『村上春樹と私』〜ジェイ・ルービン講演会@6次元
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『村上春樹と私』〜ジェイ・ルービン講演会@6次元

2016-11-15 23:56

    『村上春樹と私』ジェイ・ルービン(東洋経済新報社)

     夏目漱石、村上春樹をはじめとする日本文学の翻訳家として有名なジェイ・ルービンが、新著『村上春樹と私』の出版に合わせて来日、荻窪のカフェ「6次元」で講演会が開催されるというので、聴いて参りました。
    「ハルキストが集う店」として毎年ノーベル文学賞発表日にはテレビ中継が入ることが恒例となっている「6次元」、私が訪れたのは初めてですが、落ち着いた雰囲気の、小説の舞台になってもよさそうなブックカフェ。店主のナカムラクニオ氏とルービン氏は旧知の間柄ということもあり、講演会というよりは、和気藹々のトークショーという感じで進行します。


    トークを展開するジェイ・ルービン氏(右)

     50年ほど前、留学生として荻窪に住んでいたことがあるというルービン氏、街の印象は「当時とあまり変わってない」とのこと。駅の南側の方に、お気に入りのエビフライ屋があったそうです。
     お話はルービン氏の「日本文学事始」からスタート。シカゴ大学2年生の時に日本文学入門のクラスに入ったのがきっかけだそうですが、その理由は「たまたま空いていたから」。それは『古事記』から始まる本格的な講座で、最初に面白いと思った作品は『伊勢物語』だったとか。初めて翻訳に挑んだ小説は、国木田独歩。会場内に独歩を読んだことがない日本人が多いことを知ると(すみません、私もです……)、「独歩は『武蔵野』がいちばん有名だけど、あれは紀行文で、小説では『忘れえぬ人々』、『源叔父』がお薦め」とアピール。研究者にとって助かるのは、独歩は夭折したので(36歳没)、作品数が少なくてすむことです、の一言で会場は大笑い。
     続いて、夏目漱石を読み進め、「『三四郎』に強く惹かれました。これは若いうちに翻訳しなければならない、年齢を重ねたら魅力がわからなくなってしまうだろう、と焦ったが、それは大間違いでした。今読んでもじゅうぶん面白いし、現代の学生たちに読ませても、みんな感動しています」と語ります。
     こういった回想からじょじょに話題は村上春樹へとスライドしてゆきます。

    Q・村上春樹の初読作品とその時の印象は?

    ルービン「出版社(ヴィンテージ社)の依頼で読んだ『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が最初。明治の文学ばかり研究していたので、現代文学にさほど関心なかったが、非常に面白かった。とても力強い作品。『ぜひ出版すべし、準備稿の訳に不満があれば、自分にやらせてほしい』と返信したのに、私の提言は無視され、その時は出版されなかった。これをきっかけに村上春樹作品をたてつづけに読み、感心した短篇『象の消滅』と『パン屋再襲撃』を翻訳し、村上さんのエージェントに送ったところ、村上さん本人から雑誌に載せたい、と電話があった。こうして『パン屋再襲撃』がプレイボーイ誌に、『象の消滅』がニューヨーカー誌に売れたのです。長編作品で最初に訳したのは『ねじまき鳥クロニクル』で、これは雑誌連載中に翻訳を決めました。あれ、雑誌掲載版と単行本でけっこう違うんですよね」

    Q・村上春樹の英訳者には複数の人物がいますが、人によって訳文に違いはありますか?

    ルービン「それについて指摘する人はほとんどいないですね。『1Q84』はvol.1、vol.2を私が、vol.3をフィリップ・ガブリエルが訳したが、『vol.3になるとダメだなぁ』と言う人がいるかというと、いない(笑)。まぁ、作中に出てくる高円寺のバー『麦頭』を私は英訳(Barleyhead)したのに、フィリップはローマ字(Mugiatama)にしていて整合性が取れなくなった、というミスはあったけど、そのぐらいですね。ただし、『ノルウェイの森』を自分で訳す時、講談社インターナショナルから文庫で出ていたアルフレッド・バーンバウムの訳本は目に触れないように人に貸してしまいました。影響を受けたくなかったので。終わった後に比較してみたら、違う箇所もあるが、同じ訳し方をしたところも多く、会話の部分の訳はかなり同じだったと思う。
    『ノルウェイの森』は、なにしろ日本で大ベストセラーになったので、村上さんも海外で出版される訳本に慎重な姿勢を見せたんですね(間違った訳が出て誤解を受けることを懸念したらしい)。それで自分の翻訳も細かくチェックしてくれました」

     と、ルービンさん、ここで村上春樹のチェックが入った原稿を取り出す。

    ルービン「村上さんの指摘で、誤訳にいくつか気がつくことができました。第二章で、『こういう言い方は良くないと思うけれど、彼女の気持ちはわかるような気がする。僕としてもできることならかわってあげたかったと思う。』という文章がありますが、私は最初、こう訳したのです……(ルービン氏による英訳版の朗読)。間違いがわかりますか? 私は『かわってあげたかった』を『わかってあげたかった』と読み間違えていたのです。村上さんはこの箇所を指摘しつつ、『私が漢字を使っていれば間違えなかったでしょうに』と自分の責任であるかのように謝ってくださったのです」

    Q・「やれやれ」はどう訳してるんですか?

    ルービン「それは一口には言えないけれど……。バーンバウムさんは“Just Great”と訳していたかな。皮肉っぽい感じが出ますからね。でも、『やれやれ』が使われた場面によるので、一概に同じ表現にはしていません」

     このあたりで、客席から寄せられた質問に答えることに。なにしろ「濃い」村上春樹ファンが集まる店なので、マニアックな質問が多く、熱心なハルキストとはとても言えない私など、やや緊張を強いられたほど。 『ノルウェイの森』のラストシーンはハッピーエンドかアンハッピーエンドか、「木樵女(きこりめ)」という春樹オリジナル日本語はどう訳したか、ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞について……など熱っぽいトークが続きました。「なぜ村上春樹の文学は世界中の読者に受け入れられるのでしょうか?」という大きな質問については、「今回の本にけっこうしつこく書いたので、ぜひ読んでいただければ」とさりげなく新著を宣伝するルービン氏。
     その他、印象に残った質疑応答をメモしておきます。

    Q・ルービン先生が個人的に愛する村上春樹作品はどれですか?

    ルービン「長編では『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』。ラストまで緊密な形式を保っている作品ですね。できれば自分で翻訳したい。出版社の注文がなくても、いずれ個人的に訳してみたいと思っている。後は、短篇に好きな作品が多いです。『象の消滅』、『パン屋再襲撃』、『トニー滝谷』……。短篇で好きな作品のある人、いますか? (会場から『アイロンのある風景』の声)ああ、『アイロンのある風景』、あれもいい」

    Q・『ねじまき鳥クロニクル』の英訳版は短縮されてますが、その理由と完全版が出る予定は?

    ルービン「そのイヤらしい質問を突きつけられるのではないかと恐れていましたよ(会場・笑)。あれは当時、出版社(クノップ社)から『この長さでは出版できない』と言われてしまったので、村上さんと相談して私がカットしました。よく問題にされるのは、第2部のラスト、区営プールでフランク・シナトラの唄が幻聴として聞こえる箇所から先がごっそり落ちていることですが、カットを決めた当時、まだ第3部は出版されていなかったのです。なので、結末がやや説明的で、もっと含みを持たせてもいいのではないかと思った。現在、世界中の読者から、『ねじまき鳥クロニクル』のノーカット版を読みたい、というメールや問い合わせが寄せられます。それをクノップ社や村上さんのエージェントに送っているけれど、いっこうに動きはないのです。しかしいずれ、完全版は出版されることでしょう」

    Q・ルービン先生の好きな映画はなんですか?

    ルービン「『七人の侍』。ずいぶん見返してませんが。最近では『キャプテン・フィリップス』が素晴らしいと思いました。トム・ハンクスは天才的な俳優ですね」

    Q・日本の現代作家で他に評価してる人はいますか?

    ルービン「柴田元幸とテッド・グーセンが共同編集する日本文学文芸誌『Monkey Business』に翻訳者として参加しているので、いろいろ読んでますよ。最近の作家では松田青子。彼女の作品には歌のような魅力がある。佐伯一麦もいいですね。『日和山』は素晴らしい作品です」

    Q・ルービン先生にとって、日本語の魅力とはどんなところでしょうか?

    ルービン「英語と違うところです(会場・笑)。英語を母語とする者にとって、日本語はとにかく面白い! 『さようなら』は意味合いでは『Good Bye』に置き換えられますが、本来の意味(左様ならば)まで立ち返ると、ぜんぜん異なるでしょう? 例えば『雨が降るかもしれない』の一言は、日本語では“名詞+助詞+動詞+成立する可能性が低い予測”で表現される。こんなややこしい文章が、英語では“It May Rain”としか言いようがない。この置き換えは正しいのか? こうしたことに悩み始めると日本語の魅力から離れられなくなるのです」


    トークショーの様子(2016年11月12日)


     村上春樹は『職業としての小説家』の中で、アルフレッド・バーンバウムとジェイ・ルービン、二人の翻訳者についてこう語っています。

     簡単に言えば、アルフレッドがどちらかといえば自由奔放な翻訳、ジェイは堅実な翻訳ということになります。(中略)また『ねじまき鳥クロニクル』のような(僕の初期の作品に比べて)構造が比較的緻密な小説は、ジェイのように頭から正確に逐語的に訳してくれる翻訳者の方が、やはり向いていたと思います。それから彼の翻訳について僕が気に入っているのは、そこに巧まざるユーモアの感覚があることです。決して正確・堅実なだけではない。


    『村上春樹と私』は村上春樹の人となりや文学、その翻訳の苦労話はもちろん、後半には夏目漱石の翻訳や芥川龍之介の作品集を編纂する作業を通じて再確認した作品の魅力、第二次大戦中の日系人収容所をテーマとする自作小説『日々の光』執筆裏話、能楽・古典を愛するアメリカ人研究者による人生・家族の回想録が収録され、それらはすべてジェイ・ルービン独特のユーモアがまぶされた好エッセイ。ハルキスト以外の読書好きにもお薦めです。

     では、最後に、ルービン氏がボブ・ディランの曲で最も好きだという「くよくよするなよ(Don't Think Twice, It's Alright)」でお別れしましょう。

    【Bob Dylan - Don't Think Twice, It's Alright】


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