数字崩し 前編
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数字崩し 前編

2019-06-25 19:36

    (このオハナシをさかきれん様の為に)

    始まりは唐揚げ。

    気付いたのはカタン。

    悪をしでかした相手は戸田君。

    営業の仕事で嫌になった。

    ところ変われば品変わる。
    唐揚げあげれば父が喰う。
    核家族、西嶋家では唐揚げが食卓によく並ぶ。

    好物と言うのは食卓に並びがちである。
    嫌いな物を優先的に並ばせるのは離婚が確約している家庭だ。
    即ち、父の好物がよく並ぶ西嶋家の家庭は円満であると言えよう。

    しかしおかげで娘である『ちほ』、私の事だ。
    それが幼くして唐揚げの味を覚えてしまった。
    母の作る唐揚げがうまいのなんの、
    ほっぺを縫い付けておかないと幾つあっても足りやしない。

    頬落としの唐揚げ。
    父がそう揶揄する程の味の凄さ。
    それを食べた父の口が必ず二回は

    「美味い!」

    と言葉に出しているのが仇になった。

    他の人間が上手い!と言うのを何度も聞くと、
    自然と口調が移ってくる。
    知らず知らずに母の唐揚げは私の口からも

    「うまい!」

    と言わせるようになり、
    言葉に出す事で脳が味覚に拍車をかける。
    年齢が五つを数える頃にはほぼ中毒のようになり、
    いや、母は大変なものだったと思う。

    「ねぇ今日は唐揚げが良い、唐揚げがいい~!」

    これを二人の人間からせがまれるのだ。
    何度も作る唐揚げに呆れもしただろうに。
    それでも母の唐揚げは増々美味くなっていく。

    そこで我が家の食卓システムが全ての始まりを促した。

    我が家の食卓には当然皿が並ぶ訳だが、
    例えば唐揚げが献立の時、
    一つの皿に山積みされた唐揚げが出る、という事は無いのだ。

    母、父、娘の分に盛り分けられた皿が三つ出てくる。
    母がそれぞれの分量を考慮し、

    「はい、これはお父さんのお皿ね」

    と配膳を手伝う私に指示を出すのだ。
    これが全ての始まりとなる。

    父の皿には唐揚げ七個、私の皿には唐揚げ四個。
    それが母が考慮した分量だったが、
    娘は自分の席に唐揚げ七個の皿を置いた。
    そして父の席には四個の皿がおかれる。
    父は苦笑いを隠せない。

    「ちほにはそんなに食べきれないよ」

    狡猾な手口であった。
    自分の個数が少ない事ではなく、
    それぞれの胃袋の大きさを引き合いに交渉してくる。
    大人の手口であるのは間違いない。
    それに引き換え子供の意見は率直だ。

    「お父さんのお皿に七個もあるもん!ずるい!」

    そうだ、ずるい。私ももっと食べたい。
    すると父も素直になって、

    「お父さんだって七個食べたい」

    と交渉の舞台を個数に切り替えてきた。
    イヤイヤ、私が七個食べるの。子供は不満げな声で引き下がらない。

    「じゃあちほ、そこから二個頂戴。
     そしたら六個と五個になるから。」
    「イヤ!」
    「ね、頼むから。な、な」
    「イヤ!」

    食卓で唐揚げを巡る商談。
    二個では不利と見た父はレートを唐揚げ一個に下げてくる。

    「じゃあ一個。なぁ一個頂戴。ちほには多いってそれ」

    個数と胃袋の大きさの合わせ技。
    それでも娘は取引には応じないの一点張りを崩さない。
    それを横目で笑いながら見ている母を観客に、
    ついに父が交渉から身を引いた。
    判った、今日はお父さん四個で我慢しよう。
    そして娘の腹はパンパンになるのだった。

    だが唐揚げ交渉はこの一回だけではない、
    この後二回、三回と行われ、
    毎回父は交渉に折れてきた。

    不思議に思ったのは母である。
    あれ?確かにちほを目に入れても痛くない人だけど、
    唐揚げへの執着も随分なものの筈。
    結婚前にどれだけアタシが作らされたか忘れてないわ。
    アナタ、一体どうしたの。妻が旦那に問いただした。

    すると旦那も不思議そうな顔をしている。おかしな話だ。
    ちほの顔を見ていると不思議と「しょうがない」と思ってしまう。
    唐揚げ一杯食べたいのは嘘じゃない、
    だけどちほの言う通りにしてしまう。

    「なぁ、今度から俺の皿七個、
     ちほのは六個にしてくれよ。
     そうしたら皿を取られても六個食えるから。」

    まぁ、この人ったら。
    妻はそれを聞いてあきれるのであった。

    唐揚げの次はカタンだ。
    カタンを皆さま御存知だろうか。
    ルールがなかなか難しいボードゲームで、
    少なくとも幼少期の子供に勧めるような代物ではない。

    実際に西嶋家の娘、ちほがその単語を聞いたのも十一歳の時だった。

    西嶋家には毎年沢田家という家族が夏に遊びに来る。
    父と母の大学時代の友人で、四人は同級生だった。

    ちほが十一歳の夏、
    沢田の旦那、『たろーちゃん』が思い出したように言う。
    そうだ、カタンやろうぜ。

    「ちほちゃんも十歳超えたんだからもう判るだろ」

    押入れから引っ張り出されたカタンの箱は埃塗れもいいところ、
    父達は懐かしさに声を上げながら箱の中のカードを手にし、
    娘には判らない会話を長く続けた。
    娘は娘で六角形の板や、
    家の形をしたプラスチックを珍しそうに手に取っている。

    十一歳の子供が家の中の物を全て把握できてる訳も無い。
    こんな物があったのか、知らなかったという顔を見たたろーちゃんが、
    「容赦しないからな!」と笑いながら娘に言った。

    カタンには様々なルールがあるが、
    ゲームを面白くする要素の一つが『資材』である。
    鉄鉱石、土、木材、羊の四種類のこれらを交渉でやりとりするのだ。
    具体的には、

    「木材一個と土一個交換しない?」
    「木材を二個ならいい、
     土無くて困ってるんでしょ?」
    「いや一個、木材一個と土一個!」

    と己が欲を駄々洩れにさせる、
    このカタンというゲームでかつて父達は大人の楽しみをしていた。

    そこに十一歳と言う若さで加わったちほ。
    既に大学を卒業して社会の荒波にもまれ尽した大人達。
    余程一方的な展開になると大人は皆予想したが、
    ちほと一度交渉を初めて見ると不思議な事が起こる。
    なぜかちほ側の交渉に誰もがなびく、交渉が通せない。

    二度目までの交渉を眺めていた他の大人達は、

    「子供相手だから負けてやってるんだな」

    と思っていたが、
    いざ自分も交渉してみると何故か不思議に条件を譲ってしまう。
    『土』一個に対し『鉄鉱石』二個を要求されても、折れてしまう。
    大人達は心の中に何かおかしさを感じながらもゲームを進めてしまう。

    しかし一番違和感を感じていた大人達ではない。
    交渉を毎回有利に勧めていたちほの脳はその年一番に働いていた。

    十一歳にもなるとゲームの妙というのが子供にもわかる。
    勝つか負けるか判らないからこその面白さがゲームにはある。
    負け続けでは嫌になるし勝ち続けても飽きがくる。
    それを楽しむ為にちほだって子供ながらに気を遣い、
    駄々の一つもこねてない。極めて真っ当にゲームを楽しむ姿勢だ。
    なのに大人は皆、自分との交渉に折れてくる。

    思い切ってちほは大胆な交渉に出る。
    木材一つで、羊二枚を交換する条件を、父に出す。
    ゲームの序盤でこの交渉は派手だ、そんなレートを承諾する訳がない。

    当然父はちほにレートの引き下げを要求する。
    木材一つで、羊一枚ならいい。
    しかしちほもレートを割らせない。
    数回の問答の末に父が「まぁいいよ」と手持ちのカードを漁った。

    七度目の交渉だった。
    七度目の交渉にて父から二枚の羊カードを手渡された時に、
    脳の裏側に電気が走った様な感覚を覚え、
    いよいよちほは悟るに至る。

    そうか、
    自分には『こういう才能』があるのではないか。
    他人と何かを交渉する際、自分に有利に転がせるコツと言うか、
    何かを宿しているに違いない。

    その日、ちほの交渉を負かす大人は一人といなかった。

    大人だけではない、
    後日学校に於いても旧友達と様々な交渉を図った。
    給食のプリン、シャーペンの芯、雑巾がけのタイルの枚数。

    全てでは無かったがその殆どに交渉勝ちし、
    いよいよちほは自分の星の巡りに確信を持った。
    交渉という場は自分にとって得意な戦場であると。

    ちほは気持ちが良かった。
    自分の提案を相手が飲んで、
    自分の思った通りに事が運ぶ。
    もしかすればあと五つは年を重ねて覚える快感、
    それをちほは齢十余りで味をしめた。

    色んな所で交渉をもちかけるちほは教員にまで名前が知れる。
    人呼んで『地上げ屋』のちほ。
    古い地上げ屋は強引な手口により高確率で交渉を取り付ける噂があったが、
    ちほのそれもまるで古い地上げの様な確率の為にこの呼び名が付いた。

    男も女も差別なし、
    学校の上から下までを交渉で泣かせたちほも中学に上がる。

    ちほは気分が良かった。
    何より自分が掲示した条件に、

    「判った、それでいいよ」

    と相手が言う瞬間がたまらない。
    相手が自分の思うようになる事はさらなり、
    観念したように言ってくる言葉がたまらなかった。

    「西嶋、ちょっといいか」

    中学生は忙しい。
    部活に遊びに、塾まで行けば目が回る。
    色んな人から声がかかり、
    おや、と思えば同じクラスの戸田君じゃないの。

    「好きだ、お前が」

    知らない人に付いて行ってはいけません。
    なら知ってる人には良いでしょう。
    クラスの友達に誘われて階段の下、暗い隅っちょ、
    初めて恋の告白をぶつけられ、
    ちほは今日買いに行こうと思っていた漫画のタイトルを忘れた。

    「良かったらさ、付き合わない?おれたち」

    一週間。
    一週間待って。

    「考えさせて」

    戸田君の返事は「判った、一週間後ね」だった。

    しかし何を考える。
    中学生には年収も無いし職業も無い。
    家の住所は連絡網で一目瞭然。
    宗教も気にならないし荒く使う程の金も無い。

    だとすれば後は顔、成績、身長なのだが、
    一番身を悶えさせるのは

    『自分が誰かと付き合うのか、しかも初めて』

    と言う事。

    「西嶋、どうかな」

    悶えているうちに過ぎてしまった一週間。
    心の準備は出来たようで出来てない。
    どうかな、の言葉に「付き合ってよ」の意思が見え隠れ。

    「も、もう一週間!」
    「え?」
    「も、もう一週間考えさせて!」

    恥ずかしさで満腹になり口から弱音が漏れ出たが、
    それを聞いた戸田君は一瞬苦い顔を作りながらもこう言った。

    「判った、じゃああと一週間ね」

    あれ、
    この言葉、どこかで。

    そうだ、いつもの『交渉』だ。

    廊下を反対方向へ歩いていく戸田君の背中を見送らず、
    緑色の固いビニールで舗装された床をじっとみながらちほは固まった。

    そうかこれも『交渉』になってるんだ。
    それにしても恋愛事まで利いてくるなんて思わなかった。
    だってこれまでの経験で『交渉』が100%じゃない事は判ってるし、
    確率的な何かがあるか、それともあてはまらない条件があるかと。

    でも恋愛事まで。
    だって戸田君、付き合ってって。

    判るよ、好きな人に付き合ってって、
    それ心臓が斧で割られる位にバクバク言うでしょ。

    意志の強い事に関しては『交渉』が通らないと思っていたけど、
    これは仮定していた法則を見直そう。

    帰り道をトテトテ歩き、
    頭の中はギュンギュン擦り切れる程回っている。

    過去の出来事をありったけ思い出し、
    一体どんな時には交渉が通って、また通らないのか。
    プリンの時には通ったし、カタンの時なんて全部通った。
    さっちゃんと帰り道を右か左かは通らない事が多かったけど、
    そう言えば犬を飼う事はお父さん達にも許してもらえなかったし、
    かと言って生物がどうのって訳じゃなさそう、
    だってカブトムシの山分けの時は私の交渉が通って三匹貰って、
    今回は戸田君に一週間待ってと、

    あ そうか

    数字か

    数字の交渉では 負けた事が無い

    カタンの時のやり取りだって枚数で、
    カブトムシも何匹、のやりとりだったから通った。
    唐揚げに関しては何個入ってるかで揉めたし、
    今回だって一週間、七日間。
    そうか――数字での交渉なら絶対に通せるのかも。

    『仮定』を突破する論理を見つけた時、
    人はそれを試したくなる。

    「西嶋、どう?」

    同じ場所に誘われる、階段下の暗い隅。
    一週間と一週間、締めて合計二週間。
    またされた男の顔はどことなしか赤くなっていた。

    「あのね戸田君、もう一週間、待ってくれないかな…」
    「ええ?」
    「おねがいっ!」
    「……俺、ダメ?」
    「そうじゃない、じゃないの。
     私も付き合うの初めてだから色々考えちゃって、
     あれこれ一杯考えるんだけど頭こんがらがって、
     お願い、あと一週間だけ!」
    「……もう二週間も待ったんだけど」
    「お願い!ね!一週間後には絶対に返事するから!」
    「……判った、一週間ね」

    これは間違いない!!

    数字に関する交渉だと相手がいかに不満に思っていても、
    こちらの条件を通す事が出来る!

    「ありがと、あと一週間待って!ごめんね!」

    いつもは戸田君の背中が先に遠ざかっていた。
    でも今日のちほは興奮気味、初めて自ら去る廊下の感触が跳ねるよう。
    今までの感覚が遂にはっきりとした。

    もやがかっていた部分が急に晴れたのでちほは今、冴える。
    戸田君の事はどうしようか、
    よく考えてみれば悪い人じゃないし結婚する訳でもないし、
    身長高めで顔も悪くない、中の上!
    先生が落としたプリントを拾う位には優しいし、
    ものは試し、やってみなけりゃ判らないもの何事も!
    何かあれば数字がらみの交渉に持ち込めばいいし、
    あーなるほど、これは凄い!

    意気揚々と家に帰ったちほに目が取まったのか、
    母も「今日は機嫌がいいね?」と台所越しに笑いかける。

    「うんちょっとね、ねぇおかーさん、お小遣い二倍にして!」
    「ええー?なによ急に何が欲しいの」
    「そりゃあ色々よ、色々!
     中学にもなったし、ねーおかーさん」
    「二倍はいきなりじゃない?お父さんにも聞いてみないと」
    「やーいいでしょー。ね、二倍、二倍!
     二倍の数字は幸せを呼ぶ!」
    「なによそれ」

    と苦笑いを浮かべた母は、

    「判った、お母さんはそれでもいいけど、
     お父さんもそれでいいと言ったらね?」
    「やったー!おかあさんありがとう!」

    なんてこった、こいつぁすげぇや。
    数字で交渉すればなんでも間でも思いのままか。
    凄い事に気付いちゃったぞ。

    事も無く父も口説きお小遣いは二倍になり、
    一週間後には彼氏も出来る。
    これが世に言うイージーモードというやつか。
    まさか私がそれだとは。

    ウキウキにほくほく、
    心から感情が漏れ出して、
    顔からオノマトペが聞こえてきてもおかしくない。
    そんな事を級友に言われながら迎えた一週間後。

    どうにも戸田君からのアプローチがまだこない。

    (後編へ続く)
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