スローリィのぴんぼけ日記〜最近観たもの読んだもの(2017年4月)
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スローリィのぴんぼけ日記〜最近観たもの読んだもの(2017年4月)

2017-04-29 03:22
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 前回の更新から早いもので2ヶ月あまりが経過、このブロマガも開設3周年を迎えました。
 気が向くと書き上げる、長たらしいテキストの発表の場として使ってきたわけですが、今後はもっと気軽にコラム風のテキストをまめに更新していければと思っております……、と近況報告の日記を書き始めたものの、アップする暇がないままたまる一方、あわててかき集めたらまためっちゃ長いテキストになってしまいました。わはは。ま、興味あるところだけ拾い読みしてってください。


実家に貼られていたギラーミン版『キングコング』ポスター(本編にジェット機は出ません)

×月×日 『キング・コング』とわたし

 桜の散りかかる頃に迎えるのは、父親の命日。今年で35回目だ。
 じつはこの間ただの一度も墓参りをしたことがない。それを人に言うと「なんと親不孝な」という顔をされるのだけど、父の墓地は実家から車で1時間以上かかる人跡未踏の山奥にあり、その上、思い出して愉快な気分になれるような人物ではまったくなかったのだから、しかたがない。むしろ命日を忘れずにいるだけでもたいしたものだ。
 とはいえ、今年は父の命日を忘れることなく思い出せたのは理由がある。ジョーダン・ヴォート・ロバーツ監督『キングコング 髑髏島の巨神』を観たからだ。父は1939年生まれで、1954年に再公開された初代『キング・コング』(1933)に熱中した世代であり、同い年の映画評論家・石上三登志の著書『キング・コングは死んだ』も我が家の書庫に並んでいた。当然ながらジョン・ギラーミン監督がリメイクした『キングコング』(1976)には息子を連れて駆けつけたもので、私の記憶に残っているいちばん古い映画がコレ。確か続けて2回観たんじゃなかったかなぁ。
 父のコングファンぶりは本物で、1977年に再公開された東宝特撮『キングコング対ゴジラ』にも、1978年公開のパチもん香港映画『北京原人の逆襲』にもちゃんと私を連れて観に行った。初代『キング・コング』がテレビで放送された時もいっしょに観たし、勢い余って『地底の原始人・キングゴリラ』(往年の大女優ジョーン・クロフォードの遺作である!)なんてZ級映画のテレビ放送にまで付き合わされたものだ。
 当時すでに鬱病で定職に付いておらず、ときどき癇癪を炸裂させては自己嫌悪に落ち込むという日々を繰り返していた父にとっては、拉致された大都会の中で所在なく暴れまわり、愛するものを手に射殺されていく孤独なコングの姿に、自分自身を見出していたのかもしれない。
 さて今回の『キングコング 髑髏島の巨神』、私もギラーミン版『キングコング』を見て、軍用ヘリに蜂の巣にされるコングが可哀想でしかたがなく思えた子供だったから、新生コングが登場するなりUH-1の編隊を片端から叩きのめす暴れっぷりを見せてくれたことが大いに嬉しかった。父が観たら、未開の島で巨神として君臨するコングの姿を観てなんと言っただろうか? 舞台設定が1973年ということもあり、『地獄の黙示録』オマージュが散見されだる作品だが、そういえば『地獄の黙示録』も父といっしょに観た作品だったなぁ。あのカーツ大佐というのも都会からジャングルへと迷い込んだキング・コングでしたね。


新国立劇場『白蟻の巣』と『城塞』のポスター

×月×日 安部公房と三島由紀夫が見た昭和30年代

 新国立劇場の企画「かさなる視点~日本戯曲の力」の第2弾となる『城塞』を観る。安部公房が1962年に発表した戯曲の再演だ。
 今回の演出は文学座の上村聡史。昨年1月には俳優座の眞鍋卓嗣が演出した版がシアタートラムで上演されており、戯曲の内容についてはそちらの劇評を参照していただきたい(ストリップする幽霊~俳優座公演『城塞』 http://ch.nicovideo.jp/t_hotta/blomaga/ar936161

 軍需産業によって富を築いたブルジョワ家族を通じて、終戦から戦後復興にかけて日本人が目をそらし続けた「戦争責任」を突くドラマ。主人公に山西惇、その父親に辻萬長、従僕にたかお鷹、妻に椿真由美。それぞれの思惑が交錯するロジカルな台詞の応酬を、ある時は叩きつけるように、ある時は綴れ合わせるように投げ交わす。特に辻、たかおの2人から滲み出す「黒さ」がすばらしい。
 登場人物の関係性の要となる若い女(踊り子)の役は、昨年の上演ではまったくの迫力不足で不満が残ったが、今回演じる松岡依都美はいかにも昭和のストリッパーという骨の太さで肉感的に演じ、一人まぎれこんだ異邦人としての意味合いを強く打ち出す。この役者、どこかで見たなと思えば、映画『凶悪』でピエール瀧の妻役だった人だ。あれもよかった。
 上村演出は俳優座版ではカットしていた、絞首刑になった戦犯のシルエットに響く、極東軍事裁判での検察官と被告の会話というシンボリックなオープニングを戯曲通りに再現する一方、ト書きではセットの奥と指定されている父親の部屋の扉を舞台の床に設定し、父が室内に這い出してくる様子をさながら戦前の亡霊が地の底から這い出してくるように見せた。そう、この一家は終戦時に時を止めてしまった「幽霊たち」であり、現在を生きているのは若い女(踊り子)ただ一人、というのが今回の演出の基本線のようだ。私は昨年のレヴューに書いた通り、生きて日本に帰れなかった死者たちが「若い女」という依代を得て蘇り、無責任を貫く日本人を断罪する、という構図でとらえていたので、上村演出はある意味では真逆の解釈を見せてくれたわけだが、演者の説得力に支えられて新鮮に映った。
 舞台の奥に設置された窓の外に映像を映し込んだセットがラストで立体化し、広がる荒野に向かって裸になった踊り子が足を進めてゆく。この瞬間の崩壊感覚の表現は忘れがたい。戯曲が書かれた年代と同じく、東京オリンピックを前に「新たなる街壊し」が進行する現代にぴったり符合する。

 責任を回避しながら欲望につき動かされ続ける幽霊たちによるホームドラマ、というのが今回の『城塞』だったが、「かさなる視点~日本戯曲の力」の第1弾である、三島由紀夫『白蟻の巣』(演出・谷賢一)もやはり、幽霊が浮遊するホームドラマととらえられる内容だった。狙ったセレクトだったのだろうか。
『白蟻の巣』は、1955年発表の岸田戯曲賞受賞作。ブラジルに移住した元華族の主人・刈屋が経営する農園が舞台である。刈屋は妻・妙子と運転手・百島がかつて心中未遂を起こしたにもかかわらず、「寛大」にもそのまま同居させて、退屈な日々を送っている。しかし百島の新妻・啓子は夫の愛情を疑い、刈屋と示し合わせて妙子と百島がふたたび不倫関係に陥るように仕組む。妙子と百島は啓子の策略と知りながら挑発に乗り、心中を完遂すべく屋敷を出てゆく。劇的な展開の到来に興奮した狩屋は啓子を新たな伴侶とし、生まれ変わる決意を固めるが……という物語。
 終戦後に階級を失い、遠く離れたブラジルで現実から遊離した日々を送る幽霊たちによるホームドラマ。庭に立つ空っぽになった巨大な白蟻の巣は、終戦後の日本社会そのものだ。生きているのはブラジル生まれの新妻・啓子だけ。啓子は澱んだ空気の中で責任を回避し、ぬるく欺瞞に満ちた日常を送る人々を糾弾する。
 谷賢一による演出は、安易な熱帯風の装飾を避けてクールにまとめていたが、いちばんの見ものは平田満。三島自身の屈折が投影されていると思しき元華族・刈屋を、ある時は無邪気にある時は退廃的に表現、三島流の凝ったレトリックのセリフも難なくこなして性格の狡猾さを印象づける。平田満の役者としての色気が炸裂する舞台であった。
 ラストシーン、啓子と新たな人生を送ろうと盛り上がる刈屋の屋敷に、妙子と百島の車が戻ってきてしまう。またしても心中が失敗したのか、気が変わったのかはわからない。彼らを叩き出して啓子と暮らすのか、寛大に受け入れて凡庸な日常に回帰するのか、刈屋は決断を迫られる。「私にはとてもそんなことはできない……とてもそんなことは……」と、呆然と立ち尽くす刈屋の背後に、妙子と百島の影が伸びてきたところで舞台は終わる。「決断」を避けて微温的な日常が続くのは、当時も21世紀も変わらない。この年『金閣寺』を発表したばかりの三島は、その後は肉体改造に精を出し、「死」という決断を下して自分自身のラストを演じきってしまった。
 終戦後の日本を巨大な「白蟻の巣」に例える三島由紀夫と、閉塞した「城塞」に例える安部公房。昭和30年代の戯曲には時代を批評的に見通す作家の目が満ちていた。近年は、岡田利規、本谷有希子、前田司郎など演劇界の才人が文芸誌に小説を発表し、高い評価を得ているが、当時のような時代や社会を発想に取り込むことのできる視座を文芸誌側から期待されてのことなのだろう。やはり生の観客を相手に、思考を展開して見せることで鍛えられるなにかがあるのかもしれない。


頭木弘樹『カフカはなぜ自殺しなかったのか?』(春秋社)

×月×日 自殺を回避し続けるカフカ

 三島由紀夫といえば、「なぜあのような自殺を遂げたのか?」という謎について没後40年以上経った今も考察され続ける作家だが、最近では「なぜ自殺しなかったのか?」という質問が、フランツ・カフカに向けられているらしい。というわけで頭木弘樹『カフカはなぜ自殺しなかったのか?』を読んだ。
 頭木氏の前著『絶望名人カフカの人生論』、『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』は、カフカの膨大な手紙・日記の言葉を引用しつつ、その人柄の魅力を解説、現代人にとってのヒントとなる要素を紹介するものだった。このスタイルのおかげで、カフカ愛読者や文学ファンだけでなく、カフカ未体験の読者が一種の自己啓発本として手に取ることもできるようになっている。それでいて『超訳ニーチェの言葉』のごとき恣意的な翻訳・解釈を排し、引用箇所とその執筆背景については原典重視でしっかり向かい合っている。
 頭木氏は読者から「なぜカフカは自殺しなかったのでしょう?」という質問を何度も受けたそうだ。なるほど、手紙や日記に年中ネガティブ思考を書き付けている男が、なぜ芥川龍之介や太宰治、ヘミングウェイのような死を遂げなかったのか、という疑問が浮かぶのは自然である。しかし著者は今までこの問題について考えたことがなかったという。じつは私も、いちおうカフカファンの端くれであるつもりだが、この疑問は今までまったく抱いたことがなかった。カフカ作品における「不条理」というのは、ひとつの状況の中で可能か不可能かをひたすらぐるぐるぐるぐると問い続ける「永続性」に意味があり、これは哲学者が人生は生きるに値するか否かと思考し続けるのと同じだ。そして問い続けるという行為こそが、もっとも精神を生き生きとさせ、創造性に豊穣をもたらすものなのだ。
「僕の人生は自殺したいという願望を払いのけるために費やされてしまった」
 こんな一文もある「弱さ」の求道者・カフカ。自殺という決断を下す行為はどうにもカフカらしくないのである。
 と、カフカの愛読者ならだいたいそんな先入観を抱いていると思うのだが、『カフカはなぜ自殺しなかったのか』はカフカ紹介者としてその疑問に真摯に向き合い、改めて手紙・日記の資料を当たり直す。そしてカフカの日記・手紙に頻出する「自殺願望(第一次大戦への徴兵希望を言い出したりもしている)」と、当時のカフカが置かれた状況と心情、そして執筆された作品の関連性を突き合わせてゆく。細かい部分では新情報も多く、引用箇所の前後をもっと知りたくなって、何度も全集をひっぱりだすことになった。カフカの愛らしさと厳しさ、そして孤独に向かう徹底性に圧倒される。
 本書はフェリーツェ・バウアーとの2度にわたる婚約と破棄、その間に執筆されたカフカの手紙・日記からの引用を中核としている。かつてのカフカ研究者の間では「カフカの深遠なる観念性を理解できなかった実務のみのキャリアウーマン」と辛口にとらえられがちなフェリーツェについて、頭木論はむしろ彼女こそカフカが作家性を構築するための最重要人物だった、と評価し直しているのが面白い。できたらこの視点で、『父への手紙』や『ミレナへの手紙』の解読・分析に至る続編を期待したい。


「ドキュメンタリードラマ 二・二六事件」で栗原安秀中尉を演じる岸田森

×月×日 岸田森と二・二六事件

 フランツ・カフカの作品は、数々の映像化のほか、舞台にもなっているのだが、日本で最初に上演されたのは1963年の文学座のアトリエ公演で『城』(脚色 ポール・カンタン、演出 加藤新吉)だったそうだ。
この時、主人公Kにつく助手コンビ、アルトゥールとイェレミーアスを演じたのが、寺田農と岸田森というのは、特撮ファンとしてはぜひ見てみたかった組み合わせ。岸田森はその後、1967年にはやはりカフカ原作の六月劇場公演『審判 銀行員Kの罪』(脚色 長谷川四郎、演出 津野海太郎)に出演、弁護士を演じている。『審判』のヨーゼフ・Kといえば、映画ではアンソニー・パーキンスやカイル・マクラクランといった、どこか神経症的な匂いを感じさせる俳優が演じているのだが、もし日本で映像化するならば、その気配に狂気と孤独の両端をまとい、日常と非日常の境目をスリリングに行き来する岸田森もぴったりだったのではないだろうか。ぜひ岸田森が演じる「K」を見たかったと思う。ロボット刑事でもミスターKでもなく、カフカの「K」で!
 武井崇の労作『岸田森 夭折の天才俳優・全仕事』を読みながらそんなことを思った。総量700ページ余、その俳優人生をまとめた評伝と、詳細な出演作品データによって構成されたファン必携の一冊だ。演劇ファンとしては、文学座から独立して六月劇場旗揚げ、そして自由劇場、発見の会と合体して演劇センター68を結成する過程がくわしくまとめられていて、興味深かった。演劇センター68は後に劇団黒テントへと発展するのだが、、黒テントの座付き作家となる山元清多に戯曲を書くきっかけを与えてくれたのも岸田森だったということで「へぇ~」な感じ。
 が、この本には山元が脚本を担当した岸田森出演作がひとつ漏れているので紹介しておこう。1976年放送の日本テレビ「ドキュメンタリードラマ 二・二六事件~目撃者の証言」がそれである。この番組、2000年に出版された小幡貴一・小幡友貴『不死蝶 岸田森』の出演作リストからもなぜか漏れているのだが、岸田森のwikipediaやテレビドラマデータベースにはちゃんと記載されている。
 番組は二・二六事件当日、首相官邸を襲撃した青年将校から岡田啓介首相を守った2人の女中の証言を元に再現する内容で、岸田森は事件の中心人物であり、官邸襲撃を指揮した栗原安秀中尉を演じた。退廃したインテリや青白い悪漢を得意とした岸田だが、硬直した思想を持つ軍人役もじつにさまになっている。「決起趣意書」の朗読も、岸田の美声で朗々と読み上げられる。
 制作はテレビマンユニオンで、脚本・山元清多、演出・倉内均。このコンビは1年後には同じ枠で「ドキュメンタリードラマ 太平洋の生還者」を手がけ、やはり岸田森が重要な役で出演している(こっちは『岸田森 夭折の天才俳優・全仕事』、『不死蝶 岸田森』の両出演リストに掲載されている)。ここでの仕事がきっかけとなって、テレビマンユニオンが制作する伝説の低視聴率ドラマ『ピーマン白書』への出演につながったようである。

 私が岸田森という俳優を意識したのは、『太陽戦隊サンバルカン』の嵐山長官役なので、かなり遅い。が、だいぶ後になって、それ以前にも岸田森の演技を目にしていたことを思い出した。それは1979年放送のNHK教育「シャーロック・ホームズの世界」。日本人の少年少女がベイカー街221Bのセットを訪問、岸田森演じるシャーロック・ホームズに出会うというすごい内容だが、ホームズ研究の東山あかねが解説役を務め、日本人が演じるホームズが登場しても、まったく違和感を感じさせなかったどころか、ホームズ初体験の幼児にとってはその後ジェレミー・ブレット主演の決定版ホームズドラマを見てもなお、原イメージが岸田森で浮かんでくるというほど印象の強いものだった。それにしても吸血鬼とホームズを両方演じたなんて、本当に和製クリストファー・リーだったんだなぁ! そういえば、我が父と岸田森は、共に1939年生まれの1982年没と生年没年が同じでありました。


スマホでのみ写真撮影OKだったYES featuring ARW公演

×月×日 イエスミュージックの夜

 プログレ界隈では、昨年から今年にかけてキース・エマーソン、グレッグ・レイク、ジョン・ウェットンというレジェンドたちが相次いで逝去、その衝撃がまだ冷めやらぬうちに、今度はゴングやUKで活躍した名ギタリスト、アラン・ホールズワースの訃報が飛び込んできた。個人的には好みのギタリストというわけではなかったが、昔のアルバムを聴き返して業績を偲びたい気持ちを押し殺し、涙雨降りしきる中、渋谷オーチャードホールへと向かう。
 目的は、「ARW」こと「アンダーソン・ラビン・ウェイクマン」の公演。イエスのボーカルだったジョン・アンダーソンが、かつてのバンドメンバーであるリック・ウェイクマン、トレヴァー・ラビンと組んで結成したバンド。しかしこの一週間前に、「イエス・フィーチャリング・アンダーソン・ラビン・ウェイクマン」に改名したという。これはつまり、クリス・スクワイア亡き後、スティーブ・ハウが牽引する現行イエスとは別個の「もうひとつのイエス」として活動してゆくことを明確にしたわけだ。
 思い起こされるのは、80年代末期に起きた、クリス・スクワイアとトレヴァー・ラビン率いるイエスと、ジョン・アンダーソンがビル・ブラッフォード、リック・ウェイクマン、スティーブ・ハウを招集して結成したABWHが並行に活動したイエス南北朝時代。どちらが正統かでマニアが論争を繰り広げたものの、2年後には南北朝統一が実現、8人組イエスが誕生というめまぐるしい展開となった。じつは私がイエスを聴き始めたのは、この南北朝騒動が世をにぎわせているころで、イエスの「新譜」をリアルタイムで最初に聴いたのは『結晶』(1991)からだったんだよね。だから今回もすぐにまた融合するのでは……と思いきや、ARWの3人は今月7日、イエスのロックの殿堂入りを記念するステージで、本家のスティーブ・ハウ、アラン・ホワイトと共演してきたところだという。今にして思えばあの8人組イエスは経済的な妥協の産物、無理に「融和」するよりも、「共存」してお互いに好きなことをやろう、ということになったのかもしれない。
 さて、19時を少し回って始まったステージは、海外公演と同じく「シネマ」で始まり、イエス音楽が次々と奏でられてゆく。じつは私、80年代イエス(いわゆる「90125イエス」)そんなに好きじゃない派なんだけど、そういう守旧派に向けてちゃんと「パーペチュアル・チェンジ」や「アイブ・シーン・オール・グッド・ピープル」を混ぜてくる配慮の行き届いた構成。「同志」の中盤はアレンジ変えてきたし、「燃える朝焼け」は緊密だった。今日のステージが初参加というベースシスト(イアン・ホーナル)も、数々の難曲を無難にこなし、クリスのコーラスパートも忠実に再現。リズム隊が若いせいか、5年前に聞いた本家イエスよりも引き締まって聞こえたほどだ。あー、これなら去年11月のイエス公演も参戦して聴き比べればよかったなぁ。
 63歳のトレヴァー・ラビンはあいかわらずカッコよく、元気そのもの。複数の楽器を次々持ち替えるハウ師匠の軽やかな演奏とは違い、エレキギターをギュンギュン唸らせアグレッシブに攻める。「ラウンドアバウト」のイントロまでエレキで聞かせてしまうのだから驚いた。67歳のリック・ウェイクマンはだいぶお腹が出た様子だが、相変わらずのシンセサイザーバリケードに取り囲まれ、怪しげなマントを羽織ってさまざまな音色を弾きまくる。70年代の曲を演奏する時には、リックのシンセが重要な意味を持つことを痛感。
 だが、やはりいちばんの存在感を放つのはジョン・アンダーソン。72歳になっても往年のハイトーンヴォーカルは健在、タンバリンを叩いたり、ハープを弾いたり、日本サービスに「どんぐりころころ」や「ぞうさん」を歌って見せる愛嬌もあいかわらず。
 クライマックスでは、ジョンとリックを残して他のメンバーが退出する中、ステージは青一色に染められる。そこへふわっと奏でられる、リックのシンセ。やがて優美なピアノへと移り変わり、ジョンのボーカルが天に話しかけるように歌い上げる。アレ、こんな曲イエスにあったっけ、と思えばこれはABWHのアルバム『閃光』に入っていた「ミーティング」じゃないですか。終盤にメンバーが戻り、始まったのは大曲「悟りの境地」。これこそリックのキーボードの洪水とジョンのボーカルが揃ってこその聞き物である。2003年のツアーの時もこれがクライマックスだった。まぁ、あの時に比べると、トリプルネックベースを手にのしのしと歩き回るクリス・スクワイアの不在は寂しいが、それは本家イエスも同じこと。
 そして大トリは「ロンリー・ハート」、前奏が始まれば上品な日本の観客も総立ちになる。中間部に入るや、リックはショルダーキーボードをかついでラビンといっしょに客席に降り、通路を練り歩いてPAスタッフをからかいに行く。観客はなんとか手を伸ばして二人の体に触れようと必死。両国国技館かここは?
 1年半前に同じ会場で見たキング・クリムゾンが、ビッグバンド風の座組みといいドラムが3人も並んだ姿といい、独自のスタイルをストイックに貫く集団で、客席もほぼ「クラシック鑑賞」のノリだったのにくらべると、こちらはいかにもポップバンドのライブという感じで楽しく盛り上がれた。
 イエス音楽は70年代の一時期に瞬間的に存在し得たロックのサーカスだったと思うが、複雑なメンバーチェンジと流行を意識しながらのスタイル変化でしぶとく生存戦略を図ってきたバンドでもある。2つに分離したのも多様性の時代ならではと前向きにとらえ、ジョン・アンダーソンには過去の遺産にさらに利息を上乗せしたような新曲を、期待せずにはいられない。


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ブログ、興味深く拝見いたしました。
岸田森さんの演劇部分に触れていただき、ありがとうございしまた。
評伝を書くにあたって、新劇→アングラ→映像、という流れをはっきり出したくて、苦労して書きました。
評価していただき、ありがとうございました。
「岸田森 夭逝の天才俳優・全記録」著者、武井崇
38ヶ月前
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おおっ、著者直々のコメント、ありがとうございます。
だいぶ前ですが、新宿ロフトプラスワンのイベント、聞きに行きましたよ。岸田蕃さんのお話が聞けて、いい思い出になりました。
今後のお仕事も期待しています。
38ヶ月前
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