今はもうこの世に存在しないが、
戦国大名も裸足で逃げ出す恐ろしい刀が存在した。
妖刀作りの刀匠、天津時久が作った刀。
それが鬼殺五工と呼ばれる五振りの妖刀。
鬼をも殺す恐ろしい得物。
そのうちの一本が虚身(ウツロミ)。
刀身を鞘から放てば柄を握る者が虚ろになり、
鼻先を行き交う者すら気付けない。
「ごめん下さいよ」
ある日、
一人の猫背な男が時久のもとを訪ねて来た。
しかし夜も更けて随分と。
いよいよ寝に入ろうかと思っていた時久は、
「もう本日は御用立てできかねる」
と言って扉を開けなかった。
ところがこの客がなかなか図太い輩で、
裏庭から忍び入って時久の寝床の障子をガラリと開けた。
「どうか一つ、お願いが御座います」
「願いを乞う者の態度ではないと思うが。」
「いや、どうか、その点は御容赦を。」
「その上こちらも願いを聞く姿ではないと思わぬか。
見ろ、寝間着だぞ。」
「その点も、どうか平にご容赦を。」
さりとて今更着替える気分も無い。
そのまま布団の上に胡坐をかいて、
「そこの障子、閉めなされ」
と真夜中の客を招き入れた。
「どうやら相当お急ぎのようだが」
真夜中に図太く押しかけてくる様を嗜めるように、
お茶の一つも出る筈が無い闇の中で時久が尋ねた。
「天津時久殿とお見受け致す」
「いかにも、天津時久よ。」
「どうか一つ、拵えて頂きたい刀がありまして」
「小太刀かな、それとも太刀か」
「大きさは問いませぬ、
どうか、体が見えなくなる一振りを拵えて頂きたい。」
「身体が見えなくなる?」
真夜中の客が夜の中で渋い顔を歪めたのが時久も判った。
「実は、あっしは盗人で、
ついこの前にとある場所で盗みを働いた所、
とは言ってもそこは荒れ果てた屋敷なのですが、
そこにはざっくりと金が転がっていたので御座います。」
「ほお」
「しかし、それは最近巷で噂の『猿』の隠し金だったんでさ」
「猿?」
「御存知ないので?
鹿猿(しかざる)というまだ若い頭領が率いる盗人集団でさ。
丁度あっしがね、その金を探し当てて失敬しようとした時、
運の悪い事にやつらがそこに帰ってきちまったんだ。」
「奴らとしては運の良い事だな」
「旦那、皮肉がお上手で。
そこで気を緩めていたもんで俺の顔も見られちまって。
今頃奴ら、俺の事を血眼になって探しているにちがいねぇ。」
「どこかへ逃げれば良いではないか。」
「いや、それが結構な金を持ち逃げ出来てね。
それできっと奴ら怒りがカンカンで御座いますよ。
地獄の果てまで追ってくる予感がするんだ。
どうか、知る人ぞ知る妖刀作りの匠、天津時久殿。
一つあっしの助けになってくれねぇか、
金ならあるんだ、たんまりと。」
夜に来る客はろくでもない奴が多い。
だが来たからには刀を打って進ぜよう。
時久は客からたんまりと血を抜いてやり、
夜も夜だというのに窯に火を入れた。
「丁度明日の今頃取りに来い。」
「ああ、ありがてぇ、ありがてえ」
夜が明け昼になり、
再び夜が来る頃には刀は打ちあがった。
脇差が一本、鞘に納め、
また抜いてみると時久の握る手がふわりふわふわ消えてゆく。
これでよしと思った時久はさすがに疲れて、
そのまま敷きっぱなしの寝床に転がると、
すとんと寝てしまっていた。
果たして朝。
時久が目を覚ますと、鍛えた脇差の影が無い。
どこを探しても、刀が無い。
番で出て来た弟子にどこかで見たかと言っても、
そんなものは影も見ないという答え。
「あの盗人め。
盗人らしく持っていきよったわ。」
それから四日後の事。
随分と表が慌ただしい。
弟子になんの事だと聞いてみると、
何でも番所に置手紙があったらしく、
書かれた荒れ寺に行ってみれば、
「なんでも名うての盗賊達が、全員死んでいたとかで。」
「……猿か?」
「御師匠、御存知で?」
「少しな。」
荒れ寺で死んでいた『猿』の面々は何れも殺されていた。
死因は刃物による殺され傷。
しかし不思議に、その殆どが真っ直ぐズブリと刺されたような刀傷で、
真横に切り抜いたような刀傷は一つも無かったという。
とにもかくにも噂が立つほどの盗賊が死に絶えたとあって、
巷は不気味さを感じながらも幾分安堵した様子であった。
だががそれから三日ぐらいしてか、
今度はまた別の奇妙な噂が立つようになった。
なんでも道を歩いていると、
かちん、かちんと金を鳴らす様な音がする。
その音が道の真ん中を動いて通り過ぎていくのだが、
音だけ聞こえて姿かたちが見えやしない。
「その様から巷では『かちんかちん』が出歩く、
と気味悪がっているそうで。」
「『かちんかちん』か。
はは、随分と可愛い。」
「なんでもそのかちんかちん、足音もするそうで。」
「ほう。」
「それと最近、飯屋で変な喧嘩も起きるそうで。」
「いいではないか、
面白い世の中は暇ではない。」
それから少しした晩の事。
時久が寝床で横になっていると音が聞こえて来た。
かちん、かちんと段々と近づいてくる。
時久にはそれが鯉口を鳴らしている音だと知れた。
「いつぞやの盗人だな。」
障子をピシャンと開け放つと、
月に照らされた足跡が二つ庭の真ん中で砂を押し広げ、
今や遅しと時久を待っているようであった。
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