ユーザーブロマガは2021年10月7日(予定)をもちましてサービスを終了します

とまと船さん のコメント

ロランさん、

>闇堕ちダブルピース、やっぱり虚無にはかてなかったよ…
 ↓
 アヘ顔ダブルピース、やっぱり快楽にはかてなかったよ…

と読み替えると、
エロ漫画でよくあるこのシーンこそが、まさしく「虚無」って感じがしましたのぜ。

いや、「虚無」そのものが、つかみどころないので、「虚無の片鱗」というか「虚無の一つの現れ方」というか、何かそういうとこかな? 言ってみれば、(エロ漫画の話やけど)エルフの高級女騎士長がどれだけ口で正義や倫理を語って、大義名分を後ろ盾に、単騎で怪力オークの軍隊に挑んでも、エロ漫画の中ではオークの人数に負け、その変幻自在の肉棒がもたらす快楽の虜になっちまうだろ!っていうアレなのぜ。

倫理も、道徳も、結局「生物としての生々しい本能」に負けちゃうじゃん、無力やんけ、というのがきっと虚無主義者の頭の中にあるもののような気がするのぜ。 ちなみにワイはもっと若い頃、太宰治の「人間失格」にこの感覚を得てしまい、もう二度とこの本を読みたくなくなったのぜ。 

ワイは、今の人を「うつ」に追いやっている原因の一つにも、この手の「虚無の一つの現れ方」みたいなのが加担しとると思ったのぜっ! 

さっきのエロ漫画での例に倣うと、「人の命はみな平等、人権があると言っても、結局『大企業を中心とした既得権益の社会の輪に入って上手く適応し、おカネを生み出す能力』が無い場合、弾かれるし、生きていけない(→生きる意味ないと感じる)やんけ」という虚無感かな。 もともと働ける力がある人でも、うつになったり燃え尽きたりすると、立つことすらダルく感じ、物凄い気力を振り絞る必要がでてくるからねっ! 「そんなんじゃ甘いよ」と、世間一般の声を代弁したような声が自分自身を責めてしまう・・・。※「そんなんじゃ甘いよ」は淫夢の名言でもある


しかし待って欲しい。
特殊な趣味が無い限り、女は好きでもない野獣から強引に乱暴されて、快楽もへったくれもあるわけないやろ!・・・ということで、ワイら男の妄想や情欲の成せる幻の光景でもあるわけなのぜ。

まぁそういう問題でもないのかもしらんけど、既得権益の例にしたって、そいつらを既得権益たらしめているのは、それ以外の人びとでもあるんよね。それ以外の人びとが皆食えなくなると、既得権益もボッロボロ。 (やっぱり権利を認めたほうが)いいです。 という流れに徐々になっているのが歴史の辿ってきた線でもあるのやろかな。
No.12
70ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
デカルトの情念枚挙にあったとおり、不安の反対は安心である。  理性に向かう充実こそは希望であり、安心であり、安息である。  宗教道徳的に言えば、人間生まれたからには神仏の理性の賢き高みを目指さないわけにはいかない、さもなくば魂の安息などありえない、というわけであるが、その目指すべき神仏の物語である、神の神話や、仏の説話、に見られる論理形式とは、神や仏を寓意として人格化しさらに物語としたもの、といえる。  そして、ただしかし、以上の神仏・真実在はそのように神話や説話で語られるような人格では必ずしも無い、とも言えるのである。  数学においては∞と0がそれに当たる、ということは既に見たとおりである。  数にそうした神を見たピタゴラス同様、スピノザなどは、自然法則に神を見、アインシュタインが生涯追い続けた神とはそうした自然法則としての神だった。宗教では、唯一神アラーを人格でありつつも人格などは越えたものとし、その偶像化はもとより、その前提となる擬人化も許さないイスラム教などにその性格が強い。  「はじまりに言葉ありき。神は言葉なりき。」  ・・これは、ヨハネ福音書冒頭の一説だが、造仏を方便として真理を語る像法仏教を脱した、と言われる仏教宗派、真言宗はその名の通り、仏陀の言語であるサンスクリット語や梵字で語られる原語・真言のままの仏説自体を仏とし、鎌倉時代に生まれた日蓮宗は根本経典である法華経の言葉自体を本尊とし、禅は言葉の発語(阿)に対置される沈黙(吽)を重視する。  理性は論理・言語・言葉と共に、ロゴス:Logos、と言うが、それが何なのか、  「言葉とは何なのか?」  という問い自体にこそ、論理・理性、ならびに神仏の何たるか、を解く鍵はあるのである。  以上のように眺めると、言葉はそれそのもので価値であることがわかる。  希望は、充実は、そして安心は、言葉そのものにこそ、有ると言える。
ちょっと哲学したい気分になりました。