死神探偵、夜歩く
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死神探偵、夜歩く

2019-10-01 21:35
    ○姉か国語の話を書こうとしていたのだが、どうもうまくいかないので、別の話を書こうと思う。

     図らずもブロマガと同じタイトルになった小説がある。横溝正史『夜歩く』金田一耕助ファイルである。
     恥ずかしながらミステリというか小説は、古典作品にもま~ったく疎いので、この手の作品も手を出したことがなかったが、まさかブログのタイトルが被ろうとは思いもよらなかった。そういうわけで読んでみました。
     この「夜歩く」とは夢遊病のことで、夢遊病のうちに殺人を犯していたのではないか、という疑惑を抱かせるところが小説のキモになっている。またくる病に首無し死体の入れ替わりなど、陰惨な殺人によって読者は犯人の真の目的がつかめず目くらましを食らう。
     ところでこの夢遊病をネタにした小説は、江戸川乱歩が大正時代の初期短編ですでに二編も三編もやっているようだ。というより、江戸川乱歩の雑誌の編集者を横溝正史がやっており、そのあたりの作品は当然フォローしていたのだろう。/このあたり、ミステリファンには自明過ぎるのだろうが分かりやすいミステリ史の本でもあるのだろうか?
     金田一耕助ファイルは何作か読んだし、いくつか映像化された作品も見た。(もとはといえば、ゆっくり文庫を入り口にしたものだったが、ニコ厨らしい入り方と言えるだろう。)

     しかし、おれの場合はやっぱり金田一耕助に死神探偵、という要素を見てしまう。本当に推理するだけで死体が増えるのはこの男くらいではないだろうか?

     「夜歩く」はネタバレしてしまうと、語り手が犯人という叙述トリックなのである。(叙述トリックってこれで良いんだっけ? あ、未読者は読む楽しみが減ってしまったねぇ)
     すると金田一はどこで犯人を狙っていたのか、となる。これは読んでいただかないと少々説明するのが難しいのだが、結論から言えば犯行時刻に凶器が金庫の中にしまってあるのはおかしい→犯行時刻か金庫が間違っている、というごく自然な推理で犯人にたどり着く。
     問題はここからだ。
     金田一は一度大惨劇を経験した一家を集めてこの推理を披露する。そして推理の流れで金庫に凶器をしまった息子に激怒した父親は、彼を問い詰め激高して憤死してしまう。そればかりではない。大騒ぎになる中で、犯人は最後の仕上げをしようと松の木に息子を縛り上げる。そして散々に平手打ちをして、二時間ドラマのラストのごとく自分の犯行と目的をしゃべった挙げ句、首を締めて殺害しようとする。金田一はそこへ犯人の肩を叩いて登場するが、わざわざ犯人の恋人を連れており、彼の犯行を予見していたのである。
     ちなみに、この息子はたしかに松の木に縛り上げられて平手打ちを食らっても仕方のなさそうなクズ野郎(犯人の恋人をレイプして精神崩壊させる)ではあるが、さんざんな目にあったせいで自分も精神が崩壊してしまう。推理しただけで二枚抜きかよ。

     今作ではおそらく推理の時点ですでに犯人が分かっており、あとは確保するだけで十分だったはずである。もちろん証拠がない、と言い張れば逃げ切れるかもしれないが、二度目の事件で入れ替わったお静(犯人の恋人)が実は生き残っており、金田一と磯川警部は彼女を確保していた。彼女の存在が犯人にとって最も重要だったので、彼女をたてに関係者に証言を迫れば犯人は折れていたはずである。
     それをしなかったのは、金田一があえて関係者を一堂に集めて――閉鎖空間にいるわけではない――犯人の自滅を誘発して証言を待つ、むしろ新たな犠牲者を生み出しても、関係者を利用して追い詰めるスタイルを取っているからだ。
     このような謎を明らかにする上で、犠牲を黙認(むしろ利用)してしまうタイプの追及スタイルの探偵を指して死神探偵と呼ぶべきではないか。おそらくこれは推理ではなく、追及のスタイルなのだろう。
     実はこうした追及を金田一は別作品でも行っている。今は金田一耕助ファイル1となっている『八つ墓村』からして、「犯人には目星がついているが、あえて別の人物を捜索させ、犯行を誘発することで犯人にミスをさせる」という手段を取っている。いやそれ、絶対死にますよね? 絶対誰か死にますよね? というか実際死んだ。犯人も死んだ。/厳密には色々違うかもしれないが、だいたいこれに近いとおれは思う。
     『八つ墓村』の場合は犯人がある種の権力者であり、うまくやらなければ言い逃れてしまう、ということがあったかもしれない。しかしそれ以上に、犯人よりもその村全体や家全体が魔物を生み出したことを、金田一は逆に利用している節がある。とってつけたように(犯人個人が)恐ろしい殺人鬼でした、実際ぼくはテンヤワンヤでした、みたいに言ってるけど。
     こう考えると死神探偵という評価は意味合いが変わってくる。金田一にとってはたたかうべき相手とは殺人犯ではなくて村や家が生み出した謎という魔物なのであり、魔物とたたかうには自らが死神になる他あるまい。金田一は殺人犯であろうと魔物に与する側でなければけっこう寛容な態度を取り、逆に魔物を生み出す側にいれば残虐な最期を迎える可能性があろうとそれを見過ごしてしまう(気がする)。ただし、これは金田一が常に謎を個人的な殺人事件として認識せず、村や家という魔物、全体の解明に挑んでいるためである。「事件」だけなら警察だけでよいのだろう。

     というようなことを考えていたら、少し解説してくれている本を見つけました。『乱歩と正史』……!(講談社選書メチエ、2017年、内田隆三)ただこの本、なんというか一般人には難しくって読みにくいのと江戸川乱歩のことが大半を占めているので、直接は参考にならないかもしれない。
     ここでは金田一耕助シリーズがいわば死神探偵スタイルを取るようになったもっとも大きな横溝正史の体験が丁寧に検討されている。それは個人的動機による殺人事件とそれを個人の探偵が暴く探偵小説が自由には書けないという戦時中の統制と検閲……この体験が重要だったようだ。つまり、戦争中に体験した個人を厳しく律したり制限したりすることで生まれる苦痛や狂気を、村や家が生み出す魔物として連続殺人の動機に変換しているというわけである。/このとき、集団が生み出す狂気が重要であって、復員兵のように個人としての戦争体験者が即犯行主体になるわけじゃないって指摘は面白いなと思った。
     ところで夢遊病者のミステリはどのくらいあるんですかいのう。誰かカウントしてたら教えて下さい。

    追記:何かミステリの歴史がわかりそうなものをと思って『ミステリーで読む戦後史』(古橋信孝、平凡社新書、2019)を読んでみたがどうも完全に狙いがハズレ。まあ、イマドキ何か振り返るとなると初心者にはリストがあるとありがたいか。

     ただ面白いのは夢野久作の『ドグラ・マグラ』ってやっぱりマジで探偵小説だったんだ!? どちらの本でも書いてあるからマジなんだなあ。あれ探偵小説なんだ……。
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