・工藤美代子の父親の部屋にも、この学規が飾られていたとか。


    會津八一(秋艸道人)の「学規」

    一、ふかくこの生を愛すべし

    一、かへりみて己を知るべし

    一、学芸を以て性を養うべし

    一、日日新面目あるべし


     芸術・学問において常に最高水準を求める會津八一の学規は、小林正樹の人生の指針であると同時に、小林映画の基調音を成しており、よく指摘される「堅苦しさ」の根源にある思想と言えそうです。
     また、會津八一は「飛鳥・奈良時代の仏像の線の美しさを知るには、漢時代の印を篆刻するのがいちばんいい」と指導していたそうで、小林自身が彫った篆刻や印鑑も展示されています。軍隊時代も暇を見つけては篆刻していたというその作品はなかなか愛らしい出来映えで、先の学規を遵守する純朴な芸術青年、学芸の世界を厳格な美意識で探求するディレッタントの姿が見てとれます。

     復員した小林正樹は木下惠介組の助監督になるのですが、この時代の資料で圧巻なのは、『不死鳥』(1947)、『女』(1948)、『お嬢さん乾杯』(1949)、『破れ太鼓』(1949)などの木下作品における小林自作のカット表です。松竹撮影所では記録係(スクリプター)が存在せず、セカンド助監督が記録(スクリプトシート)を取るならわしだったのですが、小林はスクリプトシートをもとに作品の全カット一覧表を一本の巻物として作成、1カットずつ小さな絵コンテまで添えて、セリフや同録・アフレコ、音楽、BGノイズまで詳細に記録しています。これさえあれば、編集やダビング(音入れ)の現場で演出指示や修正伝達がはるかにラクチンとなることは間違いなし。その根気と労力に頭が下がる一方、ポストプロダクション(仕上げ)の作業を重視する小林正樹の映画作りの一端を見たような気もします。
     ちなみに『醜聞』と『白痴』の撮影で松竹大船撮影所を使用した黒澤明は、木下惠介の助監督たちの優秀ぶりに驚いたそうですが、当時の木下組助監督とは、チーフ小林正樹、セカンド川頭義郎、サード松山善三のチームだったと思われます。

     そして監督昇進、『壁あつき部屋』(1953)や『この広い空のどこかに』(1954)など、初期の代表作の脚本やスチールが展示されているコーナーへと続きます。
    『壁あつき部屋』の撮影台本のページを見ると、BC級戦犯として巣鴨プリズンに収監されている横田に弟・脩が面会に来る場面、

    横田「いや、俺は最近、少し別な考えを持ち始めた、戦争はやっぱり悪なんだ。その悪に反対しなかった奴にはみんな罪があるんじゃないか、俺じゃなきゃ何れ誰かが、もしかするとお前がここに入らなきゃいけなかったんだよ」

    脩「そんな一般論いけないよ、戦争を起こした奴らが悪いんだよ、財閥と天皇とその手先だ」

     との会話に、台本の時点で脩のセリフの「天皇」が線で消され、「軍」に直されています。脚本を書いたのは、当時共産党員だった安部公房。作品にストレートな共産党色がつくことを避けるべく、小林が配慮したのかもしれません。
     一方、その直後の朝鮮戦争をめぐる会話では、

    脩「朝鮮じゃ、どちらが先に攻め込んだか怪しいもんだってことだぜ」

    横田「赤の宣伝だろ」

    脩「おしつけないよ、兄さん、今にわかるから……」

     と続き、脩は共産党員であることがわかります。実際の映画では脩のセリフが「おしつけないよ、兄さん、今にわかるから……。ま、人民軍が必ず勝つね。どんな民族も自由でなきゃならないんだ」とつけ足されています。先のセリフから「天皇」をカットした代わりでしょうか? 小林正樹のバランス感覚がうかがえます。しかし、このような配慮にもかかわらず、『壁あつき部屋』は「反米的すぎる」として公開を3年も遅らされてしまいます。

     圧巻なのは、壁一面に貼り出された、『怪談』(1964)の色彩設計図録でしょう。小林正樹は初めてのカラー映画に挑むにあたり、画面内のすべての「色」をコントロールすることを構想、絵画や写真、布、陶磁器などの資料をスタッフに蒐集させ、それらを断片的にコラージュすることで、『怪談』における4話それぞれのエピソードの基調色、衣装や小道具の色調と質感、セットの色味を演出しようと試みました。要するに、アニメーションにおける「色指定」の役割を劇映画でやろうとしていたのですね。日本初のカラー映画『カルメン故郷に帰る』のチーフ助監督でもあった小林らしいこだわりです。
     素材として集められたのは、安藤広重や奥村政信の浮世絵、ゴッホやクレー、さらにマックス・エルンスト、イヴ・タンギー、サルバトール・ダリといった画家たちの作品。これらを大胆に切り抜いて色彩カードのように配色し、衣装やら小道具やらを決めてゆくのですが、このコラージュ自体が、いつしか一種の抽象美術のように見えてくるのが不思議です。
     さらに驚いたのは、『怪談』で音楽・音響演出を担当した武満徹からの怒りの手紙。『怪談』は撮影の規模が大きくなりすぎたためスケジュールが難航。すべてのクランクアップから完成まで10日ほどしか間がなかったので、おそらく音楽録音とダビング作業は撮影の後半、突貫工事で行われていたのでしょう。武満徹としては不本意な仕事を強いられたらしく、その出来を謝罪する一方でプロデューサー・現場のスタッフを激烈に批判、できればクレジットから名前を外してほしい、と訴えています。小林正樹はこの手紙を受けとるやすぐにダビングのやり直しを手配、すべて武満のイメージ通りの作業を行わせたといいます。
     撮影の宮島義勇による、「小林正樹さんは完全主義者と呼ばれているけれども、正樹さんが完全主義者なのではなく、他のスタッフが完全主義者であることを許していた」という言葉を思い出すエピソードではありませんか。


    『怪談』(1964)予告編 https://www.youtube.com/watch?v=XG5mvupo9Wc


     映像資料では、撮影の岡崎宏三が記録用に残した『日本の青春』(1968)のロケハン映像、さらに『化石』(1975)、『燃える秋』(1978)のメイキング映像がまとめられ、現場で指揮を執る小林正樹の姿を見ることができます。少数スタッフによるテレビドラマとして、16ミリカメラで撮っている『化石』のパリ・ロケーションの様子と、三越資本の大作としてイランロケを敢行した『燃える秋』の大規模な撮影現場はさすがにだいぶ雰囲気が異なります。しかし、『化石』と『燃える秋』どちらにも出演している佐分利信は撮影現場においても悠揚迫らざる雰囲気を醸し出しており、非常に渋い。

     その他、小林正樹がイタリアやイランで入手してきた手付壷などに並んで、小津安二郎『彼岸花』(1958)で使用され、その後、小津の葬儀で会葬者に配られた湯飲が展示されていました。この湯飲、『化石』や『食卓のない家』(1985)にも小道具として使用されていたと知り、あまり語られない小林正樹と小津安二郎のつながりについても、きちんとチェックしてみたいものだと思いました。また、撮影所時代の小林の私信には、師・會津八一に対し小津安二郎はじめ、松竹の監督・俳優たちへの揮毫を依頼するものが目立ちます。もちろん一万円の揮毫料を支払わせているようなので、小林なりの師への財政援助だったのかもしれません。

     そして晩年のコーナーでは、数々の未映画化企画に関する資料を見ることができます。
     『怪談』完成以後の小林正樹が、自らの集大成として、20年余に渡って構想をふくらませ続けた企画『敦煌』(原作・井上靖)。この作品については、稲垣俊による70年代後半に書かれた脚本が2種類、吉田剛に交代して80年代に書かれた脚本が2種類展示され、現地ロケハン時の写真などが展示されています。『敦煌』は徳間書店が率いる大映が製作に乗り出しましたが、3時間半の芸術大作を構想する小林正樹と2時間余の娯楽大作を望む徳間康快の間で意見が衝突、深作欣二監督に交代させられてしまいます(後に深作も降板、1988年に公開された作品は佐藤純彌が監督)。できれば小林『敦煌』は公開された版とは具体的にどう違ったのか、もう少し手がかりがほしいところですね。が、公開版『敦煌』すらもはや忘却の彼方となった現在では、それは難しいのかもしれません。

     ちょっと驚いたのは稲垣俊による『戦争と人間』(原作・五味川純平)の脚本が、69年頃に検討されたテレビドラマ版と、70年代後半に検討された映画版の2種残されていたことでしょうか。『人間の條件』(1959〜61)に続き、五味川原作に改めて挑む意志もあったようですね。しかし、『戦争と人間』は1971~73年にかけて日活が山本薩夫監督で3部作を製作しています。はたして小林正樹版ではどうするつもりだったのか……。もしかすると、日活版が製作できなかった原作の後半、太平洋戦争の始まりから東京裁判までを脚色するつもりだったのでは、などと内容への興味がふくらみます。

     その他、ベトナム帰休兵が日本を歩く『日本の休日』(武満徹が脚本に参加していた)、広田弘毅を中心に東京裁判を描く『激動の昭和史・東京裁判』(後に記録映画として完成)などの脚本もありますが、いちばんびっくりしたのは『食卓のない家』(1985)の次の企画として、海渡英祐の江戸川乱歩賞受賞作『伯林—一八八八年』のシノプシスが準備されていたこと。ドイツ留学中の森鷗外が古城で遭遇する密室殺人、さらに鉄血宰相ビスマルクの登場……という歴史ミステリですが、どうしてまたこの企画を小林正樹に。おそらく、1888年から100年目となる1988年の公開を狙って立案された企画と思われます。いずれにせよ、実現すれば小林正樹としては『からみ合い』(1962)以来のミステリ映画になったはずで、19世紀のベルリンを小林がどう撮ろうとしていたのか、気になるところです。そういえば1989年には篠田正浩監督の『舞姫』が公開されましたが、当時は鷗外ブームでも起こっていたのでしたっけ?
    『伯林—一八八八年』の企画を検討した影響なのかわかりませんが、小林正樹最後の劇映画企画は森鷗外原作『阿部一族』だったそうです。「殉死」をめぐって理不尽な武家社会の掟に振り回される一家の悲劇、あきらかに『切腹』(1962)、『上意討ち—拝領妻始末』(1967)の路線を狙った企画です。正直、『食卓のない家』が遺作というのはチト寂しいので、できれば力作時代劇をまたモノにしていただきたかったところ。しかし『敦煌』の夢を断たれた小林に、もはやその気力は残されていなかったのかもしれません。
     ちなみに『阿部一族』は1993年に深作欣二監督によってテレビドラマ化され(放送は1995年)、DVDも発売されています。

    深作欣二監督『阿部一族』 http://urx.red/xpu0

     さて、展示をひと通り見終わり、芦花公園の喫茶店でコーヒーなど飲みながら図録に収録された脚本をじっくりと読みます。
     まず小林正樹・川西信夫・中村英雄共作の『われ征かん』。
     主人公は東洋美術の若き研究者。そこへ届けられる召集令状。入営までの一週間、やりかけになっている古寺の研究を完成させようと奈良へ向かう。研究という個人的情熱と、出征という国民の義務の間で揺れ動く青春の日々……というお話で、原案を書いたのは小林正樹。あきらかに彼の私小説というか私映画です。會津八一をモデルにした福岡教授なる人物が存在しますが、故人と設定され、本人の代わりに例の四か条からなる「学規」がくり返し画面に登場します。主人公が奈良で語る仏像ウンチクは小林の卒業論文「室生寺の建立年代の研究」から引用されており、戦災によって焼失した論文の内容を報せる唯一の手がかりでもあります。
     ピューリタン(潔癖)な人物しか登場しない物語、ヒロインが中宮寺観音跏思惟像に例えられる美の象徴的存在だったりするあたり、いかにも小林正樹の作品世界。面白いのは後半、出征が決まりながら残された時間で奈良の古寺研究に没頭する主人公に対し、同行の親友が「それはあまりに貴族趣味ではないか」と窘める場面。この親友は足が悪くて兵役に就けないことに劣等感を抱いているのですね。親友からの痛い指摘にショックを受けた主人公はいきなり寝込んでしまうのですが、熱にうなされる主人公の幻想として、かなりシュルレアリスティックで複雑なモンタージュが予定されています。ほとんど『白昼の幻想』のトリップシーン。小林正樹がすでに松竹大船調からはみ出した、往年の表現主義映画のような、独特のイメージ構築を指向していたことがわかります。
     ちなみに『われ征かん』にはイメージキャスト表が添付され、主人公は佐分利信、親友は笠智衆、ヒロインは水戸光子と書かれています。そして共作者の一人、小林と共に松竹大船撮影所に入所した川西信夫はその後、戦死しています。

     もう一作、小林正樹がソ満国境警備中に書いた『防人』。
     執筆されたのは1944年で、すでに日本の敗戦が色濃くなりつつあった時期。日ソ中立条約を結んだソ連と向き合う満州国境警備にも緊張が走りますが、仕事の内容はあいかわらず非常に地味。南方戦線で苦戦する日本軍、ついに玉砕する部隊も現れたことを伝え聞いた部隊内の兵士たちの焦り、葛藤が淡々と綴られてゆきます。なにしろ現役の兵隊さんが現場で書いた脚本なので、国境警備隊の日常描写はリアルそのもの。しかしここには『人間の條件』のような、傲慢な憲兵軍曹や非人道的ないじめを受ける新兵といった極端なキャラクターは登場せず(そんな描写ができる時代ではなかったですが)、さまざまな性格の登場人物たちにはそれぞれ、モデルとなった戦友への作者の愛情が感じられます。あるいは、現実がこんな兵隊ばかりならいいのになぁ、という小林らしい理想が込められているのかもしれません。兵士たちの青春群像劇ですが、主人公にあたる人物はかつて東洋美術を研究していたインテリという設定です(またかい……)。
     水木しげるの傑作漫画『総員玉砕せよ!』は、南方戦線の部隊の日常が淡々と綴られつつ、クライマックスには「玉砕」の悲劇が設定されていましたが、『防人』は「玉砕」を予感させる主人公の南方移動で終ります。移動を前に、枕頭に置いていた東洋美術の本を焼き捨てる主人公。これは、まさに小林正樹の当時の心情が率直に描かれたものでしょう。『われ征かん』を書いただけでは捨て切れない古寺・古仏への思いを改めて総括しようとしたのです。戦争という体制の前に個の埋没を強いられるオタクの苦しみがじわりとにじみ出ています。
     この2作の脚本、戦後に小林が撮った「反戦」の主張が明確な作品群とは異なり、戦地に向かう若者の遺書としての側面が強い内容です。が、通読すると、改めて小林映画の多くが「死」という刻限を前に、いかに人間性を高めることができるか、という問題を扱っていたこと、そして「国境」や「階級」や「体制」といった自らを縛る「枠」を見つめ、その越境が可能か否か挑む主人公がくり返し描かれていたことを思い出すのです。

     ところでこの図録、初期脚本2作が再録された上に、展示資料の多くも収録されているとはいえ、あくまで副読本として編集されているので、展示の内容を完全に図版として収めたものではありません。小林正樹が購入した外国の壷や、『怪談』の第4話「茶碗の中」で使用された茶碗、武満徹の怒りの手紙などは、展示会場に足を運ばなくては見られません。小林正樹ファンは当然のこと、旧作邦画ファンもあとで図録をチェックすればいいや、などとズボラを決め込まず、実際に足を運ぶことをおすすめします。
     梅が丘の自宅における小林正樹の書斎も、セットとして再現されてますよ。



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