• 感想文

    2019-07-05 23:41
    ○まったく畑違いの本を読め、と最近言われているので、めちゃくちゃに適当な本を読んでいる。感想文が書けそうな本を紹介していく。

    『円環宇宙の戦士少女』クローディア・グレイ 中原尚弥訳(ハヤカワ文庫)
     SF小説。
     ゲートを通じて、5つの円環となっている宇宙で、ジェネシス星と地球は対立していた。そのジェネシス星の戦士の少女、ノエミ・ビダルはゲートを通じて襲いかかるメカとの戦いの最中に、30年前に遺棄された地球の調査船と人間そっくりのメカのアベルを発見する。アベルからゲートを破壊する方法を聞き出したノエミは円環宇宙を旅する。
     というのがあらすじ。
     それでねぇ、この作者はスター・ウォーズのスピンオフ作品を手がけたり、ヤングアダルトのヴァンパイア物を書いたりしているそうなんですよ。これで察した人はいますかね。
     宇宙船の操縦から身分証の偽装までなんでもできるイケメンの敵対するロボットが、人間そっくりの知性を持っているためにだんだん主人公の少女と心を寄せていくって話ですね! もうこれハヤカワ文庫じゃなくて女子向けライトノベルで良いのでは? いや、でも…SFSFしててダメか……? と思ったなァ。
     敵対するけど、メカだから指揮下に入るのでイケメンが服従しますってすげえ設定だと思わない? ちなみに訳者はガールズ・スター・ウォーズだ、と言っていたけど、コブラとアーマロイドレディーな気がした。いやだって、機雷原を突破するのも「他のメカには突破できるような正確な操縦力はないのよ」「私は一番優秀なメカですから」で突破しちゃうし、「コーンフレークを山盛り2杯食べてるから」とかいう意味不明な説得力と似てる…似てない?
     ただ、スター・ウォーズもコブラも1970年代後半から80年代にかけての宇宙を旅する同時期の作品だ。40年くらい前のパワーがスタート地点なのだから、案外スター・ウォーズを見て育ったらなんかこういう作品が出るのは当然なのかもしれない。/コブラなんかとてもおっさん臭いからなあ……この作品みたいに逆転させてみたらどうだろう。

    『陸王』文庫版 池井戸潤 集英社文庫
     こはぜ屋という老舗の足袋会社が、新事業としてランニングシューズの開発に乗り出す。しかし、そこにはアトランティスという大手のライバル企業を始め、一筋縄ではいかない世界だった。といった感じの話。
     池井戸作品なので、まあ大体は分かってもらえると思う。
     進みこそゆっくりしているものの、話は分かりやすい。このままじゃ会社は危うい…どうすりゃいいんだ…新事業は…金は…誰に聞いたらいいんだ…助けてくれる会社は…とまあ次々と問題が現れてやってくる。悪役も露骨だし、銀行の人もどっちつかずの人もいるが、まあ出てくる人物が敵味方とはっきりしている。
     しっかし、この作品、とにかく飲み会のシーンが多くね? 池井戸作品はそこまで熱心に読んだことなかったし、半沢直樹では銀行業界では席まで決まっているからという話も聞いたのだが、飲み会で重要な話が進展していくことが多い。いや日本はそういうもんだよ、と言えばそれまでなのだが、何かあれば酒飲んでる。これが日本のものづくり業界の成功シーンの物語で大丈夫なのだろうか。
     池井戸作品は非常に分かりやすく悪役を描くし、悪役をやり込める。しかし、悪役を生み出す土壌をひっくり返したりはしない。というか、その構造は温存してしまう様子を割ときっちり描いているところが逆に面白い。特に『陸王』について言えば、実はエピローグは敗北者たちの物語で締められていることに注目したい。ハラスメントが行われて退職に追い込まれる人物がいても、そのハラスメントをなくす構造にまでは行き着かない。
     そういえば、ハラスメントで言えば、確か半沢直樹関連でも、やめさせられそうになっても妻が最後まで支えるというのがドラマの視聴者は好きなのだと言われていた。それは悪役を倒したり成功したりする時に、しわ寄せが内側に来るかもねって話なんだよね。どうも『七つの会議』とかから読んだせいか、痛快さの裏を見てしまうなァ。
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  • キャラクターとして考える異世界転生

    2019-06-21 10:37
    ※ネタです。

    ○ニコニコ漫画のランキングに上がってくるのを見ると異世界転生花盛りといった感がある。それだけニコニコユーザーが高齢化しているのだろう(異世界転生ものの読者は30代~40代)/ただそれもひところよりは飽きられているのかもしれない。
     しかし、この異世界転生、どうもコメントでは文句を言っている連中の方が多く、とても人気があるようには思えない。ニコニコ静画だから仕方ない面もあるとは思うのだが、それ以前になぜ異世界に転生するのだろうか、ということがあまり突っ込まれていないことが気になる。異世界の細部が作り込まれていないことに文句を言う人が多いのであって、異世界に転生すること自体には疑問に思う人が少ない。
     俺自身、漫画はつまらないけど原作は面白いんだよ、というコメントを信じて何度かチャレンジしたものの、大体合わなかったので小説版はかなり遠慮させていただいている。異世界転生が対象としている読者が30代~40代というのは本当だろうか? 異世界のトラックにツッコミを入れ、ステータスやスキルにツッコミを入れ、ハーレムや異世界の知的水準にもツッコミを入れているのに、読者は異世界に転生すること自体にはあまり違和感がない。

    ○そもそもキャラクターとして異世界転生を見る前に、「異世界」への「転生」は物語の契機であり、カギとなってもおかしくはない。つまり、現実世界でのなんらかの失敗や問題により「死亡」した主人公が、異世界へと転生することでその問題の解決を果たしていく、ということは十分にありうる。逆に、突然異世界に飛ばされてしまったから帰りたい、という目的を持つのでも良い。むしろトラックで殺されるのだからこちらの方が自然だ。「異世界」への「転生」が現実世界との対比で、物語の目的になることはありうる。
     ところが近年の「異世界転生」はどうも見ていると何か違う。
     異世界に転生した時点で物語は一旦切れてしまっており、現実世界での問題を引きずることがあまりない。むしろせっかく異世界にきて楽しい人生を送るはずだったのに、王様だの姫様だのが邪魔をして罠にハメられたのでそれに復讐するといった、「異世界」から問題がスタートする展開も多い。この段階ではもう「転生」すらいらないという作品も多く見受けられ、現実世界とのつながりより異世界でのチートや無双、ハーレムを強調する作品も多い。/でもスキルはある。
     これはどうもおかしい。

    ○少し整理してみよう。
     主な異世界転生とは大体このような設定を持つ。
    ・現実世界とは違う「異世界」へ行く
    ・「転生」する。つまり、一度死ぬ
    ・厳密に言えばこの両方がセットになっている。「異世界転移」や「転生モノ」ではなく「異世界転生」である
    ・どちらかと言えば「異世界」に比重が置かれている。現実世界と切れている
    ・「転生」したときにボーナスが神/女神にもらえる。スキルなど
    ・前世での出来事や経験をあまり引きずらない
    ・「異世界」での目的は「異世界」で暮らすことである(スローライフ)。それを邪魔する敵がいる場合に復讐したり、何か行動を起こす
    ・「異世界」の住民の知的水準が低い
     以上を満たすとき、この「異世界転生」とは物語というより、キャラクターに付与される属性と考えられる。このキャラクターは現実世界から「異世界」に死んで移動してきたが、それを物語の軸にはしていない。
     「いや、俺の好きな作品はそんなことないんだけど」というファンの方に考えてほしいのだが、物語の軸としては上記の「異世界転生」は非常に使いづらいのである。それはおそらく、異世界に行くことと転生することの食い合わせが悪いことによる。だからもはやこうした設定を使わずに「異世界」だけを上澄みで掬って採用している作品の方が多い。しかし、それは単なるファンタジーものであってもはや「異世界」ではない。現実世界との対比が存在しないからだ。

    ○異世界と転生の食い合わせが悪いことについては、おそらく死後の世界が関わっている。
     「転生」は一度死んで生まれ変わる。これをキャラクターで見るとどうなるだろう。
     すでに亡くなった有名な武将が現代に蘇る……ありそうなキャラクターだ。分かりやすい。一般人ならどうか。死んだ親父が小さな子供になって娘の前に現れた……これもありそうだ。この時、物語としては主人公となる誰かが、そのキャラクターと関係を結ぶことによって展開していくことに注意したい。もちろん異世界で織田信長が「転生」しても良いのだが、別に織田信長を女体化して「転生」させる意味はそれこそエロゲーだからなどという鉄の意思でもない限り、別に「転移」で構わない。/『ドリフターズ』もそうだが、ノブナガよりも知名度では落ちる豊久を主人公に当てることで物語が展開しているところが面白い。
     このように考えると「異世界転生」が何やら難しいことをしていることが分かる。
     織田信長が異世界に転移するならまだしも、一般人が死に、さらに異世界へ行ってしまうと、現世での他のキャラクター(登場人物)との関係が切れてしまう。「異世界転生」のキャラクターの関係は転生先で作られるのだが、なぜ死んだのかという理由が焦点になることはあまりない。

     このときネックとなるのはやはり「死」だ。
     「異世界転生」が実は本質的に「死」をポイントとしてキャラクターを形成していることは間違いない。「異世界転生」するためにトラックや通り魔による「死」が埋め込まれたのは、現実世界の自分と現実世界の関係を「死」によって否定する必要があったためだ。死によって「異世界」に移動し、自分をリセットすること。これが「異世界転生」のキャラクターであり、「異世界」とは死後の世界を指すものと考えられる。

     「異世界転生」のキャラを死後の世界のキャラクターとした時、彼らの目的がスローライフであったり、あるいはそれを邪魔するものへの殲滅であることは簡単に理解されよう。「異世界転生」とは死後の世界の慰安旅行者か、神の使い、代理執行人なのである。
     死後の世界とは天国か地獄、すなわち約束の地か呪われた地であって、処女に囲まれてハーレムで過ごすか(あるいは神の国をグルメ旅して見て回るか)、罪人を神の代理人として裁き続ける必要がある。
     スキルが神により与えられていることも注目したい。自分はカミに選ばれた戦士だ、という思いから来るものだろう。彼らは自らが死をもって「転生」したことを忘れたかのような振る舞いをしばしば見せるが、これはカミの力によって死を忘れさせられているのだ、と指摘できる。

    ○ところが、ここで大きな問題が出てくる。つまりこのキャラクターは、物語としてみれば「異世界転生」した時点で半ば目的を達成し終えている。
     「異世界転生」する時点で彼らはキャラクターとして死を迎え、神に迎え入れられているのだ。上記のキャラクター性はNPCか何かであって、主人公的な物語を持つものではないことは読者にもおわかりいただけるだろう。本来、死後の世界を描くためには、いかにして死ぬべきか、をきちんと描くのが物語として重要だったのだ。/『ナルニア国物語』みたいな……。
     ところが多くの異世界転生モノはこの転生自体をトラックや通り魔で雑に終わらせてしまっている。現実世界における苦しみに目を向けて、死ぬことで「ご褒美」として「異世界転生」できる、という物語自体、本来は宗教的な観方に入り込むし難しい。現実世界の苦しみも、「死」の苦しみも、きちんと描こうとすると非常につらい。そしてそれを乗り越えた上で「ご褒美」として「異世界転生」があるというのは物語としてありえなくもないが、その果てに別の世界で思い通りにやりたい放題をする、という物語はさすがに荒唐無稽だ。
     「異世界転生」は「死」を雑に描く。ここには2つの意味がある。
     1つは現実世界の苦しみを描き、それを「死」によって乗り越えるという物語自体が苦痛なのでそれを回避している。最近、安楽死法が成立した小説も出たが、そこでも「死」を物語化することができない、ただ単にそっちの方が便利だから、というだけである。これは「異世界転生」も同じことで、現実世界の苦しみを解決するための「転生」なのではなく、たまたま死んで転生して、神様からボーナスを受け取ってラッキー、なのである。転生トラックや転生通り魔のようなギミックによって「転生」するのであり、実は現実世界の解決ではなく、自分の苦しみ(感情)を機械的に切断することでキャラクターを形成しているに過ぎない。/トラックや通り魔との「対決」など物語上ではありえない。
     もう1つはそれにも関わらず、「転生」が示すように、自分の人生の生き直し、やり直しをしたい、という願望(感情)を少なからず込めてしまっていることだ。本来「転生」という属性は、一度死んでいるものとして設計しなければ物語の軸にならない。しかし、「異世界転生」は、感情を切断され、異世界に移動することで目的を達成してしまった存在としてキャラクターを作り出す。すなわち、前世の感情が死によって切断されているのに、やり直したい、という思いを込めているから、神によるチートやボーナス、そしてスローライフをしたいという意味が分からないのである。
     そのため、現在ではこうしたギミックを取り外したり薄めたりして、生き直し、やり直し、というキャラクター性にのみ焦点を当てたものも多い。そこでは「異世界」である意味もあまりないのだが、読者が慣れ親しんでいるからだろう。ファンタジー世界で、最初から特別なキャラクター、という存在もどうも増えつつあるようだ。

    ○「異世界転生」が「死後の世界」「慰安旅行者」「神の代理執行人」というキャラクター性を持つことを見抜いて大いに利用している作品も多い。というより、有名作品がそのように出来ているからだろう。またそれを逆手に取って、意識的にそのキャラクター性に迫ろうとする作品もある。
     例として挙げれば『異世界おじさん』ではおじさんを「死者」ではなく「臨死体験者」にしつつ、なぜ呼ばれたのか、という謎を甥と追いかける物語にしている。「異世界転生」は元から破綻した倫理観でやりたいことをやれるはずなのだが、この作品では巻き込まれたキャラクターとして物語を仕掛けてある。/セ○信者でお年玉で新作買いに行く途中でトラックした上に、帰還したらハードから撤退してたとか辛すぎない?/「臨死体験者」であり、経験がセ○から出来ているので、連続している。なぜおじさんが現世でも魔法が使えるのかも謎のひとつだ。

     『転生』は現実世界とのつながりをかなり徹底して仕掛けており、なぜ異世界に転生してしまったのか、という謎がキャラクターに埋め込まれている。これだけ「異世界転生」が流行ったから使える手ではあるが、本来キャラクターの属性が物語の軸になっているというのはこういうことだ。というか説明しちゃうとネタバレになる。うまいところ突く人いるよね。完走してほしい。


     異世界にしか神はいないんだよ。
  • ケムリクサの感想ライト版 ケムリクサはなぜ歩く?

    2019-06-18 18:004
    ○いい加減、ケムリクサの感想を長々と書いていたら、うまくまとまらなくなってきたので、ここら辺でライト版としてまとめることにしました。

    ○アニメ作品で大事なことは、作品の質も当然なんですが、発信の仕方も大事なのだな、ということをあらためて考えました。某作品に関してはどうも当初から設定が難解で、現場スタッフが努力して作り上げたものの、一部の設定しか流し込めなかった結果だったと推測しています。それよりも作品を悪意の塊のように思われたことがもっともまずかったと思います。考えてみれば小説でも漫画でも、「作者の気持ち」を読み取ることはなかなか難しく、そもそも気持ちを込めることが難しいはずなんですね。
     一方、ケムリクサは放映中に反発もありましたが、「作者の気持ち」どころか、概ねケムリクサ世界の謎やケムリクサの使い方、あるいは舞台となった聖地の検証など作品に対する追究はあっても、制作陣はこういうつもりで作ったんだという追究はなかったですね。要は一貫してファンサしてるよな、という信頼感をファンに与えてたし、ファンサ以外の意図(たとえば見返してやろうとか)を込めているようには思われていません。
     ただし、当初俺はケムリクサを見て最初は違和感がありました。1話からついてこれたわけではなく、途中も疑問に思うこともありました。その辺をさっくりまとめておきます。

    ○ケムリクサを見たとき、違和感あるな、と思ったのは3つくらい。そのうち、ひとつは劇中で概ね解消されたが、残る2つはよくわからなかった。
     挙げていこう。
    ・なぜワカバに姉妹たちは丁寧に答えるのか?
    ・なぜか歩くシーンがけっこうある
    ・文字をたくさん読ませるシーン。一時停止しなければ読めない。

    1.なぜ姉妹たちは(シロも)丁寧に受け答えしてくれるのか?
     これは作品の根幹部分にも当たるので、非常に丁寧に説明された部分だ。
     アマゾンレビューでもキャラがキツい、目的が分からない、という感想があったことをすでに取り上げたが、そうじゃなくてもいわゆるポスト・アポカリプスの世界で、水を求めてそんなに生きるのにも厳しそうなら、なぜそんなに姉妹たちは丁寧に受け答えしてくれるんだろう? と疑問に挙げた。ワカバが「命捨て太郎」や「塩梅マン」などと当初揶揄されていたように、やはりあのキャラクターは意図的にとっつきにくく、ある種バカにしやすい(なろう系みたいな)キャラクターとして造形されていたように見える。
     そもそもケムリクサは1話からしてわかりにくい作品なのだが、キャラクターにトゲがある(ツッコミやすい)作り方をしていた、ということになる。

     ここには2つの面がある。このキャラクターのトゲこそが物語の軸であること(どうしてこんな性格をしているのか、ワカバの記憶喪失、自分たちをヒトと称しながら人間以上の能力を持つ姉妹たち)、もうひとつはなぜこんなキャラクター(人格)であるのか、実は演者自身も分からないという二重性だ。
     イベントでも演技でも、そしてこの作品がオリジナル作品であることから、キャラクターの役柄がすべては説明されないため、演者はキャラクターを知らないまま演技をする。しかも「自分自身を知らない」ことが物語の上でキャラクターにとっても意味を持っている。姉妹もワカバも記憶のないキャラであり、記憶を探すキャラクターである。そして、視聴者と一緒になって真実を知りたがっている。

     もう少し突っ込んでみると、だいたいどんな作品でも、読者や視聴者は自分の持っている「枠組み」や「テンプレ」をキャラクターに当てはめて作品を楽しもうとする。しかしケムリクサの場合は、逆にキャラクターの中に謎の解決を見なければならない。
     解決するためには手がかりが必要なのだ。つまり、ある種の探偵ADVとして考えれば、なんでも聞くプレイヤーキャラ的存在が必要であり、それに対して聞いたら答えてくれねば困るのだ。

    2.なぜ歩くシーンが多いのか?
     歩くシーンが多いのは、本来クソ映画ムーブ感がある。どこまでも暗い雰囲気の世界を歩くシーンが多いというのはなかなか尋常ではない。これは大変不思議だ。不思議だと思いませんか? しかしそれでいて飽きない。ワカバが何かに気づくシーンが挟まっていたりすることもそうだが(ただし回収されないことも多い)、歩く際にこれはなんだろう、と登場人物が見ている。
     これは世界の秘密を探る、行き着く先を視聴者なりに一緒に考える、という意味だと思うが以下のものとも一緒に考えてみよう。

    3.文字をたくさん読ませるシーン(6話)
     これは初見で変だなと感じた。一時停止しなければ読みきれないのだ。このせかいのしくみについて、とあり、だいだいさんをスワイプして読ませること自体は面白いのだが、最初に見た時に「えーっ!えーっ!」と思って書き込んだことは覚えている。
     今更ながら読み返してみると、ここで書いてあることはなかなか意義深い。これはりょく(視覚)の「すき」による知恵を働かせた結果であった。りりは分裂したコピーが記憶の葉を使ってすぐに自分たちの生き方を思い出してくれると思っていたが、実はケムリクサのことを理解するのはりょく、ケムリクサを使うのはりく(触覚)、そして記憶の葉はりんが持っていた。しかし、りょくが記憶の葉を確かめることができなかったように、おそらくひらくことは出来なかったのではないだろうか。

    →この2・3のシーンを見て直感的に言うと、これもゲームとよく似ている。
     地図を入手しながら少しずつ前進していく感じ。みどりちゃんの入った電車(馬車)で移動する感じ。すごいRPGっぽくないですかね。
     また3のシーンは、ゲームで一時停止してtipsを確認する感じになんとなく似ている。いや、だいだいちゃんがもともと一枚に収納可能でスワイプして選択できる便利なメモ帳で、そうした性質を持つケムリクサなのだ。りりやりょくが残したものは作中ではスマホのメモ帳、そして外的に見るとゲームのtips的ものであったと考える。つまり、ここでは作品世界と外的な世界の2つの視点が意識されているように思えてならない。
     何が言いたいのかというと、映像だけで考えればいらないはずなのだ。なんだか繰り返し再生したり、一時停止したりして、ここってどういうことだったんだろう? と考えることをあからさまに期待しているように思われたのである。
     この視聴者が操作をし、検証して、考え、間違っていても自分なりに答えを出そうとするのはアニメというよりはゲームのプレイヤーに近い気がする。その半面、キャラクターは物語にどっぷり浸かっており、プレイヤー感のあるワカバに浸っていたりしたら、8話でものすごい勢いで熱血されてびっくりするわけですよ。こいつこんな……みたいな。

    ○アニメとゲームが決定的に違うのはプレイヤーが操作できるか否かだ。
     ケムリクサは別に誰かを操作できるわけではない。以前に昔のシナリオ的漫画よりゲーム的漫画が流行った話を書いた記憶があるが、あれはプレイヤーが操作できてキャラクターを自分の分身のように感情移入しやすいことがまずあるだろう。/その分、ゲームは主人公が自分の考えと違うことしか言わないクソみたいな発言をしたりクソみたいな操作感を出したり、緊張感のないつまらない達成感ばかりだとクソゲー感しか残らない。
     そこで、キャラクターがキツい、世界がなんだか分からない、何をやっているか意味不明、という門をくぐったあと、「彼・彼女(キャラクター)も知らないことがあるんだ」「この道はどこかで見たことがある」という点から、操作感、というかゲーム的な感情移入に入っていく。ちょっとここうまく整理しきれないのだが……。
     つまり、ケムリクサはアニメというかゲーム作品がアニメになった感があるんだけど、わかりますかね。オリジナルなんだけどなあ……。