キネ旬の「映画監督、キム・ギドクの死に寄せて」を読んで
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キネ旬の「映画監督、キム・ギドクの死に寄せて」を読んで

2021-01-24 23:40


    個人的にもっとも好きなギドク作品『サマリア』(2004)

     1月20日の夜、アメリカのバイデン新大統領就任式を眺めながら、「キネマ旬報」2月上旬号を開いたら、追悼特集が3本も載っている。ひとつは岡田裕介東映社長、もうひとつは東宝出身の小谷承靖監督、そして最後に韓国のキム・ギドク監督だったのだが、キム・ギドクだけ「追悼」の二文字はなく、「映画監督、キム・ギドクの死に寄せて」という特集名になっている。
     2017年から2018年にかけて、複数のパワハラ・性暴力問題で告発され、国際映画祭の常連である鬼才監督から凶悪な鬼そのものへと評価が転落してしまったキム・ギドク。その存在を「なかったこと」とはせずに、あえて特集を組んだキネ旬紙面には、彼の顔写真すら載っていない。ギドクと個人的に交流が深かった杉野希妃のインタヴューと、成川彩の韓国映画界レポート、四方田犬彦の作家論が配置されている。
     記事の中では、杉野がキム・ギドクを「常に自問していた人間」と回想するのが印象深い。

     キム・ギドクの作品は一時期、熱心に追いかけていたことがある。その後も日本未公開作の『Amen』(2011)以外はいちおうすべて観ていたのだが、近作は密度の低下が著しく、例の報道を知ったことも影響して、去年3月公開の『人間の時間』(2018)はパスしてしまった。
     ヤクザ、娼婦、泥棒、浮浪者、脱北者、死刑囚など韓国社会の底辺層に目を向け、暴力とセックスにあふれた物語を露悪的に、かつ色彩豊かに描き出すキム・ギドクの作風は、「痛み」を媒介とした社会とのコミュニケーションだとか、被虐者にこそ福音が訪れるというキリスト教感覚だとかいろいろ解釈する人がいたが、私から見ると往年のATG映画や『ガロ』掲載の漫画に通じるアングラ・カルチャーの更新版であり、根本敬や蛭子能収、山野一、ねこじる、山田花子らの漫画の同類として楽しんでいた。90年代悪趣味ブームの延長というべきか。
     ギドク作品には意外に女性ファンが多かったのだが、現実の残酷さをあえて誇張した作品に触れることで、逆に癒しの効果を得るという感覚は、今でも多くの人が持っているはずだと思う。
     しかし、キム・ギドク自身はサブカルチャーの教養などぜんぜんなく、むしろエゴン・シーレを敬愛する古典的な芸術家意識に固まった人だったらしい。むしろシーレのようにありたい、という願望ゆえに数々の暴虐に及んだのではないかとさえ思う。なにしろ韓国と北朝鮮の境界あたりのど田舎出身、工員から海兵隊に入って5年も鍛えられ、突然画家を志して30歳でパリへ行くまで、映画を観たことがなかったという。そんな彼が吐き出すように量産した作品には、確かに野人めいた荒々しさがみなぎっており、同じく露悪的な作風で知られるラース・フォン・トリアーやミヒャエル・ハネケらの作品に比べても、キム・ギドクはもっとも「上出来」から遠く、「天然」の香りが濃厚だったし、後続世代のポン・ジュノやパク・チャヌクといった教養豊かな映画人がハリウッドに進出しても、キム・ギドクは絶対そうはならないしなれないだろう、という妙な信頼感(?)があった。

     一方、キム・ギドクは早くに燃えつきてしまった作家でもあった。作品歴を振り返ればそのピークが『宛先人不明』(2001)と『悪い男』(2001)なのはあきらかだ。最も完成度の高い『春夏秋冬そして春』(2003)を最後に、その作品世界はより抽象化し図式的なものになり、じょじょに痩せていった(その辺りは日本の北野武にも通じる)。
     最後の佳作は『弓』(2005)だと思うが、以後の作品からは衝撃力のあるモチーフを無理矢理つむぎ出そうと苦心している様子がうかがえた。とりわけくだらなかったのは『アリラン』(2011)で、「撮影で女優に重傷を負わせたショックで山に籠もったキム・ギドクが、自問自答の様子をデジカメで撮り続ける」という体裁のこの作品、はっきり言って自己憐憫のたれ流しにしか見えなかったが、これでカンヌ映画祭「ある視点」部門最高賞の評価が得られるというのは、かつての自意識こじらせ系サブカル愛好者から見ても退嬰的な現象に思えたものだ。「これじゃギドクは“次”へは行けないな」と直感した。だいたい書けない作家の泣き言など文学の世界にいくらでもあったではないか。

     そして伝えられたパワハラ・性暴力問題。これがキム・ギドクの過去作品の評価にどう響くかは、観る側が映画のどこに評価軸を置くかによるだろう。ヒッチコックがティッピ・ヘドレンにセクハラをしていたから『鳥』はもう評価できない、と考える人もいるだろうし、撮影用に本物の猫を殺した『幕末太陽伝』は今や無価値だ、と考える人がいてもいい。ただし、映画やテレビ、舞台の現場というのは、大昔から現在に至るまでさまざまな暴力に満ちた野蛮な世界なので、後になってあきらかになった事実をもとに歴史的評価や個人の印象に修正を加えようとするのは無理がある。むしろそうした事実を周知することで、「これだけの人間の奉仕や常識外れの行為が行われたがゆえに芸術が完成したのだ」などと美談化する風潮を戒め、より平和で安全な制作環境を整えていく方が建設的だと思っている。そうでなくてはまたおかしな芸術家幻想に固まったギドクのような男が出現しかねない。

     さて、キネ旬の特集では、四方田犬彦の論考にキム・ギドクが最晩年に書いたメールが紹介されていた(翻訳が硬くて少しわかりにくいが)。裁判で敗訴してなお被害者への謝罪ひとつなく、ラトビアへ逃亡して映画製作を続けようとしていたギドクが何を語ったのかと思えば、そこに反省の弁はいっさいなく、韓国から遠く離れた地に漂流する自分を見据える達観した内容だった。四方田は「キム・ギドクは苦い記憶しか残っていない韓国と韓国人にもはや何も期待しなくなっていた」と、その絶望の深さを指摘するが、ちょっと違うのではないか。
     私にはむしろ、「追放者」という境遇を得たことで、新たな芸術創造への期待を込めた不気味なメッセージにしか読めなかった。ある意味では芸術家の“業”なのかもしれない。しかし、キム・ギドクが飽くことなくくり返してきた「自問自答」とは常に他者が存在しない自己本位なもので、作品で描き続けてきた「痛み」も、独善的な自傷行為に過ぎなかったとすれば、作家としてたちまち行きづまったのも納得である。

     キム・ギドク、2020年12月11日、新型コロナウイルス感染症によりラトビアにて客死。享年59。彼が愛したエゴン・シーレもまた、スペイン風邪にかかって28歳で急逝したのだった。


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