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とまと船さん のコメント

リウキさん、

解説ありがとうございますのぜ!

>言葉の内容を意味、意味の形式を言葉、

この表現で、かなりしっくりきましたのぜ!ありがとうございますのぜ!
「言葉」と「意味」の関係は、それぞれ、ある実在の「ある方向からの見た目、または概観」と「その内面または機能」のようなものやろか。見た目は内面を、ある程度表したものであると。また、内面は見た目にも表れると。

そして、同じ実在に出会っても、例えばAさんとBさんの2人がいたとすると、それぞれが異なる捉え方をして、異なる言葉で表現するし、異なる意味に解釈するんやろねっ!例えば、読み終わった新聞紙を「ゴミ」と捉える人も「資源」と捉える人もいる。一人の人の中でも、あるときは新聞紙を「ゴミ」と思っていたけど、「やっぱり資源」と捉えなおすこともあるよねっ!

すると、例えばこの「読み終わった新聞紙」という実在にたった一つの、誰からも受け入れられるような「真実の意味、真実の言葉」があるのかどうか、気になるところやし、目や耳などの感覚器官を塞ぐと人体では捉えられないから、あるのやらないのやら・・・?という感じもするのぜ!

>「言葉の乱れは心の乱れ」
> と言いますが、当然こうしたことにも大いに関係があるので
>しょうね。一応、悪い言葉を心に思っていると、その悪い言葉
>に対応した観念が心に生じ、実際にそれに対応する実体・実存
>を外界に見出してしまい、さらにはそれを招いてしまう・・

何でも汚い言葉で貶める傾向がある人なら、新聞紙を悪く言うやろうし、その人の世界では大抵の物事が中傷の対象かもしれんね!世界全体の意味を形作っているのは、「それを観測し、体験するその人自身の言葉(心の中での思いも含む)」ということも言えるやろうか? 善い世界に生きようとするなら、仏教で言うところの「身口意(立ち居振る舞い、口に出すこと、思うこと)」を善くするのが大事ということなんやろうね。

全世界がたった一つの真の意味、言葉を持つとすると、実際は人それぞれに一つずつの世界があるのかな・・・なんて、パラレルワールド的なことも思ったのぜ! 

>言葉を道具化する定義、の次元の話になっ
>てくると、冗談抜きで学問の開祖であるアリストテレスと喧嘩
>するくらいの覚悟も必要になってきますし、それを経ないこと
>には虚無の根本にも触れられないので、

虚無に一切囚われないために、敵を知る意味で虚無(絶望?)の根本に触れるか、「虚無に囚われうるも人生」として虚無の根本に触れないか、ゆゆゆ、ゆっくりの餡子脳では、、、
No.8
70ヶ月前
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デカルトの情念枚挙にあったとおり、不安の反対は安心である。  理性に向かう充実こそは希望であり、安心であり、安息である。  宗教道徳的に言えば、人間生まれたからには神仏の理性の賢き高みを目指さないわけにはいかない、さもなくば魂の安息などありえない、というわけであるが、その目指すべき神仏の物語である、神の神話や、仏の説話、に見られる論理形式とは、神や仏を寓意として人格化しさらに物語としたもの、といえる。  そして、ただしかし、以上の神仏・真実在はそのように神話や説話で語られるような人格では必ずしも無い、とも言えるのである。  数学においては∞と0がそれに当たる、ということは既に見たとおりである。  数にそうした神を見たピタゴラス同様、スピノザなどは、自然法則に神を見、アインシュタインが生涯追い続けた神とはそうした自然法則としての神だった。宗教では、唯一神アラーを人格でありつつも人格などは越えたものとし、その偶像化はもとより、その前提となる擬人化も許さないイスラム教などにその性格が強い。  「はじまりに言葉ありき。神は言葉なりき。」  ・・これは、ヨハネ福音書冒頭の一説だが、造仏を方便として真理を語る像法仏教を脱した、と言われる仏教宗派、真言宗はその名の通り、仏陀の言語であるサンスクリット語や梵字で語られる原語・真言のままの仏説自体を仏とし、鎌倉時代に生まれた日蓮宗は根本経典である法華経の言葉自体を本尊とし、禅は言葉の発語(阿)に対置される沈黙(吽)を重視する。  理性は論理・言語・言葉と共に、ロゴス:Logos、と言うが、それが何なのか、  「言葉とは何なのか?」  という問い自体にこそ、論理・理性、ならびに神仏の何たるか、を解く鍵はあるのである。  以上のように眺めると、言葉はそれそのもので価値であることがわかる。  希望は、充実は、そして安心は、言葉そのものにこそ、有ると言える。
ちょっと哲学したい気分になりました。