楽曲総選挙と持田亜里沙
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楽曲総選挙と持田亜里沙

2017-04-12 21:21
    A:いよいよ総選挙が始まった。
     モバマスと連動して、楽曲総選挙がスターライトステージ(いわゆるデレステ)の方で開催されている。これは、モバマスで勝利した上位者と、デレステで選ばれた楽曲の組み合わせで新録を行うというものになっている。これを巡って、楽曲について、CM(シンデレラマスター)はキャラソン風のものなので、他のアイドルが歌うことに拒否感のようなものが生まれていることがいくつか見えている。
     これは大事な論点だ。各キャラクターを掘り下げる上で、各楽曲を読み解いていくことはプロデューサーにとっては一つの風潮だった。もちろん他のアイドルが歌うという試みも行われたりはしているが、必ずしもそれが定着している訳ではない。そしておそらくこのこと自体は、モバマス総選挙に対して既存の堅い支持層へのアピールになるだろう。

    B:そもそもこうしたお仕事シャッフル的な要素を、なぜシンデレラガールズでは行うのだろうか。あるいは、お仕事シャッフル的な要素を、自分はどこかで見たことはないだろうか。
     ある。
     以前紹介した、アニメは総選挙の代わりにならない - 総選挙ボイス占い、あるいはシンデレラガールズをデータで分析したら愉しかった話を思い出していただきたい。あそこで示された分析の是非は置いておくにしても、声付きと声なしの人間関係がどのように増加するのか、あるいは増加しないのかということを見ていくことで、「シンデレラガールズが総選挙によって世界観の新陳代謝を行っている」、というテーマの提示に関しては傾向としてありうる説だ。
     もう少し遡ってみることにしよう。
     765ではそもそも同じ楽曲を一定数のアイドル全員が歌うことによって、最初からそのアイドルのための楽曲というカラーをある程度、排すことに成功している。いや、正確に言えば、それぞれが持ち歌として持っているのだが、それを全員が歌うことによって自分の歌として消化していく過程が存在している。これはアイドルのお仕事がそれしかやりたくないからそれで許される訳ではないのと同じように、そのアイドルのカラーだから他のアイドルが奪ってはならないという訳ではないことも意味している。/ニコ厨だから懐かしい例を挙げれば、とかちなんかその例だろう。これは別に同じ曲を歌っても、そのキャラの持ち歌に染まる訳ではない、むしろ自分の曲にしてしまえることを示している。
     ところがシンデレラガールズでは、この持ち歌、あるいはお仕事を他のアイドルが自分のカラーとして奪うという過程が頻繁に起こりそうであるにも関わらず、キャラ数が多いために、持ち歌を持ち歌として、キャラクターソングとして掘り下げることにしか使われないことが多かった。デレステによってある程度の移行期間があり、頻繁にそのアイドルが踊る過程がありつつも、「本家」の歌しか流れないからだ。/キャラによってボイスの有無が存在することも大きいのだろう。
     つまり、765では持ち回りというか、貪欲にあれもこれもそれも叩き込んで吸収し、消化していく、そのうえで鍛え上げてアイドルとして成長していくはずの過程が、シンデレラガールズではまったく逆に、そのキャラクター単体で見ると一向にお仕事が回ってこず、ひたすら掘り下げて掘り下げて、徹底的に「らしさ」を追及するものとしての成長を求めてしまう過程になってしまっている。ような違いがここには見られる。

    C:実は似た例が持田亜里沙でもある。アニメ・シンデレラガールズのとときら学園では、チャイルドスモックを着た園児アイドルズを見守る、保育の先生役というまさにぴったりの役柄がバッチリ使われた。おそらく当時、他Pの間でそれを指摘する人はほとんどいなかった。当然ながら、これは持田亜里沙を中心にはアニメは見られていなかったことがあるし、正直に言えば、とときら学園がよく出来ていたということもある。/持田亜里沙は本当に「先生」キャラなのか、「母性」キャラなのか、という疑問は、他のアイドルでも十分できるじゃないか、というこうした自分の体験にも強く拠っていた。
     当時の自分が、シンデレラガールズは結局存在しているアイドルにお仕事を回せば、それで足りるのではないか、ということを強く感じさせるエピソードであり、同時にこれでは持田亜里沙のお仕事はなくなるのではないか(すでに「先生」を使われているので)という危機感を強烈に抱かせるものになった。/実際にデレステに追加されたものの、オータムコレクション以後、300日という長い期間を経てアイチャレに復帰することになることを思い出していただきたい。
     しかし、前項で考えた点を踏まえれば、シンデレラガールズ自体が「お仕事」自体はシャッフルを積極的に行い、765が志向していた叩き込んでいくやり方を忘れてはいないと考えてよいのではないだろうか? これがキャラクター単体で見ると、非常に長い期間を踏まえた上で(すでに6年)のお仕事持ち回り制的なものではあるから、はっきり言って超長期戦を強いているレベルだと思うのだが、持田亜里沙を読み解こうとすればするほど、まさにアイドル化していく状況は、まさにいつでも「お仕事」に回れる体制への準備と言って良い。
     つまり、持田亜里沙にとって「先生」は「お仕事」のひとつであり、奪われて危機に陥るアイドルとしてのカラーではなくなりつつあるということだ。むしろ[クラッシー・ルージュ]のようにアイドルとして、子供たち以外にも積極的に開いていく私を、持田亜里沙は「お仕事」として行うようになっていく。

    「子どもたち」だけではなく「みんな」のアイドルへ

    D:楽曲総選挙はそのような過程の中にある。
     実はデレステが出来る過程で、他のアイドルたちが同じようなモデルを使って踊れるようになるには、いくつかの条件をクリアーする必要があったはずだ。分かりやすいところでは、「きぐるみを着たアイドル」などは、同じ衣装を着せて踊らせるまでに、「同じ衣装を踊るために、きぐるみを脱いでアイドルをするための物語」を構築する必要があった。はっきり言って、アニデレはそのためにも作られた可能性がある。/もちろんそれまでにも徐々に脱がせる合意が形成される必要があったが、俺は数年前に某所で、きぐるみ脱いだら…という提案したら担当Pに猛反発された経験あるんだよね…。あっ、脱がせる合意ってエロくない!?
     こうしたそのキャラクターを掘り下げて魅力を伝える、徹底的に固めるということは、今も総選挙で強い力を発揮することは間違いない。しかし一方では、シンデレラガールズの構造自体が「お仕事をシャッフルする」ことによって、つまり貪欲にあれも、これも、それも、なんでもお仕事を叩き込むやり方を必要としている部分にある。そこでは人気のあるアイドルたちだけでも十分成り立つ場所であるかもしれないし、あるいは逆にそれでは飽きるから、「世界観の新陳代謝」が行われる場所であるかもしれない。そのバランスが取れていないために、不満が出ているのではないだろうか。
     アイドルはここが魅力でどうしても譲れないものを持っていなければならないのだろうか、それとも、なんでもできて、あらゆるものにぶち当たり、お仕事をこなして鍛えられてSランクに到達していくものなのだろうか。
     多分だけれども、どちらも正解なのだ。譲って負けてしまったらお仕事は来ない。そして、お仕事によって鍛えられることで成長していく。

    補:モバマスの物語はアイドルに次々といろんなお仕事を与えて鍛え上げていくというモノになってこなかったとこれまで言ってきたが、実は一つだけこれは違うのではないかと思われるものがある。コラだ。昔から流行り続けてきたのだが、とにかくモバマスにおいてこれだけ流行ってきたあの現象は凄まじい。ただ、近年、あまり影響を与えなくなってきている気もしないではない。
     たまに見る持田亜里沙コラ…いいよね!

    補2:今年は積極的に他アイドルにも投票していってます(*‘ω‘ *) 日本も危機っぽいし、後悔せずに死のう。
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