喜志哲雄が語るハロルド・ピンターの世界~『誰もいない国』と『ピンター 、人と仕事』@新国立劇場
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喜志哲雄が語るハロルド・ピンターの世界~『誰もいない国』と『ピンター 、人と仕事』@新国立劇場

2018-11-22 22:19


    公式サイト https://www.nntt.jac.go.jp/play/nomansland/

     ノーベル文学賞作家、ハロルド・ピンター(1930~2008)の『誰もいない国(No Man’s Land)』が新国立劇場で上演されたので、観てきました。
     さらに、ピンター研究の第一人者である喜志哲雄によるギャラリートークも聴講したので、日本全国のピンターフリークに向けて、そのご報告をばいたしましょう。

    『誰もいない国』(1975)は、過去にハーフムーンシアターによる上演(吉岩政晴演出)と、ナショナル・シアター・ライブによる中継録画(ショーン・アサイアス演出)を観ています。後者のパトリック・スチュワートとイアン・マッケランが主演した舞台はまさに圧巻でしたが、そちらの感想と作品の内容については、去年上演された『管理人』(1960)と比較しながら考察した記事があるので、御一読ください。

    何も起こりはしなかった?~ハロルド・ピンターの『管理人』と『誰もいない国』http://ch.nicovideo.jp/t_hotta/blomaga/ar1390612

     酔っ払いで抑鬱的な文学者ハーストがパブで拾った自称詩人スプーナーを自宅のリビングに招いたところから始まる『誰もいない国』。今回の公演では、ハーストを柄本明、スプーナーを石倉三郎が演じます。二人の演技は、リアリズムというよりは、淡々と演じられる酔っ払いとボケ老人のコントという雰囲気。膨大な台詞を表情を変えることなく処理しながら、引退した事務員のような風情でスプーナーを演じる石倉の演技が印象に残ります。
     今回の演出は寺十吾(じつなしさとる)ですが、二人がグラスを傾けるたびに、天井から水がしたたり落ちる、という仕掛けを作っています。それはやがて舞台奥に設置されたハーストのベッド周囲に大きな水溜りとなってゆき、後半では俳優たちは水しぶきをあげながら熱演します。主役の二人が溺れてゆく「酒」や、ハーストが見る「誰かが溺れている夢」などの水のイメージや、ハーストを囲む状況が「立ち入り不能の地(No Man’s Land)」となったことを舞台上に出現させる試みですが、交わされる台詞を追いながら登場人物の関係性変化を味わう戯曲に対し、いかにも過剰な味付けに思えました。他にも音飛びして同じ箇所ばかり繰り返すレコードプレーヤーを冒頭と結末に配したり、天窓から見える木々の緑で開放感を取り入れて見せたり、設定の難解さを解きほぐすための涙ぐましい努力をそこかしこに感じましたが、これらはかえって見る側の集中力を削ぎ、結末から立ち上る“脅威”の感覚を薄めてしまったようです。

     まぁ、英国人でも理解しづらいピンター劇、日本人が独自の感覚でアイディアを導入したり内容を再解釈してみせたりは、いくらでもやっていいと思います。しかし、常に求められるのは役者自身の力量と、そのパフォーマンスを最大限に生かす演出ということになるでしょう。
     今回の公演の感想をwebで検索していると、「テキストは新訳にしてほしかった」、「翻訳的な言葉が目立って違和感があった」という内容のものがいくつかありました。
     それはおそらく、スプーナーの最初の方のセリフとクライマックスの長セリフの部分で強く感じたのではないかと思うのです。じつはその辺、原文では単文ではなく複文が多用され、またラテン語系の難しい語彙が頻出するなど、日常会話とは異なるややこしい文体で書かれている、ということです。つまり、あえて違和感を与えるように書かれているのですね。日本語で上演する場合、ピンターが狙った「違和感」をどう表現すればいいのか、本当に難しい問題です。

     さて、その困難な『誰もいない国』を翻訳したのが喜志哲雄さん。ピンター戯曲の大部分の翻訳を手がけただけでなく、ピンターファン必携の書『劇作家ハロルド・ピンター』(研究社)も書かれています。もちろんピンター本人とは30年以上に渡る交流を重ねています。11月18日に行われたギャラリートーク「ピンター 、人と仕事」で、私も初めて喜志先生の肉声に触れることができました。聞き手は大堀久美子さん。メモを頼りに、当日のトークで印象深かったところを再現します。



    Q.今回の『誰もいない国』はいかがでしたか?

    喜志「これは<笑える>劇であると同時に、<死>というものを強く感じさせる内容で、今でもモダニティ(現代性)を失っていませんね。今回は稽古も見学させてもらいましたが、いい上演は常に何か、再発見をさせてくれるものです。今回の『誰もいない国』もそうした上演だと思います」

    Q.ピンターと喜志さんの出会いはどんなものでしたか?

    喜志「1961年にイギリスで『管理人』の上演を観て衝撃を受けました。まったく日常の言葉を使ってこんな表現ができるのか、と。その後、アメリカに住んでいたのですが1967年、『帰郷』(1965)のニューヨーク公演があった際に、ピンターが主演女優で夫人のヴィヴィアン・マーチャントと在米しているというので、劇場付で手紙を送ってみました。そしたら返事が来たのですね。その後、ロンドンで会うことができました。ピンターは人見知りだそうですが、1時間はお喋りしてくれました。そこで口頭試問に合格したのか、交流を続けてもらえることになったのです。当時のアメリカで盛んだった公民権運動の話題が出た際、『私は完全に黒人側の主張を支持する』と言ったところ、ピンターも“Absolutly!(まったくその通り!)”と言ったので、そんなところが気に入られたのかもしれません。彼はユダヤ人で、イギリスにおいてはマイノリティ。だから日本人に親切にしてくれたのかもと思います」

    Q.ユダヤ人としてのピンターについて

    喜志「ピンターはロンドンのハックニーという地域の出身で、彼の少年時代からの親友で演劇仲間のヘンリー・ウルフによると、大戦中、現地のユダヤ人はナチのシンパみたいな連中からよくいじめられたそうです。チェーンや割れた瓶を持った者が待ちかまえていたりね。当時から世界には<暴力>が横行する、ということを身に染みて感じていたんじゃないでしょうか。後期の政治的戯曲は暴力体制への批判を強く訴えています。そうそう、ピンターは兵役拒否者なんですよ。宗教的な理由ではなく、戦争という暴力行為に参加したくない、という理由で。罰金刑ですんだそうですが」

    Q.作家ピンターの趣味・嗜好について

    喜志「ピンターとは十二、三度会ってますが、とても機知に富んだ言い回しをしてくるので日本人には理解するのが大変でした。彼の書くセリフは難しいけど、言葉そのものは簡潔で、クールですよね。でも彼の読書遍歴はクールではなく、12歳から詩を書き始め、ドストエフスキー、ヘミングウェイ、カフカ、D.H.ロレンス、ヘンリー・ミラーを愛読していたそうです。熱心な文学少年ですね。そして映画少年でもあり、強く好きだったものにエイゼンシュテインやルイス・ブニュエルを挙げています。前衛に抵抗ない性格だったんでしょう。ベケットにも熱中しています。図書館でベケットの小説『マーフィー』を見つけ、貸出記録がいっさいない、つまり誰も読んでない本だったので、借りたまま返却しなかったそうです。その『マーフィー』はピンターの没後、遺族が60年ぶりに返却しました。すると古書としてすごい高値がついたとかで、図書館は売ってしまい、いい予算を獲得できたそうです(笑)。

    Q.ピンター劇の新しさとは?

    喜志「ひとつは<語り方>です。それまでの演劇は因果関係で物語は進んでゆく。人物の背景についてもセリフの中で『説明』があるわけです。ピンターはそれを取っ払った。もうひとつは<言葉>ですね。『誰もいない国』ではスプーナーのセリフが馬鹿丁寧な難しい言葉遣いだったりフランクなくだけた言い方になったり、言葉の使い方を斬新に演出してみせる。ピンターのセリフは機知に富んで面白いので、よく笑いがおきます。しかし描かれる世界は暴力的だったり不吉なものに満ちています。ただ笑わせるためだけに書いてはいない。ピンターの劇で、最後の10分で笑いが起こることはまずないでしょう。『誰もいない国』でも、ラストシーンで立ち上るのはハーストを囲む<死>のイメージです。今回の寺十演出も、その荘厳さを強く意識されていたと思います。
     もうひとつ、ピンターの開発した技術を説明するひとつの例として、ノエル・カワード(1899~1973)の『私生活』という作品を参照したいのですが、こんな会話があります」

     と、喜志さんはここで配布された資料に言及。ノエル・カワードの『私生活』(1930)で、離婚した夫婦がそれぞれ再婚した相手との新婚旅行先で、5年ぶりに偶然再会するという場面の会話です。

    喜志「ここで二人は世界旅行の話題をして中国や日本について軽い会話をしていますが、その内容はどうでもいいんです。じつはお互い相手に未練があって、その感情を圧し殺すように無意味な会話をしてるんですね。言葉の内容じゃなくて、状況を読み取ることで初めて、この場面で描かれる感情が理解できる。この方法を発展させたのがピンターです。『背信』(1978)の一場面を見てほしいのですが」

     資料の続きにはピンターの『背信』から第八場におけるジェリーとエマの会話、第五場におけるロバートとエマの会話を抜粋してあります。来年3月から、ロンドンでトム・ヒドルストンが演じることで話題の『背信』ですが、これはかつて不倫していたカップル、ジェリーとエマが再会する1977年春から始まり、ジェリーがエマを口説こうとする1968年冬の場面で終わる、時間逆行型のドラマです。つまり、観客はこのカップルがどうなるかをすべて知りながら、彼らの関係性にそもそも何があったのかを探る形で物語を追ってゆくことになります。

    喜志「『背信』の第八場、1971年の夏にジェリーとエマの不倫カップルが逢引のために借りたアパートでの会話を見てみましょう。エプロン姿のエマがシチューを作りながら、フォートナム&メイソンでジェリーの奥さんを見かけた、という話をする。本当かどうかはわかりません。何気ない会話なので聞き逃してしまいがちですが、エマはジェリーを奥さんから略奪したいと考え、揺さぶりをかけていることがうかがえます。シチューなんて手のこんだ料理を作ってるしね。エマは妊娠していることを告げますが、ジェリーのアメリカ出張中にできた子供だから、父親は夫のロバートだと言います。しかし観客は、その以前、第五場において、1973年の夏に交わされたエマとロバートの会話を聞いています。休暇でヴェニスに来た二人ですが、ロバートは妻の浮気に気づいており、エマに事実を認めさせてしまう。ロバートは当然、去年生まれた子供の父親を疑います。しかし、エマは『ジェリーがアメリカに行っていた2ヶ月の間に出来たのであなたの子だ』と言う。浮気相手の2ヶ月の不在、というのが子供の父親を証明する根拠になるかどうかわかりませんが、エマは離婚してジェリーと再婚することはできなかったのは明白です。観客はこのやりとりを記憶して、第八場で思い出さないと、醸し出されるサスペンスを感得することができない。このように、単純なセリフの応酬に見えて、その背景を読み取らなければ奥行きが理解できない、というタイプの劇を始めたのが、ピンターの新しさでしょう」

    Q.ピンターをめぐる女性たちについて

    喜志「まず、ピンターはもてたそうです。戦時中、少年だったピンターはドイツの空爆を避けるためモリソンシェルターという家庭用防空壕に隣のお姉さんといっしょに潜り込んだことがあったそうで、『これが私の最初の性的体験である』なんて言ってますね。1956年に結婚した最初の奥さんはヴィヴィアン・マーチャントという女優で、『部屋』(1960年再演版)から『昔の日々』(1971)まで多くのピンター作品で主演女優を務めました。ところが1960年代には、世話になったBBCプロデューサーの奥さんで後にジャーナリストとなるジョーン・ベイクウェルという女性と関係を結んでいたのです。そして1970年代の半ばからは貴族の家系で保守党の政治家を夫に持つアントニア・フレイザーという歴史家の女性と交際し、ヴィヴィアンとの離婚が成立した1980年に再婚しています。いずれも才媛と言うべき女性ばかりですね。ジョーン・ベイクウェルとアントニア・フレイザーは共に自伝や回想録でピンターについて書いていますよ。『背信』は、ジョーン・ベイクウェルとの不倫関係が素材となっているということでして、親友のヘンリー・ウルフが証言するところでは、二人の逢引は彼のアパートを借りて行なわれていたのだそうです」

    Q.有名人の密会にしては、知人のアパートを使うってセコくないですか?

    喜志「当時のロンドンに、いわゆるラブホテルみたいなところはあったのかなぁ……。娼婦が使うモーテルみたいなところはあったでしょうが。『背信』ではジェリーとエマは時間を作ってはホテルに通っていた、と言ってましたが、やがて逢引用にアパートを借りているのです。しかし、なんで知り合いのアパートを使ったのか……。ヘンリー・ウルフは二人が家にいる間、バスで終点まで行って戻ってくるなどして時間をつぶしたそうですし……。うーん、(ピンターが何を考えていたかは)よくわかりません。あきらかにワガママかつ身勝手な行為ですよね。まぁ、男女関係で盛り上がっている間のことですから、そういう点で反省はする人はいないんじゃないですか」

     ということですが、私はピンターの心情が見当つくような気がします。
     まず、彼は少年時代にお気に入りだった映画のひとつにビリー・ワイルダー監督『深夜の告白』(1944)を挙げているのですね。主演はフレッド・マクマレイ。
     ビリー・ワイルダーが1960年に監督した名作『アパートの鍵貸します』では、フレッド・マクマレイは部下のジャック・レモンのアパートを借りて浮気相手を連れ込む上司を演じているのです。
     つまり、フレッド・マクマレイとビリー・ワイルダーのファンであったピンターは、ウルフも交えて『アパートの鍵貸します』の再現を行いたかったのでは? きっと、そういうプレイだったんですよ!
     ちなみに、ヘンリー・ウルフが当時のことを語っている記事をwebで見つけて読みましたが、ウルフは若いころにピンターから受けた恩恵をとても感謝しており、アパートの提供はその恩返しのつもりで少しもイヤじゃなかったそうです(って、変な恩返しですが)。


    ヴィヴィアン・マーチャント(A.ヒッチコック監督『フレンジー』ではオックスフォード警部夫人を演じた)


    ジョーン・ベイクウェル(2017年に『背信』への返歌となる戯曲“Keeping in Touch”を発表した)


    ハロルド・ピンターとアントニア・フレイザー(S.コッポラ監督『マリー・アントワネット』原作者)

    喜志「そして、ピンターの女性観というと、96年のインタヴューで女性のインタヴュアーから、『女性の見方が男性的ではありませんか?』と訊かれた時、(自分は男性だから)『当然でしょう』と答えたことがありますね。まぁ、ミもフタもないというか、開き直りというか。そんなことも思い出します」

     ここで言及されたインタヴューは、『何も起こりはしなかった〜劇の言葉、政治の言葉』(光文社新書)に収録されているので、該当部分を以下に引用します。べつにピンターは自作が男性優位主義の視点で書かれている、と言ったわけではありませんよ。

    ミレイア・アラガイ(MA) 残忍さと暴力は、あなたの劇では男性の登場人物のものであることが多いようです。それに対して女性の人物は、特にあなたが1960年代に書かれた劇では、謎めいていて神秘的で、男性の人物には欠けている持久力を持っています。

    ハロルド・ピンター(HP) もっと後の劇では、女性は男性の残忍さの犠牲になることも多くなっています。

    MA どうでしょう、これは男と女についての、やや型にはまった見方だと思いませんか。

    HP そうかもしれません。

    MA あなた自身、この見方を支持しますか。

    HP 男は実際に女より残忍だと、私は思います。(中略)だからと言って、私は女を過度に美化しているのではありません。女はきわめて手ごわいと思います。しかし、世界が始まって起こってきたことを見れば、現実の残忍な行為は男がやってきたことであることがわかります。もちろん女が残忍なことをやることもあります。(中略)しかし、私の劇では、女はいつも、私が男に対しては感じないものを感じる存在として描いてきました。

    MA
     それはずいぶん男性的なものの見方じゃありませんか。

    HP 当然でしょう。


    Q.演劇史においてピンターが登場した意味とは?

    喜志「『バースデイ・パーティー』(1958)は初演の時に大不評で、一週間で打ち切りになりました。しかし一つだけ認めてくれる評があり、そこには『これまでの劇はクロスワードパズルと同じで、最後に答えが出る。しかし劇場の入口と出口で客は何も変わらない』と、あったのです。この劇はそうじゃない、とね。ピンター以前の演劇は楽天的だったとさえ言えるでしょう。しかし、そのような因果関係で結ばれる楽天的な演劇だけではもう現実はとらえきれない。これは後戻りできないと思うんですね。ピンターが70年代に大きな存在になると同時に、演劇は大きく変わっていった。その人が存在することによって、演劇の世界に大きな変化を巻き起こした、そんな存在だと思います」

    Q.最後に、喜志さんお気に入りのピンター作品といえば?

    喜志「一作というのはちょっと決められませんが……。『誰もいない国』は大好きな作品ですね。スプーナーの台詞に2種類の文体を使ったり苦労しました。ほかに、上演を改めて観たい作品といえば、『昔の日々』や『帰郷』でしょうか。それと、関係ないですがノエル・カワードは重要な存在なのに、日本では未上演の作品が多いですね。『生活の設計』なんてとても面白いのに。新国立劇場でもぜひやってほしい。(芸術監督の)小川さんにお願いしたいところです」

     以上です。「不条理劇」とかたづけられがちなハロルド・ピンターのテクニックから人間性、きわめて生臭い部分までたっぷり語られた70分。これが無料で聴けたのだからありがたいことです。
     今年はTrigravが上演した『コレクション』もよい舞台だったし、T-PROJECTが『ダム・ウェイター』と『ヴィクトリア駅』の2本立てを上演したり(行けなくて残念!)、来月には演劇集団池ノ下が『灰から灰へ』をかけるそうですね。没後10年を迎え、いよいよ日本においてもピンターが人気作家として復活を遂げようとしているのでしょうか。
     来年はぜひとも『帰郷』や『月の光』の上演を観てみたいものです。


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