• タブーに関する四方山話

    2017-01-01 08:44



    今回の記事で伝えておきたい事はただ一つ。







    ツールはゲームのルールを台無しにする







    以上を書ききった事により、今回の記事の目的は見事達成された。
    もうこれでこの記事を終わりにしても構いませんかね?
    しかし不幸な事に、ここのブロマガの管理人はまだまだ書く気満々らしい。






    コメ職人のタブー



    コメ職人の世界では、口にしただけで炎上不可避なタブーがいくつかある。
    「ツール」「コピペ」「職人」「コメント『アート』」等々。


    コメントアートwikiでも、
    データの羅列をすればいい箇所と違って、
    コピペについて言及する箇所では、慎重に言葉を選んで書いた形跡が見える。
    執筆者の苦労は並々ならぬ物があった事は想像に難くない。


    上の方で炎上不可避と書いたものの、
    今現在のコメントアートの世界に、
    炎上するだけの燃料は残っていない。
    今現在のCAの世界はどうなっているのかというと、識者の見解に曰く、


    「焦土と化した」


    との事なので、最早ペンペン草も生えやしない。
    風前の灯で山火事は起きない。


    つまり、


    この手のテーマを扱うなら今がチャンスだ!
    ――――というセコイ算盤弾きは別にしても、
    コメントに携わる人間なら、
    この手のタブーについて各々でしっかり考えておいた方がいい。
    結局の所「皆どうすべきなのか?」ではなく「自分はどうありたいのか?」という、
    個人に返って来る問題だからだ。
    勿論、それをわざわざ表明して無用な争いに巻き込まれる必要は無いけれど。



    これらのタブー群についていざ書こうとすると、かなり難しい。
    何で難しいのかというと、これらは複雑に絡み合っているので、
    個別に一つ一つ書いていこうとすると、
    どうしても説明し切れない箇所ばかりになる。
    どうすりゃいいんだ、どうすりゃいいんだと頭を抱えていた所に、
    先日解決の糸口となる記事が投稿された。




    CAとツールについて
    http://ch.nicovideo.jp/883797/blomaga/ar750185




    よし、これだっ!!(どれだ!?)
    上記の記事を土台に書いていけば、
    「ツール」「コピペ」「職人」の3つをまとめて書ける気がする。
    (気がするだけだ。書けるとは言っていない)
    上の記事内に書かれている重要な文章。


    「厳正な競争をする上で、ルールの策定とそれを全員に遵守させることの必要性があった」


    この事は曖昧には自覚していたが、
    ハッキリと言語化された文章を読む事によって、
    ようやく色々な事が見えてきた。


    コメ職人ってのは、とあるゲームに熱中している集団の総称だ。
    そしてツールと言うのはそのゲームのルールを台無しにする。
    それについてあれやこれやと書いていきましょう。






    ツールの前提



    ツールの話題を出すと炎上するくらい嫌悪の対象となっているが、
    ならばコメ職人は一切のツールを使用していなのかというと、
    そんな事は全然無い。


    己の肉体のみで戦う格闘家みたいに、
    2本の腕のみで作品を作り上げるコメ職人はまずいない。
    いたとしたら、あまり世に出る事無く終わっている事であろう。
    一つの作品を作るのにどれだけの時間がかかるというのか。


    本当に何も知らず衝動だけで始めた場合は、
    2本の腕だけで作り上げる事になりますがね。
    歌詞職人のデビュー当初に結構あるケースなのだが、
    その場で作ってその場で投下するという荒業がある。
    通常のコメントと同じ要領で歌詞を投下していくのだ。


    コメ職人の入口は大きく分けて2つあると思う。
    コメントの延長で始めるか、CAという別枠の存在を知って始めるか。
    コメントの延長で始めた場合通常のコメントと同じ要領でやるから、
    事前にメモ帳に作品を用意して投下するという発想が無い。


    「こちとら5時間とか6時間かかって作るのに、
     なんであの職人は30分とかでパパッと作り上げられるんだ!」


    と思っていたのだが、どうやらメモ帳に事前に用意しているらしい。
    これを初めて聞いた時はかなり衝撃的でしたね。
    凄ぇ! 天才だ! エポックメイキングだ! あなたが神か!
    それを知って以来メモ帳という「ツール」を使う様にした。
    このツールを利用してからというもの、
    2本の腕だけで頑張っていた頃とは作業効率は段違いだ。



    メモ帳以外にも制作を格段に効率化させるツールとしては、投コメがある。
    投コメが使えるか使えないかで、出来る事が段違いだ。
    「投コメはツールなのか?」聞かれれば、ツールだと答える様にしています。
    個人的には、自分の2本の腕以外に依存するものはツールと見なしている。


    ツールに対する批判で良く挙げられるのが、
    「ツールが使用不可になったら、あんた自分では何も作れないじゃないか」
    という批判があるが、これってそのまま投コメについても同じ事が言える。
    新プレになると毎度毎度ほったらかしにされて使えなくなる投コメだが、
    投コメが使えなくなった途端に何もできなくなる人間と、
    ツールが使えなくなった途端に何も出来なくなる人間にどれ程の違いがあるというのか?
    なので投コメもツールの一種としてみなしている。
    新プレ対応CAを通常コメだけで作り上げる執念の持ち主は、
    それだけで尊敬の対象になる希少種だ。



    制作環境は人それぞれであるが、
    大体皆「メモ帳」や「投コメ」と言ったツールを使っていると思う。
    「EmEditor」や「excel」と言った多少の違いはあるだろうけど。
    後は他に、個人的に使っているツールは電卓や三角定規だ。
    コメ職人というのは、コメのサイズや位置をしっかり把握していて、
    思い通りにコメントを配置出来ると思ったら大間違いで、
    実際にはかなりドロ臭い修正作業をしている。
    ちゃんとコメが一直線に並んでいるかどうか確かめる為に、
    パソコンのモニタに三角定規あてて測っている姿は、
    あまり人に見られたいものではないですね閑話休題。



    「ツールを使っている人間なんぞ死んでしまえ!」
    というCAタカ派の人間ですら、これらのツールは使っているだろう。


    しかしだ。


    コメ職人に「使ってるツール教えてー」って聞いたとしても、
    「ツールなんて使ってねーよ」って答える人が大半だろう。
    これは別に、支離滅裂な事言っているとか、
    素敵なツールを自分だけで独占したいとか言う事を意味してない。
    そういう質問をする人と、コメ職人として活動している人間の、
    ツールの捉え方が全然違うだけの話だ。


    使っているツールはメモ帳や投コメだなんて答えるのは、
    小学生のやりとりと変らんのですよ。
    「今何してんの?」「息吸ってんの」みたいな。
    当たり前すぎていちいちそんな事答えません。
    制作にメモ帳や投コメのツールを使うのは当たり前過ぎる。
    「CA作るにはパソコンが必要です」みたいな事まで答えてたら死ぬまで終わらん。



    あのTOKIOでさえ、畑を耕す時はクワというツールを使うし、
    木を切るときはノコギリというツールを使う。
    素手で畑を耕したり、素手で材木引きちぎってたら、
    出来る事なんてたかが知れている。
    人間ってのは、亀仙人の下で修行している悟空やクリリンじゃないんだ。



    ツールを使うのは当たり前。
    じゃあなんでツールが批判の対象になるのか?
    コメ職人が「ツール」と聞いた時に思い浮かべるのはどんな代物なのか?


    上記のブロマガ記事では、ツールを3種類に分類している。
    制作・補助・突破の3つのツールだ。
    それぞれが全く違う意味合いを持っている。
    流石は分類上手のまとめ上手。
    この分類法があまりにも便利なので、
    これを踏襲して色々書いていきます。







    突破ツールの問題点



    3つのツールの内の一つ目が、制作ツールです。
    メモ帳や投コメ等がこれにあたる。
    上の方で散々書いてきた様に、
    制作ツールを使うのは当たり前過ぎる程当たり前なので、
    何の問題もありません。
    これらのツールを使うなと言われたら、
    本当に2本の腕だけで頑張っていた原始時代に逆戻りだ。
    確かに初期の頃はそんなツール無くても作ってたけど、
    複雑な物は実質不可能になりますね。



    次はコメント投稿の補助ツール。
    これが有りか無しかのアンケートを取ったとしたら、結構分かれると思う。
    アンケ取った事ないから解らんけど。


    ちょっと予想してみよう。
    新プレでは改行のコマンドが消えて、
    改行したコメントその物を入力する仕様に変更された。
    この仕様変更に対して、
    「やったぁ、やり易くなった」と思う人は補助ツール有り派だろうし、
    「コメントの面白さが一つ減った!」と思う人は補助ツール無し派だろう。
    多分ね。


    補助ツールを使うか使わないかに関しては、チートではなく縛りプレイの問題だ。
    ゲームは快適にサクサククリアする事だけが面白い、って人ばかりではないのです。
    世の中にはあえて厳しい条件でクリアする事に面白さを感じる人がいる。
    縛りプレイでないと満足できない変態がいるのです。
    補助ツールに関しては、使いたい人は使えばいいし、
    あえて縛りプレイで行きたいなら使わなければいいという、
    個人の趣味嗜好の問題ですね。
    「楽しみたいから使う」「楽しみたいから使わない」はどっちも成り立つ意見だ。
    このツールを使う事はゲームの面白さを損なわないから、問題視される事はない。



    では問題視されるツールは何かというと、
    それが3番目の突破ツールである。
    どんなツールがあるのかというと、使った事がないからよく解らん。


    使った事は無いのだが、2010年とか11年頃あたりに、
    石を投げれば当たると言わんばかりの勢いで、
    ツールによるCAが跳梁跋扈していた時代があったので良く見かけた。
    どんなツールなのか解らないのに、
    何でツールで作ったと解るんだと言われたら、
    そりゃぁ見れば解るとしか言い様がない。
    凄い不自然で違和感アリアリのコメントなのだから。


    別にこれは特殊な能力でもなんでもなく、コメ職人なら誰でも解る事。
    日本人なら相手の日本語を聞けば、ネイティブの日本人なのか、
    日本語がペラペラの外国人なのか一発で解るみたいな物です。
    何で解るのかと聞かれても「いや、なんか違うから」としか答えようが無い。
    もっといっちゃった人達の目にかかれば、
    alpha値の違い「だけ」でも投コメか通常コメかの見分けもつくんだろうな。



    突破ツールというのはどういう代物なのかというと、
    その名の通り文字の限界数を突破して1024文字のコメントが出来るツールだ。
    これを問題視する時に良く言われる事が、
    ツールで過度の負荷を掛けて、利用規約に違反しているという物だ。


    しかし個人的には「それってそんなに悪い事なの?」という思いがある。
    投コメ使えば1024文字まで自由に使えるし、実際自分は使いまくっていた。
    負荷を掛けまくる動画を作っておきながら、
    軽減化するどころか「頑張れあなたのCPU」と応援するだけの人間だったし。
    サーバーの負荷に関してだが、今現在そんな事は気にしなくてもいいと思うんですよ。
    毎度毎度運営には余計な事すんなと文句を言っているが、
    プレイヤーの情報処理能力だけは信頼している。
    (zero watchでその信頼も一旦ゼロに落ちたが)
    新プレイヤーになる度に、かつては激重だった動画も普通に見れる様になっている。


    現行のニコニコプレイヤーに対して、
    どれくらいのコメントを、どれくらいの間隔で、どれ位の量を投下すると、
    これぐらいの負荷がかかって、この様な影響が出る、
    という検証結果をしっかり出していないのであれば、
    赤の他人に禁止を強制する論拠としては弱すぎる。


    そもそも、利用規約に違反しているからって、
    CA過激派の様にツール利用者を叩き潰そうという発想が自分には無い。
    俺は正義の味方でもなければ法の番人でもないのです。
    利用規約云々にしても著作権違反動画をうpしたりしている様な、
    叩けば埃が出てくる身の上だ。
    今まで罪を犯した事のない者だけ、彼に石を投げなさい、である。


    殆どのコメ職人が持っているであろう自分専用のコマンドテスト。
    「CAの作り方教えて」って聞かれた時に、
    本番動画をダウンロードしてアップし、
    それを非公開コマテにする方法を教える人は多いだろうが、
    ダウンロード違法化が施行された現在においては、
    そのやり方を教える事は犯罪の幇助になる可能性がある。
    ニコニコがダウンロードフリーなクリーンな動画で溢れかえっているとでも?


    利用規約や法律という正義の鉄拳を喜々として振り回している人間は、
    コマテ動画をダウンロードしている人間にも鉄拳を振り回して、
    自分達の首を絞めねばならないはずである。
    そりゃぁ悪手だろ。


    しかし実際には、そんな自分の首を絞める自殺願望の変態はまずいない。
    なので利用規約云々は、言語化されていない思いを伝える為に仕方なく言った、
    単なる方便みたいなものなのだろう。
    (方便ではなく本心で正義の味方だと思い込んでいるのであれば、
     とてもではないが分かり合える気がしないし、関わりたくない人種だ)


    じゃあ、突破ツールは利用規約以外で何が問題なのかというと、
    その手のツールには大体ワンクリックで投下出来るコピペCAがセットで付いてくる。
    コピペ元の製作者お構い無しで、誰でもお手軽にコピペCAが投下できる。
    この機能さえ付いてなければ、そこまで問題視される事は無かったと思う。


    文字数突破にしてもだ。
    実際に作ってみれば解りますが、
    75文字の文字制限がきつ過ぎるから文字数を突破したい!
    という状況に追い込まれる機会はそんなに無いです。
    少々不便を強いられ総コメ数が増えるくらいで、
    なんやかんやで75文字以内に納まります。
    突破ツールはサーバーに直接コメントを云々という説明をされているが、
    もし突破ツールを使っていても75文字以内に収まっていれば、
    ツールを使っているのかどうかは、見ても気付けないし気付かない。
    そういう使い方をしているのであれば、
    ツールの存在すら気付かず誰も問題視しなかったであろう。
    しかし、実際には75文字以上を必要とするコピペCAを投下しまくって、
    バレバレになっている模様。
    あるいは突破してなくても、有名所のCAをコピペしてやはりバレバレの模様。



    ツールがタブー扱いになる程問題視されたり、
    「職人用のツールを教えて」って質問がすれ違う理由はここにある。
    この手の質問をする人が知りたがっている事は、
    ワンクリックでコピペ投下して、
    職人スゲェーって言われるツールのURL教えてって意味ですから。
    ツールの問題というのは色々ありますが、
    コピペの問題とも密接に絡みついた問題なのです。
    コピペCAをお手軽に投下できるツールの存在は、
    ゲームのルールを台無しにしてしまう。
    ならばそのゲームってのは、どんなゲームなのかというのが次の話。






    コメ職人は評価を勝ち取るゲームの世界に生きている



    昔書いた記事とは別の視点から、コメ職人という存在を見てみましょう。
    コメ職人とはどういう存在なのかというと、
    とあるゲームに参加しているプレイヤーの総称です。
    そのゲームというのは、コメントで評価を勝ち取るゲームの事だ。


    評価というのが何を意味するのかは人それぞれ。
    どれだけ多くの「wwwwww」を貰えるかだったり、
    「職人すげぇ!!」というコメントを貰えるかだったり、
    どれだけニコられるかだったり、
    うp主に「凄い職人さんが来た! ありがとう」と言われるかだったり、
    もしくは同業のコメ職人やライバルに「す・・・凄ぇ・・・」と言わせるかだったり。
    どんな評価を求めて活動しているのかは、
    話す機会があれば各々のコメ職人に聞いてみたい話題ですね。


    「けっ! 俺は誰かに評価されたくてやってんじゃないんだよ!」
    というてやんでぇな人間や修行僧みたいな職人はまずいない。
    いや、居るのかもしれんがそんな人とはそもそも出会う機会が無い。
    自分の為だけにやってて他人に評価されるつもりが微塵も無いとしたら、
    その人は誰にも見られる事のない非公開コマテ内で、
    作品を完結させて終わっているはずだから、出会う事は不可能である。
    ここで取り上げているのはコマテに引き篭もらず、
    ちゃんと世に出ているコメ職人を想定して話をしています。


    この評価を勝ち取るゲームというのは、
    別にコメ職人の世界だけに起きている事ではなく、
    最低限の衣食住を確保できている豊かな社会では、当然起こりうる変化です。
    今のインターネットの世界では、無料でコンテンツを提供する人で溢れている。
    そもそものニコニコ動画自体が、
    そういう無料でコンテンツを提供するうp主達で成り立っていた。


    生きていけるだけの金があり、生存の不安から開放された豊かな社会においては、
    もう人生の目的は楽しむことしかない。
    そしてこの評価を獲得するゲームというのは、
    お金を稼ぐゲームよりもずっとずっと魅力的で楽しいものなのだ。
    何故なら評価はお金と違って、経済学で言う所の限界効用逓減の法則が当てはまらない。



    これはどういう事かというと、例えば一万円貰う事は嬉しいか否か?
    無一文の人が一万円を貰うのは凄く嬉しい事だけど、
    10億円持っている人が一万円貰っても多分何も感じない事であろう。
    持っているお金が増えれば増える程、一万円の喜びは減っていく。
    これを、限界効用が逓減するといいます。
    ビールが本当に美味しく感じられるのは、カラカラに渇いた喉越しの一杯だけなんです。


    それに対して評価は麻薬と同じで、一旦手にしたらもっともっと欲しくなる。
    それにお金と違って、タンスに貯金して保存しておく事もできない。
    評価は時間と共に失われていくので、お金よりもずっと貴重な資源なのだ。


    誰にも邪魔されず制作に没頭する楽しさと、
    制作物を世に送り出して評価を受ける楽しさは別次元の物です。
    どっちの方が面白いかの比率は人によって違うでしょうが、
    前提として制作を楽しめないのであれば、評価を受ける段階までいかない。
    制作ってのは華やかさとは無縁の地味な世界だ。
    友達100人いても制作する時は独り。
    この期間を楽しめない人間では、作品を完成させる事は出来ない。


    そしていざ作り終えた後には、評価を受ける事を楽しめないのであれば、
    とてもじゃないが怖くて動画に投下するなんて事は出来ませんよ。
    初めて投下する時などは、視聴者からどんなリアクションが来るかも解らないから、
    心臓をバクバクさせながら震える手で投下したものです。
    あえて難しい事に挑戦して投下ミスによる醜態を晒した日には、
    枕に顔を埋めて悶絶する日々が続く。
    その時ほど消しゴム機能が欲しいと切実に思う日々は無い。
    作ったはいい物の、実際に投下する事なく埋もれていく非公開コマテが増えるばかり。


    制作と言うのは、ソロプレイヤーによる自分だけのクローズドなゲームです。
    それに対して評価を受ける事は、誰もが参加可能なオープンなゲームだ。
    そして自分以外の人間が参加するオープンなゲームを成り立たせるには、
    厳格なルールが必要不可欠。
    サッカーってのは、キーパー以外誰も手を使えないからサッカーなのだ。
    手を自由に使って良いとなったら、ラグビーみたいなゲームになってしまう。
    ラグビーはラグビーで面白いのだろうが、それはサッカーの面白さとは違う。
    サッカーを成り立たせるには、手を使わないというルールを遵守せねばならない。
    最初の方で引用したブロマガ記事の言葉を、もう一回引用しておきましょう。


    「厳正な競争をする上で、ルールの策定とそれを全員に遵守させることの必要性があった」


    ここで言う厳正な競争というのは、
    今回の記事の文脈でいうと、評価を獲得するゲームの事だ。
    高評価を勝ち取る方法は、ポーカーやマージャンと同じです。
    揃えるのが難しい役ほど点数が高い。


    誰も真似できない様な複雑な技術だったり、
    誰も真似したくならない様な執念と時間の賜物だったり、
    誰も思い浮かばない様なぶっ飛んだネタだったり。
    どのような基準で評価するかは、審査員である見た人達によりますけどね。
    そこら辺は、フィギュアスケートと同じです。
    技術点を高く評価する人もいれば、芸術点を高く評価する人もいる。


    こういうゲームが成り立つのは、皆が厳格なルールを遵守しているから。
    地上最強の空手家を決める大会に、
    一人だけマシンガン持ったやつが殴りこんできたらそいつの一人勝ちだよ。
    しかしそいつは地上最強の空手家としては認められない。


    コメ職人というのは違法ダウンロードしまくる様な人間なのだから、
    「ヒャッハー!」という世紀末的な無法者集団なのかというとそうではない。
    コメ職人は極めて厳格な独自の文化的禁忌(タブー)に従っている。
    このタブーを侵した人間はもうコメ職人とは認められない。
    マシンガンで空手家ブッ倒した人間が空手家とは認められないように。


    そしてその絶対に侵してはならないタブーというのは何かというと、
    それは作品に対する「所有権」です。
    ルールなんぞクソ喰らえと叫ぶ反社会的な人間だったとしても、
    その人がコメ職人である限りこのタブーは絶対に侵さない。
    逆にいうと、これを破った時点でその人はもうコメ職人としては認められず、
    迫害対象になります。
    もしこれを破ってしまったなら、
    評価を獲得するオープンなゲームが成り立たなくなる事を皆知っているからだ。






    コメ職人は所有権を大事にする




    所有権とは何ぞやという話は、参考になる本があるのでそれを土台に書いていきましょう。
    抽象的な法律用語云々ではなく、実体験から誰にでも納得がいく話だ。
    イギリスの啓蒙思想家であるジョン・ロックは、
    その著書「市民政府論」の第5章において所有権について述べた。
    そしてその所有権の概念がそのままコメ職人の世界に当てはまるのだ。


    所有権は何によって発生するのかというと、
    ひとえにその人の労働によって発生する。
    例えば川を流れている水は誰のものでもない。
    しかしその川の水をバケツで掬うという労働をした場合、
    そのバケツの中の水はその労働をした人の物だ。
    その水を他人が勝手に奪ったり使ったりする事は許されない。
    野の兎は誰のものでもないが、狩でしとめたならその兎はしとめた人間の物だ。



    そしてこの労働によって価値と言うものが発生する。
    同じ1ヘクタールの土地であっても、
    豊かに実った1ヘクタールの畑と、何の資源も無い荒れ果てた1ヘクタールの大地では、
    どちらの方に価値があるかは一目瞭然だ。
    この価値は畑を耕した人の労働によって生み出された。
    その価値ある畑の所有権は、その畑を耕した人の物だ。



    他人のCAをコピペするのがどういう事を意味しているのかというと、
    他人が一所懸命に耕した畑にズカズカ乗り込み、勝手に柵と看板を立て、
    「ここは俺の土地だ!!」と宣言する行為に等しい。
    何の労働もせずに、成果だけを奪っていくダタ乗り人間な訳です。
    コピペブログが批判される理由と根は同じです。


    如何なる組織であれコミュニティであれ、
    タダ乗りの人間が一定数以上を超えるとそのコミュニティは維持できなくなって崩壊する。
    この事は人間、というか群れをなす生物なら本能で解っている事なので、
    どんなコミュニティでもタダ乗り人間は嫌われて群れから迫害されます。
    自分では何も生み出さないのに成果だけかっさらっていくコピペ人間で埋め尽くされたら、
    今まで自力で作ってきた人間の創作意欲も無くなっていくだろう。
    悪貨は良貨を駆逐するのだ。
    そうなったらゲームの維持は不可能になって崩壊する。



    豊かな畑の成果はその畑を耕した人の物だし、
    CAの評価はそのCAを作った人の物だ。
    何も生み出そうとせずコピペで「職人スゲー」という評価だけ奪っていく人間は、
    オープンなゲームに参加する資格なし。
    コメ職人は誰が作ったのかという、作品の所有権をとても大事にするのだ。



    ID非184の文化も所有権から生じたものだと考えている。
    コメ職人の世界では、生IDでのコメント投下率が極めて高い。
    コメントアートwikiには多くの職人がIDを晒して投下する理由の一つとして、


    『誰が投稿したのか、という 「責任」 の所在を明確化させる』


    と書かれてある。
    この「責任」というのは、批判やクレームに対する責任だけでなく、
    賞賛等の評価も全部自分で負うという事を意味している。
    184コメで投下してたら、自分が作った物だと主張しても証明できない。



    個人的にちょっと痛かった経験を話そう。
    昔とある動画に歌詞を投下したら、何の手違いか184コメになっていた。
    そしてその歌詞が流れきった頃に、アレンジを加えた歌詞を投下したのだが、
    その動画に良く通っているであろう視聴者から
    「なんだよ。前に来た職人のパクリじゃねぇか」
    というとても不名誉な評価を頂いた。


    違うんだ! パクリじゃない! それは俺が作った物なんだ!
    もう魔女の宅急便のラストにでてくる
    「あのデッキブラシはワシが貸したんじゃぞ!」と叫ぶおじさんみたいに、
    あれはワシの作品じゃぞと必死に叫びたい気持ちに襲われたが、
    どんなに叫んでも証明することは出来ませんね。時既に時間切れ。
    所有権を明確に主張するには、184を外して生IDにするぐらいしかない。
    絵師が自分のイラストにサインやツイッターIDを書き込むのと同じですね。






    ツールやコピペの根本的な問題点



    コピペに端を発する問題は書こうと思えばいくらでも書けるが、
    そこら辺はもっと事情に詳しい人が書いてくれる事を期待しよう(チラッ
    今回の記事では範囲を絞って書いています。
    コメ職人というのは、評価を獲得するゲームの世界に生きている。
    そして、お手軽にコピペできるツールはゲームのルールを台無しにしてしまうのだ。
    所有権を侵して成果だけをかっさらっていく行為は、オープンな世界では許されない。



    逆に言うとだ。



    このゲームのルールを台無しにしないのであれば、
    コピペだろうがツールだろうが特になんの問題も無いわけです。
    「コピペすんな!」とか言われたら、
    事情に詳しくない新人は萎縮して何もできなくなってしまうかもしれないが、
    コピペすんなって言っている人間でも、
    コピペはやってやってやりまくっているぞ。
    他人のCA構造を勉強する時はコピペするのが一番手っ取り早いし、
    初心者の頃は上手い人の真似をしまくるのが上達への近道だ。


    問題になるのは、所有権をガン無視で評価をかっさらっていく行為だ。
    あるいは、動画の文脈ガン無視でコピペCAを投下して
    「なんだこのウゼェ職人は」みたいな悪評を元の製作者にもたらす行為。
    なので非公開コマテみたいなクローズドな世界でコピペしまくる事は何の問題もない。
    オープンな世界でやるにしても、パクった作品を「これは俺が作ったんだ」と振舞って、
    評価を強奪したり悪評を撒き散らす行為をしないのであれば、
    問題になる事は(そんなに)無い。
    実際コメ動画で良くある事だが、他人のCAを借りた場合は、
    「CAをお借りしました」ときっちり表記して、評価を元の製作者に譲渡する形をとる。
    コピペではなく、参考にした職人のマイメモリーを公開するのも同じ理由。


    根っこの部分はともかく、枝葉の部分ではコピペに関する考えは人それぞれだ。
    俺以外が俺の作品を投下すんな! って人もいれば、
    完全にコペピできるんだったら好きなだけコピペしてもいいよって人もいる。
    そういった細々した個人的な事を書くのは大変なのでカット。



    ツールついてもいくつか書いておきたい事がある。
    地上最強のウサギを決める大会にライオンを出場させたら
    「反則だろコラァ」って事態になるが、
    そこまで根本的にルールを変えてしまう強力なツールは、
    幸か不幸か今の所(おそらくだが)無い。
    素晴らしいツールを使えば素晴らしいCAを作れるって単純な世界ではないのです。


    確かに包丁がなかったら料理人にはなれないが、
    包丁があれば誰でも料理人になれる訳ではない。
    結局の所CAの面白さや素晴らしさを決めるのは、
    アイディアや知識や経験やセンス等、ツールでは代替不可能な部分に多くを依存している。
    ツールが肩代わりしてくれるのは投下技術くらいなものだ。



    ちょっとしたたとえ話をしよう。仮にだ。


    もしも今までの職人の努力が塵と化す程、
    誰でもお手軽に素晴らしいCAを「自作」できるツールが出来たとしよう。
    その場合ゲームのルールを台無しにされる前に、
    そのツールを潰そうという動きがでるだろうが、全く別の解決法もあります。


    潰すんじゃない。
    逆に考えるんだ。いっその事もっともっと配布してしまえ、って考えるんだ。
    もうウィンドウズに標準搭載されているメモ帳みたいに、
    誰もが知っていて誰もが使えるってくらいになるまで、
    そのツールを配布して配布して配布しまくる。
    もうそのツールを使わない人間は、
    縛りプレイでないと満足できない変態扱いされるくらいに配布する。


    するとどういう事が起きるのかというと、
    その場合作品を見た人の評価が「職人スゲー」ではなく、
    「ツールスゲー!」「ツールを使うとここまで出来るのか!」という評価に変化する。
    ツールを使ってCA作る人間と、
    あえて使わない古風な職人でそれぞれ別の評価基準が採用され、
    平和な住み分けが行われる事になるだろう。


    ツールの問題点の一つは、ごく一部の人間だけが恩恵を授かる事から生じる。
    それでは公平で厳格な競争が成り立たない。
    大長編ドラえもんの「のび太の魔界大冒険」を読むと、ちょっと考えさせられる。
    のび太は「魔法が使えたらいいのに」と思ってもしもボックスで魔法の世界を作る。
    しかし魔法の素晴らしさというのは、自分一人だけが魔法を使える優位性から生じる。
    いざ魔法の世界にいってみたら、誰も彼もが魔法を使えるもんだから、
    結局のび太は元の世界でも魔法の世界でも落ちこぼれのままであった。
    ツールを使える人をゼロに出来ないのであれば、使える極一部の人だけが有利になる。
    しかし誰も彼もがツールという魔法を使える世界ならば、平等で厳格な競争が始まるだけだ。
    だから逆に考えるんだ。ツールはいっその事もっと配布してしまえ、と。



    さてさてさて。
    このたとえ話で一体何を言いたかったのか。
    これは絵空事ではなく、かつてのニコニコで実際に起こった話なのです。
    「投コメ」というツールが実装された当初に生じていた問題だ。



    実装された当初の投コメは、使うのも見るのもプレミアム限定の超マイナー機能。
    一般開放された後も「投コメって何?」というくらい、知っている人が殆どいない。
    投コメを使えば制作が格段に楽になるし、通常コメでは出来ない表現方法も可能。
    1024文字入力できたり、表示される秒数を指定できたり、
    2008年のエイプリルフール企画で生まれた@逆機能が実装されたり、
    ニワン語による文字や図形の描写が実装されたり。
    そしてこれらの便利機能を知っている人も殆どいないから、
    これらの機能が高等テクニックみたいな物だと勘違いされまくるのだ。
    「この職人スゲェェェ!!」「こんな凄い職人初めて見た!!」と。


    オイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイ。
    そんなの投コメで作品公開している人にしかできねぇよ!
    通常コメと投コメではゲームのルールが根本的に違うんだ。
    ゲームのルールが違うのに、競争相手に設定させられても困る。
    どんだけのハンディマッチやねん。素手でマシンガン相手に戦うより分が悪い。
    通常コメでしか作品を公開しないコメ職人だった場合、
    「これで職人? ○○の動画で見た職人の方がもっと凄かったよ」
    と言われて、その○○の動画を見に行ったら投コメ動画だった時、
    握り締めているマウスを壁ドンしたくなるくらいの怒りに襲われる事だろう。


    しかし、投コメの知名度が上がった現在においては、
    このような領土侵犯によるトラブルは殆ど発生しないはず。
    「職人スゲー!」「こんな凄い職人初めて見た!」
    ではなく、
    「投コメスゲー!」「投コメを使うとここまでの表現が可能なのか!」
    に評価が変っているのですから。


    投コメは、ニコニコユーザーで動画をうpしている人なら誰にでも配布されるツールだ。
    それ故使うのは自由だし、あえて使わない縛りプレイも自由。
    通常コメの面白さと投コメの面白さはまた別次元。
    だから、通常コメでしか投下しない人、投コメしか使わない人、
    両方を使う人等のテリトリーが出来て綺麗な住み分けが行われている。
    「通常コメだけでもここまでの表現が出来るとは!」みたいな、
    縛りプレイとしての面白さも新しく誕生している。
    住み分けが綺麗に行われた事により、
    「こんなの、投コメを使えば誰でも簡単に作れるじゃないか」
    という投コメに対する領土侵犯も無くなってきた。
    確かにツールが無かったら作る事は出来ないけれど、
    ツールがあれば誰でも簡単に作れる訳ではないという事は、
    そのツールを使って使って使いまくっている人なら誰でも解る事。


    本当に便利なツールがあるなら、
    配布しまくった方が綺麗な住み分けが行われるという参考事例です。
    他のツールにそのまま適用できる物なのかは解らないので、
    あくまでも参考でしかないですが。





    さてと。


    「ツール」「コピペ」「職人」というキーワードをごちゃ混ぜにして、
    まとめて書くとこんな感じになるという記事でした。
    コメ職人ってのは、コメントで評価を獲得するゲームに参加しているプレイヤーの総称。
    そしてツールやコピペはそのゲームのルールを台無しにする事がある。
    逆にいうと、ルールを変えずゲームの面白さを損なわないのであれば、
    ツールもコピペも問題ない。
    まとまった気は全くしないのだが、
    言葉足らずの所はまた別の機会にでも書くとして今回はここまで。





    それでは、次回の記事までごきげんよう。




    ※参考記事


    CAとツールについて
    http://ch.nicovideo.jp/883797/blomaga/ar750185



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  • コメント仕様変更とは何ぞや? ―より良い未来の為にコメ職人が出来ること―

    2016-10-23 07:32

    「われわれの文明では、短期的な利益が得られる方向へ物事が進み、そしてその進路が堅固にプログラムされてしまった。これが長期的に見て破局に向かう道であったことが、いまやっと見えてきている」



    グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学』




    突然だがここで問題だ。
    さぁ、みんなで、考えよう!



    問題


    あなたはとある豪華客船に乗りました。
    「絶対に沈まない船(フラグ)」と呼ばれたその船は見事沈没。
    しかも救命ボートは人数分は用意されておらず、全員を助ける事は出来ない。
    あなたはなんとかボートに乗り込む事ができました。
    人命最優先なので、当然乗り込む時に荷物は全部捨てられる。
    今回の旅の思い出がギッシリ詰まったカメラやお土産は全部海の底へ。
    大勢が乗り遅れたが、その人達が溺れないよう必死で救命ボートに掴みかかってくる。
    あなたはその人達を助ける為に救命ボートに乗せようとした所、
    ボートが傾いて沈没しそうになった。
    これ以上人を載せる事は、ボートに乗っている人達の命まで危険に晒す事になる。
    さあ、ここで問題だ。
    あなたは、自分の命と既に乗っている人達の命を危険に晒してでも、
    溺れている人達を一人でも多く救うべきか否か?



    これは何か正解がある問題ではない。
    そもそも正解が用意された問題なんてのは学校教育で終わりで、
    現実には正解なんて無いのに、それでもなお答える事を要求される問題ばかりだ。
    あなたがどんな解答をしたのか気になりますが、次に進みます。



    続いて、ちょっとここに別のシチュエーションを加えてみましょう。
    あなたが溺れている人を掴んで引っ張り上げようとした所、
    後ろの方から「そいつらを突き落とせ!」と怒号が挙がった。
    さて、あなたはこの命令に従うべきか否か?



    自らの手で突き落としたら、良心の呵責を背負いながら生きていく事になるだろう。
    まあこの場合、救うか見捨てるか以外にもまだ選択肢はある。
    それは自分が海に飛び込む事だ。
    そうすれば一人分のスペースが空くから、良心の呵責を背負う事無く一人を救える。
    それすら嫌なのであれば、もう一つの選択肢だってある。
    「そいつらを突き落とせ!」と命令した人間を海に放り投げる事だ。
    ボートの人命を救うためなら溺れている人間を見捨ててもいい、
    という考えの持ち主なのだから、もしボートに近寄ってきたら遠慮なく蹴飛ばせばいい。
    これで、あなたは良心の呵責を背負う事無く一人分の命を救う事ができる。



    この問題は、生物学者ギャレット・ハーディンが提唱した、
    「救命ボートの倫理」をちょいと改変したものです。
    人によって様々なアレンジがある倫理学定番の問題ですね。
    あなたがどんな解答をしたにせよ、
    とにかく答えるのが難しいという事だけ実感して頂ければオーケー。




    さてさてさて。




    一体この問題はなんだったのかというと、
    これは歴代のコメ職人が考え続けてきた問題です。
    これこそが、今までのコメント仕様変更の歴史なのだ。



    仕様変更とはなんぞや? というのを一言で説明すると、
    今まで乗っていた船が沈没する事を意味します。
    そして、新プレイヤーや新仕様という救命ボートに乗り換える。
    有無を言わさず強制的に。
    慈悲もなく容赦もなく躊躇いもなく選択の余地すらなく乗り換えねばならんのだ。



    この乗り換える過程で、沢山の積荷が失われてきました。
    コメ職人としての、旅の思い出がギッシリ詰まったマイメモリーは沢山捨ててきた。
    一応手元に残してはいるが、マイメモがあってもそれを再生するプレイヤーや環境が無い。
    もはや見る事が出来ないのと同義である。
    折角身に着けた技術や知識も、救命ボートに乗り換える過程で沢山捨ててきた。
    新仕様で全く意味の無い技術や知識は、単なる重荷でしかないのだ。



    救命ボートに乗ることが出来なかった沢山の人命も失われてきました。
    新プレイヤーや新仕様がどれ程のコメ職人を引退に追い込んできたのやら。
    他にやりたい事が出来た、もっともっと面白い事をみつけた、
    という理由で引退するならいいのですが、
    本心は続けたくて続けたくて仕方が無いのに、
    新仕様のせいで強制的に引退に追い込まれたコメ職人を見ると、
    言葉にはならない切なさと悲しさが込み上げてくる。



    古参と呼ばれながら、今なお最前線で活躍し続けているコメ職人は、どれだけ船が沈没しても救命ボートに乗り続けてきた変態創作意欲と研究意欲に満ちた偉人であり、蹴飛ばされて海に落とされてもなおボートに喰らい付くドM困難に立ち向かう克己心の持ち主である。
    あんた救命ボートどころか救命胴衣すらなくても死なねーよと思える生命力。
    しかしそんな生命力を持ったキチガイタフガイはほんの一握りだ。
    普通の人はまずどこかで振り落とされる。



    コメ職人は誰しも新プレイヤーや新仕様に、
    「○○が実装されればなぁ」
    「あれが修正されたらなぁ」
    と淡い期待を抱くものであるが、
    これを別の観点から見てみると、
    今現在の環境に不満が無い人の船を沈没させる事を意味する。
    その沈没した人は、救命ボートに乗り込めないかもしれない。
    その人達を蹴落としてまで自分が救命ボートに乗り込むべきなのか否か。



    俺個人が、新仕様についていけなかった時の話をしてみよう。
    すんげぇ昔に、俺の創作意欲を90パーセント以上削減する仕様変更があった。
    個人的なコメント史上最悪の仕様変更は何かというと、
    「投コメ編集のコメント欄でエンターキーを押すと『勝手に』次の行に移ってしまう事」だ。



    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・こんな説明で果たして何人の読者に伝わったのか怪しい。



    順を追って説明しよう。
    コメ職人には「スナイパー」と呼ばれる程狙い通りの所にコメを置ける凄腕がいるが、
    俺は全然そっち系の技術がないので、ひたすら投下と修正を繰り返す。
    「もうちょっと右側にずらすか」とか「足場をリサイズで少しずつ小さくしよう」みたいに。
    投コメにはそのニーズに見事応えてくれる編集機能がついている。
    右側のコメント欄(エディタ表示じゃない方)で直接コメを弄って試行錯誤できるのだ。
    弄ったコメを黄枠付きで反映させるにはエンターキーを押すのだが、
    いつの間にか押すと勝手に次の行に移動してしまうようになってしまった。
    これがひたすらにメンドクサイ。
    たった一発の修正で理想通りの歌詞になんてなりやしない。
    何回も何回も試行錯誤を繰り返せねばならん。
    たった一コメントを修正するのに1時間2時間かける事もあるんだ。
    そのたびごとにマウスで目的のコメをクリックせねばならんのだから、
    こんな思いするんだったら、作りたくねーよと思える程の改悪だ。



    コメントを位置調整等で修正する時は「メンドクセーなぁ」と、
    口では文句を言いつつも顔はニヤニヤしながらやっているからいいんですよ。
    このめんどくささは願わくば何時間でも。
    しかし、いちいち行が移ったのをマウスでクリックしなおす作業は、
    死にそうな顔しながら「めんどくせぇ・・・・・・」と呟いている。
    一応やり方を工夫すればある程度まで快適に出来るのですが、
    どれもこれもいまだ自身の作業スタイルに馴染まない。
    俺自身の適応能力の低さが問題だと言えばその通りではあるが。



    コメント欄でエンター押しても次の行に移らない昔の仕様の時は、
    毎日の様に投コメ弄っていたどころか毎日弄っていた。
    自作の投コメ動画に「ここの歌詞誤字ってるよ」なんてコメがされてたら、
    そのコメから数時間以内には修正されている仕事の早さだ。
    今のめんどくささが勝る状況ではとても考えられない。



    もし俺が新しいコメ仕様の要望を出すとしたら、
    「投コメのエンター押しても次の行に移らない仕様にしてくれ」であるが、
    それが実装されたら困る人達の方が圧倒的多数だと思う。
    今現在も活躍している職人達は今の環境に馴染んでいる訳だから。
    俺が救命ボートに乗り込む事は、
    それら多数の人達を蹴飛ばして海に突き飛ばす行為に等しい。
    まあこれは、別のコマンド用意して二世帯住宅方式にしてくれればいい問題だけど。
    例えば「Enter」を押すと従来通り次の行に移り、
    「Shift + Enter」を押すと移動せずその場に留まるとか。



    しかし二世帯住宅方式では解決できず、
    どちらかを蹴落とさなければいけない問題も多々ある事であろう。
    改革派と保守派が争ったら、どちらか一方が救命ボートから落ちる。
    「過去の作品全部ぶっ壊れてもいいから安定したプレイヤーをくれ」という改革派と、
    「全部ぶっ壊れたらもうやる意味ねーから出来るだけ維持してくれ」という保守派。
    両方を同居させる救命ボートは果たして作れるのであろうか。


    全員乗せて仲良く沈むべきか、
    自己犠牲の精神でボートから降りるべきか、
    相手を蹴落としてもなんとかして生き残るべきか、
    はたまた全てを解決するたった一つの冴えたやり方があるのか。
    なんにつけても難しい問題なのです。



    コメ仕様で困った時は「運営なんとかしろ!」の声が上がる。
    どんな発言をしようとも自由ではあるが、
    その手の発言はあまり望ましい結果を生まないと思います。
    この運営なんとかしろ、ってのはどういう意味を持っているのかというと、


    誰を救命ボートに載せて誰を蹴落とすかお前が選べ


    という命令です。
    運営のプレイヤー開発担当者が、
    どれほどコメントアートの文化を理解しているのかは解りませんが、
    コメントの事を深く理解して大切にしている開発者ほど苦しいはずです。
    あれも残したい、これも残したい。
    けどどう足掻いても全てを残す事はできず、
    自らの手で死刑宣告を告げねばならない。


    先の救命ボートの問題は、あれが全員赤の他人だったり嫌いな人間なら割と簡単なのですよ。
    しかしそこに家族がいたら? 恋人がいたら? 全員が大切な仲間だったら?
    それでもなおボートにしがみ付いてきた人達を、遠慮なく蹴落とせるのだろうか?


    運営なんとかしろ、と言われて何の躊躇いも無くなんとかしてしまえる人間は、
    コメント文化の理解が無く、コメントがあまり好きでないどころかむしろ嫌いで、
    こんな余計な仕事を増やすめんどうな文化は、
    とっと沈んでしまえと思っている人間ぐらいですよ。



    「運営なんとかしろ」という言葉は、
    コメントの事を真剣に思ってくれている開発者を苦しめ、
    コメントなんかどうでもいいと思っている開発者にゴーサインを出す魔法の言葉です。
    唱える度にコメ職人の味方が減って敵が増えるあいさつの魔法。
    まあ、今の開発チームに苦しんでいる人がいるのかどうか解らないけど。



    なんとかしろ、と言われて簡単になんとか出来るのであれば既にやっているはずだ。
    エンジニアの世界はサッパリ解らないから想像する事しかできないが、
    今現在のプレイヤーにあれこれ手を加えて良い物を作るというのは、
    度重なる増築・改築を繰り返してきた九龍城砦みたいな家をリフォームして、
    快適な住まいを作れと要求するぐらい難しい事なのではないかと思う。
    場合によっては住民総退出させて、全部ぶっ壊す所から始めねばならんかもしれぬ。
    でも全部を捨ててゼロから作ったプレイヤーが「アレ」だったという過去の実績があるので、
    そこら辺はなんとも言及し辛いものがあります。


    (参照画像:九龍城砦 今のプレイヤーは多分こんな感じ)







    今現在難しい課題を抱えている運営だが、
    そこら辺はもう、技術屋の矜持を見せてくれとしかいいようが無い。
    今まで数々の船を自沈させてきた運営であるが、
    同時に救命ボートを作れるのも運営しかいないんだ。
    技術屋の矜持を見せてくれる事を期待してますよ運営さん。





    以上が、仕様変更に対する俺の理解をまとめたものです。
    興味のある事しか勉強しないオタク気質な人間なので、
    かなり偏った見解になってるであろう事は否定しない。
    誤っている箇所は、是非とも博雅の士の御高説を承りたい所存です。



    コメントの未来は結局運営の匙加減一つ、というあまり希望の無いお話ではある。
    そしてその運営に裏切られてきた歴史があまりにも長い物だから、
    歴代の職人は運営がどんなに「現在素晴らしい物を頑張って作ってます!」
    とPRしても最早全く期待しないぐらいにはなっている。



    ( 「仕様変更」と聞いた時の古参コメ職人の反応 )




    しかしそれではあまりにも希望が無さ過ぎる。
    無駄とは解っていても、何か出来る事はありやしないだろうか?
    第35代アメリカ大統領のジョン・F・ケネディが大統領就任演説にて曰く、



    「国があなたのために何をしてくれるかではなく、
     あなたが国のために何ができるかを考えようではありませんか」



    それを考える時期が来た。
    いつだって国を良くしてきたのはギャーギャー国に文句を言う人間ではなく、
    国の為に淡々と行動し続けてきた人間だ。
    運営がコメ職人の為に何をしてくれるかではなく、
    コメ職人が運営の為に何ができるかを考えてみようじゃありませんか。
    そしてその為にコメ職人ならではの出来る事がある。



    それは、コメント機能で遊んで遊んで遊びつくす事だ。



    技術屋にとって自分達が開発した技術を活用されまくるという事は、
    最上級の喜びであり生きがい・・・・・・・・・・のはずである。
    その喜びを知らず、金の為だけに働いているとしたらとっとと転職してる。
    昔、新プレ実装で投コメ動画が木っ端微塵に粉砕された時、
    当時のプレイヤー開発担当から謝罪のメールが来たのだが、
    その時の文末に感謝の言葉が書かれていた事は今でも覚えている。
    私達が開発した機能でこのような動画を作って頂きありがとうございました、ってな感じで。
    それは運営としてではなく、純粋な個人としての感謝の言葉だった。
    自分勝手にやりたい事をやっていただけなのに、まさか感謝されるとは思わなかったよ。
    他の全員にも当てはまるものなのかは解らないが、
    技術屋にとって、作った機能をフル活用される事は喜びなのです。
    もし運営が、コメントなんてどうでもいいよと思う程無関心になったら、
    新しく作った救命ボートにコメ職人の乗るスペースは無くなってしまう。
    そうはさせない為にも、とことん遊びつくしておきましょう。
    コメント機能を使う事はこんなにも楽しい、という事をしっかり運営に示すのだ。
    短期的には何の変化も起きないだろうが、長い目で見れば有効な手段だと思う。



    だがしかし。



    ただ遊びつくせばいいと簡単に言うが、これは原理的に無理な話でもある。
    ガソリンが入っていない車でどうやってガソリンスタンドにまでたどり着くのか。
    そもそも、コメントで思う存分に遊べない環境だから今困っているのだ。


    作品を作っている時だけが楽しい、という生粋の職人は今かなりキツイと思う。
    しかし作品を作る事だけがコメントアートの楽しさではない。
    俺は元々「うおぉぉぉ、職人スゲーー!」というコメ職人の追っかけ出身なので、
    見る事も好きだし、コメントについて話すのも聞くのも書くのも読むのも大好きだ。
    自分が楽しめる事を存分に楽しめる方法を考えましょう。


    今のコメント業界は識者の見解に曰く「焦土と化した」との事なので、
    被災地から避難するようにコメントを避難させておく時期かもしれん。
    絵系のコメ職人がニコニコ静画やスクショに活動の場所を移したみたいに。


    今現在最前線で動画に作品を投下できる人間は、
    数々の修羅場を潜り抜けてきた伝説の老兵と、
    恐れを知らないチャレンジ精神溢れる若い世代ばかりで、
    おっさん世代にはかなり厳しい事である。
    しかしだ。



    いつまで膝に矢をうけ続けているんだよ、おっさん!



    と自分に活をいれて、
    生まれたての小鹿みたいに足をプルプル震わせながら立つ事にした。
    膝に矢を受けても手は動く、口も動く。
    なのでブロマガ記事書いてこうやってコメントについてベラベラ喋りまくっている。
    実際に投下する作品を作る気力が無くても、出来る事はいっぱいあるんだ。
    各々がやれる事をやればいい。そしてあわよくばそれを形にしておく事が大事。
    なんでもいいから形にして、しっかり運営にメッセージを伝えておく。



    「コメントアートはまだ死んでいない」
    「こんな面白い文化を亡くすなんてとんでもない」ってね。



    最前線で戦う実力も気力も今の俺は持ち合わせていないが、
    文章を書く気力だけはありえん程に満ち満ちているので、
    今はブロマガに活動の場を避難させています。
    とりあえず、3ヶ月間はブロマガを頑張り続ける予定です。
    何故3ヶ月間だけなのかというと、
    プレミアム会員期間が終わってブロマガ書けなくなるのが3ヶ月後だからだ。
    期限が過ぎたら膝に矢を受ける予定なので、そこんとこヨロシク。



    どうせ何をやったって、コメントの環境が良くなる訳ないじゃないか、
    と最初っから諦めて何もしないのが合理的な判断だ。
    今までの歴史がその正しさを証明している。
    しかし、それでもなお伝説の老兵や若い世代が最前線で戦っているんだ。









    とりあえず3ヶ月だけなら頑張れそうな気がするので頑張ります。



    それでは、次回の記事までごきげんよう。




  • それでもコメ職人はコメをする

    2016-10-15 02:031

    「これまで全ての社会は、いつでも絶対的必要の限界を超えて。浪費と濫費と支出と消費を行ってきたが、それは次のような単純な理由によるものだ。つまり、個人にせよ、社会にせよ、ただ生きながらえるだけでなく、本当に生きていると感じられるのは、過剰や余分を消費することができるからなのである」


    ボードリヤール 『消費社会の神話と構造』



    このボードリヤールの言葉を始めて読んだ時、思った訳ですよ。
    これだ!!!!(どれだ?)



    これが、コメ職人という理解不能な生き物の行動原理を、
    実に上手く説明しているのです。
    自身の作った歌詞については色々言われる事が多かったのですが、
    特に多かった印象があるコメントは以下の2つです。



    「なんでこんな事やってんのか意味が解らない」
    「お前、よっぽど暇だったんだな」



    なんでこんな事やっているのか解らないだって?
    俺だって解らねーよ!
    解らないけどやらずには居られなかったんだ。
    ヤバイとは思ったが制作欲を抑え切れなかった。



    お前する事なさすぎて暇なんだろうって?
    暇じゃねーよ!
    いや、暇っちゃぁ暇だが見栄を張って暇じゃないって事にしておくよ。
    本当に忙しい人間がニコニコにログインなどするものか。
    こんな記事を読んでいる時点で、あなたも相当に暇なはずです。
    しかし暇だから歌詞作ったりCA作ったりするというのは、
    論理的に飛躍があり過ぎて成り立たない意見だ。
    「あ~、暇だ暇だ。仕方ない、コメントアートでも作るか」って、
    そんなコメ職人はまずいませんから。


    現代というのは、暇を持て余している暇は無い時代です。
    無料で見れる面白い動画や生放送。
    (名目上は)無料で遊べる魅力的なソシャゲやアプリ。
    リアルタイムで反応が返ってくる各種SNS。
    それらの魅力あふれる刺激を得るのにかかる労力は、
    マウスを3回クリックするだけでいい破格のコストパフォーマンス。


    そんな時代にだ。
    コメントアートみたいに、
    最低のコストパフォーマンス(実質赤字!)な事を、
    暇だからやるまともな人間はまず居ません。
    歌詞やCAというのは、全く持って経済合理的な行為ではないのです。
    徒歩一分の所にコンビニがあるのに、
    何故富士山の頂上にあるコンビニに買い物に行かねばならんのか。



    コメ職人がコメをするという事は、
    手を伸ばせば一瞬で届く魅力的な刺激を一切合切蹴飛ばして、
    「わざわざ」「あえて」コメントをしているのです。
    本当に暇で暇で仕方なかったら、
    ゲームやったりアニメ見たりしてるんですよきっと。



    廃人化した末期症状の時などは、
    暇がなくても無理矢理暇を作ってねじ込みますからね。
    仕事でクタクタになって帰って来たにも関わらず睡眠時間削って作り始めたり、
    久しぶりの休みなのにグッスリ休もうなんて考えるどころか、
    「うおぉぉぉっしゃぁ! コマテコマテ!」と狂喜乱舞したりするのは、
    ある程度真剣に取り組んだ時期があるコメ職人なら誰もが経験していると思う。



    そこまでしてやるのだから、
    さぞかし素晴らしい見返りや報酬が用意されているんだろうと思った人、
    言っときますがそんなもんありませんからね。
    あるにはありますが、実質赤字なので何もしない方が儲かりますよ。
    一円玉拾うのに一円以上のカロリー消費したら赤字なんです。


    コメントに関しては、金が儲かるどころかむしろ払ってますからね。
    色を使いたかったら毎月のプレミアム会員費は必須だし、
    金を潤沢に持っているコメ職人なんかは、
    互換表示を確認する為『だけ』に複数台のパソコン買っているし、
    俺に至ってはパソコン修理代も払うハメになった。
    情報処理がクッソ遅いニコニコプレーヤーの2代目や3代目(NP2やNP3)の時代に、
    二ワン語を使いまくってたらパソコンの冷却ファンがぶっ壊れた。
    コメ職人のパソコンがコメントのせいでぶっ壊れたのだから、
    これはタバコ屋が肺ガンで死ぬ事に匹敵する名誉の殉職ですわ。



    人生に無駄な事は無いと言われるが、コメントに関しては無駄だと断言しよう。
    コメントを通して身に着けた技術や知識は、人生で何の役にも立ちませんからね。
    エクセルやパワポを鮮やかに使いこなせるなら将来会社で役立つ事も多々あるだろうが、
    IMEパッドを鮮やかに使いこなせる事が一体何の役に立つというのだ!
    知り合いにコメ職人がいるなら是非試してみて下さい。
    多分その人、普通の人よりもIMEパッドの使い方が上手いですよ。
    というか、普通の人はIMEパッドって何? のレベルなので肩を並べる敵がいない。



    何の役にも立たず、報酬も実質赤字。
    では何故コメ職人はそこまでしてこんな無駄な事をやっているのかというと、
    無駄だからこそやっているのです。
    冒頭のボードリヤールの言葉で言えば、
    この無駄遣いをしている時にこそ「本当に生きているという実感」がある。
    ただ生きながらえる、だけでなく、人間が本当に生きていると感じる事が出来るのは、
    この無駄遣いをしている瞬間なのです。



    時間、金、エネルギー、労力、技術、知識、才能その他なんでもいいが、
    日々の生業でコツコツ貯めたこれら大切な財産を、
    花火の様に盛大に、かつゴミの様に喜んで手放す時の喜びは、
    それぞれの人生振り返ってみれば誰しも思い浮かぶ事だと思うのですよ。
    祭りなんてのは、その最たるものだし。
    人間が完全に経済合理的な生き物だったら、祭りなんて無駄な事はしない。
    「今日は俺のおごりだ!」って言って、盛大に稼ぎをばら撒いたりしない。
    やる事がいっぱいなのに、ゲームをやったりニコニコに入り浸ったりするものか。
    試験前なのに、部屋の掃除をしたりニコニコ見たりするのはやたら楽しく感じるものです。
    無駄遣いの中にこそ、生きている実感と喜びがある。
    他にやるべき事がいっぱいあるのに生の悦びを知りやがって。



    コメントが面白いのは、それが完全に無駄な事だからだ。
    もしこれが無駄ではなくなったら?
    自身の技術や才能や知識を有効活用しようとしていたら?
    それでも楽しいっちゃ楽しいのであろうが、
    その場合、楽しさの属性が一気に変る。全く別次元の世界に突入だ。



    「やりたいからやる」「作りたいから作る」みたいに、
    行為それ自体が目的である定言命法的な行為から、
    「○○の為にやる」「○○の為に作る」みたいな、
    なんらかの目的を果たす為の手段とした仮言命法的な理由に変った場合。
    その瞬間、コメ職人という存在を根源から揺るがす変化が起きる



    コメントを何かの手段にしてしまった途端、
    その人は『職人』ではなく『商人』に変ってしまい、
    その人が作ったものは『作品』ではなく『商品』に変ってしまうのです。
    私はこれだけの品を用意しました。
    だからあなたはこれだけの対価を支払って下さい、というトレードオフの世界。
    「自作CAをボロクソ言われて傷つきました! もうCAやめます!」
    というのは、職人ではなく商人の発想な訳ですよ。
    ボロックソ言われようが、作りたかったら作るんだよ。職人ってのは。
    だって作っている時が楽しいんだもん。



    もし職人から商人にジョブチェンジした場合。
    その瞬間発想自体が180度方向転換する。
    職人の時はどれだけ時間を注げるか、どれだけ情熱を注げるかが全てだったのが、
    商人になったら、どれだけ少ない労力で最大の利益を上げられるかという、
    費用対効果が全てになる。
    出来るだけ少ない元手で、出来るだけ汗をかかず、出来るだけ短時間で、
    最大の対価と報酬を得る事こそ素晴らしい、という真逆の価値観。
    コメントの場合、
    これの行き着く果てがワンクリックでコピペCAを投下できるツールの使用だ。
    何を目的として彼らがツールを使用しているのかは解らないが、
    ワンクリックで報酬が得られるのだから破格のコストパフォーマンスと言っていいだろう。
    何時間もコマテと睨めっこしてコピペ元のCA作った職人が馬鹿に思える程に。



    コメ職人ってのは、やり始めた直後が一番楽しい時期だと思う。
    なんせその時期ってのは誰の役にも立たず、
    時間とエネルギーと情熱の無駄遣いだらけですからね。
    この無駄遣いをして、生きているという実感は何にも増して楽しい時間だ。
    逆に、さっさと報酬だけ欲しい商人には一番ツマラナイ時期だと思う。
    動機が不純すぎてピュアじゃないんだよ。
    もっと純粋に、制作を、楽しめッッ!! その時間が楽しいんだから。


    何でこんな事やっているのか解らない。コメントが一体何の役に立つというのか。
    と、どれ程言われまくってもそれでもコメ職人はコメをするのです。
    何故ならそれが、コメ職人の生きている証なのですから。



    まだこの記事は書いている途中なのだが、
    これを書いててすんげぇ楽しかった。
    まずこの記事が一体誰の役に立つのかサッパリ解らない。
    ニコ厨のごく一部であるコメ職人向けという極めてニッチなジャンル。
    度重なるプレイヤーの改悪で、
    そもそもコメントしたくても二進も三進もいかない現状でコメントに関する記事。
    折角の休みの日にわざわざ時間をかけて書く価値はあるのかと自問自答。
    一日中天井のシミ見つめているよりは有効な休日の使い方だが、
    それでもやっぱり無駄だと思う。天井のシミ見てた方が良かったかもしれない。
    しかもこの記事をアップする為『だけ』にプレミアム会員費を支払った。
    今現在のニコニコに金を払うなんて、金をドブに捨てた気分だよ。
    でも楽しいんだから仕方ないね。
    こんな下らない記事を一切の妥協無く全力で書いている自分が大好きだ。



    さてさてさて。



    上の方で、報酬目指して一直線で、
    無駄な事を一切しようとしない商人をボロックソに言いましたが、
    別に俺は何かの見返り求めて頑張る事を悪いとは思っていません。


    一切の見返りを求めずただ無心で作品を作り続けろ!
    みたいに修行僧の様な事を要求したりはしないし、
    「ケッ! 俺は誰かに褒められたくてやっているんじゃないんだよ!」という、
    てやんでぇな江戸っ子みたいに振舞うのがカッコイイとも思っていない。
    そもそもコメントから様々な恩恵を授かった身の上だし。
    コメ職人としてコメントをやった事に対する報酬は確かにある。




    ただし、




    その報酬ってのは、全く予期していなかった方向からやってくる。
    狙って手に入れる事は不可能だ。


    『商品』ではなく『作品』を作っている時は、作っている行為その物が報酬であるが、
    それ公開して世に出す時は、少なからず期待する事があると思うのですよ。
    これでみんなからキャーキャー言われたいとか、凄ぇと言われたいとか。
    そういう動機がゼロだったらずっとコマテに引き篭もって出てこないはずだし。
    作ってそれを公開する以上は、なんらかの『欲しい物』がある訳だ。
    なので最後にいい事教えておきますよ。
    もしもあなたが、欲しい物目指して脇目もふらず一直線で突っ走る事なく、
    無駄だらけの道中を存分に楽しんできたのであれば、
    その『欲しい物』なんかどうでもよくなってしまうほどの、
    『大切な物』がきっとどこかで手に入ります。
    マンガ「HUNTER×HUNTER」のジンのセリフで、実にいかした言い回しがある。



    「大切なものは、ほしいものより先に来た」



    これは理詰めで説得するのではなく、
    「ああ、そうだよなぁ」と納得する事でしか理解できない事だと思う。
    コメ職人みたいに全く持って無駄な人生のエアポケットを、
    自ら作り続けてきた人間であれば解る言葉だと思うのですよ。


    長年コメントアートを作り続けている、
    あるいは一線を退いてもなおコメントに長年関心があり続けているという人は、
    一旦周囲を見渡してみてください。
    コメントに関わっていなかったら絶対に手に入っていなかったであろう、
    『大切な物』がゴロゴロと転がっているはずですから。



    作品に限定していうのであれば、
    制作の過程ってのはホント無駄の塊だ。
    何時間も動画と睨めっこしているのに全くアイディアが出てこない時がある。
    やっと手を動かせると思ったら、1時間で2,3コメしか進まなかったり。
    あるいは、折角作ったのをゴッソリ消してまた作り直す事の繰り返し。
    しかしその無駄な過程こそが作品に他ならぬ「何か」を宿らせる。
    この過程をすっ飛ばすと仏作って魂入れずな作品の出来上がりだ。
    まあ、そこまで大層な物言いをしなくても、
    この時間とアイディアと労力を盛大に無駄遣いしている過程こそが、
    『職人』として一番楽しい所だと思う。
    一体何の役に立つのかと思える盛大な回り道。だがそれがいい。










    だから一見無駄だらけに見える道中を楽しんでください。存分に。



    それでは、次回の記事までごきげんよう。