-
キャッチャー古田処世術
今日、フジテレビ系の野球関係のテレビを見た。
ゲストは古田敦也と、谷重元信だ。
テーマは捕手ね。
オリックスファンの私としては、イチローが有してたオリックスと、古田がいたヤクルトが日本シリーズ争った時、古田のマスコミを利用した、騙し技術にイチローがシリーズ打てず、負けてしまったから、あの時のヤクルトの実力はすごい、古田の実力はすごいと思ってる。
そもそも、古田、ドラフトの時、メガネかけててヤクルトで、私、見てたが、あんなんダメやんと思わず古田をバカにしてしまった。
しかし、しかし、しかし、結果はイチローを抑えたり、2000本なんか打ったり、そして首位打者まで獲るというすごさ! 信じられない。
で、番組。
古田はテレビ的におもしろい。 話の持って行き方が上手。
一方、谷重は、ぶっきらぼう的で、テレビ的じゃないのだが、もう一人出てた大矢さんとの関係ができてて助かってた。
実際、キャッチャーの技術を教える時も、古田、教え方、盛り上げ方上手。 谷重ちょっと強引。ちょっとね。古田に比べると。
古田、テレビ的なのだ。
古田と谷重、比べて、古田の方が映えるのだが、そこで古田どう対応したか? 参考に見てみると、、、
古田、谷重をフォローしてた。 自分の凄いなぁという自分の盛り上がりを謙遜して、その分を谷重に持って行ってた。
それから、キャッチャーとしての野球界処世術?みたいな話になったけど、私は、ここまでプロになったら、おいしいところ一人で持って行かないもんだなぁと思った。
現役の時は争った仲と言ってて、厳しい世界だが、OBになって、共存共栄してくのが、新しいプロのベストな生き方みたいな感じだった。
だって、お前、下手やねん!って突き落としたっていいんやもん。 乗ってたのは古田や。
それを、古田、谷重をフォローして、自分と違う名捕手とか言ってた感じ。
なるほどねぇ~。
フジテレビもこういう放送するんだなぁと思った。
-
マニュアルくんは疑わない
思想とかなんだかいろいろあるんだろうけれど、、
マニュアル通りになったらそれでハッピーだから最高だからと思い、よく考えない。 オタク。
考える人間よりマニュアル人間の方がハッピーなのではないか?
信じるものは救われる。
そんなに、マニュアル通り、生きてて大間違いは少ない。
いろいろ、その道の天才じゃないし、試行錯誤でやるとかめんどいし。
そんなんプロに任せたよ。
いろんなマニュアル追って、統合してきて自分オリジナルの考えも出てくる。
マニュアル信じてそれが通ればそれはそれでハッピーみたいな。そう言う点でマニュアルくんハッピー。
いろいろ、こうしたらいいよ動画とか見てまわる私。
でも、自分から考えだしたり、発案しにくくなるから注意や。
-
バカがいいんじゃね?
無意味を頑張るから人は評価してくれる
私は学生時代、数学の問題を解いていくのに、なんでそうなるかが大事で、意味を考えなければということだったので、ふと、じゃあ、なんで人は生きるんだろう?と疑問に思って、悩んでしまった。
そんなこんなで、なんでゲームに勝つんだろう?とか、どうせ死ぬのにとなにもかも虚しくなって、悩みこんでしまった。
で、深夜番組のお笑い番組を見たり、大学受験なんか勉強もしたり、対戦ゲームなんかしたりしてた青春時代。
友人とゲームをしてて、友人は勝利してめっちゃ喜ぶのに、私は大喜びできないということがとても悔しかった。
だから、せこい私は、友人の大喜びを止めるためという目的のために、勝利を目指し、勝利しまくった。
しかし、とてもそれは勝利にとても消極的な動機。 勝っても全然喜べないし、とても悲しかった。苦しかった。
大学も東京には行きたかったが行かせてもらえず、福岡の大学。
大学時代もとてもとても虚しい1、2年生を送ったなぁ。
大学3年から研究室に入り、先生に巡り合い、いろいろ教えていただき、とても成長できたと思っている。
研究室に行ってなかったら、今現在、過去の私の人生の流れから、結婚までは到底たどり着かなかったと思う。
そんなこんなで、何が言いたいかというと、私は虚しいけど頑張ったと言える。
無意味なところで結構頑張ったと思える。
(まぁそもそも人生意味があるかどうかっていう話があるが。)
消極的な動機。 喜ぶ相手を止める動機でとても悲しいが、勝負、友人とプレーしてもう私の方が上ということがハッキリしても、嫌な思いをしても、ひたすら虚しい思いを我慢しながら、友人と一緒にプレーした。
それが人生に役に立っていると言えるところもあるかもしれない。
なんか、一般に皆さん、頑張れるところでは当然頑張られるんですよ。 それは簡単。
でも、頑張っても無意味だったり、報酬がなかったりするところで頑張るのはなかなか難しい。
だから、頑張っても意味がないところで頑張ると意外と評価が高かったりする事実。
あぁ。若いころ、虚しいところで頑張っといてよかった。 虚しいところで頑張るのそんな苦痛じゃない。
だから、このブログも誰からも読まれなくて、無意味でも、虚しくても頑張れる。 私の強み。 この強みさえアピールしても虚しいという。
私はバカだ。 バカの強みね。
要は学生時代、虚しいこと無意味なことに対して頑張り続けてた名残があったってことが結構よかったってこと。
こうなりゃ徹底したバカになろうと、タバコ、酒、宗教に頼らない生き方。それは苦しかった。やっと乗り越えたが。 苦しかったなぁ。
例えば、バカの社長ぐらいがちょうどよいという話があり、理由は、私なりに解釈すると、バカだから。 意味がなくても、動き続けられるからだ。
だから、物事を把握できないバカもそんなに悪いことではない場合もあるとも思える。
意味ないから誰も手を出さず、競争相手がいないから、もし当たったら独り占め。 でかいんじゃない?
まわりもある程度言うだろうしというケース。
ボランティアという言葉がありますね。
私は東京で仕事をしていたころ、輸血をしていたぐらいですが、輸血所があったら輸血しよう、しなきゃ、という気持ちはあります。 いいことしました。
人生、考え方として、生きることに意味があるなし、もし、なしならば、バカの方が生きる頭としていいような感じもする。
だって、人生って意味ないんだから。
NHKのAIのテレビ見てたら、生物は命を引き延ばす本能があると言ってた。
生物の長として、人間、命を引き延ばすのに、有利なほうだと思うから、人間、動物より頭脳発達してるので、生きることにおいてはバカは不利なのかな?
でも、自殺とかするの、人間だけじゃないの?
命引き延ばすの価値観だけで考えたら、自殺するからバカの方が有利なんじゃない?
人間、命引き延ばすだけならバカかバカじゃないかどっちがいいかわかんない私。
仮に、人生、生きることに意味がなしということならば、バカの方がいいんじゃない? ただ、頭脳発達は生き延びるためだけにある機能みたいな。
広告
1 / 6