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  • 何故ゲーマーは軽々しく「ガイジ」という言葉をつかえるのか。

    2020-12-20 13:44
    「ガイジかよあいつ」
    「ガイジムーブかましたったわスマソ」

    だの。

    軽々しく、なんでもない侮蔑の言葉としてガイジという。
    そこが本当に理解できないし、相容れない。
    もちろん、もはやネットスラングと化した一種の蔑称であり、
    障がい児を貶めるつもりで使っている人が少ないのは理解している。

    それでもやっぱり、理解できない。

    別に僕は育ちがいいわけでもない。
    ただ普通に小学校のころ、道徳の授業やクラスにいた知的障害を持つ子との交流を経て、
    「障がい者を差別してはいけない。」
    という教育を受け、知見を得た。
    大人になってからは、興味の一環で、
    特に知的障害を持つ人たちとかかわる仕事をしている人に
    いくつかのお話を聞かせていただいた。

    そもそも、ゲームの向こうにいる人間が、
    本当に障害を持つ可能性だってあるのだ。
    後天的に身体障害者になってしまった方もいるかもしれない。
    そういう想像力を持っていれば、
    ガイジなんて言葉、軽々しく使えないはずだと思っている。

    僕がゲーマーでありながらゲーマーとあまり仲良くなれないのには、
    そういう想像力の足りない人間が嫌いだからというのがあると思う。





    「は?何言ってんだこいつ。俺をバカにするのか?」
    と、怒らせてしまったなら申し訳ない。
    一個人の意見である。
    頭のおかしい人間の文章だと思って、
    ブラウザバックしていただくのがいいと思う。

    「自分の周りにはそんな人いないし楽しいけどなー」
    と思われた方。
    とても素敵なゲームライフを送っていることだと思う。
    どうか、今のコミュニティを大切にしてほしい。




    半生をネットの世界とオンラインゲームで過ごしてきた僕は、
    様々なゲームでいろいろな人と交流してきた。
    その中には親のように僕をかわいがってくれた人から、
    もう何年も付き合いのある友人まで。
    いい人にもたくさん出会ってきた。
    幸い、今FF14を一緒にプレイしている友人たちは、
    僕よりも人格のできた人ばかりで、
    良識ある社会人としてゲームを楽しんでいる。
    一緒にゲームをしていて楽しいと思える人たちがいることは、
    とても恵まれた環境であるとも思う。

    だが、親しんだコミュニティを出れば、
    なかなか受け入れがたい性格をしている人とも良く出会う。
    人格に問題があるのではと疑いたくなるくらい、
    言葉が汚かったり、他人に対する態度が横柄だったり。
    そういう人ばかりではないというのは理解しているが、
    リアルの世界で人間として出会う人たちなら、
    到底簡単には見せないような性格がすぐににじみ出てくる。
    プレイミスを激しく責め立てたり、
    自分より下手なプレイヤーがいれば、下僕のように扱っていいと思っている。
    ゲームの腕前=偉さだとでもはき違えているのか、
    高難易度コンテンツや対人FPSなどでは特に、
    そういった人が目立ってくるように思う。

    そして、その人たちは必ずと言っていいほど、
    「ガイジ」
    という言葉を使うのである。


    結局のところ、想像力の問題だと僕は思っている。
    リアルなら目の前に人がいるからこそ、
    軽々しく厳しい言葉はつかえない。
    ただ、顔が見えない相手、声しか知らない相手になら、
    横柄な態度も取りやすいのだろう。
    つまるところ、同じ人間が画面の向こうにいると、
    考えられない人が、少なくないのだと。


    FF14がいまだにギスギスオンラインだと言われたりするのも、
    プレイヤー側の想像力不足による、
    配慮のない言葉遣いが原因なんじゃないだろうか。

    ゲームは本来楽しいもので、
    素晴らしい楽しみ方をしている人もたくさんいる。
    何か、トラブルが起こるのであれば、
    ほとんどの場合、人に起因しているんだから。



    なんて、愚痴を書いたのは、
    自戒の意味を込めてなのと、
    FF14の最新レイドにて散々な目にあったからである。
    もうFF14なんてやりたくないなぁと心に傷を負ったチームメンバーもいた。
    なんともなんとも。

    目の前のプレイヤーすべてが、人間である。
    そんな当たり前を今一度、しっかり胸に刻み付けていきたい。

    少なくとも、軽々しくガイジなんて言葉を使うのは
    辞めたほうがいいのではないかと、僕は思うのです。
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  • 透明だった僕たちは、限りなく透明に近いブルーになる。~シャニマスに対する書誌学的アプローチ~

    2020-07-06 22:50
    薄桃色を超えるシナリオはそう出てこないだろう。

    あの感動的なストーリーを見てから4ヶ月。
    たった4ヶ月で、近いレベルの衝撃を受けるシナリオが投下された。
    もちろん、その間のシナリオもみんなそれぞれいいのだが、
    天塵の衝撃たるや。
    一度見て涙を流し、二度見てまた泣き、
    委員長の配信で三度目の涙。
    そのあと委員長の配信2周目と、普通に読み返したのを1回。
    計5回、天塵のシナリオを読んだ。

    毎日10回以上「天塵」で検索をかけて他人の感想を読み、
    絶賛する意見には大いに賛同し、
    否定的な感想もとても面白い視点だと楽しませてもらった。

    これだけ天塵を読み、ノクチルのことを考えていて、
    僕は一つ、思い出した作品があった。

    それが、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」だ。
    村上春樹と並び称される二大村上のドラゴンの方。
    デビュー作であるこの作品で芥川賞を受賞し鮮烈デビューした人気作家だ。





    うん、タイトルからしてなんかもう、ノクチルっぽいよね。
    透明感のあるユニットで、ユニットカラーもブルーだし。
    最初に発表されたとき、結び付けた人も多いんじゃないかな。

    それはそれとして、中身の話をしよう。
    簡単にあらすじを紹介すると、
    『米軍基地のある町福生市(ふっさし)にすむ主人公リュウは、
    米軍から仕入れたドラッグを売りさばき、
    女を集めては米軍の開く薬物パーティに送り出し、
    薬・暴力・女の生活を送っている...』


    どこがノクチルと関係あんねん!


    心の中の横山奈緒が盛大な突っ込みを入れてきました。

    いやまぁ、話は最後まで聞いてほしい。
    そもそもであるが、文学作品を下地に作られたユニットというのは前例がある。
    皆さんご存知、ストレイライトだ。
    詳細は下記記事にもまとめている。

    冬優子とニューロマンサー

    こちらだって、電子ドラッグ、暴力、女、サイバーパンクの世界である。
    シャニマスの新ユニットは文学作品に由来する。
    というのは、普通に考えられることだ。

    さて、ここからは限りなく透明に近いブルーのネタバレを含む。
    ネタバレがあったからと言ってこの作品はストーリー重視ではないためあまり差し支えないが、
    どうしても初見で読みたい方は、ブラウザバックをお勧めする。



    ◆社会の色に染まることができない透明な

    限りなく透明に近いブルーは、簡単に言うと、
    社会になじむことのできないまま大人になりかけている主人公たちの
    自らを燃やしながら生きる様を描いた作品だ。
    最後に黒い鳥がおぞましく描写されるのは、
    現代社会のメタファーとして描かれているというのは、
    芥川賞受賞時の書評でも語られた定説であり間違いないであろう。
    他にも、

    「主人公のリュウとその恋人リリーは、雨の中車を飛ばしてたどり着いた街で、机が規則正しく並べられた学校に得も言われぬ恐怖感を抱き、帰りには車をスリップさせぶつけて、リリーは殺してくれと叫ぶ。」

    「主人公の友人、ヨシヤマとその彼女ケイはヨシヤマの母の葬式のために富山に行って以降、情緒不安定になり関係性が悪化する。」

    「仲間内でラリって朝を迎えたら警察にパクられて、解放された帰りに日比谷公会堂の野外フェスに参加。タダで乗り込もうとしたカズオはガードマンにバッドで殴られたので仕返しにガードマンを集団リンチ。モコは裸同然でステージ前で踊り狂う。帰りの電車では社内でリバースし、普通の乗客の女性に堂々と襲い掛かる。」

    改めて書くとマジで薬でもやってんのか。ってくらい不安定だな。
    やってるんだけど。

    とにかく、家族・家庭・警察・学校などなど。
    社会性を感じるものに触れるたびに彼らは不安定になる。
    社会に染まることができない少年少女たちなのだ。


    いや・・・まぁ、過激がすぎるんですけど・・・。
    天塵で見たノクチルと共通するところを感じないだろうか。

    随所で語られている通り、彼女たちはロックな生き様を見せた。
    初仕事の歌番組でいつも通りの自分たちでいることで干されるし、
    誰も見ていない海辺の花火大会のライブで、
    「いいんじゃない、うちらがよければ」
    である。
    社会、特にアイドル業界の色に一切染まることなく、
    幼馴染4人の自然体であり続けている。
    透と雛菜のアウトローっぷりは、個別シナリオでも十分に感じられるほどだ。



    世間やアイドル業界の彼女たちへの評価もこれである。
    現実のTwitterですら、
    「アイドルを舐めている」
    「アイマスでやることではない」
    と批判される始末。
    いわゆる世間一般、社会に馴染まない存在だ。

    結局、天塵のシナリオ内で、彼女たちの世間的評価が変わることはない。
    ただ、プロデューサーはそんな彼女たちの
    透明なままの姿にこそ、輝きを見出した。




    まだプロデューサー自身が上手く言葉にできていないし、
    どうやって世間に彼女たちを透明なまま見つけてもらうか。
    それは、今後のプロデューサーの大きな課題だ。
    自分がその立場だったらあまりの難易度に吐きそうである。

    まだプロデューサー以外は彼女たちの魅力を見つけていない。

    一方ノクチルの4人は、社会を恐れてはいない。
    小糸と円香は恐れているのは恐れているかもしれないが、
    4人でいることを選んでいるのだから、つまるところ同じだろう。
    幼馴染と一緒にいるためにアイドルになる。
    その選択自体が、アイドル業界的に言えば狂っているといわれるのだから。

    限りなく透明に近いブルーの登場人物たちは、
    とてもじゃないが輝いているようには見えない。
    ただ、薬に溺れただれた生活を送りながら、今その瞬間を楽しんでいる。
    自分たちにだけは、輝いている日々を送っていると思っているのだ。
    結局、彼らは作中で更生することもなく、
    中途半端な形で物語は終わる。
    作品の最後で主人公のリュウは、
    黒い鳥に追われ逃げ惑う中、ガラスの破片に限りなく透明に近いブルーを見た。
    その色こそ、救いの色だと感じた。
    そんな色になりたい、この色を多くの人に見せてあげたいと決意し、物語は幕を閉じる。
    モデルが村上龍本人なので、
    のちに作家となり、この本を書いたという未来がわかる。
    リュウは、限りなく透明に近いブルーを移すガラス。
    作家となり、世間にこの色を見せる生き方を見つけた。
    当時から賛否両論だったこの作品だが、
    同じように社会に息苦しさを感じていた人たちにの救いとなったのだろう。
    おそらく、残りの登場人物は透明なまま死んでしまったか、
    黒に染まって社会に溶けていったのだ。


    僕は、ノクチルがたどり着く色もまたこの色。
    限りなく透明に近いブルーだと思っている。
    今の話を踏まえてノクチルのロゴを見てほしい。




    Oの文字に見えるのは、水面から深海を表した海である。
    だが同時に、丸いガラス片が青い光を移しているようにも見えないだろうか。
    Oの中に見える色こそ、限りなく透明に近いブルー。
    透明だった僕たちがアイドルとしてたどり着く色であり、
    この色を見せることが、ノクチルのアイドルとしての仕事となる。
    今の彼女たちが持つ透明な、青春の煌めきのような姿を、
    見ているファンの下へ、色を伴って届けるのだ。

    その姿に至るのは、きっと1年後。
    ストレイライトがWEBDのシナリオで一つの完成を迎えたように。
    ノクチルとプロデューサーもまた、あるべき姿を見つけられるはずだ。




    ex1)重なるモチーフたち
    ここからは、本編に入れられなかった情報をつらつら書き綴っていく。
    天塵のシナリオと限りなく透明に近いブルーには、
    共通するモチーフがある。
    その一つが、車と海だ。
    『リリー、車でドライブしたことあるだろう。何時間かかけて海とか火山に行くんだ。』P70L7
    この話のあと、リュウとその彼女リリーは車でドライブに行く。
    天気は大雨、たどり着いた場所は、トマト畑。
    『「あれは何なの。」
    「トマトだろう。トマトには見えないなあ」
    「まるで海だわ、行ったことのない外国の海よ。何か浮いてるのよ。その海に」』P75L12

    薬でもキメてるのかって会話ですがキメてるので…。

    たどり着いたトマト畑を海だと思い込み、リリーは泳ぎだします。
    『あそこは本当に海なのかもしれない。リリーは発光する深海魚だ。』P76L9

    いや、薬でm
    雷に照らされるリリーを発光する深海魚と見ているのですが、




    ここ、めっちゃシンクロ。
    結局リュウたちは本物の海にたどり着くこともありませんでしたが、
    ノクチルの4人は海にたどり着いた。
    同じ結末となることはない。かもしれない。



    他にも、気になるモチーフがある。
    「ドアーズ」というアメリカのロックバンドだ。
    限りなく透明に近いブルーの中で2,3回このバンドのレコードがかけられる。
    中でも、彼らの曲の一つ、「水晶の舟」は、
    主人公のリュウがフルートで吹いてくれと、仲間から頼まれる曲として出てくるのだ。
    ところで、ドアーズのデビューアルバムは「ハートに火をつけて」
    どこかで聞いたことがあるのではないだろうか。
    そう、「は~と♡に火をつけて 月岡恋鐘」pSRである。

    これに関しても別記事で詳しく書いているので見てほしい。

    をとめ大学シャニマス学部アンティーカ学科月岡恋鐘専攻名誉教授Pに「は~と♡に火をつけて 月岡恋鐘」を解説してもらった。【ネタバレ有】

    すでに一度、シャニマス内でモチーフとされているロックバンドだ。
    この「ハートに火をつけて」というアルバムには
    表題作である「ハートに火をつけて」という楽曲があり、これが彼らの代表曲の一つ。
    人気が高くのちにシングルカットして発売されたのだが、
    その際にB面に収録されたのが「水晶の舟」である。
    水晶というのもノクチルのイメージに近い感じがするが、
    このあたりの関連性はいずれ見えてくるのかもしれない。



    ex2)鮮明な色は悪ではない
    さて、ハートに火をつけてのことを語った以上、
    もう一つ触れておきたいことがある。
    ノクチルとアンティーカについてである。
    奇しくも、ドアーズのCDという存在で、A面B面になったこの2ユニット。
    天塵のシナリオの中でも、アンティーカについて言及されている。



    アンティーカはすでにテレビでの露出も多く、
    一部では283プロで一番売れているのではと推測されるほど。
    そんな彼女たちはのイメージカラーは鮮明な紫。
    しかもその色は、彼女たち自身で決めた紫だ。
    最初のイベントコミュを見てもらえればわかるが、
    ゴシックなコンセプトは、アンティーカの5人で選んだもの。
    今でこそストーリーストーリーのように、素のままのアンティーカも
    世間的に受け入れられて評価されているが、
    最初はアイドルとしてデビューするための外付けの武器を身に纏ったのだ。
    智代子のチョコアイドルに近い。
    ある意味、テレビ受けやアイドルとして認知されることなども
    計算した社会に受け入れられるための紫である。
    そして、その紫は多くの人々に受け入れられ、売れている。
    そんなアンティーカをノクチルの対極としてシナリオ内に出すのは
    とても合理的な位置づけだと思う。

    ただ、アイドルマスターシャイニーカラーズにおいては
    色がついていることは悪ではないし、透明であることも悪ではない。
    悪があるとすれば、黒く染まってしまうことだろう。
    鮮明な色付きは、魅力となる。
    シャイノグラフフィで歌われている通り、
    「透明から鮮明に」なることは、進化といえる。
    ノクチルは、今はまだ透明なだけだ。



    ex3)村上龍にとっての作家

    ちなみに、少し話はそれるが、作者の村上龍は自著「13歳のハローワーク」にて
    作家という職業をこう紹介している。

    『13歳から「作家になりたいんですが」と相談を受けたら、「作家は人に残された最後の職業で、本当になろうと思えばいつでもなれるので、とりあえず今はほかのことに目を向けたほうがいいですよ」とアドバイスすべきだろう。医師から作家になった人、教師から作家になった人、新聞記者から作家になった人、編集者から作家になった人、官僚から作家になった人、政治家から作家になった人、科学者から作家になった人、経営者から作家になった人、元犯罪者で服役の後で作家になった人、ギャンブラーから作家になった人、風俗嬢から作家になった人など、「作家への道」は作家の数だけバラエティがあるが、作家から政治家になった人がわずかにいるだけで、その逆はほとんどない。つまり作家から医師や教師になる人はほとんどいない。それは、作家が「一度なったらやめられないおいしい仕事」だからではなく、ほかに転身できない「最後の仕事」だからだ。服役囚でも、入院患者でも、死刑囚でも、亡命者でも、犯罪者でも、引きこもりでも、ホームレスでもできる仕事は作家しかない。作家の条件とはただ1つ、社会に対し、あるいは特定の誰かに対し、伝える必要と価値のある情報を持っているかどうかだ。伝える必要と価値のある情報を持っていて、もう残された生き方は作家しかない、そう思ったときに、作家になればいい。』-13歳のハローワークより

    どうだろう。
    これまでの話を踏まえてみると
    ノクチルにとってのアイドルも近い立ち位置にあると思えなくもない。
    彼女たちは、彼女たちでいるためにアイドルを始めた。
    だが、そんな彼女たちだからこそ、
    ファンや現代社会に突き付けられるメッセージを持っているのではないだろうか。
    アイドルだって、アーティスト、作家なのだから。


    おわりに

    さて、これら共通点を偶然のこじつけと見るか、論理的ととらえるか。
    それはあなた次第。
    つまるところ、書誌学的アプローチが正解であるかは、
    作者のみぞ知るところである。




    参考文献
    『限りなく透明に近いブルー』村上龍-講談社文庫
    『13歳のハローワーク』村上龍-幻冬舎
    『ニューロマンサー』ウィリアムギブスンーハヤカワ文庫
    『アイドルマスターシャイニーカラーズ』-バンダイナムコエンターテインメント
  • だから僕はシャニマスにドハマりし続けている。~コミュ・キャラ編~

    2020-06-08 08:286
    「シャニマスはやることがない」


    なんて言っている人がいたら、
    是非何を楽しめるか知ってほしい。
    2周年で始めた。Vの者がやってるから始めた。
    そんな人たちが、魅力に気付かずに離れていくなんてもったいない。
    時系列に追えって圧力がウザイ?
    グレフェスはクソゲー?
    シャニマスは課金ゲー?
    本当にそう?

    「グレフェス上位勢はみんなクソゲーって言ってるよ?」

    じゃあ、なんであの人たちは必死になって、
    毎シーズングレ7に残留してるの?
    そんなの、ハマってるからに決まってる。
    そこに、やる価値があるからやっているんだ。

    シャニマスは、実は近年のゲームの中でも
    かなり優れた作品だと、僕は思っている。
    それを知ってほしい。
    その気持ちだけで書きなぐった記事です。

    まずは、今更ながらコミュのことを。
    育成やグレフェスの魅力は、別の機会に。


    今日のお題:コミュがいい


    それはもう、言うまでもないことだ。
    ただ、なんとなく面白いから読むよりも、
    何故面白いのか知ったほうが、より楽しめるんじゃないかなと。
    あとは、時系列順に読むことにも、こだわらなくていい。
    それも説明したいと思ったので、書きなぐる。
    最新のコミュを例にとって、
    自分がどうハマってるか話そう。


    くもりガラスの銀曜日を読んだ。





    あまりにも情緒の塊かつ、
    ただただイルミネのたどったなんでもない日常を描いただけ。
    それだけのコミュにここまで感動させられたのだ。
    以来、銀曜日でエゴサ?し続け感想を読み、
    ここが素晴らしい、ここがいいという意見に画面の向こうから一人うなづく。
    銀曜日関連コミュを読み漁って理解を深め、
    眠れない夜は銀曜日のことを考えている。
    つい最近話題になった「薄桃色にこんがらがって」だって、
    3日に1回は読み返して、そのたびにボロボロ泣いた。





    コミュの中身に関しては、他の人が書いている記事を読んでくれ。
    ちなみに僕はイルミネPでもアルストPでもない。

    どのユニットのコミュも、どのキャラの個別シナリオも平等に好きだ。
    果穂のGRADなんかは放クラPだからこそのよさもあったけど。

    閑話休題。
    何故、ここまでシャニマスのキャラやコミュに惹かれるのか。
    ライターがすごいから。
    だけじゃ、抽象的過ぎて答えにならない。
    なので、ちょっと論理的に(自分の中では…)説明したいと思う。


    ・ジグソーパズルのピースを嵌めていくシナリオ


    とにかく、これらコミュのよさを形作ってるのは、
    シャニマスのアイドルがデビューしてから積み上げてきた時間と、
    キャラ一人ひとりが持つ人生だ。
    キャラの人生ってなんだよとなるなら、
    設定資料と言い換えるとわかりやすいと思う。
    ネタバレを含まずに例示すると
    例えば、「薄桃色にこんがらがって」
    読んでいるときにこのような気持ちが浮かぶ。
    「桑山千雪の新しい一面が見れた。」
    でも実はそれは新しい一面ではなく、
    これまで書かれてきた千雪をよーく見ている人は、
    納得のいく、表に出ていなかっただけの一面、既知と感じるのだ。

    話題になった「チエルアルコは流星の」のめぐるもそう。
    「めぐるってこんな子だったんだ」
    と多くのPが驚いた中で、
    「めぐるはそういうところ確かにある」
    と、過去のコミュのさりげない部分で気づいていたPがいた。
    実際、WING編や1枚目のSSRで書かれているのだから、
    自分はそれに気づいたとき思わず膝を打った。

    シャニマスはおそらく、とてもとても分厚い設定資料集がある。
    それはもう、生まれたころから育った環境。
    幼少期の思い出や、人格形成に強く影響を与えた雑誌まで。
    どのような人生を歩んできて、この性格になったのか。
    そこを、緻密に緻密に作り上げているのだろう。
    だから、キャラの行動・言動・心情に新しい一面を感じても、
    その子のもともと持っている一面として受け取れる。
    知れば知るほど、発見があり、
    その新しい一面は、決して矛盾した性格ではないのである。
    近年のソシャゲだけでなく、アニメやマンガでも、
    ここまで軸のしっかりとしたキャラクターが書かれている作品はそうないのではないだろうか。
    たいていは、物語の都合で性格と会わない行動を取ったり。
    時を経ることで性格が破綻するものである。
    その軸がぶれない書き方ができている。
    そこが、シャニマスの強みであり、魅力。
    コミュに深みを与えているエッセンスである。

    もともと持つキャラクター・性格を踏まえたうえで、
    様々な出来事にどう向き合っていくかがコミュとなる。
    まさに、「生きていることは物語じゃない」と言わんばかりに、
    このキャラクターたちが生きているさまに
    面白さや感動を受け取ることができるつくりなのだ。
    物語の都合にキャラクターを合わせない。
    そうしてキャラが出来事に向き合うことで生まれた物語は、
    いわばキャラクターという大きなジグソーパズルに、
    鮮やかなピースを嵌めていく作業ににている。
    制作サイドは最初から完成図を用意していて、
    僕らはピースが嵌まるごとにキャラクターを知っていくことができる。
    完成していくパズルの絵自体も綺麗だし、
    パズルを嵌める(物語を読む)過程も楽しいのだ。
    まだ見えない絵柄を想像することすらも楽しい。
    むしろ、完成しないからこそ楽しいとすらいえる。
    くもりガラスの向こう側のよう。

    ここが、シャニマスのコミュの根幹にあるものだと、僕は思う。

    この作り方にはもう一ついいところがある。
    それは時系列順に見ることを必須としないこと。
    実は、どんな順番に見ても楽しめるのだ。
    よく
    「薄桃色にこんがらがってを初心者に勧めるな」
    という意見を耳にするが、僕はそう思はない。
    確かに、時系列順に追うのが楽しみやすいとは思うが、
    「薄桃色にこんがらがって」を読んでから、その過去にあった話として
    「満開・アルストロメリア流幸福論」や「アルストロメリア感謝祭」
    を見てみればどうだろう。
    「薄桃色にこんがらがって」という試練でどうして
    あの子たちはあれだけ心を悩ませたのか。
    その解を過去コミュを見て知ることもまた、面白いと思うからだ。
    そこで答えを得たうえで、もう一度「薄桃色にこんがらがって」を見れば
    また新たな発見があって二度楽しめる。

    そもそも、すべてのキャラにブレがないのだから、
    時系列をバラバラにしたって、その子の一面を見る順番が変わるだけ。

    まるで、それを暗示したかのようなコミュが
    「くもりガラスの銀曜日」でもあった。
    このコミュは、イルミネがこれまでの2年間で経験してきた時間を、
    バラバラにして組み込んでいる。
    初見では時間軸がわからないのだが、
    後から整理して時間軸順を知ってもいいし、
    そもそも、知らなくても楽しめる。
    関連するコミュをあとからよむことで
    「このコミュが、銀曜日のアレにつながっているのか。」
    と、楽しむこともできる。
    まるで、最近よく言われる「時系列順に読め」という風潮に
    ライター自身が「好きに楽しめ」と伝えてきたかのようだった。

    角からパズルを嵌めるのがセオリーではあるのだろうが、
    別に真ん中の絵から作っても構わない。
    特別綺麗な青色の部分から作り始めて、
    そこが空なのか、海なのか、湖なのかを知ったとき
    その瞬間しか味わうことができない感動を得られるのだから。

    シャニマスのライターが信じられる限り、
    完成図は変わらない。
    それなら、どんな順番で読んだって大丈夫だ。


    ライターは、僕らにコミュの楽しみ方すら暗示的に伝えてくれている。
    そして、これまで積み上げてきたコミュの数も相当だ。
    薄桃色なら僕は一度読み返すだけで1時間はかかる。
    余暇の時間を多くの趣味で埋め尽くす現代人には、
    むしろ多すぎるくらいのテキストの質と量。
    これがあるのだから、じっくり見てみれば、やることがないと感じることなんて。
    少なくとも、僕にはない。