数字崩し 後編①
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数字崩し 後編①

2019-07-04 12:09

    営業はあくまでメリットを伝えなければならない。
    相手の会社にどんな利益が起こるかを説明しなければならない。

    買い手はよく話を聞かなければならない。
    相手がどんなに焦って話していようとも、
    焦ってものを買わせようとしても、
    その乱暴な調子に合わせて踊っては馬鹿を見る。

    営業側がどんなに熱くまくしたてても、
    買い手は氷の様に冷静さを保たねば理不尽な金を払うだろう。

    その点、戸田という社会人は極めて冷静だった。
    ちほがあれこれと説明する言葉をじっと聞いて、
    相槌も無駄には打たずに腕を組み続ける。
    瞬きをあまりしない眼で資料を見つめ、
    時々ちほに視線を送り、
    そんな戸田相手に説明しているちほは心臓が痛かった。

    ちほは新入社員ではない。
    もう入社から七年が経つ。
    場数も踏んで愛想笑いも上達し、
    声の抑揚のつけかた、話しを畳み掛ける頃合い、
    一通りの営業としての振る舞いを身につけると共に、
    商談中に変に緊張しない胆力を養ってきた。

    だが今回の相手は事情が違う。
    大酒飲み、遅刻魔、几帳面、超低姿勢。
    商談相手の性格種は様々あれど、よもや、

    『過去に告白を三度も先送りにした相手』

    なんて珍妙なステータスを保持している相手はいなかった。
    だが眼前の戸田社会人はそれに当てはまる。

    「……というシステムなのですが」
    「ちなみにこの3ページ前の」
    「あ、はい」
    「この部分ってこっちでメンテナンス出来るんですか」
    「それはですね」

    責められてはいない。
    質問されているだけ。

    その筈なのに、ちほの胸にグッと圧がかかる。
    戸田の声が、眼が、ちほに向けられる度に咎められている、
    あの日の自分の過ちを咎められているように錯覚してしまう。

    「――という諸々の削減を考慮して、
     これ位のお値段になりませんかね。」
    「そうですね、えっと……」

    ちほ、どうした、ちほ。
    いつもならお前、そこでいや、ちょっと、とか、
    こちらも十分なシステムを御提供してるので、とか、
    相手の値切りに対抗する言葉を吐いているだろう。

    「うーん………」

    ちほの脳裏にかつての記憶がよみがえる。

    セーラー服で通った中学校。
    何度も上り下りした階段に、
    その下の隅っちょの薄暗さ。
    そこで二人きりになった戸田少年と、
    「一週間待って」の言葉に、
    「判った、一週間ね」の返事。

    目の前の戸田社会人は随分大きくなった。
    首には中学時代に見なかったネクタイも付けている。
    精悍な顔立ちになったが、
    あの日の面影が確かに残る。

    「判りました、そのお値段で、一旦検討を……」

    それはちほが吐いた事の無い言葉だった。

    恐かった。

    交渉を続けこちらの値段をゴリ押し、
    終いに戸田から、

    「判りました、一週間待ちましょう」

    という言葉を、

    いや、違う。
    一週間なんて話はしてないじゃない。
    お金の話だ、幾らでこのシステムを売買するかの話で、
    時間の類の話なんてしてないじゃない、
    微塵も、かけらも。

    戸田『君』に階段の下の隅っちょに連れていかれた。
    それはもう十年以上前の話になるとちほも判っている。
    だけど十年経っても心が気まずさをちゃんと覚えていた。
    額縁に入れて保管していた絵のような新鮮さ。
    何をそんなに大切に覚えているのと他人は指をさすだろう。
    けれど何を保存するかなんて、本人でさえ戸惑う事がある。
    こと、思い出に関しては。

    「駅までですか。どうやってここまで来ましたか?
     タクシー?それなら帰りは車で送りますよ。」

    貰える行為は拒むべからず。
    無闇な遠慮は険悪の種。

    駅までと言っても車で10分ほどの距離。
    しかし10分は600秒もある。
    変な話題さえ出さなければ、
    車と言う密閉空間に息苦しい雰囲気が立ち込める可能性は薄い。

    車中の会話は「びっくりしたよ」の戸田の先手で幕を開けた。
    人生が重なれば重ねる程それぞれの道が分岐するのは仕方ない。
    紅茶に落としたミルクの雫がじわじわと滲んでいくようなもの。
    けれど拡散しきったミルクの一部同士が偶然カップの中で再会する。
    ミルクは喋らないけれど、
    人間は昔を懐かしむ。

    「中学時代でまだ会ってるやついる?」

    ハンドルを掴む戸田の手はしっかりしていた。
    男の手だった。

    「ユーコとは結構会うよ」
    「ユーコ?」
    「貝塚ユーコ。」
    「ああ、貝塚か。結構背が高かった、あの」
    「今陶芸家やってんだ」
    「陶芸?俺には全然わからない世界の事やってるんだな」
    「戸田君は?」
    「んー、金友と安藤は大学出ても結構遊んでたけどなぁ。
     二人とも結婚して子供も出来たから最近は全然。
     やっぱり家庭持つとそっちを優先しなきゃな。
     こっちから声かけるのも遠慮して、全くしてないな」

    と、いうことは。
    という事は戸田君、君はまだ独身なのかい。

    待てちほ、西嶋ちほ。冷静になれ。
    これは「君は結婚してないの?」って聞いて、
    「いや、俺も結婚したから事情が判るんだ」とか言われ、
    会話の罠にスポーンと嵌る間抜けな塩梅になるんじゃないかい。

    「戸田君は結婚とかどうなの」

    罠かもしれないのに仕掛けてく。

    「俺だけしてないんだよね。
     だからあいつら自分が飲みたい時に俺に連絡してきやがって。
     お前独身だから暇だろ?飲もうぜ、なんて。」
    「あはは、言われてるね」
    「西嶋さんは?」
    「あー私は」

    勘繰るな。何も勘繰るな。
    これは自分が聞かれたから問い返してるだけ。
    ただの言葉のラリーゲーム。
    ここで私が独身だと答えたからって、
    今が車の密室二人きりだからって、
    変な意図は皆無なはず。

    独身の男女が二人きりで車に乗って、
    お互い結婚してるかと聞いたくらいで何かあるなら、
    この世はもっとデンジャラス、うかつに送迎も出来やしない。

    聞かれたから聞き返しただけ。
    中学時代の知り合いだから気兼ねが無かっただけ、
    他の話題が見当たらなかったから続けただけ、
    ハンドルを握ってるからそこまで気が回らなかっただけ。

    だけ、だけ、だけ、って。

    『だけ』って『少ない事』を表す言葉。
    なのになんでこんなに一杯言ってるの。
    だけだけ、だけだけ、
    『だけ』も積もれば山になる。

    「結婚とかそういうのは、まだ」
    「そうかー。働いてると、やっぱりなぁ。
     そっちはどう、忙しいの?」
    「私これでも営業成績トップなんだぜ」
    「ええー!?凄いね、一位?」
    「一位一位」
    「なんとまぁ、こりゃ今回は手加減して貰ったんだな」
    「え?」
    「上中さんがな」

    上中さんは先程まで同席していた方である。
    戸田の上司、これまでの折衝担当の方。

    「西嶋ちゃんにいつも勝てないって。
     いやらしい話だけど、お金の事ね。
     今日はこっちの条件飲んでくれたじゃん。
     それで手加減して貰ったんかなって」
    「別にいやらしい話じゃない。
     社会に出て働く以上はお金の事考えなきゃ。
     金の採算とか効率とか考えずに働いてる人、
     馬鹿だと思ってるもん、私。
     無闇に経費かけてお金使って、
     そのお金は誰が引っ張ってきたのかって話よ。
     私達営業でしょ?
     営業は会社を養わなきゃいけないのよ。
     この日本で生きていれば誰もがお金は欲しいし、
     それを隠して生きていける訳がないわ。
     だから別に隠す様な話でも無いし、
     別にお金の話はいやらしい話じゃない――あーごめん、
     私最近調子悪くてさ。
     懐かしい顔に会ってちょっと口が揺るんだわ……」
    「いや、俺の方も悪かったよ。ごめんな」
    「そんな、私が」
    「西嶋、御菓子は何が好き?」
    「へぇ?」
    「おかし、おかし。」
    「なに急に」
    「いいから」
    「え、羊羹」
    「ようかん?渋いな」
    「なに?お歳暮に送ってくれるの?」
    「次また訪問でこっちに来る時にお茶請けで用意しとくよ」
    「マジ!?」
    「まじまじ」
    「とらやのが良い、おもかげってやつ!」
    「とらや、おもかげね。判った覚えとく」
    「やったぁ」

    車は回り道をしていない。寄り道もしていない。
    移動時間は大体十分だった筈。
    でももっと長いようにちほは感じた。

    助手席から腰を上げドアを締め、
    下がる車の窓に顔を近づけた戸田君の目が、
    ああ、この人はもう大人になったんだな、
    と思わせる形をしている、動きをしている。
    もう少年の様に一点を焦げるほど見つめるそぶりは失ったのだろう。
    周囲の車にキョロキョロと注意を払ったあとに、

    「西嶋、変わってないね」

    と言った。

    「戸田君も変わってない」

    ちほもそう返事をした。

    「じゃあまた、とらや、おもかげね。」
    「そう、とらや、おもかげ。宜しくね」

    車、そして電車。
    電気は技術を便利にする、
    技術はどんどん早くなる。
    車と電車がちほと戸田君をどんどん引き離す、
    もうお互いの影すら見えない距離になる。
    また、それぞれの仕事に戻って今日も定時まで働くのさ。
    だって、それが社会人。

    でも定時を過ぎて、残業も片付ければ自由になる。
    すかさずユーコに連絡を入れたちほの指。
    今日戸田君に会っちゃった。
    それだけ送ると相手からも「どこで」の返事。
    場所、経緯、車の会話。
    大盤振る舞いで教えるちほに、

    「偶然って怖いね」

    とユーコの返事。
    怖いのだろうか。

    「良い機会だから二人で飲みにでも行きなよ」

    と畳み掛けるユーコ。
    じゃあユーコも来てよ、そうちほが泣きついてみる。

    「ヤだよ」

    の三文字だけ送られてきて、
    そこから何をちほが送っても「ヤだよ」だけしか返ってこない。

    男と二人で飲みに行った経験はある。
    営業をしてたら様々な局面がやってきて、
    それを大胆に飲み込んできたのがちほという女だった。
    だが、

    「昔に告白された男と大人になってから二人で飲む」

    という事は経験が無い。
    前者と後者では全く違う、条件が跳ねあがって雲の上。

    ずっとユーコも心のどこかで考えていてくれたんだろうな。
    私が男とろくに付き合いもしないで、
    寧ろ遠ざけて人生を生きてきて、
    気付けばもう三十も手前の社会人。
    今じゃ何が原因かもよく判らないけど、
    戸田君の一件はかなり強い。

    許されてない。

    許されてないんだ。

    三回も告白の返事を先延ばしにした事を、
    この十余年、一度も許されていない訳だし、
    こちらから許しを請うたことも無い。

    もうそんなの忘れればって誰かが言うかも知れないが、
    忘れたところで罪が消える訳じゃない。

    「じゃあもういいでしょ。
     こんなに長らく罪を抱えて生きてきて、
     それを精算出来る相手が届く距離にきたんだもの。
     ちょっとやそっとの傷を覚悟で臨んでみたらいいでしょう。
     酒の席で距離を詰めて、相手の懐に入り込み、
     あの時の罪を許してもらえますかって、
     そう聞いてみれば良いでしょう。
     図々しいと思われたって結局許されたいんでしょう。
     なら勇気を出してみせなさい。
     戸田君にごめんなさいと言う機会なんて、
     これを逃したらきっと金輪際あり得ないよ」

    苦しみでちほの精神が分離していたのかもしれない。
    心の何処からかそう語り掛ける誰かがやってきて、
    つぅ、とちほの背中を押した。

    二回目の折衝は金曜日、昼の過ぎ。
    虎屋のようかんというのは結構な値段がする。
    『おもかげ』という種類も例に漏れない。
    羊羹がこんなにするとは思わなかったと戸田に言わせたちほは、
    「やったぜ」とニッカリ笑ってフォークを握る。

    「じゃあこの案件はまとめた最終資料の通りに」
    「はい、諸々了解致しました」
    「ふー、戸田君さぁ」
    「お?」
    「今日、仕事遅いの?」
    「いや、定時で帰ろうと思えば帰れる」
    「そっか……」
    「西嶋、この後直帰?いったん会社帰るの?」
    「いや、もうデータだけ送って直帰」
    「この後飲まない?」
    「   よし、受けて立とう!」
    「いや、決闘申し込んだ訳じゃないんだけど」


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