高校から文学が消えるらしいですね
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高校から文学が消えるらしいですね

2019-10-07 23:24
  • 29
○学習指導要領の改訂で2022年度から、国語は論理国語、文学国語に分かれるそうだ。文学国語っていうのはだいたい分かるが、論理国語ってなに? ってことだが、これは大学入試のテストがその例として挙げられてる。これは高校の教育と入試テストを一緒に変えて勉強できるようにしようということだ。
 ただその文章というのが、当初は駐車場の契約書とか、学校の校則とかになっているそうだ。
 どうも最近の中学生はまともに日本語も読めないから、もっと文学じゃなくて実用文を読めという。
 それで、現場の先生方は困惑、文学をやっている大学のセンセイはブチギレ、その一方でリケイの先生は高笑いしている、ということのようだ。
 でも、学校で契約書や役所の広報の読み方を教え込ようとしたって、読めない子も読める子もバカにされてる気分になるだろう。契約書の読み方って高齢者の詐欺対策セミナーじゃないんだから。こういうのって日本語として読めても引っかかるわけで、契約書を教え込ませても別に使いみちないんじゃないかな。(漢字ドリルとか文法テストで良くない?)
 つまりどうせ文学なんか役に立たないから実用文を読めといっても、その実用文教育もそれだけじゃ役に立ちそうもない。なぜこんな上から目線の頭でっかちなリケイの論理が通ってしまったのか?
 そして、このハンロンしている先生方の話を読んでいると、なかなかおもしろいんですよ。これをみなさんに紹介しながら、文学や実用文について考えていきましょう。

○そもそも論理国語で扱う文章で、文学が論理的ではないと断じるのはともかく、契約書や校則にする必要はあるのか? 評論文や優れたエッセイだけで十分ではないか、と常識からいけば直感するだろう。
 そこで『国語教育の危機』(ちくま新書、紅野謙介)を取り上げてみる。これはすでに何回かやったサンプルやプレテストや、学習指導要領を読み込んでいくという本だ。
 そもそもこの本によれば、今度の学習指導要領は評論やエッセイを軽んじているわけではない。ただ「現代の社会生活に必要とされる実用的な文章」も教材とし、「同じ事柄について異なる論点をもつ複数の文章を読み比べ」、「それらを比較して論じたり批評したりする活動」が内容となっている。
 問題はこの「実用的な文章」が「異なる論点をもつ複数の文章」とどうつながるのか、という話である。いや、ぶっちゃけて言おう。このテストの解説を読むと、「実用的な文章」とはなにかしらの物語を必要とする文章としか考えられない。
 まず最初にこれが発表されたのは2017年5月。記述式の問題ということで話題になったという。
 問題1は架空の市が出した広報。問題2が例の駐車場の契約書だ。ところが、これらの問題には何か状況が設定されている。問題1は広報についての親子の会話、問題2は「シチュエーション・ドラマ」のように、「サユリさん」という主人公が管理会社から値上げを言われたり急に転勤を言われたりする。駐車場の契約書問題は「サユリさん」が値上げを言われたら、契約書の文面から文句言うにはどうしたらいいか、みたいな問題だったのだ。
 架空の高校生徒会校則の問題も取り上げてみよう。どうやら批判があって出したプレテストの問題1がこの「校則問題」なのだが、これも生徒会の会話が設定されている。
 しかもこのことは意図せずに設定されたものではない。架空の市の広報の問題では出題のねらいとして「題材について話し合う場面や異なる立場からの提案書などを検討する言語活動の場を設定することにより・・・」と、わざわざ立場だけでなく場面も必要であったことが記されてある。
 これはどういうことなのだろうか??

 ちょっと考えてみよう。
 わたしたちが実用文とか実用書とか読んでいるもので一番わかりやすい本は料理のレシピ本だ。実用書コーナーに置いてあるしね。レシピ本は論理、つまり手順がはっきりしている。してなきゃ作れない。じゃあ、レシピ本を読めない人ってどういう人か。料理をやったことがない人や、その料理の基本的な語彙に不足している人だ。
 おれが一人暮らしした時、ネットのレシピサイトを参考に料理を作ろうとした。ところがその時に分からなかったのが、あの…大さじ・小さじをはかるセットについてくる棒の使い方。そう、山盛りで入れるのか、すりきって入れるのか分からなかったのである。それからコリアンダー!ってなに?とか。こういう知識がなければレシピは読めなかったのだ。
 いまやレシピサイトを読むことすら敬遠され、動画を見て料理を作ることが流行っている。基本的な知識・語彙を持たなければ、レシピ本は読めないからだ。
 つまり、実用文というのは、ある目的を持った人がその文章に接してみて、初めて実用的になる文章なのだ。おそらく、実用文とはあるひとつの目的を持った人がいて、その立場に沿った事実を抽象化した文章だ。別に事実や論理が必ずしも正確に、的確に書いてあるわけではなく、具体的な目的を持った人が文章に接することで初めて「実用化」できる文章が実用文なのだ。
 これは契約書や校則も同じだろう。「サユリさん」が急に転勤を言われたので、駐車場を解約しなけりゃいけなくなった、だから解約金をどれくらい払うのかなどをそこで初めてしっかり読む。ある立場に立って、初めて実用文は実用的な意味を持つ。だから、「実用的な文章」には物語が必要なのだ。物語にはかならず登場人物、すなわち、ある立場を持ったキャラクターが出てくる。この場合、登場人物が実用文に対して批判的な人物や不利な立場であってもおかしくはない。ある立場の人物にとっては「実用的な文章」なのであり、その人物にとって不利であることと解釈が一定であることと矛盾はしない。
 国語で実用文が読めない人は「その」実用文を読む状況がないというだけで、読む状況さえ作れば読む。ヤンキーだってバイクの免許ほしけりゃ筆記試験やるし名前書けるようにがんばるっしょ。たぶん。

○さて、こうなったら実用文と物語を大雑把に二分してみよう。

実用文:ある立場に沿って事実を抽象化した文章。ある立場に立つと便利で使い勝手がよい(意味は一定だが特定の立場にないと役に立たないことも多い)
物語:空想的な登場人物を場面に設定して具体化できる文章。異なる立場の人物を登場させることができる(別に役に立つわけではない)

 評論やエッセイも物語に似た機能を持つ文章とは言えるので、はっきりと分かれているわけではないだろう。あえていうなら、実用文が事実の抽象化の方向があるのに対して、物語は空想の具体化の方向があると言える。実用書コーナーに置かれてるプログラミング言語なんか事実を抽象化した言語だと思うけど(詳しくないからごめんね)、もともと抽象的で空想的な存在を具体的に記述するためには物語の方が容易だ。
 ただこの抽象的な概念をどう扱うか、ということはとてもむずかしい。実用文の場合は抽象化されてゆくので読みにくいし、物語の場合は抽象的な存在を具体化してゆくわけだから単純な文章力が問われることになる。
 この点を、実は学校の先生も気にしている。『文學界』9月号では現役の先生方が座談会をやっているが、その中で「私の考える国語教育っていうのは、抽象的な概念を扱うことにあります。」と言って、身体論や哲学的な文章は高校1年生で扱ってきたと述べている。これは重要な指摘だ。
 この座談会では、実用文は具体的なものを具体的なまま理解するのはおかしい、低レベルだと批判的に語っているが、厳密に言えば、実用文はある特定の立場に立ったときのみ具体化する。つまり、先生方はある特定の立場の正当性に立って、「解釈の余地」なく「淡々と」教えるしかないのかと考えている。
 しかし、解釈の余地がなくても、自分に不利なら間違っていると訴えればよい。このレシピの作り方や書き方は妙だ、不足している、分からないと主張すればよい。というか、もう分からないから動画を見て料理を作っている時代なのだ。立場が異なれば実用文は実用性を喪う。このことを認めなければ論理国語に論理性はない。そして例のプレテストは予め証明していたのである。

○そうなると、文学をわざわざ実用文や論理国語と切り分ける必要はやっぱりなさそうだ。
 文学には物語よりも抽象化されたテーマを扱ったものも多いが、実用文に比べてやはり登場人物と場面を具体的に描く比率は高いはずだ。そもそも「同じ事柄について異なる論点をもつ複数の文章」とあるが、これは実用文単体では異なる論点が立てられないから複数の文章を要するだけで、異なる立場の複数の登場人物が同じ事件を通して会話や行動を描いた文章をわたしたちは慣れ親しんでいる。
 これではますます文学国語と論理国語なるものを分けた理由が分からない。実用文が読めない最大の理由は、異なる立場を認めないからだろうネ。押し付けたがる理由も異なる立場を認められないからだろうと思うとなんか根が深い。

追記:おおう……こんな論理性の低い記事にコメントがたくさん……。
 一応、見通しとして、今度の学習指導要領で文学国語と論理国語が選択式で分かれることと、それで文学をやらずに大学入試を受けることになるんじゃないか、とガチで高校や大学の先生方から危惧されていることです。おれが言いたかったのは、その批判してる教材や問題をみると無理して分ける必要ないんじゃね? やっぱり文学も必要じゃね? ということで、文学の必要性はともかくとして、教育方法についてはコメントが結構いろいろ言ってくれてますね。このあたり、やっぱりみんな国語教育を受けて溜まっているものはあるんだな。
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他19件のコメントを表示
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ごはんが♫ごはんが♪ススムススム♬ ごはんが♫ごはんが♪ススムススム♬
論理的な文章が無くなっちゃった♪
2ヶ月前
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そもそも国語って読むことに特化しすぎてて書くことはおざなりな気がする
実用文にしたって書く側に回ることも読む側に回ることもあるのでこれはその両方から教えるべきなんじゃなかろうかね
2ヶ月前
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文学は芸術。論理国語は数学や英語と同じ。ってことなのでは。
芸術を数学や英語と同じように入試で出すわけにはいかないでしょ。

もちろん、論理国語だって、何だかエッセイや純文学みたいなものもあるかもしれないけど、
どこかで区別しないと。あ、古文や漢文は解釈方法なので物語でも黙認かも。

あと、論理と言う意味での物語って、文学で言うところの物語とちょっと違うと思う。
論理がスッキリしていると言うことに重きを置くか、思想自体が美しいことに重きを置くか。
確かに、どちらも文字的なのでどちらも時間的なものではありますが。
2ヶ月前
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学生の頃文学に興味なかったけど、大人になってみたらいいなと思えたことが沢山見つかったんだよな。だから若い子達には文学を知ってほしいから、知る機会をなくすことはしてほしくないな
2ヶ月前
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>>1
法律もたくさん起きる争いを未然に防いだり、公平に処分したりするために、抽象化してあるんだと思います。
けど、記事で言ったように契約書が読めたって詐欺に合うときはあいますから…
なんにせよ、知っていただいたならちょっとうれしいですネ。
>>3
ディベートやプレゼンって発想は結構当たってます。
確かこれは「主体的な学び」が必要なんだってことで学習指導要領が決まっていったんです。
ディベートは資料を読み込み「異なる論点」を意識して対話するわけですから
2ヶ月前
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>>10
読書感想文のときも毒を吐いたんですが、文学を「先生」が「教える」んじゃ結局同じことなのでは?ってことですよね
これ難しいんですよ。ただ文学の文章って他とどう違うのかと考えると、分けるとかえって変になりそうで。
>>14
PISAテストの読解力が低かったのでテコ入れしたかったみたいですね。
>>15
『文學界』でも中高の先生方が、義務教育でやるべきって言っています。
確かに高校生の上位学年でそこ目標でいいのか?的なところありますね
2ヶ月前
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>>17
基礎的な読解力がない(テストの点が低かった)ことがもともとのきっかけみたいです。
ただこれはおっしゃるとおり、文学を読んでいたから読解力が低下したというわけではないでしょうね。
>>20
まさに実用文がより実用的になればなるほど前提知識が必要になりますね。
今回架空の契約書や市政報告でしたが、これを現実に近づけてもっと読めるようになるのが読解力だとしたら、さすがに学生がかわいそうな気がします。
2ヶ月前
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>>25
結局の所、ガワだけ老けたクソガキ共が利権がらみのマウント取り合いをやってるだけなんでしょうね。
で、いつも通り蚊帳の外の当事者達が訳も解らず巻き込まれるわけですなぁ。実にくだらない。
「子供」が組織を牛耳ると、やはり碌な事がないということを再認識させてくれますね。いやぁ自ら反面教師になるなんて、教育者の鏡ですねぇ?(最大限の皮肉)
2ヶ月前
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>>24
うーん、問題なのは、論理国語の狙いと教材がズレているってことなんですよ。
論理国語は複数の異なる論点や立場を比べて批評する活動を明記しているんですが、それが実用文だけでは成り立たないんじゃないかってことなんですね。だから問題文では結局(文学じゃないけど)無理やり「物語」を作って代用したんじゃないかなと。
>>25
授業じゃなくても文学は知れますが、教育じゃなければここまで詳しくはやらなかったってこともありますからねぇ。
おれは結局「こころ」は一冊買わされました(笑)
2ヶ月前
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>>27
テコ入れというよりも、他所様へのイキり用に実績作ろうとしていつも通りスベッてるだけじゃないっすか?
机上の空論と我田引水を第一に考えて物事を進めるから徹頭徹尾スベるんだって、いい年して解らんモンなんですかね?(嘲笑)
2ヶ月前
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