• もし温め直せたら

    2020-03-28 17:11

    あの日は博士が牛丼を食べたいと言った。
    車で20分の所にあるウォルマート。
    買い物時間を含めて往復およそ一時間。
    一時間だった、たったの一時間。

    「運命は劇的に変化する」

    と書いた小説家を知ってるが、
    その時は本に唾を吐いてやりたい気分だった。

    近所の人間はなにからなにまで。
    子供に老人は暇だろうから居るにしても、
    20代や30代の大人、それも男女問わず、
    普段は女を口説くのに忙しいケビンも居たのには驚いた。

    牛丼の食材を抱えた俺が家の中に入れない。
    こりゃ何かの映画でも撮ってるのか。
    おい、俺はこの家の人間だ通してくれ!
    と人波を掻き分けて家の中に入ってみても、
    そこもかしこも人だらけ。
    子供が家の中の物を我が物顔で扱い、
    それを止める親も姿が見えない。

    怒りと呆れが綯交ぜになった顔で更に家の中を泳いだ。
    このしっちゃかめっちゃかの発生源は心当たりがある。

    この家に存在する『ラボ』と呼ばれる部屋。
    そこは普段人気は少なく、
    機械の音だけが四六時中響いている、
    そんな博士だけの部屋だった。

    それがどうだ。

    「博士!博士テメェ……お!」

    怒鳴り散らしてやろうとラボに入るや、
    目の前には想像の二倍以上の人だかり。
    その中心には博士とデカイ機械。

    「お、ロッキーお帰り。」
    「博士、博士なんだこりゃ、おいちょっと」
    「今日は賑やかだろう」
    「いいから、早くこのパーティを終わらせろ!」
    「何故だ?これからがお楽しみだってのに」

    両手を左右に広げて眉を寄せるポーズはまさに欧米。
    悪戯坊主がスーパーの袋を突いてくるので片手で散らすと、
    デカい機械からチーン!という安っぽい音が響いた。

    またこの博士、ロクでもないモン作りやがったな。
    このデカイ図体に安っぽい音、
    今度はどんな発明品を作りやがった。

    そんな事を思っていると機械から今度は人が出てくる。
    一つ向こうの筋に住んでるジョン。
    お前、こんな得体の知れない機械に入るなんて死にたいのか。

    「いやー、博士」

    そんな命知らずのジョン、
    二の腕が痒いのかポリポリしながら博士に寄る。

    「なんか、何も変化を感じないんだけど……?」
    「それじゃもう駄目だな、諦めろ。」
    「なんだよ、この機械は嘘っぱちか?」
    「お前さんがこれまで怠けてただけだ。
     ハイ、次の方どーぞー」

    いや、次の方じゃない。
    次の方じゃないだろ博士。
    良いからこのドンチャン騒ぎを止めさせろ、
    今直ぐこの家から全員を追い出せ。
    俺がそうがなり立てるとようやく、

    「ウチの助手が腹減ってヒステリー起こしちゃったからな、
     皆も各自家に帰ってランチにしてくれ。
     はい、皆集まってくれてありがとう、
     御飯終わったらまた来てくれ、実験はやるぞー」

    いや、実験はやるぞー、じゃないが。

    ドヤドヤと帰っていく大人達。
    なかなかハシャグのを止めない子供達は叩き出し。
    ハリケーン後の様に変わり果てた家の中を見渡すが、まぁ酷い。
    地面に散らかったキャンディの袋を足で除けつつ、
    ようやく持っていたスーパーの袋をテーブルに置いた。

    博士は俺の事を助手だと言ったが、
    俺は別に助手じゃない。

    まだ日本の企業に勤めていた時分、
    アメリカの大学院で博士号を取るというプログラムがあり、
    それに応募して単身アメリカに渡たり、
    そのままそこに住み着いたのが全ての始まり。
    大学院や企業はどうなったのかという点については、
    まぁ、紆余曲折色々あった。

    だが世の中は厳しい。
    いよいよ無職になり進退窮まり始めた時、
    一人のインド人の知り合いが声をかけてきた。

    「おい、お前『ギュウドン』を作れるか?」

    ジャパニーズギュウドン。
    まぁ、作ろうと思えば作れるが。すると、

    「今日一日シェフをやれ。金は出すから」

    と言う。
    こちらも金に困っている身分、
    料理の免許等は持ってないと伝え、
    それでも良いから来いと言われたので赴いた。
    そこで出会ったのが博士だった。

    「美味いぞ、良いギュウドンだ!」

    牛丼屋でバイトもした事がない人間が作る牛丼。
    正直どんなものかと思ったが我ながらなかなかの出来栄え。
    食材を用意してくれていたインド人の知り合いとその奥さん、
    加えて同席していた『博士』と自分の四人分を作り、
    皆が美味しいと言ってくれる光景はいいものだった。
    そこで言われたのが、

    「君、明日からうちに住み込みで働かないか」

    という言葉。
    言ったのは博士。言われたのは俺。

    それまで住み込みで家事をしていた日本人が国に帰り、
    別の日本人を探していたのだがなかなか見つからない。
    そこで俺が無職になったのを聞き付け、
    博士に紹介する席を設けたとの事だったが。

    「いや、待って……家事手伝いなんて、した事ないよ」

    少し前まで携わっていたのは流体力学で、
    家事専攻の勉学なんて微塵もしていない。

    「ちょっと俺には向かないんじゃないかと」
    「君、ビザは?」
    「え?」
    「ビザは何だい?」

    ビザは外国人がアメリカに留まる為に必要なものである。
    ビザには困っていた。

    「F1ビザか?」
    「J1ビザです。
     でも先日研究室を出たのでもう期限が数か月。」
    「取引をしよう。
     もし、君が僕の為にギュウドンを作ってくれるなら、
     パーマネントビザを取れるようにしようじゃないか」

    それを聞いて思わずスプーンが落ちそうになった。
    パーマネントビザとは永住ビザの事である。
    間違っても簡単に取れるものではない。

    「どうだね?」

    一体どういう理由をこじつけたのか。
    名目上は博士の『助手』という事になり、
    中間に入ってくれた弁護士が上手く手を回したのだろう、
    程なくして俺の手にパーマネントビザが転がり込んできた。
    それが全ての顛末。

    それから博士の身の回りの世話をして数年。
    博士は甘みが強い牛丼が好みと言う事は判った。
    しかし本当にする事は家事全般、
    洗濯掃除に料理にギュウドン。
    もしビザに臨時監査制度があったら取り上げられるだろう。

    「うん、やっぱりギュウドンだ。
     ギュウドン・イズ・ベスト!」

    そんな心配は知らず存ぜぬ、
    とっちらかった家の中で俺の作った牛丼を今日も食べる。

    「ところであのバカでかい機械、
     あれ、なんですか」
    「マイクロウエーブ」
    「電子レンジ?」
    「人の心を温めるマイクロウエーブ。」
    「……心の何を温めるんです?」
    「熱意、夢、愛情。
     冷めかかった心をあっためるんだよ。
     そうしたらどうなると思う?」

    またこの博士はとんでもない物を。

    「……最初は誰で試したんですか」
    「もちろん自分だよ」
    「違いますよ、さっき来てたやじ馬。」
    「ああ、ボビー」
    「ガキ相手に試したのかよ」
    「だって大人が一人も来なかったんだもん」
    「そりゃそうだ、そんなウソくせえ発明品、
     誰が試すんだよ。」
    「でもボビーの次はケルバーだったぞ。」
    「ケルバー?あの不良が…?」
    「チンしてやったら家に帰って絵を書き始めたんだ。
     それを見た両親が電話してきて、
     マイクロウエーブの事を説明したら、
     大人もどっと押し寄せて来てな。」

    噂は聞いた事がある。
    ケルバーは絵が上手だがそれを自慢した事は無い。
    いつも悪ぶっててしょうもない事ばかりする。
    家には沢山のスケッチブックがあると言われていたが、
    絵に対する熱いモノは持っていたのか……。

    「チンした事によって、
     ケルバーの絵に対する意欲が高まった?」
    「まぁ、こっちこい」

    ゴチソウサマデシタ。
    博士と二人手を合わせ、
    取り敢えず食器だけシンクに追いやってラボへ行く。

    「ここ、このボタン」

    博士が指さした所にはボタンが三つ。
    夢、愛、趣味、とそれぞれ書いてあるが、
    まるで子供のままごと道具のように見えてならない。

    「……もっとましなセンスないの?」
    「何を言う、シンプルさこそ至高、
     複雑さなど開発側のエゴに過ぎんよ、
     いつも言ってるだろ!」

    いつも聞いてるけどさ。
    でも博士、こりゃねぇよ。
    まるで玩具の電子レンジがデカくなったようにしか見えない。

    「これで押したボタンの熱が高まるの?」
    「中に入って二分半だ」
    「……副作用は?」
    「失礼な!ありゃせんわい」

    会話に割ってきたのはインターホン。
    やってきたのは野次馬の続き。
    画面には近所のウェスリーが映っている。

    「ようウェス、昼飯は何食べた」
    「ピザ。マルゲリータ。
     午後は俺が一番乗りか?
     あのマイクロウエーブ使わせてくれよ」
    「何を温めたいんだ」
    「俺の中に眠る才能を温める」
    「……はぁ?」

    そんなモンあるかどうかも判んないだろ。
    でもそう言っては角が立つ。

    「20ドル。一回チンしたかったら20ドルだ。」
    「なんだよ、金取るのか?」
    「俺が一回の電気代を計算したんだ。
     使いたかったら20ドル払え。
     眠る才能を目覚めさせたいんだろ。」
    「後で払うよ、ツケてくれ」
    「今だ。」

    ウェスリーが立ち去ったあと、
    玄関先には緑色のガムが吐き捨てられていた。
    きっとウォーターメロン味のやつだ。
    アイツがいつも暇さえあれば噛んでいる。

    「追い返したのか?」

    ラボに戻ると博士がパソコンをレンジに繋いで、
    俺には到底理解できないような何かをしている。

    「使用料一回20ドルって言ったら帰った」
    「20ドルだと?
     ケチな事言うな、無料開放と言え」
    「馬鹿!本当にアンタ……馬鹿!
     俺が昼に買い物行ってた一時間は幽体離脱してたのか!?
     それとも瞬間記憶喪失にでもなっちまったのか、
     あの野次馬の多さを見ただろ!
     ていうかアンタが呼び寄せたんだぞ!」
    「ああ、最高だろ?
     データを提供してくれる相手がわんさと来た」
    「ああ、しかも家の中までご丁寧に荒らしていった、
     家の中には重要な書類や発明品だって……、
     正規品じゃなくても凄い試作品だって一杯あるだろ!
     子供が盗んで行ったら大変なものまである!」
    「大丈夫、全部GPS仕込んであるから」
    「そういう問題じゃねぇだろ!
     回収に行く間に何かが起こったらどうする!?
     アンタはいつもそうだ、
     自分の発明品とデータに対する危機感が薄い!」

    アメリカの家と家は間が広い。
    だがきっと隣の家には聞こえただろう、俺の怒鳴り声は。
    ラボの中には俺と博士、二人っきり。
    お互い目をじっと見た。
    もうお互い良い歳をした大人だ。
    それが何でこんなに怒鳴ってるんだ、
    この年になってこんなに怒鳴るなんて思ってなかった。

    「悪かったよロッキー。
     でも聞いてくれ。
     だから君を助手にしたんだ。
     見ろ、君が全員外に追い出してくれた。」

    俺の名は熊田弘明。
    アメリカの大学院で「ヒロアキ」と自己紹介した時、
    誰かが、

    「ロアキ……Oh!ロッキー!」

    と言い出して、
    その響きがまんざらでも無かったので自分も、

    「Yes,アイムロッキー!」

    と名乗り始めた。
    今じゃ博士が俺をそう呼ぶ。

    「ロッキー、でもなんで20ドルにしたんだ。」
    「20ドルなら冷やかしの人間が来なくなる。
     でも真剣な人間ならきっと来る。」
    「なるほどな。」

    冷やかすのに20ドルは割に合わないに決まってる。
    冷やかしは低俗な暇潰しだ。
    暇潰しに20ドルも払う阿呆はいないだろう。

    それから暫くやってくる冷やかしを追い返し続けたが、
    ある日遂に真剣な人間がきた。
    五番街のキャシーだ。
    冷やかしに来るような人間ではないと思っていたが、

    「マイクロウエーブを使わせて欲しいの」

    という言葉に条件反射で、

    「20ドルだが大丈夫か?」

    とそっけなく返してしまった。
    大丈夫、持ってきたから。
    そう言ったキャシーを中に入れ、ラボで説明をする。

    電子レンジ自体は難しくはない。
    夢、愛、趣味の中から一つ選んでボタンを押し、
    あとはドアを閉めて二分半待つだけ。
    説明する方も簡単すぎて不安になってくる。
    じゃあやってみてとキャシーに言うと、

    「ちょっと恥ずかしいから、
     使うところ見ないで欲しいの」

    とはにかんでいる。
    判ったよ、ごめんねとラボを出ると、
    今度は自分が恥ずかしくなった。
    どうもそういう他人の繊細な部分への配慮が出来ない。
    結構な年も経験も重ねた筈なのに、恥ずかしい。

    二分半が経ち『チン』と音が鳴る。
    リビングで暫く待ってみるとキャシーがやって来た。

    「ありがとう、使い終わったわ」

    おお、キャシー。
    なんか歩き方が自信に満ち溢れていると言うか、
    胸を張って歩いてると言うか……。
    一体どのボタンを押したんだい?
    そう聞きたくてしょうがない。

    「大丈夫だった?」

    さっきのミスを挽回しようと声をかけると、

    「ええ、これからが勝負よ。
     じゃあねロッキー、博士に宜しく」

    と颯爽と家を出て行った。

    そうか、熱を帯びた女性はこんなに美しいのか。
    誰かを愛しに行くのか、
    それとも夢を追いかけに行くのか。
    行き先は判らないけれど、
    思わず付いて行きたくなる程の『張り』を漲らせてるんだ。
    きっと道ですれ違う他の男達も彼女に振り向く事だろう。

    それから暫くしてキャシーの噂を聞いた。
    彼女の家を通り過ぎるとピアノが聞こえてくる事がある。
    それが下手かどうかまでは耳に入れなかった。
    ただ心の中で密かにエールを送った。

    「こんちわ」

    キャシー以外にも20ドルを払いに来た人がいる。
    それがエマ。ただし、レンジに入ったのは彼女ではない。

    「はぁ?旦那を?」
    「そう!コイツをぶち込んでチンしておくれ!
     この人、最近全然私の事に無関心なんだよ!」

    突き出されたのはブライアン、エマの旦那さん。

    「いや、ええ…?
     ブライアン、チンされる君はどうなの、いいの?」

    そう聞いてもブライアンは何も言わない。
    腕組みをしない両手をただブランと肩から下げて、
    背は猫のように丸まって。
    俺よりも年上なのに、まるで情けない恰好じゃないか。

    「博士、はかせぇ!」

    電子レンジはもうラボから運び出されて一階のリビングに。
    そこからラボに居る博士に叫んでみると、
    鼻をすすりながら発明家が現れた。

    「いいんじゃないの、チンしてみたら。
     ジャパンにも言葉があるだろ。
     夫婦喧嘩はオオカミも喰わないって」
    「犬、食わないのは犬だよ博士」
    「オオカミだって喰いやしないよ。
     良いからやらせてみろって。」

    この博士、完全にどんなデータが取れるか楽しみにしてやがる。
    技術者倫理としては躊躇する場面なのは間違いないが、
    エマの押しと物理的な腕力が凄かった。

    「ほらここのボタン押すんだろ!?愛情愛情!
     アンタもとっとと中に入んなー!」

    最後は足で蹴り込まれたブライアンだが、
    果たしてそんな入れ方で愛情が温まるのだろうか?

    だが博士の科学力がピカイチか、
    二分半後に出てきたブライアンはエマを見て開口一番、

    「ああエマ、今日の君は輝いてるよ」

    なんて言い出した。
    それを見た俺は一瞬体中に悪寒が走った訳だが、
    とうのエマは大喜びで振り回すようにブライアンを連れ帰った。

    だが三日後に再び家の中にエマの声が響き渡る。
    旦那の態度が急に元に戻ったという事らしいが、
    一応の決まりなんで、と20ドルを請求すると、
    渋い顔をして今度はこちらを怒鳴りつけてくる。
    アンタ、またそんなに取るのかい?!
    詐欺で訴えるよ!!

    「心が結構冷えてたんでしょ。
     だったら何度か温めないと無理だよ。」

    偶然ラボから出てきた博士がエマにそう言ってくれて、
    エマも何かバツが悪かったのか渋い顔で20ドルを差し出した。

    しかし再びチンしたその日から三日後、またエマがくる。
    当然ブライアンも一緒だ。
    また態度が元に戻ったよ、ほら使わせて!
    そう言いながら差し出される20ドルはよく見ると震えている。
    きっとエマの怒りが心から手を伝って紙幣を揺らしているんだ。
    フラワーロックだってきっとこんなに揺れないぞ。
    晩飯時にそう博士に話したらオレンジジュースを吹き出していた。

    それから更に三日後。

    「ちょっと、もういい加減にしてよね!」
    「な、なにが?」
    「なんで旦那は元に戻るのよ、アタシ知ってるんだからね!
     キャシーは一回チンして今でもピアノを続けてるじゃない!
     チンをし直しには来てないんでしょう!?
     なんでうちの旦那は何度も何度もチンしなきゃいけないのよ!
     ええ!?」
    「えー……いやー……」

    そんな事俺に言われても。
    そう思ってブライアンの顔を覗き見ると、
    彼も「そんな事俺に言われても」という顔をしており、
    危うく吹き出しそうになるからその顔を止めろブライアン。

    「20ドルだけど……またする?」
    「もう60ドル払ってるんだよ!
     また払えってのかい!?この詐欺師め!
     今度払ったら80ドルだ!
     80ドルあったら何が買えると思う!?」
    「……猫の餌とか?」
    「猫の餌なんて飼うかこの馬鹿ーー!!」

    エマ、声がデカい女。
    恐らくこの辺りで声量選手権を開いたら一等賞。

    「あ!こら博士!このエセ発明家!
     アンタもこっちに来なよ!」
    「なんだエマ、また来たの」

    ラボから出てきた博士が持っていたのは白のコップ。
    コーヒーでも淹れなおすのだろうか。
    ごめん博士、今朝で丁度コーヒー切れたんだけど。
    それよりこの切れたエマなんとかしてくれませんか。

    「キャシーには贔屓したんだろ!
     アタシ達は金づるになるだろうって詐欺したんだね!」
    「そんなぁ、まさか」

    コップを持ったままの姿勢で博士が玄関に来てくれる。
    ありがとう博士、正直俺にはもうこの女は無理だ。

    「じゃあなんでキャシーは何度もチンしなくて、
     うちのブライアンはチンしてんのさ!
     説明してごらんよ、ホラ!ええ!?」
    「キャシーはちゃんとしてるんだろうね」
    「ちゃんとって何がさ!!」
    「ちゃんと自分で心に薪をくべてるんだよ。
     一旦付いた熱を絶やさないように彼女自身頑張ってるのさ。
     聞くけどエマ、
     お前さん、優しくなったブライアンにちゃんとしたかい?
     他人の家の事情なんざこれっぽっちも知りたくないけど、
     家の中ではお前さんばかり怒鳴ってるんじゃないのかい。
     何かにつけてギャーギャーと何度も、
     大した事じゃなくてもヒステリーでさ。
     愛が戻ったブライアンに対して何か変わってやったかい?
     人の心は弱くて繊細だよ。
     ブライアンの心がすぐ冷えるんじゃない。
     エマ、お前さんが冷やしてるんじゃないのかい。」

    覗き見ると、
    案の定白いコップの中は底が見えてる。
    淵にちょっと黒い液体が付いてるだけで、
    震えもしないし、わめきもしない。

    エマはというと、
    口を梅干しのように尖がらせたまま黙っていた。
    その顔がまた不思議におかしくて、
    でも今は笑う場面じゃない事くらい判っていて、
    なんだこの夫婦は、
    不似合いな場面で俺を笑わせに来るのを本当に止めろ。

    「あの、20ドルだけど……」

    笑いを紛らわすためにそう話しかけたんだが、
    エマは一言も言わず踵を返して帰っていった。
    それに続いてブライアンもゆっくりと玄関を後にした。

    「あの……博士」
    「うん」
    「実はもうコーヒー切れてて……」
    「え?そうなの?新しいの買ってきて。
     あ、今日のディナーはギュウドンが良い」

    博士がそう仰るのなら、そのように。
    言われた通りに作った牛丼を二人分、
    テーブルに着いて食べていると、
    博士が珍しい事をした。
    口に物が入っている最中喋り出したのだ。
    そんな事は初めての事だった。

    「あのね」

    と言い始めたのだが流石に慣れなかったのか、
    口の中の物を一度全部飲み込むと、
    一口オレンジジュースを飲んで息を整えた。

    「あのね、以前僕にギュウドンを作ってくれてた人だけど、
     ジャパンのミュージシャンだったの。」
    「へぇ……」
    「全然売れなくて、気分転換でアメリカに来てね、
     そこで僕と出会って、彼の作るギュウドンが美味くてさ。
     それで口説いて君みたいに働いてもらってたの。
     給料も良いって喜んでたんだけどね、
     ある日急に日本に帰るって言って。
     それは困る、どうか残ってくれと言ったんだけど、
     日本に帰ってね、やり残した事があると言った。
     それから一枚僕の所にCDが送られてきたよ。」
    「そうだったんですね……。」
    「マイクロウエーブはね、温める機械だ。
     僕が発明したアレもそう。
     でも温め『続ける』機械じゃないんだよね。
     そこまで高性能な物じゃない。
     でも人間は持ってるんだよ。
     そんな高性能なものを。
     あとは、ちゃんとメンテナンスして、面倒見てるかどうか。
     君はどうだい」
    「えっ?」
    「なんて言って、ははは、
     またギュウドン作ってくれる人探さなきゃいけなくなっちゃう。
     大丈夫、何かに熱くならなきゃいけない法律なんて無い。
     君は僕を助ける為にここに居て下さい。」

    博士がどんぶりにぶつけるスプーンの音を聞きながら、
    自分の人生をふと振り返る。
    何に熱を費やしただろうか、何から冷めてしまったのか。
    胸のどこかが少しチリつく。


    今日はピアノの旋律が聞こえてくるかもしれない。


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  • 罪の中でお待ちあれ

    2020-03-25 19:38

    情報、寿命、食品、時間。
    時代が変わり、
    人間の生活における様々なものが変わったと言われるが、
    何も変わったのは人間だけではない。

    「えーそれでは会議を始めます。
     近年人間達の中で顕著になった変化の一つ、
     他人の事を悪く言う、
     いわゆる『悪口』という部類の罪ですが、
     これに対する新たな地獄を制定しようと思います。」

    悪人達の終着点は地獄。

    生前に溜めた悪事の種類や度合い、
    それに応じて豪華な特典が付与される。
    なんと釜茹で、針山、蟲喰い、鉄責め。
    他にも心折(しんせつ)なオモテナシがめじろ押し。

    おや、お客様、鉄責めにご興味がおありで?
    こちら焼けた鉄の上でのマラソン大会、
    鉄の棒での全身バット、
    更には鉄の巨像に全身のツボを丹念に踏みつぶされる等、
    多種多様に渡るサービスパックがなんと七万年分。
    絶望を骨の髄まで楽しめます。

    しかし時代は移ろう、サービスは変わる。
    今、地獄も変革期に移ろうとしていた。

    「昔は盗みや殺しが流行っていたが、
     最近はなんだ……情報化社会?みたいなので、
     言いたい事が星の裏側まで届くんだよな。」

    議長席で腕組みをする閻魔様。
    議会は円卓、地獄の重鎮達が一人二人、三人四人、
    数え上げて締めて十八。
    人間を苦しめるエキスパートが一堂に会したわけだが、
    情報化がうんたらなんて喋るもので、
    皆、必要以上にお茶に口を付けていた。

    「単刀直入、それに伴った新しい地獄の開設が急務だが、
     どういった感じの地獄システムが良いと思う?
     えーと、おい、炎天魔」
    「えっ俺?」
    「そうだよお前の名前を呼んだ」
    「えぇー……新しい地獄…じょうほうか……。
     あの……弄ったら炎が噴き出すケータイ作って」
    「うん」
    「それで……えーまぁ……。
     指とか耳とか燃やす地獄……どうですかね」
    「ふざけてんのか」

    可哀そうに。
    天魔の奴、炎が好きすぎて他の分野に興味無いから、
    今更情報化がどうのと言われて判る訳ないだろうに。
    そんな事を牛鬼天が思っていると、

    「おい、牛鬼、なんか良い案無いか?」
    「へぇあ!?お、俺ですか?」
    「お前だよお前」
    「えっとぉ……そおっすねぇ……スーッ……」
    「……」
    「……暴れ牛が走るど真ん中に放り込むとか……」
    「それ、もうあるじゃん」
    「いや、ちが、違うんすよ、
     その牛の角にこう、スマホ付けて、」
    「スマホ?それで?」
    「そしたらこう……当たった時ちょっと痛いじゃないすか」
    「で?」
    「いや、そんなもんでどうかなーと……」

    流石地獄のエキスパート達。
    自分が得意な分野以外には興味がとんと無い。
    普段は人間を阿鼻叫喚のガン底まで追いやる身だが、
    この『新地獄決定会議』においてはどうしたものか。
    誰もが普段は見せない苦悶の表情の大売り出しで、
    故に部下は一人も入れない。
    お茶くみの鬼が一人紛れるだけである。

    「いやぁ、どうしたもんか」

    と閻魔様。
    地獄はただ悪戯に人間を苦しめる訳では無い、
    生前の悪行に相応しい責め苦を与えるのが美学なのである。
    嘘吐きに針山なんてしようモンなら大ブーイング間違いなし。

    「ごめんごめん、こっちの地獄じゃなかった!」

    といった具合に丁重に謝った上、
    舌を引っこ抜いて口に地獄ムカデを突っ込まなければ。
    そう、雑なようで地獄にも美学はあるのだ。

    でも情報化?スマホ?
    人間てのはこれだから困る。
    言霊も使えない生き物だからそんなモン使うんだよ。
    しかも使えるようになった途端に粋がっちゃって、
    他人の悪口を地球の裏側まで飛ばすとかどんだけ暇なの。
    他にやる事あるでしょ、掃除とか料理とか。
    なに、最近の人間はゴミを食べる体にでも進化したの?

    はぁーあ、めんどくさ、
    早く担当の地獄に戻って人間いたぶりてぇーな。
    そんな心境が各自顔に漏れ出し始めた頃、

    「あのぉー」

    と、控えめな声が聞こえるのはどこからだ。
    閻魔様が顔を上げる。
    どこだ、どこから声がした。
    女の声だったが金光膳の声か、それとも黒般若か?

    「あのぉ……」

    いや、鬼だ。
    頭に生えてる角一つ、長さも短い下働き。
    お茶くみに入っている鬼だ。

    「提案があるんですけど……」

    円卓を囲むのは何れも天位の上級幹部。
    その会議の場にたかが下っ端の鬼が一匹、
    しかも『角一つ』が割り込もうとはなんとも大胆だが、
    会議はもつれ、案も無く、
    誰もが腕を組んで何も無い卓を見つめるだけのこの状況。

    「なんだ、言ってみろ」

    思わず許しを出す閻魔様。

    「人間がした事、
     そのまま返すのが一番手っ取り早いですよ」
    「どういう事だ?」
    「今回の地獄って、
     他人に悪口言いまくる罪人の為のものですよね。
     じゃあ、そのまま返しましょう。」

    数日後の事、
    試運転で作られたのは一つの森、
    いや、作られたのは一つの地獄、罪の贖い。
    立ち込める濃霧で森の中は一寸先すら見えない、
    見えるのは一番外側に生える木々のみ。

    「これか」
    「はい」

    初の試運転という事もあり、
    データを取る為に用意された人間は約五百。
    森への投入まであと二分。

    「こんなので上手くいくのか」
    「まぁ、やってみましょう。
     上手くいかなかったら私クビで良いですから」
    「いや、別にクビがどうとは言ってないだろ」
    「そろそろです」

    パン、
    と何かが弾ける音がすると同時、
    森の中から音が聞こえ始めた。
    それは足音、人間の足音。
    サリサリ、ガサガサ。
    草木に当たっているのか、落ち葉を踏んでいるのか。
    しかしまだ森からは肝心の悲鳴が聞こえない。

    「折角作ったのがピクニック場にならねば良いが」

    閻魔様がそんな皮肉めいた事を言ったが、
    となりの一本角は静かに森を見る。

    「じゃあ、また一か月後に来ましょう」
    「は?」
    「今日はここまでです。」
    「一か月だと?」
    「そうです、一か月です。」

    地獄の内容は即痛(そくつう)のものが多い。
    釜茹でもそうだし針山もそう、蟲責めも割と早い。
    そんな中、一か月と言う時間はかなり悠長なもので、
    閻魔様も思わず声を上げた。

    「おい、一か月もこの森の中で散歩させてるだけか」
    「一か月もすれば散歩が追いかけっこになりますよ」
    「本当か?」
    「本当かどうかは一か月後に確かめましょう。
     私の言った事が嘘になってたらクビで良いので」
    「だからお前なんでそんなクビになりたがるの。
     別にクビにはしないから。」

    地獄の一か月は早い。
    なにせ地獄の刑期は何万年、何億年単位のものばかり。
    それに比べて一か月という時間のなんと早い事か。

    「で、どうなった。」
    「モニター作りました。どうぞ」
    「お」

    閻魔様がモニターを覗く。
    するとどうだろうか、
    画面の中には追いかけっこどころか、
    お互いを殴りあい蹴りあう人間達が凄惨な形相をしている。
    地べたに転がる人間の中にはピクリともしない者もおり、
    閻魔様が画面を指さしながら、

    「おい、こいつは生きてるのか?」

    と聞くと、

    「死んでも五分で生き返ります。
     ちゃんと従来通りのシステムです」

    と鬼の回答。

    森の中はさながら殺人アスレチック。
    悲鳴と怒号がお互いを消さない程度に調和して、
    まさに地獄と呼ぶにふさわしい具合ではないか。

    「ちゃんとした地獄になってるじゃないか」
    「ちょっと時間はかかりますけどね。」

    森の周りには閻魔様達だけではない、
    地獄の獄卒達が知らぬ間に集まっていた。
    中には以前から森の近くに通っている者もいる。

    地獄の民、
    彼らは人が物を食べるように悲鳴を聞く。
    三度の飯より阿鼻叫喚。花を見るより悲鳴好き。
    まるで御菓子でも摘まむかのように、
    まだ幼い鬼ですら物珍しさに寄って来た。

    一本角の鬼の企画した地獄はこういったもの。
    地上にある目には目を、歯には歯をという言葉の通り、
    生前他人に言った悪口を返して差し上げよう。
    森に立ち込めた特殊な濃霧が記憶の中を探り、
    昔に言った悪口をそのまま囁き返す。

    森の木々は人間達を寝かさぬ瘴気を放ち、
    森から出られぬように延々と迷わす。
    四六時中も悪口を言われた人間はどうなるかというと、
    言う間でもなく、遅かれ早かれ正気を失う。

    「誰かの悪口を言う人間は、
     自分が言われるのに慣れてないんですよ。
     だから割と早くに気が狂う。
     加えて攻撃的になります。
     森の中で殺し合うのはそういう仕組みです。
     濃霧は森の中の方が濃いので10cm先もろくに見えません。
     だから見えた人影が自分の悪口を言っていると勘違いして、
     相手が誰だろうと殴り掛かって蹴り倒す。
     そしてめでたく死んだ相手は、
     また正気の段階へと逆戻り。」

    良い仕事をした、と自慢げでもない。
    一本角が淡々とただ喋るだけ。

    「閻魔様、御存知ですか?
     一番きついのって狂っていく最中なんですよね。
     だから……まぁ、この地獄はそういう事です。」

    熱い。
    人間の悲鳴は熱い。

    地獄において人の声は熱を持つ。
    まるで焚火に当たって頬がチリつくように、
    人の悲鳴が頬をなぞる。
    獄卒達の頬をなぞる。
    にやける口元、せりあがる頬肉、
    すっかり細くなった瞼の中では眼が黒光りし、
    今、森の外側は悲鳴に舌鼓を打つ地獄の民がわんさと。
    その民の光景がこの地獄の良さを証明している。

    なかなかの出来具合に採用を考えていた閻魔様に、
    傍らにいた一本角が独り言のように話しかけた。

    「これ、他の地獄にも導入、いかがですかね」
    「それは、この霧を使えと言う事か?」
    「そうです」
    「いや……他は他でそれぞれの仕事がだな」
    「ナンセンスじゃないですか。
     たかが人間の為に窯のお湯かき回したり、
     針山掃除したり。
     これなら放っとくだけで一発OKですよ。」
    「うーん……言いたい事は判るが、
     でも仕事と言うのはな、与える事も大切だから……」
    「分かりました、じゃあもう私クビで良いです」
    「いや、だからお前はどうしたの。
     なんでそんなにクビを熱望するんだ、言ってみろ?」
    「クビになった方が変なシガラミ感じなくなるので。
     ところで、
     この霧、増えますよ」

    なに、
    増える?

    閻魔様がふと目をやった森の境界、
    よくみると見えていた木々の輪郭が、
    少し霧に飲まれた様な。

    「じゃ、上司の言う事聞かなかったんで、クビで」
    「待て待て待て、増える?この霧がか?」
    「針山も血の池も蟲壺も、全部あの霧まみれになりますよ。
     ご安心なく、どんな物も貫通するんで、
     この地獄全域、漏れるところはありません。
     じゃ、私はお先に」

    子供が家に帰る時、
    その足取りの軽さを見た事はあるか。
    この鬼もまさにそうだ、
    まるで自分の家に帰るかの如く、
    颯爽とした足取りで森へと向かい始めた。

    「待て待て、おい、なんだ!
     どういう事だ!
     委託先か?この霧の委託先になにか吹き込まれたのか!?」

    簡単な話だ。
    このまま霧を放っておけば地獄の民は殺し合う。
    閻魔様も例外ではないだろう。
    しかし、なぜ。
    この鬼、なぜそんな事を。

    この霧の委託先はかなりの小規模会社。
    たかが『一本角』の企画だからと言って、
    予算もかなりケチられている。
    いつも不遇な扱いを受けている会社が一泡吹かせようと、
    この企画に乗じてこんなマネに出たのか。
    閻魔の頭に回ったのはそんな推測。

    「おいこんな事をしてどうする、
     なにか望みがあるのか?言ってみろ!」

    森へと向かう一本角に閻魔様が叫ぶが、
    歩みは止まらず、振り返りもせず。
    ただ一本角、進みながらこう答える。

    「望みを叶える為ですよ。
     この地獄で『差別』を無くしたいんです。
     人間も、獄卒も、閻魔様、あなたも。
     でも安心して下さい。
     悪口を言った事が無い奴は気が狂いませんから。」

    もう一本角の目の前は霧寸前。
    そこでようやく一本角が立ち止まりゆっくり振り返ると、
    閻魔様がその顔に見たのはなんと気味の悪い笑みだろうか。

    「閻魔さん、中でお先に待ってますね」

    霧が誘ったか。
    あたかも娘を迎える母御のように、
    一本角の身体を包んで霧が優しく飲み込んだ。

    最早閻魔様が声をかける相手はいない。
    背中に冷や汗が伝う。
    目の前の霧は地獄の人間も鬼も差別なく、
    こちらにおかえりと言いたげにゆっくり広がる。

    ここは地獄、人ばかりを苦しめれば良いと思われる場所。
    だが獄卒の中にも上下関係はある、貴賤がある。
    長年その構図は崩れる事が無かった。
    誰も蔑まれる者の心を慮った事が無かった。

    今日のこの日までは。

    森の周りのやじ馬達も霧の異様さを察して騒ぎ出し、
    その声が悲鳴に変わるまでが待ち遠しい。

    地獄で『何か月』は早いもの。
    殆どの地獄は数万年、数億年の刑期。

    霧が地獄を埋め尽くすまで数か月、
    霧の中で全てが狂うまで数か月。
    そう、たった数か月。
    ここ地獄では早いもの。


    いざ、地獄が真に『地獄』に成り果てる時。


  • 死ぬまで待てない ⑥(完)

    2020-03-22 19:44

    往々にして「酒場」が暗いのは雰囲気作り。
    少し悪い事をしている気分にする為だと言う。

    悪い事、
    人間は不思議としたくなる。
    どんな悪い事をするのかはさておき、

    「一緒に悪い事、する?」

    なんて誘い文句が人心を揺さぶるのは、
    心と言うシステムに悪事への憧れがあるからだ。

    暗い所に夜中に行って、
    こんなに酒も飲んで。
    なんて悪い事をしてるんでしょう。
    そんな気分を楽しむ為、
    人間達は酒場へ集うというのに、
    その事を自覚する割合は存外少ない。

    まり子が入った店は一時間経つ毎に照明が変わる。
    徐々に光量が絞られてじわじわ暗く、
    閉店間近になると隣の顔も良く見えない。

    まり子が三杯目の酒を勢いよく飲み干したのは、
    あたかも挑発しているかのようだった。

    「じゃあじっくり聞かせて貰おうじゃない、
     私の友達がどうやって自分の旦那を殺したのか」

    また時間が60分のサイクルを終え、
    店内がじんわりと暗さを足していく。
    誤って倒してしまわない様にと、
    赤沢が自分とまり子のグラスをテーブルの奥へと押した。

    「話を聞いてまず思ったんだ、
     奥さんは薬の事を知ってたんじゃない?
     旦那さんが死ぬ時なんだけど、
     ああ、断っておくが死因が薬で間違いないって前提ね」
    「いいわ、続けて」
    「奥さんが一緒に居た方が良いんじゃ、とも思ったけど、
     それだと奥さんに旦那殺しの容疑がかかる可能性がある」
    「そうね」
    「だから旦那も奥さんが自分から離れている状況を望んだ。
     現代はセキュリティ技術が本当に凄いから、
     それだけで状況証拠としてのデータになる。
     となると、警察も逆に考えた筈だ、
     こりゃちょっと状況が出来過ぎてるんじゃないかって。」
    「奥さんに容疑がかからないように自殺してるもんね」
    「そう、これは奥さんとも口裏合わせていたに違いない。
     ……でも待てよ、じゃあなんで時間でミスってるんだ?」
    「話の最中に結構演技入れる人間?あなた」
    「ごめん、やめようか?」
    「面白いからもっとして」
    「警察はこう思った筈。
     そこまで気を遣っている人間が、
     果たして時間を読み間違えるかって。
     きっとアラームもセットして自殺時間は厳密に確認する筈。
     でもズレている、一時間も!」
    「そう、一時間もね」
    「家の中に誰もいない、
     自分一人しかいないからこそ神経質になる筈。
     あなたー、そろそろ自殺する時間よ!
     なんて言って教えてくれる奥さんもいない訳だ」
    「コンサートに行ってるしね」
    「今日本警察も人員不足で操作をデータAIに大幅委任してる。
     状況データから予測を出して、
     それに目を通した人間が最終判断を出すってかたち。
     知ってる?」
    「ええ」
    「事件現場の孤立性からしても自殺、
     乗り換え予定時間との誤差は人間的誤認。
     実際は乗り換えが完了してない事もあって、
     この件はもう自殺と言う結論にしましょう。
     人手も少ないし……と言ったかは置いといて、
     データ判断だけならそうなるだろうね。」
    「言い忘れたけど、
     旦那さんの指にファーカミの印字が転写されてたの、
     だから自分で薬を飲んだ線はかなり濃厚なの。
     それにファーカミ自体即効性が強いし、
     時限的に投入する事も出来ない。
     部屋の中には注射針の一つも無かったのよ?」
    「だから警察は引き上げたんだろ。」
    「……そうね」
    「でもね、奥さんは旦那さんを殺してる。」
    「どうやってよ」
    「絶対奥さんは旦那さんの薬の事を事前に知ってた。
     だから死亡当日に家を出たんだ。
     なんでか判る?」
    「それをあなたが話してくれるんでしょ」
    「ごめんごめんそうだね。
     奥さんが家を出る時に言ったのは、」

    コンサートに今から行ってくるわね

    「じゃない、」

    アナタが乗り換えた身体を迎えに行くわね

    「だ。
     旦那が乗り換える先の身体が保管してある会社、
     そこに今から車で向かって、
     乗り換えたばかりのアナタを迎えるてあげるわねって、
     そう言ったんだ。」
    「いや……でもコンサートは」
    「旦那はコンサートの事を一切知らなかったんだ。
     本当に奥さんの趣味に無関心だったからだよ。
     あと不倫相手との通話記録はあるのに、
     奥さんとの通話記録は無い。
     コンサート中だと気を回したのか?いやそうじゃない、
     運転中に電話で邪魔したら危ないと思ったからだ。
     日本の乗り換え人体製造保管場所はかなりド田舎にある。
     その奥さんが都心暮らしとしても三時間弱はかかるだろう。
     じゃあそんな所にわざわざ奥さんは行くのか?
     きっと行くって言ったし、
     そう言っても不思議が無い雰囲気にしたんだ。」
    「…どうやって?」
    「セックスでしょ。
     セックスは旦那の方からじゃない、
     奥さんの方から持ち掛けたんだ。
     乗り換えをするんだから今の身体も今日まで、
     だから乗り換える前に抱いてって誘って、
     そりゃもう情熱的なセックスをしたに違いない。
     そして終えた後にこう言うんだ。」

    乗り換えたあなたが一番最初の見る女は私よ。
    車で迎えに行くわ。

    「って。
     三時間弱の車の運転なんて、
     そんな面倒事はしなくていいと言うかも知れない。
     けれど死ぬ当日、情熱的なセックス、夫婦の仲。
     旦那は喜んで送り出しただろうね。
     かなり気分も高揚した筈だ。
     そこで不倫相手からの連絡。
     自分は色んな人間に愛されているという幸福感で、
     そりゃあスヤスヤと寝ただろう。
     でも全ては奥さんが旦那を殺す為の段取りだ。」
    「……でも奥さんはコンサート行ってたのよ。
     一緒に見ていた友人からもアリバイ取れてるわ。」
    「時計。」
    「えっ」
    「時計の時間、ズラしたね。
     デジタル時計なんて今じゃかなりのアンティークだ。
     どこの国でもフル展開時計を使ってるからね。
     警察も金持ち故のアンティークだと思っただろうがそうじゃない。
     手を触れずに遠隔修正できる裏製品が昔に出回ったが、
     そいつを使って一時間ズラすためのトリックの一部だ。
     乗り換え予定時刻は午後七時、
     ちょうど一時間ズラせば午後六時。
     フル展開の時計は色んなログが残るもんで、
     犯罪に使われる事はここ数十年無かったのが警察の仇になったな。
     ま、かと言ってこれも証拠が残らない手口だし、
     あくまで僕の推測に過ぎないけど。」
    「……穴ぼこだらけの推理ね。
     奥さんが出掛けた理由もセックスの理由も、
     時計に至っては実証のしようも無いなんて、
     学校のテストなら0点、留年ものだわ」
    「案外そうでもない訳で」
    「なにがよ」
    「もう一つ決定的にひっかかってた点がある。
     奥さん、旦那の死亡後に斡旋会社に謝りに行ったでしょ」
    「そうよ、それが?」
    「斡旋会社の人間の証言で夫婦仲は良かったと印象付いている。
     そういう風に警察側に証言も言っているしね。
     問題は本当に夫婦仲が良かった場合、
     斡旋会社にわざわざ行くか、という事だ。
     新しい体についてあれこれと熱心に考えていた夫婦、
     その片方が事故とは自殺し帰らぬ人となって、
     斡旋会社は寧ろ嫌な記憶を作った場所になった筈。
     場合によっては逆恨みをしても無理もないのに、
     迷惑をかけたと謝罪した上に金銭まで渡したなんて不自然だろ。
     迷惑をかけたから渡したんじゃない、
     奥さんに有利になるよう証言して貰った上、
     良い印象を崩したくないからそこまでしたんだ。」
    「……あれ?」
    「しかも旦那との不倫相手に裁判を起こしたらしいじゃない。
     気になって全て調べたら面白い事が判った。
     肝心の須藤、警察に乗り込んだ彼女だけは公判記録がなかった。
     要するに、不倫してるって判ってる筈の人間だけ訴えられてない。
     訴えなかったんじゃない、訴えられなかったんだ。
     恐らく奥さんは裁判で負けた時の金も補填すると言っただろうが、
     須藤の方が裁判で色んな事が周囲にばれると後から焦ったな。
     グルになって色々やってる時は考えず、
     いざ裁判となって調べて焦るあたり余り頭は良くない、
     まぁ手駒として使われやすい人間なんだろうよ。」
    「……アンタ、誰?」
    「旦那に連絡した時も恐らく時間の事を言ったね。
     今何時だよ~みたいに言って、
     デジタル時計を見た旦那がちゃんと間違った時間を確認してるかって。
     前時代の携帯電話デバイスは時計が見えるところに表示されるけど、
     今の時代はそんなナンセンスな事しないからな。」

    無言は暗闇、酔いの浅瀬。
    少し前まで浮かれた調子の飲み相手が、
    グラスも持たずにじっと見つめてくる。
    見つめられるのは赤沢、相手はまり子。
    宵がいよいよ深くなる。

    「友達の奥さんが利用した斡旋所の男の名前、
     清水って言うんだけど。
     彼は昔二人でそこの店を経営してたんだ。
     でもそのパートナーが急に転職するって言い出した。
     なんと、お好み焼き屋をやりたいってバカ言ってさ。
     しかもそれをオーストラリアで開くと言って聞かない。
     しょうがなく清水は彼を送り出し、一人で切り盛りするハメに。
     でも律義に何かある都度その友人に連絡をするんだ。
     この前こんな事があったよ、あんな事があったよ、って。
     でもこの前深刻な文面である話が送られてきた。
     自分が受け持った客が不審死したってね。
     結局は自殺って事に収まって良かったと書いてあったけど、
     お好み焼きの友人は気になって情報を追った。」
    「……そのお好み焼きやさんの名前は?」
    「赤沢。」
    「あなたと同じね」
    「しかも下の名前は勇人なんだ。
     最近小説でも書こうかって言ってるらしい。」
    「……で?」
    「で?何が、で?」
    「私を訴えるの?」
    「なんで?」
    「須藤を突けば私まで来れるわ。あのコ馬鹿だから」
    「アンタ、一つ余計な事してくれたんだよ。
     清水に金渡しただろ。あれが本当に良くなかった。」
    「なんでよ?」
    「アイツ焦ってたぜ、
     何でいきなりお金くれたんだろ、
     もしかして本当はあの奥さん、悪いことしたんじゃない?
     良いから気にすんな貰っとけって宥めるのに骨が折れた。
     お陰で俺の方が気になって色々調べて、
     それで今の推理だ、俺がどれだけ気を揉んだか判る?」
    「………はっ、
     そんな赤の他人の事なんて気にしてたら旦那なんて殺せないわよ」
    「言うね」
    「事実だわ。」

    まり子が言った、酒を頼みたいと。
    もしかしたら最後の酒になるかも知れないし。
    しかし片手を上げたまり子に赤沢が言う。
    別に訴える気は無い。

    「なんでよ。」
    「清水ってやつはな、平穏に生きたい人間なんだ。
     波風立たせず、穏やか静かに。
     それが自分の顧客から殺人犯が出たなんて事になってみろ、
     もうアイツきっと胃に穴が開く。
     それだけじゃなく、店も実際はどうなるか……。
     乗り換えはサービス業だからな、評判が直撃する。」
    「……あの人の為に私を見逃すって言うの?」
    「まり子も言ったろ、他人の事なんて気にしてられないって。
     アイツは良い奴だ、本当に良い奴だ。
     大学時代に沢山の馬鹿をやった。
     そっとしておいてやりたい。
     どこかで誰かが殺そうが殺されようが知らんよ。
     まり子と一緒。」

    でも一つ教えて欲しい。
    どうして旦那を殺そうと思った?
    まり子と赤沢の間に一瞬沈黙が流れたので、
    赤沢がなかなか来ないマスターを呼びつけた。
    おい、ここでレディーが手を挙げてるぞ。

    「あ、そう言えば殺したって言い方は良くないな。
     自殺幇助だ。」
    「……まぁ、簡単な話よ。
     あの人が死ぬまで待てなかった。」
    「何をま……あ、マスター遅いよ。
     ハイ注文して。
     俺もコレ、新しいグラス頂戴。」
    「アタシもこれおかわりで。
     ……豊かさが人間をおかしくするのよ。
     あの人、頭がおかしくなる位に成功したせいで、
     色んな女に手を出しまくってたわ。
     子供も一人や二人じゃない。
     まだ私が前の身体の時、入院してた時なんだけどね、
     いよいよ駄目になる間際に言ってやったのよ、
     アンタのしている浮気、全部知っているって。
     そしたら感傷的だったからか泣いて謝って来てね、
     もう全部縁を切る、お前だけだ、だから死ぬなって。
     私、実は乗り換える気が最初は無かったの。
     あの馬鹿の浮気が本当に辛かったし、
     もう私なんてその程度の女なんだ、もうここまでにしようと。
     でも泣いてすがる旦那が乗り換えしようって提案して、
     私も病気で気が弱かったのね……折れて。
     それで手続き、紐付け、奇跡的に全部間に合って、
     無事にこの身体に乗り換えたの。
     でもね……アイツはまた浮気したわ。
     なんで男って浮気するの?一回私にばれてるのよ?
     面と向かって言ってやった事もあるのによ。
     なに?自分の嫁は何度でも許してくれるとでも盲信してんの?
     一回許してくれたから、二回目も許してくれると思うの?」
    「僕、結婚した事ないからなぁ」
    「――こんな男、存在するだけで世の女の害になる。
     何より私が許さない、本当に許さない。
     妻という私の肩書が、より一層怒りを増した。
     こんな男、世の中から消えれば良い。
     死ぬまで待てない、私の手で――。
     そこからね、別れさせ屋みたいな事やってる須藤に手を回して、
     色々準備して、早くに乗り換えするよう旦那を説得して……。」
    「どうして、オーストラリアに?」
    「……笑わないでくれる?」
    「ああ、約束する」
    「誰かと寝るとね、夢の中にアイツが出て来るの」
    「旦那?」
    「そう……凄い目で私を睨みつけて、
     その夢の度に怒鳴ってやるわ、
     ざまぁ見ろ、私を馬鹿にした罰だ!って。
     それでもじっと私を睨んで来るの。
     恨み言まで言うようになった。」
    「……オーストラリアは?」
    「オーストラリアだけじゃないの。
     アメリカ、フランス、シンガポール……色んな国行ってる。
     喋ってる言葉を変えると、夢の中まで言葉が変わるんでしょ?」
    「まぁそうだね」
    「アイツに夢の中で喋らせたくなくて……。
     でも駄目、まだ喋るの。
     最近は一人で寝てても出てくる。
     もしね、アナタがここじゃなくて、
     まだあのお店にいたとしたら……いや、
     問題はそこじゃないわね。
     私がただ死ぬまで待てなかった。
     だから殺した。それだけよ。」
    「僕の方もただそれを知っただけ、それだけだよ。」
    「そう……」
    「うん」

    死ぬまで待てない。
    早く新しい体になりたい。
    若い体で良い女達をもっと抱きたい、
    野心に応える体になりたい。

    死ぬまで待てない。
    かつて愛を誓った相手だから。
    何度も私を裏切る馬鹿さに、
    その相手と一緒になった私の馬鹿さに。

    新しく来たグラスに口を付けてまり子が一気に首を傾けた。
    赤沢もそれと止めずに、自分のグラスを傾け、
    暫く二人は黙った、視線も絡めない。
    手首をクイと回し、
    氷を一回小さく鳴らしたのは気持ちの整理か、
    まり子がまた一段階暗くなった店の中で小さく呟いた。


    死ぬまで待てなかったんでしょ。

    私もそうよ。