哲学随想を試しに書いてみる。25
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哲学随想を試しに書いてみる。25

2014-12-30 15:20
    命と心と魂の話に戻ろう。
     とりわけ、心(精神)、についてである。


     存在(もの)を知るところのもの、心とは「グノーティ・サウトン(汝自身を知れ)」や我が国の神社に一般的に祀られるご神体の鏡が示すとおり、ある意味で、全てを写す鏡である。

     ただ、鏡と違うのは、ちょうど蝙蝠が超音波を発しその反響から対象を感知するように、自ら、観念、という想念の「光」を現象に対して発しその反照により物事を理解し、ちょうど、合わせ鏡のようなその往還をもって規定性や形式を持った思惟である思想・概念を形成する、ということである。
     そしてちなみに、現象に反照することのない、照らしっぱなし・行きっぱなし一方通行の観念を、『固定観念(イデオロギー)』…またの名を『思い込み』と言い、プラトンはこれを有名な『洞窟の比喩』で批判している。前世紀後半はベルリンの壁崩壊やソ連崩壊に至るまで、このイデオロギーの時代であった。

     いまや自らの時代と世界を失ったイデオロギストの亡霊というか、化石というか、のような人は今もテレビやネットに散見される。
     彼らはその果てしない一方通行の饒舌や、そもそも解答を期待していない問題提起のための問題提起や、批判のための批判をもって、
     あたかも命の本能、に基づく宮崎氏の「闇に瞬く光」のごとく、
     周囲に毒の「光」というか、はっきりと、迷妄無明の闇、をその絶望ゆえに飽くことも懲りることもなく、ばら撒き続けているわけなのだが、しかし、それすらも、彼ら自身の有限の命に立脚したものに過ぎるものではない。
     もはやそんなものの批判よりも、「固定観念(イデオロギー)の時代」を乗り越えた新世紀、新たな時代・・・

     すなわち、「概念の時代」・・・

     とでもいうべき、現在、現代、についての批判と評価、すなわち、批評、を試みることの方がよほど建設的、というものであろう。


     命については、それの半分を支配するものであるところの、自然、や、環境、についてまだ語り残しがあるが、先に侍や特攻隊員の示した魂の問題もまだ控えているので、以上の現代現在的な「心」の問題である観念と概念の問題、についてもう少し深めてみよう。
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