ユーザーブロマガは2021年10月7日(予定)をもちましてサービスを終了します

  • 【ネタバレ】20年くらい前に初めてエヴァ見た独身おじさんが全てのエヴァンゲリオンにさようならした日

    2021-03-09 04:481
    表題の通りです。ネタバレなしで見たい人はぜひ今すぐ全ての社会責任にさようならして劇場へ向かってください。

    シンエヴァ、とりあえず言えるのはめちゃくちゃよかったです。僕はまさにシンジ君とタメくらいのころに旧劇場版をビデオで見て「エヴァすげー!なんか難解そうでかっけー!アニメはすごい!」ってなってアニオタになり、その後生来の飽きっぽさが幸いして1年くらいでアニオタを辞めたくらいのライト層なのでガチ勢の皆さんほどエヴァの呪縛を食らってたタイプではありません。

    一方でエヴァを知る前後くらいで急速に人間性をこじらせ、高校に進学しなかったりアル中ニートになったり今に続く世の中とのウマ合わない病を発症したので、旧シリーズで示されたエヴァの表現はずっと心のロンギヌスの槍としてぶっ刺さってもいました。今でも「みんながLCLに溶けてひとつになったら気持ちよさそー」と思ってるしそのボタンがあったら押します。

    やがて大人になり、新劇は破のエンタメ感やQのこじらせ再発症感などを少し冷静に、A.T.フィールド越しに楽しんでいましたが、そういう立場的にシンエヴァは「エヴァがきれいに終わった!」という点に最大のカタルシスがありました。文字にするとすげえつまんねえ感想だな。でも20年応援してきたスポーツ選手が最後の世界大会で優勝してそのまま引退するのを見てるような気分が近かったです。

    旧劇もシンも庵野監督がエヴァファンに「アニメから卒業しなよ」的なメタメッセージを発しているとよく分析されていますが、当時「おめでとう」と言ってもらったチルドレン(僕)がおっさんになって「完結おめでとう」って言う側に回れた爽やかさがありました。なのでケンスケやトウジが大人になってたのが一番よかったです。テレビ版でケンスケのキャンプに家出したシンジが泊まるシーンとかめっちゃ好きだった。まさかそこ回収してくるとは。新劇だとミサトさんに「相原くん」って言われるくらい忘れられたキャラだったのに。

    あと「アスカとケンケン」を筆頭に各キャラのカップリングに脳を破壊されてる意見も見ましたが、僕も独身おじさんなのにそれは全然なかったです(余談ですが脳を物理破壊されたゲンドウがなぜかそれをちょっと拾うシーンは笑いました)。というかシンジが「自分のやったことは自分で背負いたい」みたいに言ってたのがマジでそれで、そういう自問自答や内省や葛藤を繰り返すことこそ僕が旧エヴァから教わったことなので、「綾波を助ける!」とかの直球ヒーローシンジさんより全知全能ポジのカヲルくんすら論破する達観シンジくんのほうに圧倒的成長を感じた。「アスカたそハァハァ」と言っていた中学時代から「自分の人生の責任は自分で取る。自分で考え自分で決める。アスカは絵」というマインドを構築していった旧劇から新劇始まるくらいまでの間に、既に僕は「さらば、全てのエヴァンゲリオン」していたのかもなとか思いました。

    あんま内容に触れてない。めちゃくちゃ考察とか詰め込んでいったのにまだ読み解けてない部分多いですが、全体的に「サービスサービス」の精神はQがアレだった分マシマシになってた気がします。黒波が爆速で感情獲得していくとことかミサトさんが髪ほどくとことか初号機と十三号機の異常空間ゲンカとか。「おもしろーい!」で見てオッケーな映画だと感じました。ゲンドウが量子テレポートでビュンビュンしてたのは一生いじれるおもしろシーンだと思う。

    絶望の槍と希望の槍みたいなのが出てきたけど、旧劇を「絶望」の話とするなら新劇(シンエヴァ)は「希望」の話なのかなと思った。で、描かれ方が違うだけでどっちも「現実と向き合う」という話だと思う。シンエヴァは多くの謎にちゃんと説明もついてた(と思う)し、エヴァ全体としても「新劇」という紆余曲折合ったシリーズのまとめとしても美しかったと思うのでやっぱ「エヴァがきれいに終わった!」という感動が一番強かったです。

    ということであのころめっちゃ好きだった全てのエヴァンゲリオンにさようならできて僕としてはとてもいい体験でした。今後もときどきエヴァのことを思い出します。「さようならはまた会うためのおまじない」らしいので。
  • 広告
  • ろくじゃない日

    2020-05-24 21:442
    別に大げさなことを書きたいわけではないのだけど、今日はばあちゃんの告別式があったので日記を書いておく。そんな感傷的なものではないけどおばあちゃんっ子だったので。

    先週くらいにばあちゃんが入院したという連絡がきて、数日後に亡くなったという連絡がきた。いわゆる「今夜が山だ」みたいな状況ではあったらしいのだけど、こういうご時世なので面会的なものはできないので普通に暮らすしかなかった。親父がちょっとだけ喋ったところによると意外と元気で「もういいから早く帰りたい」的なことを言ってたらしい。

    告別式の写真がよかった。直近の89歳の誕生日の写真をトリミングした写真で、元写真はばあちゃんがフニャーっと笑顔でピースしてる写真なんだけど、なんならそのピースまで入れてくれたほうがいいのにな、と思った。俺は世の中や近隣の人にめちゃくちゃ「ろくじゃないよ(長渕剛で言う「ろくなもんじゃねえ」の意)」と悪態をついてタバコをふかしているばあちゃんと孫の僕らに満面の笑みで猫かわいがりしてくれたばあちゃんを両方知っているから。から、ってことはないか。まあそういう感じ。

    今日は10年以上ぶりに会う親戚とかがいっぱいいて「みんな老けたなあ」「知らない親戚の子供がいるなあ」とか思った。儀式苦手マンなので葬儀では坊さんの木魚その他を駆使したドラムソロを聞きながら「これ宗派によってリズムパターン違うのかな……」「裏拍でチーン入れるのはなんでかな……」とか思ったり思わなかったりした。精進落としで飯食ってるときに「ばあちゃんによく食わされたサッポロ一番塩ラーメンが今でも遺伝子に刻まれてるレベルで好きだ」という話をした時は故人をしのんでる感があった。そのくらい。

    ばあちゃんは僕が社会のミジンコだった頃に保育園におむかえに来る係をやってくれていて、駄菓子屋で50円とかの組み立て式飛行機を買ってくれたり中古ゲーム屋の隅に置いてあるアーケードゲーム機でキングオブザモンスターズをやらせてくれたりした。僕は小1まで甘えん坊の赤ちゃんだったので学校のあとにベビーカーに乗せてもらってスーパーの総菜の鶏肉かなんかを食いながら往来を往来していた記憶もある。大人になったら車いすくらい押して恩返ししたかった気もするけどばあちゃんは人に頼るのが嫌いで車いすにほとんど乗らなかったらしい。

    まあ野暮な思い出でお茶を濁すのはやめよう。実際自分はばあちゃんとしばらく疎遠になったし、ろくじゃない孫だった。

    大学時代は家が近かったので少し顔を出したりもしたけど、その後は10年くらい会わなかった。最後に会ったのは去年の春だ。「そろそろ危ないから」みたいなことを周りに言われて会いに行って元々遠かった耳がさらに5kmくらい遠くに行っていて筆談で「元気?」「元気だよ」みたいな会話をした。30過ぎの僕に「大きくなったねえ」「昔はこんなに小さくておぶってパン屋に行ってねえ」みたいなテンプレの話もしてくれた。世界の全てに「ろくじゃないよ」と悪態をついていたばあちゃんだけど、その日は帰るときに僕の肩を叩いて「またおいで」と言ってくれた。「また来るよ」と言ったけど多分ばあちゃんには聞こえてなかったし、結局また行く前にばあちゃんが逝ってしまった。

    なんか染みったれた感じになるな。親父は「ばあさんはまとめ方が上手かった」と言ってた。苦しみながら生き長らえると大変みたいなことを言ってるんだろう。僕もそう思う。それがよかったんじゃないかなとも。

    まあそんなのは生きてる人間の勝手な意見で、ばあちゃんは「ろくじゃないよ」って思ってるかもなとも思う。あの吐き捨てるような「ろくじゃないよ」の言い方が僕は好きでよくマネしていて、親戚も昔からネタにしていて、大井家のギャグとして今後もずっと使わせてもらいたいなと思っています。ばあちゃんのご冥福をお祈りします。今日はほんとにろくじゃない日でした。
  • 世の中のことわからない僕が「人はいつか死ぬ」ということはちょっとわかったつもりで生きてる話

    2020-05-11 04:454
    「盛り下がってるかーい?」というロックスターのゴキゲンナナメな煽りが聞こえてきそうな昨今、人類の皆様いかがお過ごしでしょうか。小市民です。ライブハウス自宅よりキイチビール&ザ・ホーリーティッツの「世の中のことわからない」をお届けします。マジわかんねえよな、世の中。



    まあ2020年5月現在のめちゃくちゃをあの名前も呼びたくねえウイルスが引き起こしてることは間違いのねえことでござあすが、もう嫌になりますわね。病気が、ってんじゃあない。いやそらあ病気も怖ぇけどそれより俺ぁ世の中が怖ぇ。ってあんまり怖いので落語調じゃないと言えなくなるくらい怖いわけ。

    僕はもとより落伍者のほうやらしてもらってたんで自粛で家にいろー、なんてのは望むところ、むしろ「夢が叶いました」と歓喜の涙を流しながら毎日元気に1日50歩しか歩かず焼酎を飲み倒しています。なんなら自分みたいなもんは日に1、2本の輪ゴムかなんかを食べさせてもらえれば十分なのですが最近はウーバーイーツなる適度にフリーな奴隷にメシを運ばせるサービスなどもあるらしく、それを使うと自粛しながら人間の食い物が食えたりします。毎回配達員の方を抱きしめて感謝の濃厚接触をしたい気持ちに駆られますが、そのほうが叱られるらしいのでしていません。「ソーシャルディスタンス!」と言ってバックステップをするとお互いの絆ゲージが上がるという仕様のアプデが入ったらしいです、世の中。

    素晴らしいことだと思います。なんかマスクとか10万円とかも生きてるだけでくれるらしいし。がんばって生きてるといいことあるなーって思います。

    まあ素晴らしい云々っていうのは嘘なんですけど、それだけ皆で絆ゲージをガン上げしてるのになんか世の中を見てるとむちゃくちゃ喧嘩してるというか、高めたゲージを解放して各人がオリジナルのバチギレ超必殺技を撃ち合う大乱闘スマッシュブラザーズ状態になっているように見えます。多分幻覚なんですけどちょっと怖いなと思うことがあります。

    僕は「毎日焼酎をキメないと死ぬ」というある意味でウイルスより怖い難病を患っているのでそういう幻覚を見てしまうんですが、そもそもその難病を患ったきっかけというのが「人はいつか死ぬ」という事実に気付いた時からだったような気がします。

    10代くらいのころはそらあ僕も可能性の獣です。法律に「人はいつか死ぬ」という条文が書いてあっても「嘘乙」とつぶやいて冷めたツラして歩いていました。だけど成長して物事の分別がついてくると「人ってもしかしてマジでいつか死ぬんじゃね……?」ということに気付き始め、そうすると自分の根っこであった「まあまだ死なんやろ」という絶対の自信が崩壊しそのあとはもうめちゃくちゃです。何十日か前に色々な意味で死んでしまったワニよろしく「5秒後に死んだらどうしよ……」という考えが四六時中頭を離れなくなり、正気を失った私はその症状の特効薬と噂されていた焼酎(最近はアビガンとかいう同様の効果を得られるものも出ているようです)にたちまち手を染め、今では副作用により日常的に幻覚を見るようになりました。

    「人はいつか死ぬ」という恐怖で自我が崩壊するのは僕調べによると不治の病らしく、発症当初の僕も色々捨て鉢になってロックを聴きまくったり急に「ラブ&ピース」と叫んで人に抱き着いたりインターネットで喋りながらゲームをしたりして健康な皆さんにご迷惑をおかけしましたが、最近は病気との付き合い方も少しわかってきて時々小康を得られるようにはなりました。「人はいつか死ぬ病」というのは現代医学でもまだ解決の目途が立っていない最強の難病らしいのですが、わりと無症状なだけで全人類が罹患している病気らしいです。「みんな同じなんだな」と思うと少し落ち着けます。筆者は既にだいぶ症状が進行しているので焼酎だけは欠かさないように細心の注意を払っていますが。

    エビデンスのない素人考えで恐縮なのですが最近流行りのあの名前も呼びたくねえウイルスは、どうも副作用としてこの「人はいつか死ぬ病」を併発させる可能性があるんでねえかなと思っています。こっちの病気は身体的な症状はなくただちに影響もないんですが、メンタル面でやや人と人の関係をギスギスさせる効果が確認されています。ここは元から楽しい地獄だと星野源も言っていたので大勢に影響はないかと存じますが、絆ゲージを上げないといけない現状においては決して無視できない部分かと思いますので、人類の皆様はどうぞご自愛ください。

    余談ですが本日お届けしたナンバー「世の中のことわからない」は、「会い足りないけど会えない」みたいなごく普通のことを言ってる歌なのに急に「世の中のことわからない」と言い出して「だけども君のそばにいたいよ」と続く変ちくりんなラブソングです。人間が歪に人間を愛する感情みたいなやつがソーシャルディスタンスを飛び越えて広く伝染してくれたらいいのになと思いました。隔離病棟自宅からは以上です。