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  • 【非会員でも閲覧可】為五郎オリジナル小説①『リヴァルディア』第6話

    2018-07-17 08:43
     ――という夢を見た。
     なんてこった。自分がこんなに影響の受けやすい人間だったとは知らなかったね。あんな話を聞かされた直後だからって、ここまで露骨な夢を見るとはさ。どうせなら、次はぜひ美女だらけの楽園で過ごすみたいな内容のDVDを見せてもらいたいもんだ。それだったら心から影響を受けてやるよ。
     そんな訳で、僕はせっかく夏休み前日だというのにひどく憂鬱な気分で大学に向かう羽目になってしまった。とにかく、これからは自分をもっと強く持とう。そして、間違っても宗教の勧誘なんかには聞く耳を持たないでおこう。
     もっとも、そういった殊勝かつ切実な想いは、くだらない授業を受けている過程で、これからの長い休暇を男一人でどう過ごすべきかという卑近な悩みに取って代わられたんだけどな。
     だから、大学から帰ってきて、いつものようにテレビを見ながらコンビニ弁当を貪り、就寝する為に照明を消そうとしてふと窓の外に視線を移したところで、そこに若い女性が浮いているだなんて僕は思いもしなかった。だって、あれは夢だったのだから。
     ……ところが、いた。
     深夜というにはだいぶ早い時間だというのに、彼女は窓の外で、髪の間から恨めしそうな表情を覗かせながら浮かんでいたのだった。
    「うわっ! うわっ!」
     近藤勇ばりに口を大きく開けながら後ずさりしたさ、当然な。
     すると、ヤツはケラケラと笑いながら壁をすり抜けて部屋に入ってきやがった。おいおい、初期のファミコンじゃないんだからさ、もうちょっと当たり判定をキッチリしようぜ。
    「あんたって、驚かせがいがあるわねぇ」
     彼女は実に晴れやかな笑顔を浮かべながらこう言った。「もう二回目なのに、この大袈裟なリアクション! あたしがもしテレビ局のプロデューサーなら、あんたは年末の仕事に困らないわよ!」
    「あ……あれは夢だと思ってたのに……」
     膝を震わせながら僕が嘆くと、
    「夢? ……まぁ、こんな美少女が突然部屋に現れるだなんて、夢だと勘違いしても仕方ないでしょうね」
     おまえこそ、そんなに大声で的外れの意見が言えるなら、深夜にやってる討論番組のプロデューサーからすぐにお声が掛かるだろうよ。
    「おまえ、ここに何しに来たんだよ!?」
     至極当然の質問だった。だが、彼女の方も至極当然といった口調で、
    「昨日も言ったでしょ! 今日からここをあたし達の会合場所にするのよ!」
     そう言い切った。
     なるほど、目の前で高説ぶっているのは、確かに昨夜も我が家に突然現れてひたすら訳のわからないことを言っていた、例の鈴音という少女だった。服装も昨日とまったく同じである。さらに言えば、胸部の血痕までも。
    「あたし達って……おまえの他に誰がいるんだよ?」
     自称幽霊だという相手に論理的な質問を投げかけるのも馬鹿馬鹿しいが、とりあえず僕は周囲を見回しながら尋ねてみた。鈴音の他に、その会合とやらに集まっている幽霊が存在する様子はない。言うまでもなく、生きている人間も見当たらない。
    「もうとっくにメンバーは集まってるじゃないの!」
     じれったそうに彼女は僕の背後を指差した。「紹介するわ。この人は滝川(たきがわ)さん。元新聞記者だって。なかなかカッコいい経歴でしょ!」
    「この人って……うわっ!」
     後ろを振り返ってみて、僕は再び悲鳴をあげた。ついでに、少し飛び上がってしまった。まぁ、知らない間に知らないおじさんが自分の部屋で座っていたんだから、そこまで場違いな反応ではなかったと思うけどさ。
    「おいっす! 悪ぃな、勝手におじゃましてさ」
     ノーネクタイのスーツ姿で、ニコニコしながら軽く手をあげたその男性――どうやら滝川さんと言うらしいのだが、彼はまるで久しぶりに会った親戚のおじさんみたいな親しみやすさを全身から漂わせていた。
     いや、そうでもなければ、これくらいの悲鳴だけでは済まなかっただろうね。
     なにしろ、彼の顔面は血まみれだったのだ。
    「……ああ、この顔か?」
     僕の視線に気がついたのか、滝川さんは両手で無精髭の残る自分の顔を摩った。「車に跳ねられて死んじまったんだからな、仕方ねぇだろ。俺だって、もっと綺麗な顔で死にたかったぜ」
     唖然としている僕を尻目に、
    「滝川さんは、いくつで死んだんだっけ?」
     鈴音があっけらかんとした声で質問する。
    「……えっ?」
     何故かちょっと戸惑ったような表情になった後、滝川さんはニヤリと笑った。「ああ、四十八歳だ。働き盛りだって言うのにもったいねぇよな」
     普通、そういうことって葬式で親族が口にする言葉だろ。自分で言ってどうするんだよ。
    「そして、横にいるのが雅美(まさみ)さん。どう? 美人でしょ?」
     気がつけば、滝川さんの隣にもう一人、女性が座っていた。ええっと、『一人』で数え方はあってるよな?
    「あら、鈴音ちゃん、今日は物凄く元気なのねぇ」
     その女性は意味深な笑みを鈴音に放ってから、僕の方を向いた。「はじめまして。突然おじゃましてごめんなさいね」
     色っぽい声だった。それもそのはずで、雅美さんは妙齢の美女であった。やけに派手な服装なのが気になるが、こちらは顔に目立った損傷もないようなので、彫りの深い目鼻立ちがはっきりと判別できる。たぶん、年齢は三十歳前後だろうが、その辺についてはあまり詳しく訊かない方が良さそうだね。たとえ生きてようが死んでようが、さ。
    「最後に、あそこにいるのが後藤(ごとう)さん。後藤……なんだっけ?」
    「……信也(しんや)や」
     鈴音の指が示す方向を見て、そこに面識のない若い男がいたところで、僕はもうほとんど驚かなかった。きっとこの現象に慣れつつあったんだろうよ、悲しいことにな。 
     その男は、どういう訳かみんなとは少し離れた場所に、一人で立っていた。鈴音も含めた他の面々が、早くも自分の家のように僕の部屋でくつろぎ始めているというのに、だ。年の頃は二十代半ばくらいだろうか。細身の長身、黒いTシャツに黒いジーパン、整ってはいるものの影を感じる表情と、ようやく『いかにも幽霊』といった印象の人物であった。
     目線が合うと、後藤さんは伏し目がちに甲高い声で、
    「うぃっす」
     とだけ挨拶してきた。
    「で、ここで馬鹿みたいに口を開けているのが、この部屋の住人、ザクロコブラ俊介よ」
     崎ヶ原俊介だ。そんな悪役プロレスラーみたいな名前じゃねぇよ。「苗字は呼びにくいから、俊介でいいわ。みんな、俊介と仲良くしてあげてね!」
     引っ込み思案な転校生を紹介する女教師のように全員を見渡す鈴音だったが、
    「……いやぁ、待て待て、待ってくれよ!」
     ここでやっと少し現実に戻る僕だった。何なんだよ、この異様な展開と光景は!? 「じゃあ、何か、こいつらは……この方達は、みんな幽霊だって言うのか?」
     一応、年長者が多そうなので呼び方を改めておいた。
    「そういう旨の発言を行った覚えはないけど、まぁ、その通りだわ」
     涼しげな表情で答える鈴音。
    「幽霊なんて本当にいるのかよ!?」
    「あんたも変なこと言うわねぇ」
     鈴音は呆れ顔で僕を見つめてきた。どう考えても、この場面で呆れるのは僕の役回りだろうに。「あたし達を前にしてそういうことをほざくなんて、水族館の中で『本当に魚なんているのかよ!?』と言うようなもんよ」
     いやいや、断言してやってもいいが、魚はいるぜ。百科事典に載ってるし、今日の晩飯は紅鮭弁当だったし、そもそも学校でちゃんと習ったからな。
     でもさ、幽霊の存在なんて習った覚えがないぞ。
    「まぁまぁ。彼が信じられないのも無理はないわよ」
     苦笑するような顔で鈴音に声を掛ける雅美さん。「わたしだって、死ぬまでは幽霊の存在なんて信じてなかったもの」
    「俺もだぜ。生前は先祖の墓参りもロクに行ってなかったからなぁ。あ、だから罰が当たったのかもな、ははは」
     血まみれの顔で言われてもまったく笑えません。
    「やっぱりここは、後藤君から説明してあげるのが一番いいんじゃない?」
     雅美さんが、あいかわらず部屋の端でつまらなさそうに立っている黒ずくめの男の方を向いた。「ね、あなたの出番よ」
    「え? オレ?」
     途端に彼が困惑気味の表情を浮かべる。「……嫌やわ。つい最近も鈴ちゃんに同じ説明をしたばかりやのにさ。だいたい、オレは人に説明することが大の苦手やねん」
    「何言ってるのよ、説明が趣味な癖して!」
    「ついでに言えば、こいつは小難しい理屈をこねるのも好きな男だからな。典型的なオタクだよ」
    「散々な言われようやなぁ……」
     そうは言いつつも、後藤さんはしぶしぶといった様子で僕に視線を向けた。「ええと、俊介君、やったっけ?」
    「あ、はい」
    「……君は、人間と他の動物との相違点がわかるかい?」
     これはまた、いきなり凄い命題を突きつけられたな。人間と他の動物との違い、だって? 今まで深く考えたこともないよ。
    「そういえば、人間は笑うけど、動物は笑わないんですよね」
     それでもなんとか答えを紡ぎだした僕だったが、
    「ああ、そう来たか。そういった、正解は正解だけど自分が求めていたのとは違う解答って、ある意味一番困るんよなぁ」
     そんなことを言われてもねぇ。だったら前もって台本くらい渡しておいてくれよ。「確かにその通り。他にも色々な違いがあるなぁ。人間は文字を操れるけど動物は操れないし、人間はアニメを観るけど動物は見ない。もちろん、動物はオレみたいに『声優のキャラソンって、演じている時と歌声が全然違うやないか!』なんて憤りを感じたりもしないやろうね。まぁ、これはあんまり関係ない話やけど」
     “キャラソン”ってのは、たぶんキャラクターソングのことなんだろう。本気でこの人はオタクみたいだな。
    「だけど、もっと根源的かつ決定的な違いが、両者の間には存在している」
     何やら急に難しいフレーズが出てきたぞ。「それはすなわち、他の動物と違って人間は、自分の生命活動が永続的でないという運命をはっきりと認識している――つまり、『死』なるモノの概念を理解しているという点や」
    「……本当にあなたって、もってまわった言い方が好きなのね」
     皮肉交じりに呟く雅美さんを無視して、後藤さんの説明は続いた。
    「昔のえらい武将は『人生五十年』って言ったけど、科学や医学が発展した現代となっては『人生八十年』くらいが妥当な表現なんやろうね。……それでも短すぎるよな。この年月は、たった一つのことを極めるにしても足らないくらいの時間や」
     そうか? 現在十九歳の身にとっては、まだ六十年近く人生が残されているという計算になるから、途方もなく長い時間に感じられるのだが。もっとも、それは僕がまだ何かを極めようとしていないからなのかもしれない。
    「一億年以上地球を支配していた恐竜ですら遠く及ばないほど高度な知能を手に入れた人類は、それと同時に己の『死』という存在を知り、そして絶望した」
     なんだか台詞がSF小説のプロローグみたいになってきたな。僕が聞きたいのは恐竜の話じゃなくて、幽霊の話なんだけどさ。「要するに、いくら努力しようが一個体としては百年も存続できないという現実を知ってしまったってことやな」
    「はぁ……」
     一方的にベラベラと喋る後藤さんを前にして、僕はますます現実感を失いつつあった。部屋に突然見知らぬ人達が現れただけでパニック状態なのに、なおかつその中の一人が電波系みたいな話を始めるだなんて展開、受け入れるには僕の脳のキャパシティが小さすぎるってもんだぜ。
    「ところが、やがて画期的な出来事が起こった。様々な試行錯誤の結果、一部の人間は肉体が滅んだ後も存在を維持し続ける方法を編み出したんや。あ、この『試行錯誤』については、説明すると物凄く長い時間になってしまうし、そうするとオレの好きな今夜の深夜アニメが観れなくなる恐れがあるから、ここでは割愛させてもらうわ」
     おいおい、この人は典型的どころか末期のオタクみたいだな。よくわからないけど、それってめちゃくちゃ重要な部分じゃないのか?
    「その現象が起こったのは、今から約一万二千年前のことと言われている。ここでは便宜上、肉体が滅んだ後の状態を『精神体』と呼ばせてもらうわ。まぁ、『魂』とかいう言い方もあるけどさ。とにかく、それから徐々に遺伝子レベルの伝達によって、無意識ながら死後も存在し続ける『精神体』が増えていった。これは、異例なほど高度な進化を遂げた人類やからこそ、為しえたことなんやろうね。……ここまでは理解できるかな?」
     はっきり言おう。全然理解できん。
    「けれど、まだその時点では精神体にあんまり自覚みたいなものがなかった。要するに、自分がどういう状況なのかすらわからないまま、漂っているだけの存在やった。なおかつ受け皿っていうか、精神体が行くべき場所なんてもんも存在してなかったから、しばらくは混沌とした状態が続いたって訳や。いわゆるカオスってやつやな」
     今の僕の頭の中がカオスです。
    「そこに、再び革命的な出来事が起きた。正確に言うと、革命的な人物が現れたんや。彼は、それまでまったく秩序が取れていなかった精神体世界に、確固たる体制を提示した。いや、創りあげたって言った方がわかり易いかな。早い話が、彼の出現によって現在のようなシステムが完成したんや」
    「システム? ……どんなシステムなんですか、それは?」
     僕が訊くと、
    「色々な呼び方があるけど……まぁ、我々は日本人やから、こう呼ぼうか。つまり、『天国』や『地獄』が創られたんや」
     得意げな顔で後藤さんが答えた。
     天国と地獄、ねぇ。我々一般人には、運動会の時くらいしか馴染みのない代物だな。
    「さらに、彼によって全ての精神体は自覚を持たされた。長い間、せっかく存在を維持していたのに、ただ存在しているということだけが存在理由になってしまっていた精神体が、初めて当初の目的を達成したって訳や。それが、今から約二千年前のことやねん。ちなみに我々は、彼のことを『神』と呼んでいる。冗談半分でやけどね」
     やれやれ、とうとう神様の話まで及んだよ。一体、いつになったら本題――幽霊の話になるんですかね?
    「今では遺伝子レベルによる伝達が行き届いて、ほぼ全ての人間が死んだ後も精神体として残れるようになった。そんな中、神は有能な精神体を集め、世界規模の組織を立ち上げた。彼らによって、精神体は天国か地獄に振り分けられるようになったんや。なおかつ、驚くべき方法を編み出した者も現れた。それは、再び新たな肉体を持つという方法やった。これもどんどんと浸透していって、今では誰でも出来るようになったねん。もっとも、残念ながらその場合はほとんど記憶が失われてしまうんやけど……これが、俗に言う『輪廻転生』ってヤツや」
     お、ようやく話が幽霊っぽくなってきたぞ。
    「ほら、よく『輪廻転生はありえない。何故ならば、世界の人口は昔からどんどんと増加する一方なんだから、とっくに魂の数が足りなくなっているはずじゃないか』なんて物知り顔で言う人もいるけど、そりゃあそうやって話やで。基本的に人類といえども動物の一種なんやから、輪廻転生なんかしなくても勝手に生まれてはくるんや。精神体になるのはその後の話であって、別に数が合わなくても不思議ではないねん。だから、世の中には大半の新しい生命と、少しの輪廻転生された生命があるっていうのが、正確な表現になるわ」
    「なるほど、ねぇ……」
     そう軽く頷いた僕だって、実のところはちっとも理解していないのでご安心を。ただ、たまに相槌を打たないと息がつまりそうだったっていうだけなんで。
    「天国や地獄に振り分けられる際の査定基準ってのがあって、これがめっちゃ面白い上に考え込まされるようなものやから、今度時間があったら詳しく説明してあげたいくらいなんやけどさ。まぁ心配しなくても普通に生活していればまず天国に行く権利は得られるわ」
     ず~っと意味不明な解説を聞かされている僕は、すでに軽く地獄状態に思えるんですけど。
    「基本的に、地獄に行くような人間は死んですぐ、問答無用で組織の人間が連行することになってるねん。とはいえ、中には例外もあるけどさ。……で、問題はそうじゃない人間の場合や」
     この部分だけで、もうややこしい。問題が特になくて天国に行けるような人間の場合が問題って訳か。ああ、ややこしい。
    「そういう人間は、死んだ後、すなわち精神体になった直後、二つの選択に迫られる。そのまま天国に行くか、それとも転生するか、や。……ただ、実際にはもう一つ選択肢があってさ」
    「もう一つの、選択肢?」
    「そう。それは、精神体のまま現世に残るという選択肢や。……長々と説明してきたけど、つまりそれが『幽霊』って訳やねん」
     はぁ、やっと『幽霊』って単語が出てきたよ。ここまで来るのにずいぶん回り道をしたような気がするな。まるで悪徳タクシーに乗せられたような気分だね。
    「月並みな言い方になっちゃうけど、現世でしか出来ないようなことをやり残した人間や、あるいはなんらかの未練を残した人間が、『幽霊』という選択肢を選ぶケースが多いな」
    「俺達もそうだって訳さ」
     久しぶりに滝川さんが口を開いた。「……それにしても、あいかわらずごっちゃんの説明は長ったらしいよなぁ」
    「おうおう、けしかけといてひどい言い方やな。これでもだいぶはしょったつもりやで」
     後藤さんが肩をすくめる。「おかげで、よくわからん説明になってしまったわ」
    「それは、あなたの力量不足のせいだと思うけど」
     冷ややかな雅美さんの声にかぶさるように、
    「でも、後藤さんってやっぱり頭が良いっぽいわね!」
     鈴音が楽しそうな顔でそう述べる。
    「ぽいが余計や、ぽいが!」
     すかさず突っ込む後藤さん。
     ……なんだかんだ言って、彼らは結構仲が良いらしい。
    「どう、俊介。これで幽霊が実際に存在するってことがわかったでしょ!?」
     ふいをつくように、鈴音が今度は僕に居丈高な声で問い掛けてきた。おまえが偉そうにしてどうするんだ。まったく説明に加わっていなかっただろうが。
    「え? ……ああ、まぁ、なんとなくはな」
     そうだな、バッティングセンターで最後の一球だけかろうじてチップできた時につかんだ打撃のコツくらい、なんとなくはわかったさ。
     要はこういうことだろ。一万二千年くらい前に、人類は死んだ後も存在を残す方法を編み出した。どうやって編み出したかについては、惜しいことに日本のアニメ業界が優秀すぎるから聞き逃してしまったけど、とにかくそれによっていわゆる死後の世界ってヤツが出来た。さらに二千年前、神様みたいな人が現れて、あの世のシステムを完成させた。天国や地獄はその時に創られたらしい。で、天国にも地獄にも行かずにこの世をブラブラしている、死後の世界におけるフリーターみたいな奴らが、幽霊って訳なんだな。
     ……神様が人類よりも後に現れただなんて話は、タマゴでもニワトリでもなくフライドチキンが先なんだって説明くらい突飛に思えるけどさ。まぁひとまず、幽霊の存在は認めてやってもいい。だって現にこうやって目の前にいるんだからな。この世のモノじゃないって言うわりには、やけにはっきりと目視できる点が若干気になるけどね。それでも少しだけ地面から離れている各々の様子を目にしたら、嫌でも彼らが常識外の存在だってことは認識できる。未知の宇宙人って言われるよりは、まだ地球人の幽霊の方が安心できるってもんだし。
     だがな、あいにく今の僕はもっと根本的かつ即時的なことを訊きたいんだ。それはすなわち、
    「だけどさ、どうしてみんな俺の家に集まるんだよ!?」
     ようやくこの抗議を口にすることができた。
     そうそう、思えば最初からこれが言いたかったんだ。ここに集まっているメンバーが、どれだけこの世にやり残したことがあるのかは知らない。生きていても特にやりたいことがない僕からすれば、死んでからも何かをやろうとする精神は、なかなか大したもんだとも思うよ。
     けどさ、勝手に我が家を溜り場にされるとなると話が別ってもんだぜ。
    「この場所にやり残したことでもあるのか!?」
     重ねて僕が強い口調でそう尋ねると、
    「そうじゃないけど……」
     バツの悪そうな顔で鈴音が答えた。一応、自分達があまり礼儀正しくない行動を取っているという自覚はあるらしい。それなら余計にタチが悪いとも言えるが。「とりあえず、ここは凄くレイコウが良い場所なのよ」
     またそのフレーズか。
    「なんだよ、その『レイコウ』ってのは。アイスコーヒーのことか?」
    「あのねぇ、そんな言葉今時誰も使わないし、そもそもあれって関西限定の表現じゃなかったっけ? いかにも関西人が使いそうな下品な略語だわ!」
    「下品で悪かったな」
     拗ねたように顔をしかめる後藤さん。
    「そうじゃなくって、幽霊の霊に気候の候で、『霊候』よ。そうね、幽霊にとっての気候、みたいなものかしら」
     そのまんまの説明だな。昔、母親に『リモコンってどういう仕組みなの?』と質問して、『ああ、遠いところからでもテレビを操作できるのよ』と答えられたことを思い出したよ。
    「霊にとってそこがどれほど過ごしやすい空間なのかを表す、バロメータみたいなもんやな」
     僕の顔を見て心情を察したのか、後藤さんが説明を付け加えた。「どうしてこんな現象が起きるのかはまだはっきりと解明されてないんやけどな。なんにしても、霊にとって居心地の良い土地と悪い土地っていうのが存在するのは確かなんや」
    「何か、過去の因縁でもあるのかねぇ。まったく、幽霊ってよくわからねぇな」
     滝川さんが他人事のように小声でボソッと呟いた。あなたがわからないのなら、生きている僕がわかる訳もありません。
    「ほら、よく心霊スポットみたいのってあるじゃない。あれって、ほとんどが霊候の良い場所らしいわよ」
     ごめんなさい、雅美さん。僕は心霊スポットの存在自体よく知らないんです。なんせ、つい昨日まで幽霊の存在などまったく信じていなかったんだからさ。
    「俊介かって、砂漠で会合を開くよりは、冷房の効いた喫茶店で集まった方がいいやろ?」
     それはそうだ。高校の同窓会がサハラ砂漠で開催になった暁には、たとえ男子が僕一人しか参加しないと知っていても丁重にお断りするだろうよ。せめて鳥取砂丘にしてくれ。
    「こんなに霊候が良い場所は初めて来たわ。なんて心地がいいのかしら!」
     鈴音が、クラシック音楽を嗜むように穏やかな表情で目を瞑った。悔しいけど、なかなかサマになっているね。意外に、生前は上品な家庭で育ったのかもしれないな。
     ……いやいや、そんなことに感動している場合じゃないぞ。それよりもなんたることだろう。家主が変な名前を付けたせいなのかどうかは知らないけど、たまたま僕が引っ越してきたアパートは、日本でも有数の心霊スポットだったらしい。そりゃあ、家賃も安くなるってもんだ。
    「じゃあ、他の部屋に行けよ。ここはもう俺が住んでるんだよ!」
     儚い抵抗を試みる健気な僕であったが。
    「だから、この部屋が一番霊候の良い場所なのよ! 試しに今日行ったところ、他の部屋もなかなかだったけどね」
     さっきとは一転して、獲物をまったく手に入れて来なかったオスライオンを叱責するメスライオンみたいな顔で僕を睨み付ける鈴音。「だいたいさ、あんたみたいにあたし達がはっきり見える人間ならまだしも、たまにしか幽霊の存在を感じることが出来ない人の部屋なんかで集まったりしてごらんなさい。……その人はたちまちノイローゼになってしまうでしょ。それは可哀想じゃない!」
     僕だって充分可哀想だと思うけどな。
    「とにかく、あたしは決めたのよ。ここをこれから会合場所にするって!」
     さて、このような理不尽な決定に対しては、果たして直接言葉で抗議すべきなのか、それとも文書にまとめてからにすべきなのかということを思案していると、雅美さんが僕の耳元でこう囁いてきた。
    「ごめんなさいね、鈴音ちゃんも悪い子じゃないのよ。ただ、今はテンションがとても上がってるだけなの。それに、集まるのは夜だけみたいだから、哀れな幽霊のお願いだと思って、少し我慢してくれないかしら?」
     ウインクしながら上目遣いで頼み込んでくる雅美さんに、僕は少し見とれてしまった。大人の色香ってのには、とんと縁がないからな。まぁ、同年代にも色目なんて使われた記憶がないけど。
     ……しかし、やがて僕の視線は雅美さんの魅力的な顔から別の箇所に移った。一見、目立った傷がないと思われた彼女に、初めて見受けられた傷。
     ――雅美さんの手首には、大きな切り傷があったのだった。
    「まぁ、あんたが拒否したところで、勝手に集まるだけの話だけどね! でも一応、許可は取っといた方が穏やかに済むってもんでしょ」
     ショックで無言になっている僕に対して、追い討ちを掛けるような鈴音の発言。こいつは完全に交渉の方法を間違えているね。『交渉人鈴音』って映画があったら、二分でエンドマークだな。
    「残念ながら、鈴ちゃんの方に分があったみたいだな」
     ニヤニヤしながら滝川さんが言った。「少年よ、覚えておくがいいさ。男ってのは一生女に頭が上がらない生き物なんだ」
     少年って言われても僕はもう十九歳だし、そもそも “生き物”ではない人に言われたくはないんだけど。
    「ね! どうなのよ! 男ならはっきりしなさい!」
     目の前で夏の新季語になりそうなくらい眩い笑顔を放っている鈴音の自信が、どこから湧き出てきているのかはわからなかった。この女なら、地球上どこを掘っても温泉を見つけ出しそうだな。
     じっと見つめてくる大きな瞳から目線を外しながら、僕が大きく溜息をつく。そろそろ睨めっこは終わりにしよう。
    「……わかったよ。この部屋を会合場所に使ってもいい」
     元々、勝つ見込みのない戦いではあった。『幽霊が僕の部屋を占拠していて困っているんです』なんて市役所に相談したところで、幽霊とまではいかなくても病院に幽閉されてしまうのは目に見えている。そもそも悲しいことに、僕には部屋を訪れてくれる愛しい女性はおろか、友人すらほとんど存在しないからな。さして不都合はあるまい。ちょっと外見が物騒で存在が不気味なルームメイトが沢山できたと思えばいい。まぁ、何かの暇つぶしにはなるだろうよ。
     ……ああそうさ、僕は根っからのお人よしかつ楽観主義者なんだ。
    「ただし、最後に一つだけ質問させてくれ」
    「何よ? 俊介って質問が多いわねぇ」
     このような状況に立たされて、何の事情も聞かずに全て受け入れるような人間だったら、僕はとっくにノーベル平和賞を頂いてるだろうね。まぁ、あれって選考基準そのものが怪しいけどな。
    「さっきから鈴音はずっと『会合場所』って言ってるけどさ。一体、何の会合なんだよ?」
     施設提供者として、当然の質問だった。
     どうせ、おおかた『心霊写真にみんなで写ろう』とかいうくだらないテーマを話し合うつもりなんだろ。おっと、誰かを呪い殺す為の会合だなんて言い出さないでくれよ。今からでも、もう一度必死に抵抗を繰り広げてみせるぜ。
     ――ところが、返ってきたのは意外な言葉であった。
    「決まってるじゃない!」
     まさしく太古の昔から決定づけられていたかのように断定調な声で、鈴音は言い放った。「あたしを殺した犯人を見つける為の、会合よ!」
  • 【非会員でも閲覧可】為五郎オリジナル小説⑤『Dear My Friends』第5話

    2018-07-08 08:43
     我が大学の学生食堂は、第四学舎の一階に存在していた。
     なので、私はようやく屋上から開放されて、まるで天国を歩いているかのようなフワフワとした足取りでキャンパスを歩くといった幸福を享受する事が出来たのであった。
     そして、化粧以外は食べる事くらいしか趣味のないエリと、犯人を当大学の女子大生と決め付けているかのように、道行く女の子を激しく目で追っている降矢を伴い、私は食堂へと足を踏み入れた。
     ここの食堂は、ちょっとしたレストラン並みに設備が整っている。テーブルクロス付きの席は、百近くも用意されていた。しかも、天井にはご丁寧にもシャンデリア付きだ。仮にもキャリア組である刑事が、『こんな洒落たところで食事するのは、かなり久しぶりやなぁ』と呟くほどの豪勢さを誇っている。全く、変な部分にだけは予算を掛ける大学である。
     それなのに、営業方式は、学食にありがちな食券制度だったりするので、我々はさっそく券売機へと向かうのであった。
    「ホンマにこの大学には可愛い子が多いなぁ!」
     降矢がしまらない表情で話しかけてきた。
    「そうですよね!」
     まるで自分を褒められたかのように喜ぶエリ。こんなマイナーな大学に通っている人間ほど、かえって愛校心が強かったりするものなのだ。
    「君達をはじめ、ね」
     付け加えるように彼は微笑んだ。
    「どうせエリだけでしょ」
     軽く私が流そうとすると、
    「いや、綾香ちゃんも充分可愛いって」
     真顔で言うもんだから、私は顔を真っ赤にしてしまう。我ながらいくらなんでも純情すぎる。
    「そんなお世辞を今さら言っても、さっきの失言は許しませんよ!」
     その反応を見て愉快そうに嫌らしい笑みを浮かべるエリの横で、私が声を荒げて言い返すと、
    「これはマジの意見やで。というより、綾香ちゃんは俺の理想のタイプかもしれへんなぁ。なんていうの? ほら、母性を感じるというか、たくましいというか……」
    「そんな事よりも!」
     目を逸らしつつ、私が降矢の腕を指差した。「室内ではマフラーとか手袋は外してください!」
     どういう訳か、彼はまた変装しなおしていた。正体を知られるのが、そこまで嫌なのだろうか?
    「おお怖いなぁ! 君みたいのを“ツンデレ”って言うらしいで」
    「“ツンデレ”? 何ですか、それは?」
     首を傾げる私に、
    「普段はツンツンしてるけど、いざという時はデレッとなってしまう女の子の事らしいわ。この前、ネットで見つけた言葉やねん」
    「はぁ。よくわかりませんけど……」
    「そのうち、流行語になるんちゃうかな? まぁ、俺はそういう女の子の方が好感を持てるけどね」
    「ねぇ、フミヤさん!」
     突然大声で呼びかけるエリ。
    「かっこいいけど違う!“降矢”や!」
    「本当に何でも食べていいんですかぁ!?」
     ……こいつの空気を読まない発言には、いつも辟易させられるのだが、この時ばかりは助かったと思った。これ以上、降矢の戯言に付き合っていたら、どんどん私の苦手な展開になりそうだったからだ。
    「え? ああ、もちろんいいで」
    「お金は大丈夫ですかぁ?」
    「当たり前やろ! だてに警部補やってないで! で、どうして俺がこの若さで警部補……」
    「わぁい!」
     万歳するエリ。こんな馬鹿すぎるリアクションでも、彼女はとても愛らしかった。「ハマちゃん、何を食べようか?」
    「そうやなぁ……」
     券売機の前で腕組みしながら、私は思案した。ここのメニューは、そこいらの学食なんて目じゃないくらい豊富なのだ。「じゃあ、あたしはこの“特選うに・いくら・かに丼 2500円”でいいわ」
    「ぐはっ!」
     明らかに物理的ではないダメージを喰らった降矢が倒れこんだ。
    「いいやんいいやん、それ!」
     エリがしつこいくらいに頷いてみせる。「それなら、うちは“フォアグラと霜降りヒレステーキ キャビア添え3000円”にする!」
    「げほ!」
      再び奇声を上げる降矢。どうせ学食なんだから安上がりで済むだろうとタカを括っていた彼の、完全なる敗北の瞬間だった。
      ――このようにして三人は、豪勢な海鮮丼と本格的なフレンチと、ついでにとんこつラーメンを持って食堂の一番奥のテーブルを占拠する事に成功した。
    「……なんで学食にこんなメニューがあるんや?」
     すっかりしょげこんでしまった警部補が、財布を握り締めたままそう呟く。
    「ここの調理長は、超有名ホテルの元コック長だったらしいですよ」
      私が推理小説の探偵のように、彼にからくりを説明する。「うちの大学の学長と幼馴染だったらしくて、引退後はここで気ままに料理を作ってるみたいです」
    「そんな情報を前もって知っていたら……」
     顔を両手で覆う降矢に、私は優しく、
    「捜査不足でしたね。刑事失格です」
     と、語りかけた。
      それからしばらくの間、私とエリは、存在自体は知っていたものの、口にした事はおろか、実際に注文されている現場すら見た事がないメニューに舌鼓を打った。傍らでは、あれほど饒舌だったのが嘘のように、降矢が物静かにとんこつラーメンをすすっていた。
     ……食事が終わり、一息ついた後、我々は本題の話へと入った。
    「今から俺が話す事は、絶対に誰にも言わない事。最初に、これを約束してくれますか?」
    「……はい」
     私が神妙な面持ちで頷くと、
    「さて、ではとりあえず事件の状況をもう一度整理してみよう」
     真剣な表情で降矢が語り始めた。私達も、自然とかしこまった姿勢になる。「まず、桜井君の死亡推定時刻は、二月二十一日の夜十時頃。――つまり、君達が発見するちょうど二十四時間前くらいや。これについては、ほとんど間違いないらしいね、検死を行った人間によると」
    「って事は、うちらが発見した時には、もう死んでから丸一日が経ってたんや!」
     驚いたように目を見開くエリ。
    「そう。で、死因はやっぱり例のトロフィーによって後頭部を強く殴打された事によるもの。前に説明した通り、事故死という線はまず考えられない。だけど、どれだけ調べても、凶器となったトロフィー、及びドア周辺からは誰の指紋も全く検出されなかった」
    「証拠は犯人によって隠滅されていた、と」
     私の言葉に、大きく首を縦に振った後、降矢は、
    「それにしたって、いくらなんでも指紋がなさすぎやと思ってたら……どうも、先週の金曜日にあのプレハブには清掃が入ってたみたいやね」
    「清掃?」
     そのような話は初耳だった。「あのプレハブに、ですか?」
    「うん。つまり、桜井君が殺された前日に、業者によってあのプレハブは綺麗に清掃されていたって事。それなら、あそこまで指紋が見つからない理由もつくわ。だって、いくら犯人が証拠を隠滅させたいからって、殺害後に部屋中を拭きまわったってのは無理があるやろ。そんな余裕なんてないはずやし」
    「そりゃあそうですよね。自分の指紋さえ拭き取ったら、後は逃げますよ」
     私が同意する。
    「もっとも、この清掃が犯人にとって好都合やったのか不都合やったのかはわからへんけどね。……で、ご存知の通り、あの部屋は窓もなく、また、念入りに調べたけど、抜け穴のようなものも存在していなかった。あと、サムターンについてやけど……」
    「サムターン?」
     聞きなれない単語に反応するエリ。「スケートの技ですか?」
    「どっからフィギュアの話になったねん!? 鍵の種類や、鍵の!」
     苛立ったように答える降矢。「ほら、プレハブのドアに付いていた鍵があるやろ。ああいうのを『サムターン方式』の鍵って言うねん」
     要するに、ドアノブの上に鍵を差す部分があり、内側ではその部分が開閉ツマミになっていて、中からはそのツマミを横にするだけでロックされる方式のものを『サムターン』というらしい。
    「いろんな専門用語があるんやなぁ」
     勝手な専門用語を作り出す名人であるエリも、すっかり感心しているご様子だった。
    「最近は、ああいうのを壊す犯罪が流行ってるんやけど、とにかく現場のサムターンには細工された形跡が見つからなかった。あんなにオンボロなドアやから、傷なんかはたくさんあったけどね」
    「なるほど。では、やっぱり犯人は合鍵か何かで開けたとか……」
    「ところが、それも考えにくいねん」
     腕組みしながら降矢が言った。「この周辺の鍵屋……それこそ、裏路地にあるような怪しい店まで全てしらみつぶしに当たったんやけど、あのドアの合鍵を作ったなんて業者は現れなかった。『合鍵で犯行が行われました』なんて事になったら、捜査もめっちゃ楽やから、俺も考えられる可能性、例えばネットなどでそんな取引があったのかどうかなんて事まで、全部調べたはずなんやけど、結果はさっぱりやったわ。ああ、無駄骨や無駄骨や」
    「それはご苦労様ですね」
     早口でまくしたてた降矢に、私が皮肉っぽく言葉をかける。
    「あ、そうそう。これは全然関係ない話なんやけどさ」
     降矢は上目遣いでエリの方を向いた。「聞くところによると愛理ちゃんは、桜井君からあのプレハブの合鍵を渡されていたんやってなぁ」
     ……やはり、なんだかんだ言ってもこの男は刑事らしい。既に、そこまで調べがついていたのだった。
    「え? ああ、はい」
     おどおどした様子で認めるエリの代わりに、
    「でも、それは桜井さんが殺される前日に、ちゃんと本人に返しました!」
     語気を強めて私が言い放った。「だから、エリは事件と全く関係がありませんよ!」
    「うちは犯人じゃないもん!」
     彼女もキッと睨みつける。
    「いやいや、そういう意味じゃないけどさ、ただの事実確認やん」
     彼が気まずそうに笑う。「うんうん、確かにそれやったら愛理ちゃんは何も関係がないな。ごめん、変な事を聞いて」
     この謝罪が降矢の本心なのか、それとも演技なのかは、彼のにやけた表情からは窺い知る事ができなかった。「まぁ話をまとめると、この世界には、あのドアを細工せずに開けられる鍵が、三つしか存在していないみたいやな」
    「三つ?」
     怪訝な表情になる私。「二つ、でしょう? 桜井さん本人が持っていたヤツと、金庫の中にあったヤツの。前に降矢さんもそう言ってたじゃないですか」
    「いや、もう一つプレハブの鍵が存在していて、それは大学の警備室に保管されていたねん。考えてみれば当たり前の話やけどな。これについては後から詳しく話そう。……ともかくいくら調べても、あの部屋が正真正銘の密室だったって事がわかったくらいで、そんなのは捜査に必要どころか、完全に邪魔するだけのような事実やから、俺も頭を抱えているって訳ですわ」
    「鍵が使えないとなると……」
     私が首を捻りながら、質問する。「桜井さんを殺した犯人はどうやってあの密室から抜け出したんでしょう?」
    「だから、それがわかれば苦労はしないって!」
     苦々しげに彼は顔をしかめた。「そういった訳で、今は密室の謎よりも先に犯人を捜した方が早いかなって思ってるねん。というより、俺達警察の仕事は、犯行のトリックなんかよりも、犯人を見つけ出す事やからな」
    「そうそう、犯人に聞いたら全部わかるって!」
     極めて単純な思考回路の持ち主、すなわちエリが即座に応じる。「刑事さん、頭いい!」
    「あんたよりはな」
     苦笑しながらそう指摘した後、「で、犯人の目星はついているんですか?」
    「犯人、ではないにしても、容疑者はある程度絞られている」
    「絞られている?」
    「うん。事件が発生した夜に、大学に居た人間がだいたいわかってるねん。もちろん、わかってる限りやし、他には絶対誰も居なかったとは言えないけどね」
    「それは、誰なんですか?」
     この流れでは当然の質問だったが、降矢は途端に渋い顔になった。
    「う~ん、そこまで言うのはさすがにねぇ……」
    「あたしの貞操を奪った事について、最後の弁明を許可します。それを含めて、ネットで公開しますね!」
    「奪ってないやん! どんどん話が大きくなっていってるし!」
    「皆さん、聞いてくださ~い! ここにいる降矢って刑事は……」
    「わかったわかった!」
     焦ったように私の口を塞ぐ降矢。「教えるからさ、そういうのはナシにしようぜ。……まだギターのローンが残ってるんや」
    「そんなローンもあったんですか!」
     そりゃあ、今すぐ退職する訳にはいかないだろう。
    「それらの人物に対する、君達の率直な意見を聞いても、俺に損はなさそうやしね」
     もってまわったようなエクスキューズを付けないと、自分を納得させられない性格らしい。その気持ち、私もわからないではないけど。
    「損はなさそうやしね!」
     同じ言葉を繰り返すだけの、エリの相槌が入る。こういった、当たり障りのない会話を好む気持ちもわからないではない、が、彼女の性格はいまだによくわからない。
    「繰り返すけど、これは絶対に内密にしてや。……色々な関係者の証言を基にして導き出したところ、あの夜に――二月二十一日の夜にこの大学で居たのは四人」
    「四人? それはだいぶ少ないですね」
     あいかわらず寂しい大学だな。
    「まぁさっきも言った通り、判明している限りは、という条件付きやけどな」
     彼は胸ポケットから小さな手帳を取り出した。何故かピンク色だった。「まず一人目は、並川竜也(なみかわたつや)、二十九歳。年齢からいってもわかるように、学生ではなく、この大学の警備員をしている男だ。ここ泉州大学は、七人の警備員によって二十四時間体勢で管理されているんやけど、事件のあった夜は、彼一人の夜勤だったらしい。もちろん、警備室には各施設の鍵も置かれてある。さっき言ってたもう一つのプレハブの鍵も、ここで保管されていたという訳です。早い話が、桜井君以外であのプレハブの鍵を使えたのは、彼だけという事になるんや」
    「それじゃあ、一番怪しいと言えますね」
     お望みどおり率直に私が述べると、
    「けれども、彼にはアリバイ“らしき”ものがある」
    「アリバイ……らしきもの? なんですか、そりゃ?」
    「並川は、昨年末に結婚したばかりみたいなんやけど、事もあろうか仕事中にも関わらず、警備室の電話から自宅にいる奥さんにしょっちゅう電話してたようや」
    「うわぁ、ラブラブ! いいなぁ!」
     率直に言って無駄な感想と思われるエリの発言を無視して、彼は話し続けた。
    「事件の夜も例に漏れず、午後九時から十一時に渡って二時間も電話をかけていたらしい」
    「ちょうど事件のあった時間ですよね。ええっと、それは記録に残ってたりするんですか?」
    「うん。電話会社にも残ってたし、奥さんの携帯にもちゃんと履歴が残ってる」
     降矢は手帳を凝視しながらそう答えた。
    「だけど、かえって怪しくないですか? そんなにかっちりとしたアリバイがあるやなんて」
     腑に落ちない私に、
    「でもさ、かえって怪しいだけに、かえって信じられるっていうか」
    「……どういう意味ですか?」
    「つまりね、本当に並川が、何かの必要性に迫られて故意にアリバイ作りをしようとしたなら、奥さんなんて身内を選ぶかなって事や。親類の証言には証拠能力がないって事くらい、法律知識がなくたって感覚でだいたいわかりそうなもんやろ」
    「言われてみれば、そうですよね」
    「それにさ、桜井君とこの並川には、ほとんど接点がないねん。……君達から見て、この二人は何か繋がりはあったかい?」
    「う~ん……同じ日本人って事くらいかな?」
     これは当然エリの答えなのだが、降矢が聞きたかったのは、そういう意味じゃないと自信をもって言える。
    「それは盲点やったな」
     真面目くさった顔で頷く降矢。「なんにしても、新婚で幸せ一杯なはずの並川が、ほとんど面識のない桜井を殺さなければいけない理由が、現時点では全く見当たらないねん。動機がないってのは、かなり痛い事やなぁ」
    「痛いですねぇ、本当に」
     別に並川を犯人にしたい訳ではないが、私がそう返す。
    「だいたい、いくら警備員といえども、桜井君が並川に対してプレハブ内にまで招き入れるほど気を許したかなって疑問もある。噂によると、桜井君はだいぶ気難しい側面もあったらしいやん」
     その噂通り、桜井には偏屈なところがあった。部員ですら、彼が集中している時は話しかける事ができなかった。不思議とそういうオーラを放つ男であった。そんな彼が、警備員とはいえ部外者を、貴重な一人の空間である夜の部室に招き入れるとは確かに考えにくい。
    「それは、その通りだと思います」
    「そういった意味じゃあ、桜井君と同じ演劇部員である、島谷康夫(しまたにやすお)二十一歳の方が脈はあるんやけど……あ、どうやら君達はこの島谷君の事があんまりお好きじゃないのかな?」
     さすが刑事だけあって、表情から真意を汲み取るのは得意のようだ。だけど、別に刑事じゃなくても、それは容易かったのかもしれない。それほど、私とエリの顔にははっきりとした嫌悪感が表れていたのだろう。
    「好きではないですね。まぁ、どちらかと言えば大嫌いです!」
    「どちらかと言う必要もなさそうやな」
     降矢が軽く笑う。
     三回生である島谷は、現在の演劇部における最古参メンバーの一人でもあった。ところが、それを傘にした横柄な態度や、実力がない癖にやたら仕切りたがるといった行動によって、部員からはほとんど尊敬されていない。聞くところによると、彼は東京出身でちょっとした金持ちの息子らしく、そのねちっこい標準語で語られる話題のほとんどは、自慢話と他人への批判で形成されていた。プライドだけが肥大し、他人を認める事を非常に嫌うこの男を、私が好きになれるはずもなかった。
    「って事は、あの島谷も、事件の夜に大学に居たって事ですか!?」
    「そういう事や。これは本人も認めてまっせ」
    「あの人な、うちにいっつも嫌味言うねん! 化粧が濃いだとか、アホだとか……」
     その点については、島谷の意見もまんざら間違ってはなさそうだったが、エリは口を膨らませながら訴えるのだった。
    「ふ~ん、ちなみに俺とどっちが嫌い?」
     降矢がそう聞くと、
    「ええ? う~ん……う~ん……島谷かな」
     回答にだいぶ時間が掛かった事に対して落胆している様子の彼に、私は、
    「あいつが怪しいですね。というより、あいつが犯人です。今すぐ逮捕しましょう」
     と、結論を述べた。
    「はは、すごい決め付けやなぁ。とはいえ、確かに島谷君には動機もある。彼は桜井君と部長の座を争っていたらしいね」
     少し身を乗り出す降矢。
    「ええ、島谷さんは劇の主役もやりたがっていたんですが、そうなると脚本にかなり制限が掛かりそうなんで、他の部員は影で猛反対してましたね」
     ここぞとばかりに赤の他人に不満をぶちまける私。決してフェアとは言えないだろうけど。
    「島谷君は三回生やから、年下で二回生の桜井君が部内で持て囃されているのを快く思っていなかったって証言もあるんやけど……」
     彼は煙草をポケットから取り出した。「でも、彼にもアリバイがあるねん」
    「そんな訳はない!」
     エリは、もう島谷が犯人だと完全に決め付けているようだ。「それはアリバイじゃなくてアリババや!」
    「意味がわからん。唐突すぎて、突っ込む言葉も見つからん!」
     私も降矢と同意見だった。
    「どんなアリバイなんですか?」
     エリよりはまだ知的な私が話を進める。
    「島谷は、事件の夜に第五学舎でずっとパソコンを使っていたみたいやねん。もちろん、ちゃんと大学側の許可を取ってね。彼はなかなか優秀な学生だったらしくて、教授連中からはそれなりに好かれていたようやな」
    「自分より強い人間には媚びるヤツなんですよ!」
     憤りを感じつつ、私が言った。「そんなところも大っ嫌いやわ!」
    「まぁ、その使用許諾申請によって、島谷が事件の夜に大学にいたって事実も判明した訳やけどさ」
    「だいたい、パソコンを使ってあいつは何をしてたんですか?」
    「たぶん、エッチなサイトを見てたんやで! いやらしいわぁ!」
     エリが顔をゆがめる。無駄に想像力の豊かな女でもあるのだ。
    「いや、彼はメールのやり取りをしていたらしいわ。しかも、それが午後八時から十一時までずっとひっきりなしに行われてたみたいやねん」
    「三時間も!」
     私が驚きの声をあげる。
    「そう。当然、パソコン本体にばっちり記録が残ってあった。俺もそれを見たけど、最短でもやり取りに三分以上の間隔はなかったな。まさしく、『会話』に近いもんやったわ。だけどさ、俺みたいなおっさんにはよくわからんけど、それなら電話で話した方が早いんじゃない?」
    「言葉では伝えきれない気持ちもある……」
     エリがポツリと呟いた。言うまでもなく、それを黙殺して私が、
    「なんか、気取った文章ばっかり書くらしいですよ。本人曰く、『僕は詩人だから、声よりも文章の方が真意が伝わるんだよ』とかなんとかで」
    「ふうん、よくわからんけどなんか凄いな」
     困惑の表情を浮かべながら煙草に火を付ける降矢。
    「ちょっと! ここは禁煙ですよ!」
    「あ、そうなんや。どうりで灰皿がないと思ったわ」
     彼はポケットからまた何かを取り出した。「けど、大丈夫。携帯灰皿を持ってるから」
    「百メートル離れた地点からライフルで撃ち殺しますよ!」
    「ごめんって! 冗談やん! 殺害方法まで明言しなくても……」
     すぐさま煙草を消して、頭を下げる彼だった。行動が、とても警部補のそれには見えない。最近は、こんな人間でも警察官になれるのだろうか。
    「ねぇねぇ、島谷さんは誰とそんなに長い時間メールをしていたんですか?」
     エリが急にニタニタと笑い始めた。こいつは、他人のこういった話題を必要以上に楽しむといった無駄なスキルを持っていた。見た目は洗練されていてスタイリッシュな彼女でも、やはり大阪のおばちゃん予備軍である事には違いないのだろう。
    「それについては話さないのが華ってもんやな。せいぜい想像して楽しんでおくれ」
     さしもの私も、その事項について降矢を脅迫してまで知りたいとは思わなかったので、そのままスルーする。「そして、この島谷が使っていたコンピューターのある部屋ってのが、第五学舎の最上階、つまり七階の一番端にあってね。まぁ端ついでに端的に言えば、その地点からプレハブまではどう急いでも移動に十分以上は掛かるんや。そりゃあ、窓から飛び降りてそこから瞬間移動するなんて能力を、島谷が持っていたとするなら、話は別やけど」
    「そんな能力があるなら、窓から飛び降りる前に瞬間移動するけどなぁ」
    「ま、そういう訳で島谷のアリバイも鉄壁って事です」
     降矢が息を吐きながらそう述べた。
    「残念やなぁ」
     なんとも失礼かつ怖い感想を口にする私。
    「でも、鉄壁すぎるってのも怪しいと言えば怪しい」
     降矢が言葉を続ける。「それに、わざわざ学校でメールしなくても良さそうやけどな。こんな風に記録に残ってしまうし、プライバシーを考えるとおかしな行動とも言える。それとも家にパソコンがないのかな?」
    「それはありえないでしょう。それどころか、パソコンを三台も持ってるとか言ってましたよ」
     島谷の金持ち自慢なら、耳が腐るほどよく聞かされている。
    「じゃあ、メールなんか家でしたらいいのにね」
    「例えば個人を特定されないが為の行動、とも言えますけどね」
    「個人を特定されないが為?」
    「だって、大学のパソコンを使ったら、個人情報が特定されにくいでしょう」
     何故か、意に反して島谷を弁護するような発言をしてしまう私だった。
    「個人情報を特定してほしくないようなメール相手なのかねぇ……。ま、いいや」
     気を取り直したように、彼はもう一度手帳を覗き込んだ。「次のヤツなんやけど、こいつがまたひどいねん」
    「何がひどいんですか? 顔がですか?」
     すぐに自分の価値判断と照らし合わせるエリ。
    「顔はまぁまぁやったけど……あ、君達も知ってるかな? 元演劇部って言ってたから、顔くらいは見た事あるかもしれへんわ」
    「誰ですか?」
    「ええと、城野洋二(じょうのようじ)、二十歳。文学部の二回生やな」
    「ああ、城野さんですか。知ってますよ」
     城野は、昨年の四月から一ヶ月だけ演劇部に在籍した、少々変わり者の男だった。会話した事はあまりなかったが、彼が変人だという噂だけはよく耳にしたものだ。「へぇ、城野さんもあの夜に大学で居たんですね。だけど、何がひどいんですか?」
    「スタイルですか?」
     またもや自分の価値判断と照らし合わせるエリ。彼女も城野とは面識があるはずなのだが。
    「事件の夜に大学に残っていた理由がひどいな。なんでもあの夜は、ずっと一人でグラウンドにあるゴールマウス相手にPKの練習をしていたみたいやわ。それも、夜の十一時までね」
    「ホンマにあの人はサッカーが好きなんですねぇ……」
     呆れるのを通り越して感心してしまう私だった。
     城野が極度のサッカーマニアだという事は、わずかしか交流のなかった私でも知っているくらい有名な話であった。彼が演劇部に入部したきっかけも、いかにして審判を騙し相手にファウルを取らせるかという、専門的な用語を用いるのならば『シミュレーション』に必要な演技力を養う為だというのだ。当たり前だが、演劇部に在籍していても、その目的がほとんど達成できない事に気がついた城野は、一ヶ月あまりで退部していったのであった。
    「あの~、PKって一人で練習できるもんなんですか?」
     私と違って、スポーツにはほとんど興味がないエリの問い掛けに、
    「まぁ、キーパーじゃなくて、打つ方の練習なら一人でもできない事はないけどさ」
     納得しかねるといった顔で説明する彼。「でもさ、俺もそれほどサッカーに詳しい訳じゃないけど、PKなんて試合中でそんなに出てくる場面じゃないで。それなのに、彼は数時間も一人で黙々と練習していたみたいやな」
    「城野さんって今はサッカー部なんですか?」
    「いや、それが地元のサッカーチームに入ってるだけで、この大学の部活には参加していないようや。だから、夜に一人で練習せざるを得ないって言ってたわ」
    「そんなにサッカーが好きなら、うちのサッカー部にも入ればいいのにねぇ」
    「今さら入ったところで、連携がうまくいかないってさ。そんな事を言ってたら、たまにしか集合しない日本代表なんてどうなるねん!」
    「だけど、そんなのアリバイになりますか?」
     PKの練習をしていたというアリバイなんて、あんまりドラマや推理小説で聞いた事がない。
    「どうもこの城野君は、PKに関する何かの統計を取っていたようで、『君がPKの練習をしていたって事は証明できるの?』って俺が尋ねたら、ものすごく分厚い資料を提出されたわ。彼の説明によれば、その時の風の強さまで記録していたみたいや」
    「全く、変わった人ですねぇ」
    「でね、『この風の動きは、実際にその場で計測していた人間しかわからないはずです。なんなら、気象庁に問い合わせてもらってもかまいません』とか言いやがるんやけど、いくら気象庁でもそこまで詳しい記録なんて取ってないっちゅーねん!」
    「じゃあ、確固たるアリバイはないという事ですね」
     私が訊くと、
    「そういう事やなぁ。もっとも、資料があるからアリバイに関する物的証拠が皆無って訳じゃあないけどさ」
    「それにしても、城野さんの話が仮に本当だとして、いったい何の為にそこまで詳しい記録を取っていたんでしょう?」
    「風によってシュートの成功率が変わるって話やけど……そんな発想をするなら、文学部じゃなくて理系に行けって感じやな。さらに、この統計をアトランダムに、要するに人工的に組み合わせた場合、ここまで変数がうんぬんかんぬんとか訳のわからない事を言われて、最終的には俺が煙に巻かれた形やったなぁ」
    「自分で『煙に巻かれた』って言ってたら駄目でしょ!」
     ふがいない警部補に注意を促す私だったが、
    「とにかく、あんな資料を持ってこられても、それこそ文系の俺には全然理解できません。まぁ、アリバイあるんじゃないかな、彼には、たぶんやけど」
    「投げやりやなぁ!」
    「ところがこの城野君も、桜井君とは高校が一緒だったくらいしか繋がりがないねん。大学に入ってからは、演劇部に在籍した一ヶ月以外、全く接点がなかったらしい。それも、もう一年近く前の話やから、高校時代の遺恨でもない限り、殺す動機が見当たらないね」
    「そういえば、私もあれから城野さんとは会ってませんしね」
     彼らにそれなりの繋がりがあったのならば、ここ一年ほど常に桜井の傍にいたといっても過言ではない私にも知られているはずだろう。……故意に隠されたりしない限りは。
    「ちなみに城野さんは、事件の夜に何か異変を感じたりはしなかったんですかねぇ?」
     エリにしてはまともな質問だった。少し、いや、かなりビックリした。
    「あのグラウンドからはプレハブが見えないやろ。それに、練習中は完全に一人の世界に入っていたらしいわ。よくわからんけど、結果的に彼から事件解決に対して直接の手掛かりになるような情報は得られなかった。得られたのは、当日の詳しすぎる風の動きの情報だけやわ」
    「凄い収穫やん!」
     恐らく早口すぎる降矢の解説に着いていけていないエリの、無理矢理捻り出したであろう感嘆の句だった。結果的には、皮肉にしか聞こえない。
    「ところが」
     わざとらしく咳き込んだ後、降矢が口を開いた。「事件の夜、彼は正門で一人の女子学生と会っていた。ただ、城野君とその女の子は、面識はあるもののそんなに親しい間柄ではないらしい。だから、お互い口裏を合わす事なんてできなかったのか、それとも単に二人とも正直者なのか、あの夜に大学に残っていたなんて不利な事実を、彼らは自分から進んで素直に認めたって訳ですわ」
    「ああ、どうせ隠したところでもう一方に喋られたら余計に不利になるから、って事ですね」
    「さすが綾香ちゃんは察しがいいなぁ」
    「うちには全然わからへん! 何を言ってるん?」
    「さすが愛理ちゃんはアホやなぁ」
     さらっと冷酷な事を言う降矢。
    「その女子学生ってのは……」
     私が訊き終わる前に、降矢が答えた。
    「西垣沙紀、っていうんやけど」
     その単語を耳にして、驚愕のあまり息を呑む私を、降矢はニヤリとしながら見つめてきた。「……もちろん、知ってるよね」
    「沙紀さんも、あの夜に大学に居たんや」
     驚いたのはエリも同じのようだった。「すごいな、ほとんどが演劇部関係者やん」
    「そうやな。事件のあった夜に大学にいた人間の四分の三は、演劇部に何らかの関係がある人物やし、殺されたのも演劇部の人間って訳や。この事実は事件に何か関係があるのか、それとも偶然なのか……」
     思わせぶりな口調の降矢。「とにかく、彼女と城野君は、あの夜の午後九時前、正門前でばったりと出会ったらしい。これは、二人とも証言が一致している」
    「沙紀さんは、大学で何をしていたんですか?」
    「図書室で本を探していたんやって。確か、夜の十時半くらいまではそこに居たらしいわ。けどさ、俺も図書室に行ってみたけど、それほど広いところじゃないよなぁ」
    「そうですよねぇ」
     我が大学の図書室は、ちょっとした大型書店より確実に狭い。演劇部のプレハブの、ちょうど三つ分くらいの大きさだろうか。「だいたい、あたし達が桜井さんを発見した夜も、沙紀さんは図書室に行ってたみたいやし……そこまでいったい、何の本を探してるんでしょうか?」
    「ホンマや!」
     またもや追随するエリ。「あの日も会ったわ。沙紀さんって、よほど本が好きなんやなぁ!」
    「もっとも、このアリバイに関しては何の確証もない。つまり、彼女がその時間に図書室にいたなんて証拠が、全くないねん」
     意味ありげに顔をしかめながら、降矢はコップの水を飲み干した。「だけど、アリバイって普通はそんなもんやからなぁ。そういつもいつも、自分のアリバイなんか証明できへんで」
    「あ、そういえば!」
     ふいに私は大声をあげた。「沙紀さんで思い出したんですけど……あたしがプレハブのドアを蹴破った事は、みんなに発表してるんですか?」
    「え? どういう意味?」
    「あのね、昨日の一限終わりに、急に沙紀さんに話しかけられたんです」
    「え~? そんな事あったっけ?」
    「あんたは休んでたやろ!」
     記憶力に乏しい幼馴染の頭をはたいた後、私はもう一度降矢の方を向きなおした。「それで、『ドアを蹴破るなんて、いかにも濱本さんらしいね』って言われたんですよ。その時は特に何も思わなかったんですけど、今から思えばなんで沙紀さんはその事を知ってるんやろうって……」
    「ちょっと待って。それじゃあ、西垣さんは綾香ちゃんが桜井君の遺体を発見した事も知ってるって訳やなぁ」
    「それは、遺体を発見する直前に沙紀さんと大学で会ってるんで、説明はつくんですよ。我々も、『これから桜井さんのところに行く』ってちゃんと言いましたしね。だけど、ドアを蹴破った事まではわかるはずがないでしょう」
    「わかるはずが……ないかな?」
     頼りない我が親友を無視して、私が続けた。
    「それじゃあ、もしかして西垣さんはこの事を警察から教えてもらったのかなと思って……」
    「いや、それはありえない」
     言下に否定する降矢。「少なくとも、事件の現場が密室だったって事すら警察は発表していないはずや。この事は、それを指示した本人――すなわち俺が言ってるんやから間違いないで」
    「ホンマですか?」
     疑いの眼差しをおくる私に対して、
    「ホンマやって!」
     顔を赤くしながら彼は言った。「自供の信憑性を保持する為や、証言を厳しく吟味する為に、いわゆる『犯人しか知りえない』情報を残しておくのは、捜査の常道やで!」
    「全っ然意味わからへん!」
     怒ったような口調になるエリだった。「うちはアホやもん! もっとわかりやすく説明してや!」
     さっきの発言をまだ根に持っているらしい。
    「要するにやで、例えばこちらは何も言わないのに、現場が密室だってわかっている人間がいたら、そいつはかなり怪しいって事になるやろ。だから、警察官ってのは肝心の情報は隠して捜査をするもんなんや。……脅迫されたりしない限りはね」
     バツの悪そうな顔になる降矢。きっと、己の現在の行動を鑑みたのだろう。「そういう訳やから、事件についてほぼ把握しているのは、警察関係者を除けば君達二人くらいのもんやで」
    「え、そうなんですか?」
     意外にも、我々は結構重大な責任を負わされていたようだ。
    「うん、そうやで。ほら、誓約書にも書かれてあったやろ。『事件の詳細については、家族にも漏らしません』みたいな事を」
    「誓約書……って何ですか?」
    「はぁ!? 最初の事情聴取の後に、サインさせられたやろ!? ……もう忘れたんか!?」
     私の反応を見て、彼は眉間に皺を寄せながら甲高い声を出した。
     ――そういえば、桜井の遺体を発見した後、警察によって書かされた書類の中に、そんなものも入っていたような気がする。もっともあの時は、とにかく早く帰りたかったので、書類の内容なんかにほとんど気をまわす事なく、ただ降矢の指示通りにサインをしたのだった。
    「いや、でもあたし達は事件について誰にも喋ってませんよ!!」
     慌てて弁解する私。
    「それなら、恐らくどこからも情報は漏れていないはずやで。……その証拠に、君達はこの二日間で西垣さんを除く誰かに、事件の第一発見者としての質問を受けたかい?」
    「そう言われてみると……受けてないなぁ」
     エリが首を傾げる。「けど、それはみんながうちに対して、すごく気を遣ってくれてるからやと思ってたわ」
     全く気を遣わない女にしては、なかなか殊勝な解釈だ。
    「こんな片田舎にある大学の子達が、そこまで野次馬根性を抑えれるとは思えないけどなぁ」
     ひどい言われようだ。……しかし、残念ながら降矢の意見はたぶん正しかった。私だって、逆の立場なら『なぁなぁ、どうやったん!?』と聞きまくってるだろう。
    「じゃあ、どうして沙紀さんはあたしがドアを蹴破った事を知っていたんですか?」
    「さぁねぇ……綾香ちゃんが普段から色々なものを蹴破ってるからじゃないの?」
    「降矢さんってつくづく失礼な人ですね!」
    「ごめんごめん」
     笑いながら謝る降矢。「けどね、実は俺もこの西垣って女の子には興味を持ってたねん」
    「吹き矢さんって、あういう人がタイプなんですか?」
     エリがすかさず質問した。
    「今さら名前間違うなよ! ふ・る・や! 吹き矢って罰ゲームか! ……それに、そういう意味で興味を持ったんじゃないねん」
    「なんで沙紀さんに興味を持ったんですか?」
     私が真面目な顔で訊くと、
    「それには理由があって……おっと、危ないところやった。自分で捜査の常道から外れるところやったわ」
     これでごまかせると思っている彼が、ある意味可愛い。「まぁ、今の台詞は忘れてや」
    「わかりました」
     聖母のような微笑みを浮かべながら、私は彼に言ってあげた。「では、降矢さんも自分がエリート刑事だった過去を忘れて、明日から再就職先を頑張って探してくださいね!」
    「うわぁ! そうやった! 俺は脅迫されてるんやった!」
     大袈裟に嘆く降矢。「ホンマに俺って口が軽いよなぁ。あ、でも恋愛に関しては全然軽くないんやで。むしろ、一途というか、いまどき珍しく純朴な好青年というか……」
    「そんなアピールはどうでもいいんです!」
     業を煮やした私が叫ぶ。「それより、なんで降矢さんが沙紀さんに注目したのか、その理由を教えてください!」
    「はぁ……わかったよ」
     疲れたような顔で、彼は力なく頷いた。「あのね、この大学には、一台だけ監視カメラが設置されているって事を知ってる?」
    「監視カメラ?」
     予期せぬ言葉に戸惑いを隠せない私。
    「うん。正門から見て第三学舎の左手側に、その方向を向いた、つまりプレハブの方向を向いた形で、監視カメラが設置されてるねん。これは、学生のみんなもけっこう知らんみたいやけど」
    「知りませんでした……」
     本当にそんな事実は知らなかった。その周辺は何度も足を運んだ事があるはずなのだが、監視カメラの存在には一切気付かなかった。なんにしても、一台だけお飾りのように設置するなんて、いかにも貧乏な泉州大学らしい。「だけど、それがどうかしたんですか?」
    「そのカメラのテープを、我々は押収した訳なんです。当然の事やけどさ。で、調べてみたら……事件のあった日の午後十時過ぎに、何か走り去っていくようなモノが映りこんでるんや」
    「走り去っていくようなモノって……まさか……」
     思わず唾を飲み込む私に、
    「方向からいって、それは犯人の可能性が高いねん」
     あっさりと彼は結論を述べた。「でもな、悲しい事に、その監視カメラってのがかなり古い代物で、なおかつ壊れかけなもんやから、はっきりとは何が映ってるのかがわからへんのや」
    「役に立たないカメラですねぇ」
     エリに言われたら、その監視カメラも可哀想過ぎる。
    「ただ、俺が受けた感じでは、それがスカートのようなものを履いてるようにも見えたねん。いや、これはあくまで感覚的なものやけどな。鑑識課にまわしても、こんなにノイズまみれの映像じゃあ解析のしようがないって話やわ。一つだけ言えるのは、これを機会に泉州大学は監視カメラを買いなおすべきやって事やろうね」
    「スカートのようなもの、ですか?」
    「そう。ひょっとしたら、スカートじゃないかもしれないけど。けれど、もしそうだとしたら……スコットランドじゃあるまいし、ここ日本ではあんまり男がスカートを履かないやろ?」
    「……だから、沙紀さんを怪しんでいるという事ですか」
     私は降矢の顔を覗き込んだ。
    「いや、怪しんでるまではいかないけど、注目してるのは確かやなぁ。今の時点で判明している限り、あの夜に大学内でうろついていた女の子は西垣さんだけやし、かといって、このカメラに映ってるのがもし彼女やとしたら、結構おかしい話やろ? ご承知の通り、図書室はプレハブとは全く違う方向にあるんやで。なんでこんな場所をうろうろする必要があるねん? ましてや、走り去る必要なんて……」
     渋い顔で、降矢は言った。
    「そんな……沙紀さんが桜井さんを殺したやなんて……」
     蒼ざめた表情を浮かべるエリに対して、
    「こら! 滅多な事は言うもんやないで!」
     私はきつく叱り付けた。ついさっきは自分自身が島谷を犯人扱いしたくせに。「そう決まった訳やないやろ!」
    「そういう事やで」
     悪戯っぽい笑みを浮かべながら、彼はゆっくりと口を開いた。「そもそも、真っ先に怪しまれる人間は、逆に犯人じゃなかったりするもんやろ。ほら、推理小説なんかじゃあお決まりのパターンやん」
    「これは実際に起こった事件なんですよ!」
     今度は降矢を叱り付ける羽目になった。「それにしても、さっきから聞いてると、降矢さんって『逆に』ばっかりですよね。もっと素直に物事を見れないんですか?」
    「当たり前やろ! 俺は刑事なんやから」
     憤慨するように声を荒げる彼。
    「『疑うのが刑事の仕事』、ですか」
     首を横に振る私。「ああ、刑事にだけはなりたくないなぁ」
    「厳密に言えば違うで。刑事の仕事で本当に難しいのは、『どこまで疑うか』を見極める事やな」
    「……どこまで疑うか?」
    「うん。わかりやすい例を出すならば、俺の中の基本的な犯人の際限は、『被害者と自分以外』やわ。それすら怪しみ始めたら、もしくは、この事件自体が、全世界がグルになって俺を貶めようとしているんじゃないかって怪しみ始めたら、頭がおかしくなってしまうやろ」
    「なんだか荒唐無稽な話ですね」
    「でも、人を疑うって、それくらい怖い事なんやで」
     真っ直ぐな視線で私を見つめる降矢。それに怖気づいたのか、私はさっと目を横に逸らしながら、
    「……ええ、怖いです」
     と、小声で答えた。
    「逆に言えば、それ以外は全て疑ってもいいんやけど……とりあえず今回の事件について言えば、第一級容疑者は、この六人やな」
    「六人? 四人じゃなくて?」
     単純な言い間違いなのかと私が突っ込むと、
    「君達も含めてや」
     真剣な面持ちのまま、彼はそう言い放った。「個人的には非常に残念やけど、第一発見者をリストからは外せませんな」
    「……やっぱりね」
     この彼の台詞にも、それほどショックは受けなかった。私だって、もちろん降矢に完全に心を許した訳ではなかったし、そういう事態になる覚悟は前々から出来ていた。
     だが、エリがそこまで強い訳もなく、
    「そんなぁ! うちは犯人じゃないもん!」
     と、泣きそうな声でわめき散らす始末だった。
    「まぁ、あくまで形式上の容疑者であって、個人的には君達がやっただなんて思いたくないんやで」
     降矢も、バツの悪い顔で宥める。「ごめんって!」
    「ひどい! 降矢さんって顔は言うほど良くないけど、中身は良い人だと思ってたのに!」
    「今すぐ逮捕してやる! 明日死刑執行やな!」
    「……その六人の中で、降矢さんが一番怪しいと思っている人は誰ですか?」
     そんな二人のやり取りを少し醒めた目で見ていた私が、口を挟む。
    「そこまでは言えないな」
     エリと取っ組み合いになりかけの降矢が、こちらを向いた。「それに、いずれにしてもまだ情報を集めている段階やわ。最終的には、密室の謎も解明しないといけないやろうし」
    「はぁ……」
     完全にはぐらかされたのだろう。私はどう答えればいいかわからないまま、心の篭っていない返事をする。
    「ま、そういった訳で、何か新しい情報でも入ったら俺に教えてや」
     彼はもう一度財布を取り出した。「これが俺の名刺!」
     そこには、降矢の携帯番号とメールアドレスが記されていた。
    「本当に刑事さんやったんですね!」
     エリの純粋な一言に、
    「今頃信用したんか! 今まで俺を何者と思ってたねん!」
    「ひょっとしたら、うちのストーカーかなって」
    「ひどい! 別件でもいいから逮捕してやる!」
     また取っ組み合いになりそうだった。案外、良いコンビなのかもしれない。
    「はいはい、もういいですって」
     一人蚊帳の外に置かれた私が、二人を嗜める。
    「あ、プライベートな電話でもいいで。夜中なら、やけど」
     余計な事を口走る降矢に、
    「その辺はあんまり期待しないで下さいね!」
     ちゃんと断っておく、礼儀正しい私であった。
     ――こうして私とエリは、食堂を出てすぐに降矢と別れた。彼はもう少し大学をうろうろするつもりらしいが、私はそこまで付き合う気分にはなれなかったのだ。
     先述した通り、演劇部に向かう必要がなくなってしまった我々は、そのまま帰宅の途に着く事となった。
     帰る時はいつもそうしているように、私がエリを最寄りの駅まで送る。
     冬の風が街路樹を揺らす中、彼女が唐突に呟いた。
    「……今年の文化祭にやる予定やった演劇って、確か推理劇やったなぁ」
    「ああ、そういえばそうやな」
     何気なく返答すると、
    「うちは、その他大勢やったから、まだ詳しい脚本とかは見せてもらってなかったけど、そんな劇をやろうとしていた桜井さんが、こんな事件に巻き込まれるなんて、皮肉なもんやね……」
    「…………」
     エリがそんなに感傷的な台詞を吐くだなんて想像もしていなかった私は、言葉に詰まってしまう。
     その後、事件について少しの討論を試みたものの、なんといってもエリが相手なので、合理的な結論は何一つ出ないまま、彼女は電車へと吸い込まれていった。
     自宅アパートに帰った私は、今度は一人で事件について色々考えてみた。
     ……しかし、その行為によって得られたものは、眠れなくなるといった副作用だけであった。
  • 【非会員でも閲覧可】為五郎オリジナル小説④『クリエイショナー』第5話

    2018-07-08 08:39
    さて、いざ一緒に暮らし始めるとなれば、さしあたって、この無自覚エロ少女の寝る場所を確保する必要があった。……まさか、これからずっと雑魚寝させるって訳にもいかないからな。
     やがて、いまだにおどおどしているアンバランスな髪型の共同生活者と一緒に、買い置きしておいたカップ麺とおにぎりというささやかな夕食をとっている最中、俺は妙案を思いついた。
     壊れかけのテーブルを壁に立て掛け、その空いたスペースに、クローゼットの奥にしまってあった予備の布団を敷くことにしたのだ。
    「ま、まさか……あ、あたしの為に、クリエイショナー自らお布団を敷いてくださるのですか?」
    「いや、これは俺が寝る用だよ。……おまえは、そのベッドで寝ればいいさ」
    「と、とんでもありません!」
     彼女はもぎ取れるんじゃないかというくらいの勢いで、首を横に振った。「クリエイショナーのベッドを使わせていただく上に、クリエイショナーよりも高い位置で眠るだなんて……そんなことをしたら、罰があたってしまいます!」
     罰が当たるとは思えないけど、確かにひどく紳士的な行為だとはいえよう。……もっとも、理由はちゃんとあったさ。まず、俺はかなり寝相が悪い。週に三回くらいは床で目覚めるくらいだ。なおかつ、部屋の間取りや家具の配置を考えれば、ベッドと敷布団はほとんど密着させる必要がある。比較的図体のでかい俺が落下してきた場合、出るところは出ているとはいえ比較的細身な玲音がどのようなダメージを受けるのか、想像するだに恐ろしいってもんだ。さらに、ベッドの下には俺の宝物が隠してある。具体的な内容までは言えないけれど、独り暮らしのモテない男にとってはまさしく宝物といっても過言ではない品々である。そして、ちゃんと確認した訳ではないけど、たぶん敷布団の位置からは、それらがバッチシと目視できるはずだ。
    「いいよ、気にするなって。……その、元々俺は、ベッドよりも布団の方が好きだしさ」
    「しかし、クリエイショナー……」
    「むしろ、ベッドじゃ落ち着かないくらいなんだよねぇ」
    「とはいえですね、クリエイショナー……」
    「……ああ、もう! 頼むからおまえはベッドで寝てくれ!」、
    「……そ、それは……ご、ご命令と受け取ってもよろしいのでしょうか?」
     一瞬ビクッと全身を震わした後、彼女が掠れた声で訊いてくる。
    「命令? ……ああ、なんだかよくわからないけど、そんな感じだよ。とにかく、おまえはベッドで寝ればいいんだ!」
    「りょ、了解いたしました……」
     素早くベッドに横たわる玲音。――なるほど、本気で俺の命令なら何でも忠実に従うつもりらしい。「そ、それでは、おやすみなさいです、クリエイショナー……」
     なおかつ、そのまま瞼を閉じようとする彼女でもあった。
    「ちょ、ちょっと待てよ! おまえ、もう寝るつもりなの!? まだ夜の七時半だよ!?」
    「え……? い、いや、その、お言葉を返すようですが、今さっき、クリエイショナーが『ベッドで寝ろ』とご命令されたので……」
    「別に、『今すぐ寝ろ』って意味じゃないから!」
    「はぁ……そうだったのですか。失礼いたしました……」
     釈然としないといった表情のまま、玲音はベッドの上で正座した。自然と、俺達は見つめ合うような格好になる。
     ――そして、気まずい沈黙。
     自分の部屋だというのに、なんとも落ち着かない気分だった。これまでは異常事態の連続だったから、あんまり自覚しなかったけれど……よくよく考えてみれば、美少女と狭い空間で二人きりというシチュエーションなのである。……そんな経験はおろか、同年代の女の子とちゃんとコミュニケーションを取った記憶すらない俺からすれば、いったい何をどうすればこの重苦しい雰囲気が改善されるのか、皆目見当もつかなかった。
    「あ、あの、クリエイショナー……」
     先に口火を切ったのは、玲音の方であった。「用事などがあれば、何なりとあたしにお申し付けくださいませ!」
    「用事? ……いや、その、用事は特にないんだけど……」
     首をひねってから、俺はあることに気がつく。「そういえばさ……用事って訳じゃないけど、おまえって、その、風呂に入ったりとかはしないの?」
    「ああ、その点はご心配なく」
     ケロッとした顔で、彼女は答えた。「幸い、このアパートのすぐ近くに噴水機を発見いたしましたので、明日からはそこで水を浴びようと考えています」
    「ア、アホかおまえ!」
     いくらこの永苺園付近には人通りが少ないとはいえ、全裸の少女が水浴びなんかしていたら、さすがに即刻補導されちまうってもんだろうよ。「……それならうちの風呂を使えよ。狭いし汚いけど、いくらなんでも花壇に水をやる噴水機よりはマシだぞ」
    「そ、そんな……畏れ多くもクリエイショナーの……」
    「ああああああ、もうもうもう! おまえって本当にめんどくさい女だな! ……一応おまえもこの部屋の住人になったんだ! だから、ある程度は好きに使ってくれていいよ!」
    「ク、クリエイショナー……なんて慈悲深い……」
     潤った瞳で俺を見つめながら、まるで崇拝するように両手を胸の前で組む玲音。
     ……うーん、やっぱり相当めんどくさい女みたいだ。
     ちなみに、うちの風呂はボタン一つで全て準備してくれるほど軟弱な代物じゃない。なので俺は、まずちょうどいい具合に浴槽にお湯を貯めた後、改めて玲音を促した。
    「ほら……風呂に入ってこいよ」
    「ありがとうございます、クリエイショナー!」
     浴室に入っていく際の声が晴れやかだったことから察するに、彼女も本音では、風呂に入りたくてしかたなかったのかもしれない。だったら、最初から素直にそう言えばいいのにな。
     ……ところが、その三分後。いきなり、舌っ足らずな悲鳴が狭い室内に響き渡った。
     何事が起こったのかと、慌てて俺が浴室のドアを開ける。
     当然ながら、そこにはあまりにも目に毒な光景が広がっていた。……すぐ眼前に、隠さなければいけないところをまったく隠そうともせずに突っ立っている少女がいたのである。
    「ク、クリエイショナー……! ど、どうしましょう! お湯が、なくなっていってます……!」
    「お湯がなくなっていってる……?」
     視線を泳がした結果、原因は思いのほか簡単に判明した。……いったい、体のどの部分でどうしたのかは知らないけど、とにかく浴槽の底の栓がすっぽり抜けていたのである。「……驚かすなよ、まったく……」
     顔を真っ赤にしながら濡れた裸身をどかした俺が、栓を閉めて、再度お湯の蛇口をひねる。
    「あ、ありがとうございます、クリエイショナー!」
     深々と頭を下げてから、ようやく現状に気がついたのだろう。焦った様子で、隠すべきところを隠す彼女だった。
    「おまえさぁ……」
     俺も急いで浴室から飛び出た後、ドア越しに共同生活者に忠告する。「……一応、年頃の女の子なんだから、もうちょっと恥じらいってものを持ったほうがいいと思うぞ」
    「も、申し訳ございません……あたしの裸みたいな醜悪極まりないものを、クリエイショナーにお見せいたしまして……」
     くぐもった声で、見当違いな返答が返ってくる。「……もっとも、クリエイショナーほどのお方ならば、たとえ美しい女性の裸を見られたところで、邪まな考えなど抱かれないでしょうが」
     色々な意味で、それはものすごい勘違いだぞ、おい。……約五十年後には聖人君子になっているのかもしれないし、あるいはすっかり枯れちまっているのかもしれないけど、今の俺はまだ高校一年生男子。はっきり言って、邪まな考えの権化ともいえる年頃なんだよ。……なんて正直な心情はもちろん吐露できずに、風呂場の前で沈黙してしまう俺であった。
     ……それから数分後、今日大量に購入した衣服類の中の一つ、すなわち黄色いパジャマを身にまとって浴室から出てきた玲音に、俺はこの時代の風習や、トランプやボードゲームのルールや、これから彼女が通うことになるであろう高校の説明などを、軽くだけしておいた。
     そうこうしているうちに、やっと高校生が寝るのにふさわしい時間を迎える。
    「それでは……おやすみなさいです、クリエイショナー」
     事前の取り決め通り、ベッドで横たわりながらそう声をかけてくる玲音に対して、
    「ああ、うん、おやすみ……」
     慣れないシチュエーションにドギマギしながら、敷布団の上で俺が答える。
     皮肉なことだけど、女の子と同棲しているという実感が沸いてきた分、前夜に比べてこの夜は、なかなか寝付くことができなかった。
     ――そして、次の日の朝。
     この日は土曜日で学校も休みだから、いつもよりもだいぶゆっくりと眠れる……はずだったんだけど、残念ながら俺は予想以上に早起きしなければいけなくなってしまった。
    「……う、うわ!」
     至近距離から漂ってくる不気味な気配を察して目を覚ました俺が、ゆっくりと瞼を開けてみると、いきなりこっちを覗き込むような少女の顔が視界に飛び込んでくる。「……な、何してるんだよ、おまえ!?」
    「あ、す、すみません! ……ひょっとして、あたしのせいで起こしてしまいましたか!?」
     正座の体勢を崩さないまま両手を振って謝ってきた少女の正体はもちろん、玲音だった。
    「そ、そりゃあ起きるわ、もう!」
     頭を掻き毟り、ほっと一息ついてから、俺は彼女にまくしたてる。「黙って枕元で正座なんかされてたら、怖くて眠れねぇよ! おまえは死んだおばあちゃんの霊かっつーの!」
    「も、申し訳ございません! ……しかしながら、クリエイショナーよりも遅い時間まで眠る訳にはまいりませんし、なおかつ、クリエイショナーよりも高い位置で目覚められるのをお待ちする訳にもまいりませんので……」
     そう弁解する彼女は、確かに俺よりもさらに早い時間に起床したのだろう。昨夜はボサボサだったはずのアンバランスな髪がちゃんとセットされていたし、服装も黄色いパジャマではなく、おどろおどろしいイラストがプリントされたピンクのシャツにオレンジ色のデニムといった、いたって趣味の悪い日常着へと着替えられていた。
    「……まだ朝の七時半じゃないか。おまえも、もう少しゆっくり寝てればいいのにさ」
     壁時計で時間を確認する俺に対して、
    「そんなことよりもクリエイショナー!」
     彼女は突然、左手を高く上げてみせた。「……あたし、一晩中考えて思いついたんですけど!」
    「な、何をだよ?」
    「せめて、家事をやらせていただくことにいたしました!」
    「……家事、だって?」
    「ええ! 畏れ多くも、偉大なるクリエイショナーに、お住まいやお食事を提供していただいているどころか、ベッドやお風呂やレストランまで貸していただいている状態だというのに、当のあたしが何もしない訳にはいきません。……なので、せめてクリエイショナーの身の周りのお世話だけでもさせていただければと!」
    「身の周りのお世話、ねぇ……」
     基本的には、渡りに舟な提案だった。超ものぐさ野郎である俺からすれば、代わりに面倒な家事をやってくれる人間がいたら、助かることこの上ないってもんである。とはいえ、「……おまえに家事なんてできるのかよ?」
     これまでの彼女の行動を鑑みるに、かなり不安な申し出でもあったさ。
    「も、もちろんです!」 
    「じゃあさ、とりあえず試しにこの部屋を掃除してみてよ。……あ、ベッドの下以外だぞ」
    「はい、わかりました!」
     ひどく嬉しそうに頷く玲音だったけど、予想通り、その結果は惨憺たるものであった。
    ……この少女は、俺が渡した安物の掃除機を用いて、“電気コードも繋げずに、吸い取る部分
    をほうき代わりにする”といった、斬新極まりない方法で掃除し始めやがったのである。
    「その……クリエイショナーが『掃除機』とおっしゃられたので、恐らく掃除に用いる道具だろうということだけは推測できたのですが……なにぶん、使い方がわからなくて……」
     というのが、本人の敗戦の弁である。約五十年後の未来では、『掃除機』という代物が、あんまりポピュラーじゃなくなっているらしい。
    「ああ、そうなんだぁ……」
     バツが悪そうに顔を俯ける未来っ娘に、俺は突っ込む気にも怒る気にもなれなかった。……ただ、素直な感想だけは自然と漏れてしまう。「おまえって、なんていうか……天然なんだな」
     すると、彼女は意外な反応を見せた。
    「あ、あ、当たり前じゃないですか、クリエイショナー!」
     珍しく、怒気を含んだ声で反論してきたのである。「……そ、それどころか、だ、男性とお付き合いしたこともありませんよ!」
    「…………は? 何言ってんの、おまえ?」
    「だ、だから……もちろん、そのような行為に及んだことも、ありません……」
     しばらく考えてみて……俺はやっと、玲音の言わんとすることが把握できた。
     ……なるほど、この『天然』という表現、約五十年後の未来では、うら若き女性の前で口にすれば、即セクハラになりかねないような意味と化しているらしい。
    「ご……ごめん、俺が悪かった! な、なんか、変なこと言っちゃったみたいだな!」
     もちろん、そんなつもりはさらさらなかったんだけど、一応謝っておく俺。……だけど、そうなるとちょっと引っ掛かる点もある。「で、でもさ……じゃあおまえ、よくあんな条件を提示できたなぁ?」
    「……条件?」
    「ほら、おまえ最初に言ってただろ? ……あの、その、『命令に従ってくれれば、あたしの体を好きにしていい』とかなんとか、さ」
     交際経験もない女の子が、よくもまぁそんな破廉恥な条件を口にできたもんだ。
    「そ、それは、その……」
     あの時と同じように、玲音は耳まで真っ赤にしながら答えた。「……う、上からの命令だったので、しかたがありません! なおかつ、大いなる使命に、ささやかなる犠牲はつきものです!」
    「ささやかなる犠牲、ねぇ……」
     ウブな俺には、彼女の貞操が『ささやかなる犠牲』だとはとても思えなかったし、実際本人もそうは思っていないからこそ、ここまで顔を紅潮させているんだろうけど……いずれにしたって、お互いの為にもあんまり続けるべき話題でないことだけは確かだった。
     それにしても、だ。こんなに可愛くてスタイルもいいんだから、仮に性格が恐ろしくひね曲がっていようと、めちゃくちゃモテそうなもんだけどなぁ。あるいは、理想がもっとめちゃくちゃ高かったりするんだろうか?……この時の俺には、眼前のグラマラスな美少女が異性とまったく縁のない人生を送らざる得なかった理由が、さっぱりわからなかったさ。
     その後、芯がほとんど残っているご飯、真っ黒になった卵焼き、限りなく透明に近い味噌汁といった、画期的な朝食を作っていただいた結果――いよいよ俺は、確信に至る。
    「おまえ、さっきは大口叩いていたけど……実は今まで家事なんてしたことないんだろ?」
     その指摘に対して、行儀の悪いことにぶほっと口からお米を吹き出した後、
    「申し訳ございません申し訳ございません申し訳ございません申し訳ございません!」
     そのまま勢い良く土下座する玲音であった。「あ、あたしは本当に愚かな女です! 使えない女です! ……で、ですが、こ、これから精一杯精進いたすつもりでありますので、なにとぞお許しを、クリエイショナー!」
    「これから精進、ですか……」
     嘆息しつつも、やっぱり俺には、今にも泣き崩れそうな彼女をそれ以上責めることなんて、できやしなかった。……そもそも、三日前までの生活を鑑みれば、可愛い女の子が自分の為に手料理を作ってくれたという事実だけで、幸福極まりないってもんではないか。
     とはいえ、さすがに今後こんな料理を出される度に、毎回そこまで達観できるとは思えない。いや、それ以前に、毎日こんな料理を食べていたら、本気で体を壊してしまいかねない。
     ……という訳でこの日の午後、俺は玲音を連れ添って、最寄りの書店へと出向くのだった。言うまでもなく、家事に関する参考書を購入する為である。
     ついでに、その近くの衣服店で下着も購入してやった。……部屋でうろつく分には大歓迎、もとい、まだ許容範囲内だろうけど、これから外に出歩く機会が増えるとなれば、いくらなんでも年頃の少女がノーブラノーパンでは、問題がありすぎるってもんだからな。 

     ――そして、次の日。
     日曜日だというのに、俺は自分の通っている高校へと足を運んだ。
     理由はもちろん、夏休み直前だというのにこんな辺鄙な高校に転入したいという、奇特な少女の付き添いである。