もっちん復活〜夏の日の本谷有希子『本当の旅』@原宿VACANT
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もっちん復活〜夏の日の本谷有希子『本当の旅』@原宿VACANT

2019-08-23 23:50


    公式サイト https://www.vacant.vc/single-post/yukiko-motoya-tabi


     先週、夏の日の本谷有希子公演『本当の旅』を原宿のVACANTで観てきた。
     本谷有希子が作・演出を担当する舞台を観るのは本当にひさしぶりだ。『遭難、』の再演以来だから、7年ぶりか。公演も終わったことだから、ネタバレありで感想をメモしておこう。

     去年出版された本谷有希子の『静かに、ねぇ、静かに』は3篇の短篇小説で構成された作品集で、『本当の旅』はその冒頭を飾る一篇である。40歳前後になるが腰の定まらぬ生き方をしている男女3人が、マレーシアのクアラルンプールへ貧乏旅行する、というそれだけの話。この3人にはSNSを使った自己表現で過剰な自意識をふくらませているという共通点があり、なにかと写真や動画を撮ってはせっせと編集してインスタで公開、その画面上から醸し出される「幸せそう」な感覚こそ現実以上にリアルなのだ、と思い込んでいる。
     この小説を舞台化するとなると、彼らが精神的に依拠するSNSをどう表現するか、なんらかのアイディアが必要となる。本谷の中篇小説『ぬるい毒』を映画監督の吉田大八が演出した舞台では、背景のスクリーンに主人公が打ち込むメールの文面が大きく映し出された。しかし、今回の本谷演出では背景スクリーンに映し出されるのはクアラルンプール各地の録画風景や舞台上の役者が実際にスマホで撮る映像のみで、彼らがLineに打ち込むメールの文面や連打するスタンプなどのデザインは、いっさい表示されない。
     その代わり、舞台上には無数の男女の役者が入り乱れ、主人公3人すらも、帽子やリュックサックといった記号となる小道具を受け渡すことで場面ごとに入れ替わってゆく。彼らは主人公を演じたかと思えば、次の場面では空港職員や現地の人々を代わる代わる演じ、語り手のモノローグも担当者が交代しながらつぶやかれる。つまり、この舞台では主役も傍役もすべてが、彼らのインスタ画像と同じく「共有」される素材でしかない。主役の3人には固有の「顔」が与えられず、複数の役者によって演じられる彼らの自意識だけが舞台上に堆積してゆくという仕掛けになっているのだ。
     そして客席は舞台を挟んで左右から観劇するように設計され、舞台上の役者たちの向こうには、客席に座るお互いの顔が合わせ鏡のように並んでいることに気づかされる。旅をしながらスマホの内側に引きこもり、自己正当化を続ける主人公たちのイタさ、滑稽さは現代を生きるわれわれとも決して無縁ではない。

    「劇団、本谷有希子」という奇妙な名前の劇団を初めて観たのは2003年の『家族解散』だ。松尾スズキの教え子という興味で出向いたものの、さほど感心しなかった。しかしその次の公演『石川県伍参市』(2003)で本谷有希子は大きく化けた。この人が叫ぶ世界への呪詛はホンモノだ、と思った。続く『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ(再演版)』(2004)、『乱暴と待機』(2005)、『密室彼女』(2006)、『遭難、』(2006)などはいずれ劣らぬ傑作揃いである。妄執を抱えた主人公の陰惨な自我をコミカルにえぐり出す手法は、松尾スズキの『マシーン日記』や『悪霊〜下女の恋』などの少人数劇の系譜を継ぐものだが、現代人の内省を鋭い言語感覚であぶり出す手つきは、むしろ平成のチェーホフの趣すら感じさせた。
     しかしその後の作品は、『幸せ最高ありがとうマジで!』(2008)が彼女の集大成ともいえる佳作で岸田戯曲賞を受賞したものの、それ以外ではヴォルテージの低下が目立ち、創作力の息切れを感じさせた。多忙になったため、スタッフや役者と切り結びながら舞台を設計するのに疲れたのかもしれない。
     一方このころから、本谷有希子は小説の執筆に力を入れるようになり、『ぬるい毒』(2011)で野間文芸新人賞、『嵐のピクニック』(2012)で大江健三郎賞、『自分を好きになる方法』(2013)で三島由紀夫賞、『異類婚姻譚』(2016)で芥川龍之介賞を受賞している。戯曲における鶴屋南北賞、岸田戯曲賞を合わせれば現代作家でこれだけ華麗な受賞歴を誇る人物はいないだろう。最初の小説集『江利子と絶対』(2003)を読んだ時は、彼女がこれほどの人気作家に成長するとはまったく想像できなかった。
     しかし、これらの小説を読めば読むほど「本谷有希子の本領は舞台にあり」との確信は強まっていった。戯曲を小説化した作品がいくつかあるが、いずれも舞台の方がはるかに力強かったし、「毒吐きキャラ」とかいうインテリに可愛がられる不思議ちゃん、なんて立ち位置に落ち着いちゃっていいのか、という疑問がどうしても拭えなかった。

     本谷有希子の演劇復帰作『本当の旅』は、先に書かれた小説を舞台化するという、彼女としては珍しいスタイルで作られている。「マインド」、「バイブス」、「お金に縛られない生き方」という空疎な言葉を駆使してスマホをのぞき、420円のドリンクを買うのも逡巡しなければならない現実から目をそらし続ける3人組の旅。これを若い役者たちの肉体を駆使してパフォーマンス風に立体化させた演出は、いささか図式的な風刺劇に思えた原作小説よりも、はるかに含蓄と広がりを感じさせる。
     主人公たちはクアラルンプールの文化にも人間にも関心がなく、たいして面白くない旅をインスタ上で「楽しい旅」に見せかけることしか頭にない。不快な目に遭った時、「あの人、LGBTじゃない?」とつぶやく場面が何度か登場するが、LGBTという言葉は原作には出てこない。しかし舞台上の彼らが発する「LGBT」は、あきらかに往年の「オカマ」と似たニュアンスで使われており、言葉だけ更新しながら内実は何も変わっていない日本人の姿をつかみ出す。

     そしてクライマックス。3人組は不用意に乗り込んだタクシーで、人里離れた土地へと連れて行かれてしまう。途中、スコップらしきものを抱えた現地人が乗り込んできて、さすがに生命の危険が迫っていることに気づくのだが、彼らは「楽しい旅」の空気を乱すことがどうしてもできず、ただヘラヘラした態度を続けている。いよいよ危機的な状況に陥ったことが判明しても、スピッツの「チェリー」を流しながら、Lineでお互いにスタンプの応酬をするばかり。たいした抵抗すらできぬまま、やすやすと連行されてゆき最後まで写真を撮ろうとする。
     原発問題や少子化問題などさまざまな破綻を目前にしながら、漫然と現実から逃避している現代人の危機感のなさが浮き彫りとなる結末。これまでの本谷作品は、妄執に憑かれた個人を鋭くつきつめる一方、描かれる世界が狭くナルシシズムに陥りやすい弱点もあった。しかし、『本当の旅』で描かれる3人組は、自己愛に満ちたイタい奴あるあるネタでも、上から目線で切り捨てられるポンチ絵でもなかった。蝦蟇の油のように、作者も観客も苦い脂汗を浮かべながらじっと見つめ続けざるを得ない「分身」なのだ。
     そして舞台が終わって外に出れば、ロビーでは役者たちが劇中に登場したカツサンドやTシャツなどを売っているという芝居の延長のような空間が広がっていたので苦笑してしまう。なんと本谷有希子自らもカツサンドの売り子をニコニコと演じていたのだが、もちろん観劇後のヘビーな気分で食べる気にはなれない。売上が心配だ。

    『本当の旅』は小品ながら本谷有希子の復活を高らかに宣言するような舞台だった。テーマの凝縮力、舞台空間の構築力、ともにさらに研ぎ澄まされ、本谷らしい野心も強く感じられた。
    「劇団、本谷有希子」の第2の黄金時代を期待したい。


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