髪結い
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

髪結い

2016-07-29 23:53
  • 2

黙っておきたい事は、言ってしまいたい事でもあった。
でも言えば私の言葉はきっと悲しみを呼ぶだろうし、
だから結局黙っておきたい気持ちに戻ってしまうのだけれども。

しかし、
やっぱり黙っておくのは嫌な事だ。

黙っている。
黙っている時間が長くなればなるほど、
言いだす事も難しくなるのは、食べ物の道理に似ている。

食べたくない物。
それに蓋をしてずっと置いておくと、当然食べ物は腐っている。
それで更に食べたく無くなる。蓋を開ける事も嫌になる。
それでまた置いておく時間が長くなっていく。

食べ物は結局腐ってしまうけど、
言葉と言うものは腐らない。
言わなければならない大切な言葉なら、
尚の事。

それは判っている。

「上野。」
「はい。」
「あなたの時間が欲しいのだけど。」

「上野」と私の名前を読んだ声に振り向いて、
私の時間が欲しいと言われた相手は奥様だった。
奥様は誰かと何かをする時、または相手に何かをさせる時、
必ず「あなたの時間が欲しい」とお言いになる。
私にはそんな断りが要らないにも拘らず、
奥様は私にもそう仰る。
私には必要が無いのに。

なぜなら、私は『輸入品』だから。

「手が空くのは何時頃かしら。」

何時頃かしら。
多分、三時を回った位になるな。

「三時には。」
「判ったわ。」
「どちらにいらっしゃいますか?」
「部屋に。私の部屋に。」
「ちなみに、ご用件は?」

髪を結って頂戴。

そして三時。
時計の針を見れば、もう三時だ。
もう他にやる事は無いか。
まだあってもいんだぞ。
いつもは無い方が良いのだが、今日に限ってはあった方がいいんだぞ。
そうすれば奥様の部屋にいかなくて済む。
「仕事が終わらないもんで」と言い訳が出来る。
でも、こう言う時に限って仕事の奴ら、
こそこそと身を隠して目の前から綺麗さっぱりいなくなる。
本当に仕事ってのは嫌いだ、いつも私の思い道理になってくれない。

「上野、来ました。」

部屋は部屋でも、奥様の部屋の前。
奥様の部屋の前ではノックをしない決まりになっている。
自分が来た事を知らせる要素は、足音と名乗る声。
そして名乗ると返ってくる奥様の声。
「入ってらっしゃい。」

部屋の中の奥様の髪はもう用意万端だった。
朝に声をかけられた時は結ばれていたのに、
今は綺麗に下ろして滝の水の様になっている。
奥様の髪はとても長いから、
二歩分離れていても強い風が吹いたら、髪がなびいて来て顔に突きささる。
それを、
私はこれから結うのだ。
結いたくない。

「上野。」
「はい。」
「じゃあ、結って。」
「はい。」

私は、『輸入品』だから。
奥様の言う事には従わなければならないから、
髪を結って、
そしてきっと、私の黙っていたい事を知られる結末を迎える。
そうに違いない。

奥様の髪に指を通し、
二股に分けて交わらせて行き、
全ていつもの事だ、全てがいつもの事だ。
髪を結っている最中に奥様は必ず質問を仰る。
それも、いつもの事だ。

「この前朝起きたら、靴下を片方履いて無かったの。」
奥様との話は他愛も無い話題から始まる。
「脱いでしまったんですか?」
「寝ている間に、どうやらね。
 今年に入って初めての事だわ。
 それでベッドの中を探しても見つからないの。
 でも探している最中に左足がどうも温かいなと思って、
 さすってみるとそこに合わせて二足履いてたわ。」
「ええー、そんな事って。」
「ねぇ?ふふ。寝ている間に何をしてるかなんて、全く覚えて無いのよ。
 そんな事、上野もある?」

まず一つ目の質問。

「いやー、私はよくかけ布団が90度回転してますねー。」
「横に?」
「ええ、横に。
 なーんか足が寒いなーと思って下の方に布団をずらしたら、
 今度は上が届かないんですよ。それで今度は上に寄せたら足が出る。
 どうなってるんだ?と思って見てみると、布団が横に回っていまして。」
「あらまぁ。」
「ははは。」

「そう言えば、あれどうしようかしら。」
「あれですか?」
「そう、あれ。」
「すいません、どのあれでしょう…。
 キッチンの砂糖の種類を変える予定、
 来週の電気代の清算、
 週末のドラマの特集を見るか、それとも時代劇特番を見るか悩んで」
「そう、それよそれ。
 ねぇ、どっちを見たら良いと思う?」

二つ目の質問。

「見れない片方もちゃんとビデオに撮るんですから…。」
「えー、だから言ってるじゃないのぉ。
 生で見るのとビデオで見るのは違うんだってぇ。」
「私には一緒に見えますよ。」
「全然違うわよ。」
「えー。」
「ええー?」

「今、どこまで結った?」
「大体半分です。」
「そう。」
「ええ。」
「ねぇ上野。」
「はい?」
「私に何か、黙っている事、ある?」

三つ目の質問。

三つ目の質問だった。
私の指は相変わらず奥様の髪の毛を結んでいて、
奥様はいつもの通り、開けた窓の外を見ていた。
随分と窓の外も緑で一杯になった。
私がここで暮らし始めた頃は、まだそんなに緑は無かった。

奥様の質問に黙ったままでいるのは失礼な事だ。
でも黙っていたくて。

奥様の質問は、ずるかった。

「上野、」
「はい。」
「手を離して。」
「はい。」

私が途中までしか結んでない髪を離すと、
奥様が結いかけの髪の束を手で手繰り寄せた。
解け無い様に髪の先を手で押さえると、
奥様は「有り難う」と言って下さった。

「……上野。」
「はい。」
「言ってご覧。
 きっと聞いても私が怒る様な事じゃないでしょう。そうよね?」

奥様が、髪を他人に結わせる時。
それは相手に「聞く」時だ。

奥様は髪の結び目を触る事で、
結び手の心を知る事が出来る。
というか、奥様曰く、心の微妙な機微が、髪の結い方には大きく表れるんだとか。
だから、奥様に「髪を結って」と言われた時、
私は気が余りのらなかったんだ。
こうなるって判っていたから。

「……黙っていたい事なの?」
「はい……。

 でも、言わなきゃいけない事でもあるんです。」
「難しいのね。」
「ええ、本当に。」
「質問されてからの結び方が乱れているわ。
 いつもより酷い。」
「すいません、結び直しを」
「大丈夫、大丈夫よ。
 
 上野。」
「はい。」
「黙っていたい事なのに、言わなきゃいけない事なのね?」
「はい。」
「まだ、
 黙っている時間には耐えられるかしら。」
「え?」
「耐えられるなら、黙っていなさい。
 耐えられなくなったら、その時に言えばいいわ。
 大丈夫、その時になったら私もちゃんと聞くわ。」

耐える、耐えないの話だったのだろうか。
言える、言えないの話だとばかり思っていた。
黙っていたい、でも言わなきゃいけない。

黙っているばかりだと、ずっとこの二つを抱えてばかりの日々になる。
「黙っていたい」、「言わなければいけない」。

そうだよ、言ってしまえば、
もうこの二つを抱える事なんてないのにさ。
でも、黙っていたい事にも理由があるんだ。
言わなければならない事にも理由があるんだ。

「奥様。」
「うん。」
「黙っていたいのは、きっと奥様を悲しませるからです。」
「うん。」
「でも、言わなきゃいけないんだと思います。」
「それはどうして?」
「奥様が、今まで私によくして下さったから……。」
「…だから、黙っていたい?」
「……そうですね……。」
「上野。」
「はい。」
「ごめんね、大体何を黙っていたいのか、判ってしまったわ。」
「…すいません。」
「どうする?」
「え?」
「言う?」

抱えてばかりの毎日も、
心が凝るばかりで疲れるだけだった。
重い物を両手で担ぎ続ければ肩が凝る。
それと同じだ、全く同じだった。
いつまでも黙り続けていれば心が凝る。
いっその事、これらが放り出せれば。
『奥様に黙っている』なんて事から、
もう逃れる事が出来るなら!

黙っている事なんて、ストレスが溜まるばかりで良い事なんて一つも無い!
それが例えどんな事であっても、言ってしまえる事がどんなに心を軽くするだろうか。
黙っていられる人達を本当に尊敬する。
私はもう、
黙っている事に疲れたし、
奥様も、「言って良いよ」と手を差し伸べてくれてるようで。

奥様、すいません。

私。

「失礼します。」

結いかけの髪を奥様の手に任せたまま、
私は奥様が座っている前に立って背中を向けた。
上着のボタンを全部外して、
へそから上に着けている服を全部脱いで、
私は自分の背中を奥様に見せた。

「恐らく、あと半年です。」

私の背中には、黒い染み。

『輸入品』の特徴。
背中から始まり、全身の至る所に黒い染みが広がって行く。
身体の全てに黒が行きわたった時、
それは死ぬ時だ。
私は、『輸入品』だから。

「半年?」
「恐らくそれ位です。」
「あと、半年だけ?」
「はい。」
「もうそれだけなの?」
「はい。」
「実はもっと長かったりしないの?」
「すいません。」
「上野。」
「はい。」
「私は、あと何回上野に髪を結って貰えるかしら。」

『輸入品』、だなんて。
奥様はそんな名で私を呼んだ事が一度も無かった。
いつも上野、上野と『私の』名前で呼んで下さった。

『輸入品』だなんて。
自分達と同じ姿形をしていて、
でも厳密に調べると自分達とは全く違う生き物である、と。
だから好き勝手に奴隷にして使ってしまおう、
どうせこいつらは外の世界から狩ってきた『輸入品』なんだから、
『人間』とは違うのだから、と。

でも、奥様は『輸入品』だからと言って、
私に酷い事をしなかった。
まるで私が『人間』のように、まるで自分が『輸入品』の様に。

すいません、奥様。
せめて、私も『人間』の様に死ねたら、
きっともっと長く御傍に居れるのに。

「奥様が、結って欲しいと言われる限り、何度でも。」
「そう。」
「……奥様。
 私が死んだら、どなたに髪を結って貰いますか?」

私の口が何に従ったのか知らないがそう言ってしまって、
その後、慌てて「すいません」と重ねた言葉で覆い隠した。
振り返ろうともしたのだが、
奥様が私の背中に寄り添いなさって、
身体を回そうにも回せなかった。
ただ、私には声が聞こえた。それだけ。

上野が死んだら、髪を切るわ。

それだけ。
聞こえただけ。

言わなければいけない事だった。奥様に愛されたから。
だから黙っていたかった。
きっとこうして奥様の声を震わせてしまう。
その事が判っていたから。

だから、黙っていたかった。
でも、黙っていても痛かった。

「上野が死んだら、
 髪を切るわ。」
「       はい。」
「結べない位に、短く切るわ。」
「          はい。」





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


→twitterでリツイートして頂ける場合はこちらから←

広告
×
知音……いやあれは違うかな、でも良いお話です
上野さん、女性なのかなー、男の人を想像してから
女性だったら哀しくてきれいでいいなと考えて
でもやっぱり男性かなあ

30ヶ月前
×
>>1
ヤワラ様

なるほど、これは私の表現力不足です、失礼致しました。
上野さんは女性です!
30ヶ月前
コメントを書く
コメントをするには、
ログインして下さい。