手のひらサイズさん のコメント

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手のひらサイズ
>>1
作品の良し悪しよりプロモで印象決まるのは困ったものだと思います
No.3
2ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
○いい加減、ケムリクサの感想を長々と書いていたら、うまくまとまらなくなってきたので、ここら辺でライト版としてまとめることにしました。 ○アニメ作品で大事なことは、作品の質も当然なんですが、発信の仕方も大事なのだな、ということをあらためて考えました。某作品に関してはどうも当初から設定が難解で、現場スタッフが努力して作り上げたものの、一部の設定しか流し込めなかった結果だったと推測しています。それよりも作品を悪意の塊のように思われたことがもっともまずかったと思います。考えてみれば小説でも漫画でも、「作者の気持ち」を読み取ることはなかなか難しく、そもそも気持ちを込めることが難しいはずなんですね。  一方、ケムリクサは放映中に反発もありましたが、「作者の気持ち」どころか、概ねケムリクサ世界の謎やケムリクサの使い方、あるいは舞台となった聖地の検証など作品に対する追究はあっても、制作陣はこういうつもりで作ったんだという追究はなかったですね。要は一貫してファンサしてるよな、という信頼感をファンに与えてたし、ファンサ以外の意図(たとえば見返してやろうとか)を込めているようには思われていません。  ただし、当初俺はケムリクサを見て最初は違和感がありました。1話からついてこれたわけではなく、途中も疑問に思うこともありました。その辺をさっくりまとめておきます。 ○ケムリクサを見たとき、違和感あるな、と思ったのは3つくらい。そのうち、ひとつは劇中で概ね解消されたが、残る2つはよくわからなかった。  挙げていこう。 ・なぜワカバに姉妹たちは丁寧に答えるのか? ・なぜか歩くシーンがけっこうある ・文字をたくさん読ませるシーン。一時停止しなければ読めない。 1.なぜ姉妹たちは(シロも)丁寧に受け答えしてくれるのか?  これは作品の根幹部分にも当たるので、非常に丁寧に説明された部分だ。  アマゾンレビューでもキャラがキツい、目的が分からない、という感想があったことをすでに取り上げたが、そうじゃなくてもいわゆるポスト・アポカリプスの世界で、水を求めてそんなに生きるのにも厳しそうなら、なぜそんなに姉妹たちは丁寧に受け答えしてくれるんだろう? と疑問に挙げた。ワカバが「命捨て太郎」や「塩梅マン」などと当初揶揄されていたように、やはりあのキャラクターは意図的にとっつきにくく、ある種バカにしやすい(なろう系みたいな)キャラクターとして造形されていたように見える。  そもそも ケムリクサは1話からしてわかりにくい作品なのだが 、キャラクターにトゲがある(ツッコミやすい)作り方をしていた、ということになる。  ここには2つの面がある。このキャラクターのトゲこそが物語の軸であること(どうしてこんな性格をしているのか、ワカバの記憶喪失、自分たちをヒトと称しながら人間以上の能力を持つ姉妹たち)、もうひとつはなぜこんなキャラクター(人格)であるのか、実は演者自身も分からないという二重性だ。  イベントでも演技でも、そしてこの作品がオリジナル作品であることから、キャラクターの役柄がすべては説明されないため、演者はキャラクターを知らないまま演技をする。しかも「自分自身を知らない」ことが物語の上でキャラクターにとっても意味を持っている。姉妹もワカバも記憶のないキャラであり、記憶を探すキャラクターである。そして、視聴者と一緒になって真実を知りたがっている。  もう少し突っ込んでみると、だいたいどんな作品でも、読者や視聴者は自分の持っている「枠組み」や「テンプレ」をキャラクターに当てはめて作品を楽しもうとする。しかしケムリクサの場合は、逆にキャラクターの中に謎の解決を見なければならない。  解決するためには手がかりが必要なのだ。つまり、ある種の探偵ADVとして考えれば、なんでも聞くプレイヤーキャラ的存在が必要であり、それに対して聞いたら答えてくれねば困るのだ。 2.なぜ歩くシーンが多いのか?  歩くシーンが多いのは、本来クソ映画ムーブ感がある。どこまでも暗い雰囲気の世界を歩くシーンが多いというのはなかなか尋常ではない。これは大変不思議だ。不思議だと思いませんか? しかしそれでいて飽きない。ワカバが何かに気づくシーンが挟まっていたりすることもそうだが(ただし回収されないことも多い)、歩く際にこれはなんだろう、と登場人物が見ている。  これは世界の秘密を探る、行き着く先を視聴者なりに一緒に考える、という意味だと思うが以下のものとも一緒に考えてみよう。 3.文字をたくさん読ませるシーン(6話)  これは初見で変だなと感じた。一時停止しなければ読みきれないのだ。このせかいのしくみについて、とあり、だいだいさんをスワイプして読ませること自体は面白いのだが、最初に見た時に「えーっ!えーっ!」と思って書き込んだことは覚えている。  今更ながら読み返してみると、ここで書いてあることはなかなか意義深い。これはりょく(視覚)の「すき」による知恵を働かせた結果であった。りりは分裂したコピーが記憶の葉を使ってすぐに自分たちの生き方を思い出してくれると思っていたが、実はケムリクサのことを理解するのはりょく、ケムリクサを使うのはりく(触覚)、そして記憶の葉はりんが持っていた。しかし、りょくが記憶の葉を確かめることができなかったように、おそらくひらくことは出来なかったのではないだろうか。 →この2・3のシーンを見て直感的に言うと、これもゲームとよく似ている。  地図を入手しながら少しずつ前進していく感じ。みどりちゃんの入った電車(馬車)で移動する感じ。すごいRPGっぽくないですかね。  また3のシーンは、ゲームで一時停止してtipsを確認する感じになんとなく似ている。いや、だいだいちゃんがもともと一枚に収納可能でスワイプして選択できる便利なメモ帳で、そうした性質を持つケムリクサなのだ。りりやりょくが残したものは作中ではスマホのメモ帳、そして外的に見るとゲームのtips的ものであったと考える。つまり、ここでは作品世界と外的な世界の2つの視点が意識されているように思えてならない。  何が言いたいのかというと、映像だけで考えればいらないはずなのだ。なんだか繰り返し再生したり、一時停止したりして、ここってどういうことだったんだろう? と考えることをあからさまに期待しているように思われたのである。  この視聴者が操作をし、検証して、考え、間違っていても自分なりに答えを出そうとするのはアニメというよりはゲームのプレイヤーに近い気がする。その半面、キャラクターは物語にどっぷり浸かっており、プレイヤー感のあるワカバに浸っていたりしたら、8話でものすごい勢いで熱血されてびっくりするわけですよ。こいつこんな……みたいな。 ○アニメとゲームが決定的に違うのはプレイヤーが操作できるか否かだ。  ケムリクサは別に誰かを操作できるわけではない。以前に昔のシナリオ的漫画よりゲーム的漫画が流行った話を書いた記憶があるが、あれはプレイヤーが操作できてキャラクターを自分の分身のように感情移入しやすいことがまずあるだろう。/その分、ゲームは主人公が自分の考えと違うことしか言わないクソみたいな発言をしたりクソみたいな操作感を出したり、緊張感のないつまらない達成感ばかりだとクソゲー感しか残らない。  そこで、キャラクターがキツい、世界がなんだか分からない、何をやっているか意味不明、という門をくぐったあと、「彼・彼女(キャラクター)も知らないことがあるんだ」「この道はどこかで見たことがある」という点から、操作感、というかゲーム的な感情移入に入っていく。ちょっとここうまく整理しきれないのだが……。  つまり、ケムリクサはアニメというかゲーム作品がアニメになった感があるんだけど、わかりますかね。オリジナルなんだけどなあ……。
その話はもう終わったよ