里恋(前編)
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里恋(前編)

2017-06-17 13:08

    今はもうこの世に存在しないが、
    戦国大名も裸足で逃げ出す恐ろしい刀が存在した。
    妖刀作りの刀匠、天津時久が作った刀。
    それが鬼殺五工と呼ばれる五振りの妖刀。
    鬼をも殺す恐ろしい得物。

    そのうちの一本が里恋(サトコイ)。
    刀を抜いた者の思いを幻にして見せ、
    その思いが強い程に人を惑わせる。

    「あの、御免下さい。」

    という声は気弱なものでずるずるとしている。
    そうやって開ける流し戸もまたずるずるなもので、
    遠慮がちに入ってくる様子もまたずるずるなのである。

    気分が乗らないからと、
    本日は窯に火も入れずに油を売っていた時久が、
    厠に行く途中にずるずるとやって来た客に出くわした。

    「お客かな」
    「はぁ、そうであります、客です。」
    「すまないが厠に行く途中でな。」
    「あ、いやどうぞどうぞ」
    「しかも今日は気分も乗らず、一切仕事をしたくない。」
    「なんと……。」
    「まぁ、もてなすくらいは気力がある。
     無愛想で悪いが中でゆるりとしてくれ。」

    そのまま時久がすたすたと厠へ行ってしまうもので、
    ずるずると客も草履を脱いで中へと上がった。

    「それで。」
    「はぁ、あの」

    時久は余程気力が無いのか、
    それとも湯呑を昨日の晩に全て割り散らかしたか。
    客に出すのは薄い座布団だけ。
    愛想笑いは、もとから備えていない面構え。

    「こちらで妖刀の類を作られるとか…。」
    「いかにも」
    「そうですか。いや、あの…」
    「お主は歯切れが悪いのう」
    「えっ」
    「何だ申してみよ。
     安心せい、妖刀の代わりに命を取ったりなぞせんわ。
     それに大体妖刀の話をしに来る奴らは、
     どいつもこいつも変な話ばかり持ち込む。
     ほら、申せ。」
    「では、女々しい話ではありますが、
     死んだ女房に会いたいので御座います。」

    それを聞いて時久、三度瞬きをする。

    「お主、来る場所を間違えておらぬか?」
    「いえ、間違えてはおりません。」
    「寺にでも行くのが妥当では」
    「寺になど行っては、下手をすればどやされます。」
    「そうか……。」

    その一言を呟いたきり、
    時久が両腕を組んで黙ってしまった。
    居心地が悪く思われたのか、先に男が口を開いた。

    「妻のお里(おさと)とは胸の病気を貰っちまって、
     この前の春に仏になってしまいました。
     これがよく笑う女で、いつもニコニコして笑うもので、
     一緒に暮らすこっちも思わず笑っちまうもんでした。
     お里が死んだ春が終わって夏になり、夏が過ぎてもう秋です。
     そろそろ別の女を嫁にどうかと声をかけられても気が乗らず、
     試しに他の女を抱いてみろと言われても気が乗らず。」
    「勃たんか?」
    「ええ、全く。」
    「気の毒に。良い妻だったのだな。
     一目一緒にいる様を見てみたかった。」
    「……どうか女々しい奴だと笑ってやって下さい。
     もう一目、もう一目、お里に会いたい、
     それだけが今、私の生きている理由で御座います。
     妻を亡くした哀れな男の願いで聞き苦しいでしょうが、
     まさに、どうか後生にて。」

    窯に、火を。
    客から血を。
    てぬぐいを頭に巻いて、
    時久が仕事支度をゆらゆらと始めた。

    うらやましいものよ、好いた相手がいると言うのは。

    気の毒な事よ、その相手を亡くすと言うのは。

    朝には全くやる気の無かったその腕が、
    熱い鋼を叩きだす。

    「御免下され。」

    三日待て。
    三日後、また来い。
    そう言われた通りに男が時久のもとへ戻って来た。
    湯呑は戸棚の中にあったのか、今度は茶が出される。

    「こちらに。」

    と時久に差し出された刀は随分と立派な太刀だった。

    「これは、なんとも。」
    「つい力が入ってしまって、こんなになってしもうた。
     刀としても十分役目を果たすが、まぁ、抜いてみよ。」

    そう言われ、男は初めて来た時の様に少し尻込みした。

    「ここで、で御座いますか?」
    「そうだ。ちびいと鞘から抜くだけで良い。
     嫁御に会いたいと思いながら、抜いてみよ。」

    言われるがままそろりそろそろと刀を抜くと、
    ふと障子が開け放たれている庭の方を向いた男の目が広がった。
    何かに驚いたのか、刀をパチンと音を立てて鞘に戻すと、
    その開いたままの目で男が時久を見た。

    見えたか、と時久が尋ねると、
    唾を一つ飲み込み、男が首を縦に振る、こくこくと。

    「今、そこの障子の影から、お里が、俺を呼んだ。」

    そうかそうかと時久が満足げに笑ったが、
    一つ間を置き、打って変わって重々しげに語り出した。

    「今から話す事、ゆめゆめ忘れぬように。」
    「は、はい。」
    「いいか、その刀、死んだお前の嫁御を黄泉還らせた訳ではない。
     よくよく思えば、嫁御を黄泉還らせても、むごい事。」
    「お気遣いかたじけない。」
    「そこで、拵えたその刀はな、
     お前の心に残る、お前の嫁御を見せるのだ。
     いつでも嫁を思って刀を抜けば、嫁がお前に現れる。」
    「なんと!有難いことで」
    「ここからが肝心だ、よく聞けよ。
     その刀、手にして抜けばそれだけ、お前の力を吸うぞ。」
    「と、申しますと。」
    「長く抜けばその分お前の力を吸って、
     吸われ過ぎれば命を落とす。
     かといって握った手を放してしまえば嫁は見えなくなる。
     よいか、身体がもう辛いと感じれば、
     暫く刀は抜いてはならぬぞ。」

    命の危うさか、
    それとも再び嫁に会える喜びか。
    男の中の天秤がどちらに傾くか恐ろしいものであったが、

    「さっきそこの障子から、お里が俺に笑っていた」

    と喜ぶ男から、最早刀は取り上げられまいよ。

    それから一月半ほどであろうか。
    少しずつ風が冷たくなりかけて来た折、
    再び男がやって来た。
    しかも、何故か手には渡した刀が携えてある。

    「一体どうした」

    はっと気づいて男の顔を見てみると、
    別段痩せこけている様子でもない。
    むしろここにやって来た時よりも肌艶は良くなっている様子。

    「時久様、本日は、刀を返しに参りました。」
    「なんだ、一体どうしたと言うのだ。」
    「はい、実は。」

    寒い戸口で立ち話もいかなるものか、
    まぁ中へ中へと男が敷居を跨ぐのは三度目である。

    「実はこの刀を拵えて頂いてから、
     毎日一日も欠かさずに刀を抜いていたのであります。」
    「毎日か?」
    「毎日で御座います。」
    「それにしてはお主、顔色が随分と良いようだが。」
    「はぁ、それがですね」

    お里に会いたくて刀を抜いて、
    そりゃあもう涙が出てしまうものです。
    一度は冷たくなってしまったお里が、
    幻であれ私の前に現れるのですから。

    しかし刀を頂いて最初の日、
    涙を流してお里を眺めていると、
    ニコニコと笑ってこちらに来てこう言うのです。

    『あんたぁ、こんな危ないもの、
     しまわなきゃいけませんよ。』

    そうして私の手を握ろうとするのですが、
    幻なので当然触る事は出来ません。
    すると、あれれ、とお里が困った顔をするのです。
    おかしい、あんたの手に触れない、と。
    そこで私がもう一度やって御覧というと、
    またニコニコして私の手を握りに来るので、
    それに合わせて手を動かしてやると、

    『あはぁ、今度は触れたよ』

    と、まぁお日様みたいに笑いやがって。
    それで、お里の手がゆっくり、
    私の手を押して、刀を鞘に納めさせるのです。

    当然、幻のお里は消えます。

    けれども、何度抜いても、
    ほどほど眺めていると、
    ほら、またそんな危ない事をして、と、
    ニコニコ笑いながら、私の手に小さな手を添えてきて、
    私はそれに合わせて刀を閉じるのです。

    その次の日も、その次の日も、
    私が刀を開いてお里が出ると、
    ほんのそこそこの時間でお里が私を笑顔で叱るのです。

    ほら、もう今日は危ない事はやめましょうね。

    もう、怪我でもしたらどうするの。

    お里が、笑いながら。
    少し寂しい気もありましたが、
    幻とは言えお里の言う事ですので。
    それにお里が添えてくる手を無視して動かさずにいると、

    『あれれ、触れないよぅ』

    と、これも本当にえも言えぬ程困った顔をするのです。
    そんな顔を見るのが飯を抜くよりも辛くて、
    結局は閉じてしまうのです。

    「……おかげでこの刀に酷く力を吸われる事も無く、
     ほどほどの程度で済んでおります。
     お里が見えるようになってからは食も進み、
     ご覧の通りに身体の調子もよくなりました。」
    「……解せんな。」
    「は?」
    「それならば、手元に刀を置いておけば良いではないか。」
    「いえ……つい昨日の事でありますが。」

    いつものように刀を抜いていると、
    お里がまたそんな危ない事をして、と近寄って来たのですが、
    私の手に手を置かずにじっと見て、ただ一言、

    『ごめん、許してね』

    と、
    幻の筈なのに、
    私の手に当たったのです、お里の手が。
    温かった、お里の手は小さいが、暖かさだけは並ではないのです。
    あの久しく触れなかった手ではありますが忘れることが無かった、
    あのお里の手が、
    この私の手を押して、
    そしてこの刀を閉じました。

    「……それが昨日の事で、
     それから一度も、刀を開いてはおりません。
     これ以上お里に許してね、とは……。
     口下手で申し訳ありません、学が無いもので。
     しかしどうか心中お察し下され。
     勝手であるとは重々承知の上、
     どうかこの刀、お返しする事をお許し下され……。」

    なんと、

    いい女だったのだろうか。

    ただの男の記憶が作った幻だったのか、
    それとも刀があの世とこの世をぶち抜いて二人の魂を遭わせたのか。
    それは時久の預かり知る所では無かったが、
    この返された刀を如何すればいいのかは判っていた。

    「はいそうですかと返される訳にはゆかぬ。」
    「えっ。
     いや、しかし」
    「返される事は承諾しかねる。
     しかし、こうしよう。
     この刀の鍔と鞘を開かぬようにきっちりと封をする。
     それで、後生大事に、お主の傍に置いてやってくれ。
     もう何度もお前の嫁御を見せた刀よ、
     夫婦の中を裂こうとすれば馬にでも蹴られてしまうもの。
     それに一度他人の色恋で色気づいた刀を再び持てと?」
    「いやぁ……、でも」
    「抜かねば、嫁御もお前を叱らぬだろうよ。
     この鞘の中に嫁御がすやすやと眠っている。
     お前ならばそう考えただけで愛しかろう。
     傍に置いてやってくれ。」
    「……畏まりました。」

    それから時久は封をし、
    お里をまた、男に返した。

    秋の半ばの事だった。



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    続きは今夜。


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