• 異世界ゲーム系

    2020-10-11 21:31
    〇以前から異世界転生については俺もいろいろ言ってきたが、どうもその批判(難癖?)のひとつにゲームのような世界でリアリティがない、という批判がある。しかし、異世界転生の中にはゲームの世界に入り込んでしまうものもあり、そもそも転生しないでゲームの世界に入り込む作品は膨大にある。書き手がゲームしか知らないという批判も当たってはいそうなのだが、引っかかる。
     そもそもゲーム自体が魅力的ということには納得できるからだ。異世界は中世ヨーロッパ風と言われてきたが、ステータスだのスキルだののゲーム世界を真似しているとしたら、その本質はゲームのような世界に魅力を感じて、その面白い世界におぼれていたい、という傾向を指すだろう。ならば、異世界自体がイキイキとしたリアリティを持っているよりも、ゲーム的観点から面白いかどうかが重要のはずだ。テレビ画面の点が動いて線を越えるだけで面白いのがテレビゲームなら、そこにはリアリティはない。
     俺は最近ゲームが億劫になってきたので(ソシャゲのやりすぎ)そういうゲームを真似する小説に今はあまり魅力を感じないのだが、ゲームが面白いことは分かる。ならば、ひっくり返してゲームの面白さを並べ立てることで、何がネット小説の異世界系、ゲーム系に求められているのかは多少、分かるのではないか。
     最近も悪役令嬢の話をしたが、これもしっくりこなかった。それは、どこに面白さを求めて、どこに共感するのかが感じにくいからだ。

    〇ゲームはプレイヤーを楽しませるためにある。したがってゲーム世界がプレイヤーにとって理想的な世界を提供することは間違いない。ゲームは批判するにせよ賛同するにせよ、自分にとって理想的な世界が楽しめるかどうかもカギとなる。
     良いゲームの条件をいくつか考えてみよう。
    ・目的がはっきりしている。(これは目標とは限らない。永久にプレイし続ける系のゲームはよくあるが、その場合もステージの区切りが存在し、ゴールまでたどり着く、ボスを倒す、相手の画面をブロックでいっぱいにする、などのルールがはっきりしている。)
    ・操作性がよい。あるいはゲームの面白さに適している。
    ・達成感がある。(難易度と解釈してもよい。必ずしも無双することだけがすべてではなく、鬼のような難易度をクリアすることでも達成感が得られる。これは自分自身に制限を課す制限プレイやタイムアタックによって、別の達成感を得ることも可能)
    ・キャラクターや設定のリアリティよりも、ゲーム的な発見(解釈)が可能。(マリオが身長の何倍も高く跳んだり、ドラクエで銅の剣一本で魔王退治を命じられたりしてもよい。それによってゲームが面白くなり、物語上もプレイヤーがお宝を発見することが可能になる)
     以上のように条件をみた。
     何をするゲームか分かりやすいこと(目的)、キャラを動かしやすいこと(操作性)、難易度によって達成感を得られること、発見があること(リアリティよりゲーム性)、これらを取り上げてみたが、もうひとつプレイヤーが保護されていることも見ておこう。
     プレイヤーを楽しませるためには、プレイヤーに苦痛を与えてはいけないのである。ホラーゲームはホラーゲームだから楽しめるのであり、衝撃的な物語はそれが予感できる方が優れている。良作と呼ばれる作品は、ショックを与えることはあっても、必ずプレイヤーを励ましたりお礼を述べる要素がある。プレイヤーにフレンドリーでない作品、制作側の意図しない表現で否定を強く引き起こしてしまう作品はクソゲーと呼ばれる。

    〇このように考えれば、実はゲームとは裏切りが少ない作品であることが分かる。ショックを与えたとしても、それはプレイヤーを楽しませる枠内であり、真摯に向き合った結果でなければならない。高難易度を設定する意味は、それを求めているプレイヤーのためであり、決して難しくすれば長く遊べるだろう、といった適当な理由であってはならない。
     異世界系、ないしゲーム世界系作品が流行する傾向はここにある。
     プレイヤー(主人公)の私にとって、(ゲーム)世界とは楽しませるために存在するものでなければならない。
     そうでないから「人生はクソゲー」なのである。
     この発言は一見するとわがまま勝手に見えるが、ゲームをプレイする側からすれば、一人一人のプレイヤーが大事にされないのは明らかにおかしい。近年のゲームは必ずしもプレイヤーがプレイするだけにとどまらず、改造データ(MOD)をユーザーが作っていくことも大いにある。そう考えていくと、プレイヤー…一人一人の個人は、単にプレイするだけでなく、ゲームの参加者なのであり、意見を言うのもよりよく世界を改変してみんなが楽しくプレイするためなのである。
     ところが、ゲームそのものを非難していると、それは参加者からは敵に見えてしまう。ここにも注意が必要だ。

    〇この場合、なぜ現実世界ではなく世界そのものが異世界、ゲーム世界を選ぶのかは、現実世界がプレイヤーを楽しませるための世界として存在していないことを挙げよう。
     本来、現実世界もまた一人ひとりの個人が参加して意見を言い、よりよく世界を改変してみんなが楽しく生きられるようにする場所である(特に民主主義社会では)。ところがそうはなっていない。それどころか、今の社会や参加している組織を非難すると、参加者からは敵に見えてしまい、激しく攻撃される。つまり、多くの人は現実世界が、そもそも個人を大事にする世界(まあ世界は言い過ぎだから人間社会)ではないのだと思っている。
     異世界転生では、現実世界でいじめられたり悲惨な人生にあった主人公がトラックにはねられて死亡するといったお決まりのパターンがあった。それはそもそも現実世界では自分は大事にされないという認識があり、それがパターン化されたものだと考えられないか。
     もし現実世界が個人を大事にする社会なんだ、本来的にはそうなんだ、と考えているなら、わざわざ異世界に頼らずとも現実世界の改変を目指すはずだ。しかし、本質的に「クソゲー」で変えようがないと思っているなら話は違ってくる。
     だから異世界系、ゲーム世界系は、最初からプレイヤーとして大事にされる世界に参加することを選ぶ。大前提として、これらの世界は、プレイヤーが文句を言ってもいい世界であり、自分が変えられる(改変できる)世界なのである。この違いはかなり大きい。たとえ最初にボロボロな状況からスタートしても、それは難易度の問題であって達成感を得られないという話ではない。

    〇異世界系、ゲーム世界系が流行するのもこれは大変わかる。そもそもここには、制作側とユーザー側の相互乗り入れが存在する。制作側は常に制作の側に立っているわけではなく、ユーザーも同じである。非対称な関係ではないから、参加者として振る舞える。みんなでこの世界をよくしていこう、という前向きな意識があるから、異世界を設定する部分はないとは言えない。ゲームのみならず小説サイトなんて作家と読者がどんどん入れ替わるので、ある意味では異世界に行くのは当たり前だったのかもしれない。/勇者と魔王の話なんてもっと前から流行ってたが、なんか勇者や魔王が現実世界に適応しようとして苦労する話が多かった気がする。やっぱり現実世界は厳しい世界なのだ。
     これはかなり現代的な話だと思っておこう。
     一方で、一人一人の個人を大事にする、という精神が現実世界に存在しないのならなんとも寂しい。リアリティがないという話ではなく、理念がないわけで……。
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  • 図書館員のいない図書館 『首里の馬』感想

    2020-10-01 10:06
    〇これはかなり悲惨な話である。
     沖縄のとある資料館で資料整理を手伝う未名子は、台風の夜、謎の馬に出会う。資料館といっても公的な施設ではなく、個人が勝手に証言や資料を収集している場所に過ぎないが、それを運営していた順さんが病院に運ばれてしまい、未名子は資料をスマホでぱちぱち撮って、データに変換して、別の人に渡すことを思いつく。もともと遠く離れた人にクイズを出すという謎仕事をしていたので、その人たちにデータを送るのだ。

     この話には資料館の利用者が存在しない。そもそもカギこそ開いているが、公的な施設として補助金申請も出してないし、一般向けに開かれて宣伝しているわけではないし、資料解説のガイドもおかないこの資料館は、利用者を遠ざけている。むしろ、だからこそ、未名子はここで長く手伝っているのだ、という。
     ところが未名子は「世の中のどこかになにかの知識をためたり、それらを整理しているということを、多くの人はどういうわけかひどく気味悪く思うらしい」ということに「気づく」。
     そんなことはない。人は多かれ少なかれモノや知識をコレクションする。その行為自体が気持ち悪いのではなく、自分の知っている形で開かれていないから恐れる。未名子も資料館の知識をクイズしていた人たちに渡すとき、クイズ形式でやり取りする(知っている形でやり取りする)ことにも表れている。
     「魔女の館」のように思われる資料館は、魔女が住んでいて、しかし魅力的な(あるいは恐ろしい)本がいっぱい貯めこまれている、という「図書館の魔女」式の図書館像である。一般人に開かれていない、知識を持つ人しか触れられない古臭い図書館像だ。

     この「図書館の魔女」観を打ち破ろうと、日本の図書館界では50年以上も前から改善の努力が続けられてきた。いま当たり前のように本が本棚に並んで、利用者が手に取って本が探せる開架式は、書庫にため込んで図書館員に請求を出して取ってきてもらう閉架式より、本が劣化しやすく保存に向いていない。けれども多くの公共図書館は利用者につかってもらうために、開架式(か閉架書庫との併用)を採用している。
     それだけじゃない。そもそも未名子が資料館に惹かれたのも、学校に行かない子どもの居場所として、社会教育施設がある種の社会福祉の役割を持っているからじゃあないか。最近だって「学校休んで図書館にいらっしゃい」というツイートが話題になったこともあったが、こういう施設が居場所になることはある。
     ところがこの話には、利用者がいない。いや、未名子こそ利用者なのだが、その利用者に応えるプロがいないのである。外に開いていない施設だから。個人の研究・関心で集めている施設はその個人が亡くなれば意味を失う。「魔女の館」が潰れるのは話の最初から運命的に決まっていたのである。

    〇図書館員は、働いていれば自然と三つの「利用者」がいることに気づく。
     それは施設の設置者、現在の利用者、そして将来の利用者である。
     公立図書館は県市町村などの設置者がいることになるが、こうした行政・自治体はそれぞれどのような町をつくるのか、という目標を持っている。そして図書館はそれに応じたコレクションを収集し、図書館をつくることになる。/これが学校図書館であれば、学校の教育目標がその図書館の目標になる。
     先日も新型コロナで図書館の利用者に名前と連絡先を書かせて情報収集するという問題が起きた。これは、自治体レベルでは住民の安全を守るために情報を収集する責任があるのだが、図書館にしてみると、利用者のプライバシーを侵害し、読書の自由を奪うことになる。設置者と眼前の利用者が異なるので、本来、図書館員はどれかに盲目的に従うのではなく、その間でよりよい策を講じなければならなかった。
     これは将来の利用者についてもいえる。
     どんな資料を残すのか。あるいはスペース、財政的負担の面から、どんな資料を破棄(蔵書であれば除籍)するのかは、将来の利用者と現在の利用者の負担や利益を考えなくてはならない。
     このような利用者に対する視点は図書館員であれば自然に身につくし、適切な図書館教育を受けていれば当然持っている。
     ところが『首里の馬』を考えてみると、設置する順さんもそれを手伝う未名子も、そしてデータを渡したクイズの回答者も利用者であって、奉仕をする図書館員のような存在ではない。利用者を利用者として認識する人がいない。未名子はおそらく居場所として資料館を選んでおり、それが壊されると資料を収集して整理する行為に執着するが、これは誰のためでもないので「今まで自分の人生のうち結構な時間をかけて記録した情報、つまり自分の宝物が、ずっと役に立つことなく、世界の果てのいくつかの場所でじっとしたまま、古びて劣化し、穴だらけに消え去ってしまうことのほうが、きっとずっとすばらしいことに決まっている」と結論づける。

    〇なにか役に立つ、評価する、歴史化することは悪であるかのように恐れられている。
     未名子の周りはほとんど優しい人間しかいない。資料館という居場所をくれた順さん。いつ仕事を辞めてもいいというし、未名子を怯えさせることがない上司のカンベ主任。クイズの回答者はみんな親切だし、怪訝そうな顔をしたり怒ったりする警察や電機屋の店主も結果的にではあるが、馬をこっそり盗んでも文句を言わないし、電機屋は大声で「難儀!」と叫ぶがそれすらも弱弱しい生き物と言われるような姿で現れる。
     これだけ優しい世界でも未名子は悪意に敏感に反応する。おそらく関心を持たれたり期待をされたりして交流する方が厄介なのだ。この気持ちはすげー分かる。周りから評価されて役に立つことを強要される(ような気がする)のはくっそ疲れるし、死にたくなる。だから未名子は自分が資料館に行くのと同じようにみんなが理解すればいいのに、という考え方をする。/「資料館にはあんなに資料があって、それらは別にまったく秘密なんかじゃなくて、調べればどれだけだって開かれているのに。」
     未名子は断続的な歴史を持つ沖縄で、資料を評価しない(歴史化しない)でただ収集と保存をすることで、自分自身の歴史化も避けようとしている。

     だが、それは利用者の視点だ。
     図書館員のいない図書館には利用者を利用者としてみる人がいない。利用者がいなければ評価はされないが、資料を引き継ぐ意味も失う。評価して処分されるよりも、無関心に資料を引き裂かれるほうが厄介だと思う人間はいる。これは職業的にそうならざるを得ない。/だから未名子も資料を分散しようと試みたはずだ。/悲惨なのは、それが利用者には伝わっていないということだ。
  • 悪役令嬢ものはなぜ流行ったのか(仮置き版)

    2020-09-19 00:04
    〇流行
     先日、同僚が悪役令嬢ものが流行っているという話を教えてくれた。
     悪役令嬢とは異世界転生の少女漫画版といったところで、乙女ゲーの悪徳令嬢に転生してしまい、悲惨な運命が待っていることを知っている主人公はそれを回避しようと奮闘する……というものである。5年ほど前から流行しているらしいので、今のパターンは違っているかもしれないが、およそネット小説の傾向として人気の流れの一つに数えていいだろう。
     同僚によると、悪役令嬢ものは大体2パターンの解決策を取るという。
     ひとつは悲惨な運命を知っているので、それを回避しようと努力するパターン。婚約破棄されるので別の人生を歩もうとしたり、平民になろうとしたりして新たな人生を歩む展開である。つまり悪役を自体は引き受けて、破滅的な展開そのものを降りようとする。
     もうひとつはもともと悪役令嬢は言うほど悪くなかったんだよパターン。これは正ヒロインが貴族のルールを知らない平民上がりの小娘だから面前で叱責したり、王族に無礼なふるまいをしているので裏で指導したりしたのが悪役扱いされていたキャラクター像である。(実は使用人やら領民や取り巻きには好かれている)
     こちらの場合、規範意識(ルールを守れという意識)が強く出ているので、要するに正ヒロインが無茶苦茶なことをやっていたり、乙女ゲーのヒーローがそれを許容していたりするのが問題となる。ルールを守れ、という考えはわかりやすい。
    (正ヒロインを愚かに描くなどの他のパターンもあるかもしれないが、それらは聞かなかったので省く)

     ただし、話していて気づいたのだが、悪役令嬢ものはどちらにせよ架空の貴族社会を問題にしている。

    〇架空の社会
     実は「悪役令嬢」は、乙女ゲーにはほとんど存在しない(わざわざ処刑されて悲惨な運命をたどる)そうである。つまりこれは、物語の必要に応じて生み出された形式で、架空の社会、架空のゲームということだ。/考えてみなくても、残酷な「シンデレラ」はともかく、乙女ゲーの目的は男性キャラとキャッキャしたいのであって、ライバルキャラだろうと悲惨な最期の話をあえて聞きたくないだろう。
     この物語の必要とは、逆転劇を楽しみたい、というものだが、もう一つはキャラクターに共感できるということもあるだろう。

     自分がプレイしているゲームのキャラクターなら、この世界のことはよく分かっている。よく分かっている世界なら、ルールを守って間違えた行動はしないのに。(あるいは)ルールを守っているのに、どうして不条理な目に合わされるんだろう?

     「悪役令嬢」の乙女ゲーがかなりの確率で貴族社会で学園ものである(封建社会か閉鎖的で校則に支配されている)ことは、ルールを守れ、という自分にも死ぬほど内面化した巨大な圧力と、守っているのに不条理に処断する相手への不満の裏返しとなっている。 
     まあ封建社会では不満を抱く人格自体が育ちにくい。不満を言ったり破滅を回避したりするぐらいなら腹を切る。いっそ腹を切らないなら貴族じゃないくらいに言っておこう。
     「悪役令嬢」は資本主義の世界、商品として届けられた乙女ゲーのプレイヤーだから、その彼女が入り込むわけである。この展開はおかしいと本当は不満を持っているのだが、クソクレーマーと思われたくないのか商品を製作したゲーム会社には凸らずに、架空の世界でシナリオ改変してしまうのである。

    〇「好き」では勝てない
     「悪役令嬢」が流行る理由は、おそらく「自分がプレイしているゲームのキャラクターなら……」という一致点が強いのだ。理不尽なシナリオは救済してほしいし、クソみたいなバランスはやめてほしい。だが、運営とのコミュニケーションがうまくできない。ルールは守っているけども不満はある。
     これらはゲームだけに限らないのだが、特に社会が回るうえで、声はなにかと上げやすくなっている一方で、運営(行政とかシステムを回してる人)とのコミュニケーションがうまく取れない感じがしてイライラするのに似ている。(窓口の人は大変だが、後ろの席にいる人は暇そうにしてる感じ。不満は知ってるけど利益にならないからやらない的な)
     俺たちはアップデートのためには運営とのコミュニケーションが必要だということを知っている。ユーザーのいないゲームはサービスが終了するだけである。ただし、それが(キャラクターの、そしてユーザーの)命に関わる問題では困るのだ。そういうところまで機械的にメールを処理しやがるからもう疲れてしまう。/行政の窓口の業務は機械的に処理したり人手が少なくて大変だけど、超大型のなんたらキャンペーンとか金かかってる事業はめっちゃスピーディーに決まるアレよ。
     こういうとき、ただの「好き」ではアップデートは行われない。大型アップデートは早いくせに、個々人の「好き」や不満には全然対応してくれない。なかなか金にならないから。お気持ちを表明してもどうにもならないことを知らされてきた身にとって、それでは勝てないことをソシャゲーマーは知っている。それはソシャゲだけじゃない。みんな、謎コミュニケーションをこの10年やり続けてきたわけである。

     つまり「悪役令嬢」は自分の好き嫌いで物事を動かせなかった人の話だ。運営や制作会社に凸らずに、架空の世界に入り込んで改変していく理由がなんとなく見えてきたんじゃなかろうか。

    〇余談
     仮置き版とした理由はちゃんといろいろ読んでないからなのだが、「異世界転生」ではけっこう女神が出てきてプレイヤーに説明してくれるのに、「悪役令嬢」はそれほど女神が出てこないのも面白いところはある。運営が出てきて対応してくれないし、主人公も運営と対決したりはしないのではないか。
     というより、この運営とユーザーのコミュニケーションの取り方は現代の情報の交通量などからいっても明らかに無理があるのだが、ネット小説でやっていることは、異世界転生にしろ転生復讐譚にしろ、それをどうにかする方法の模索みたいなものだろう。まあ、コミュニケーションどころじゃなくなってるかもしれないが。