数字崩し 後編②
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数字崩し 後編②

2019-07-11 18:43

    (この一連のオハナシをさかきれん様の為に)

    「どこまで出る?お店。この辺りのにしとく?」
    「いや、会社の人と鉢合わせると気ぃ遣うから電車乗ろう。」
    「判った」

    会社帰りは良い。その後の酒飲みは尚良い。
    何が良いって服装を無駄に考える必要が無い。
    会社帰りだから着替えられないものね、
    だから私がやたら黒い服を着てても文句は無いでしょ。

    高校の知り合いの言葉を思い出す。
    学生の内はある程度便利だよね。
    だって制服デートが出来るでしょ。
    何を着ていくかあれこれ悩むのは土日だけで、
    平日にデートすりゃ何を着るかで悩む事も無いもんね。
    そんな事を言ってたあの友人は結局土日も制服デートをしたらしい。
    彼氏にも制服で来るように言って、

    「なんであんた学校でもないのに制服着て出かけるの」

    と母親から不思議がられてると聞いた時は笑いが出た。

    でもアンタの言った事は正しかったよ。
    あの日私に告白をしてくれた男と飲みに行くとなり、
    平日ならあれこれ服で悩む必要も無い。

    そう、そんな事で頭を無駄に疲れさせる余裕は無い。
    戸田君と、真正面から話し合うんだ。
    あの日に出来なかったやりとりを。
    もう随分と時間が経ってしまったけど、
    あの日しでかした私の罪に時効は無い。

    法が関与しない罪に時効などないのだ。

    取り敢えず生。
    ちほがそう注文しようとしたら戸田の声が先んじた。

    「俺カシスオレンジ」
    「あっ じゃあ私コーラ」
    「いいねぇ、ノンアルコールで開幕か。
     仕事で飲んでるって感じじゃなくて良いじゃない」

    注文を取り終わったお兄さんが遠ざかり、
    おしぼりで手を包む二人の目が幽かにすれ違う。

    「さっき生たのもうとしたけどさ。
     実は生そんなに好きじゃないの。
     でも働いてたら呪いの様な言葉があるじゃない。
     取り敢えず生、っていう」
    「判る。俺も苦手。」
    「ほんと?」
    「だからカシオレ頼んだ」
    「学生の頃に良く飲んだわ」
    「そうなんだよ、大学時代に飲みまくった奴がしょっちゅう頼んでさ。
     そのせいで俺もいつも飲んでたの。
     そしたら身体がカシオレの事好きになってさぁ、
     一番好きなお酒はカシスオレンジ。
     学生みたいな酒まだ飲んでんのかって言われる事もあるけどね、
     好きなもの飲んだ方が良いよ、人生一回しかないんだし。」

    一回しかない人生で、
    何のお酒を飲むかはそれぞれの自由だが、
    どうせなら好きなものだけ飲みたいじゃない。
    あの時は我慢して飲んでたんだ、
    飲みたい酒じゃなかったのに、
    なんて死んだ後に愚痴ったって、
    一体誰が聞いてくれるのかも分からない。

    学生時代を共有すれば暫く話題には困らない。
    理由は簡単な事である。
    級友の現状を一人ずつ確かめていくからだ。
    だとすればどうだ、少なくとも百人以上は該当者が出てくる。
    昔を懐かしみ、現状を訪ねる事が出来る該当者が出てくる。

    古森、安藤、亀井、藤安、金友、白藤、堀、西田、福田、
    あの時まだ学生服やセーラー服に身を任せていた級友達。
    中には少ししか話した事が無い人も居るけれど、
    そういう人に限って有名になってたりする。
    そういうのは毎回色んな所で会話の種にされて、
    その功績を本人には知られる事無く讃えられるのだ。

    だが、それらの会話は全てクッションである。

    「あのさ、アレ、覚えてる?」
    「え、どれ」
    「俺が昔西嶋に告白したの」
    「あー…そりゃあね…覚えてるよ」
    「一週間返事を待ってって言われてさ、しかも三回も」
    「うん、あったね……」

    クッションはもう役を果たした。
    あとはちほと戸田、当人同士の直接接触。

    「今だから言えるんだけどさ…ごめん、
     階段の下って、なんか怖かった?」
    「階段?」
    「そう、いつも階段の下に呼び出したよな。
     そこの雰囲気が悪かったのかなぁって、大人になって色々思う事もあるし」
    「いや、別にそんな事はなかった、全然!」
    「じゃあまだ俺がガキだったって事だな。
     しょうがない、まだ中学生じゃ」
    「いやちが、そうじゃないのアレは」
    「ん?」
    「私に度胸が無くて……付き合った事も無かったから、
     彼氏が出来るって言うのが想像出来なくてさ……。
     そういう状態になって良いのかも分からなくて、
     心の整理の時間が必要だったのよ、中学生女子には」
    「判る。子供には世界が変わるレベルの出来事だよな」
    「本当にそうだよ、だから告白してきた戸田君は凄いと思った」
    「…一週間じゃ心の準備出来なかった?」
    「あー……」
    「今のは言い方が悪かった、責めるような言い方だった、ごめん」
    「いや正直責められても文句言えないと思ってる」
    「いや、別に中学時代の事を今更悪く言うつもりはないんだ」
    「あのね、心の準備は出来てた。最初の一週間で。
     でもいざ戸田君を前にすると準備したものが全部ひっくり返っちゃったの。
     お客さんが来るから部屋の掃除したけど、
     訪問が近くなったら飼ってた猫が興奮して全部台無しになる感じ。」
    「それってあながち俺は悪くなかったって事?男として」
    「男の子として、かな」
    「そうかぁ」

    男の握り拳は時として物言わぬ威嚇になる事がある。
    戸田はその事を判っていたのかいなかったのか、
    常に開いてテーブルの上に投げ出しているそれは柔らかかった。

    「でもな、やっぱり色々気になった。
     三回目に一週間待ってくれって言われた時、
     断り辛いから毎回遠回しにしてるんだと思ったよ、流石に。
     けどいざもう言い寄らなくなると西嶋、凄く気まずそうなんだもんな。
     あれの真意だけ教えてくれないか、今になっても判らないんだ」
    「ユーコにね……怒られてね。
     あんた、そんな三回も告白の返事を先延ばしにするなんて!って。
     あーのときゃ凄く怒られたなぁ」
    「貝塚が?」
    「うん」
    「そんな事あったのか」
    「……ちょっとおかしな話してもいい?」
    「どんな?」
    「これまでの話を茶化す訳じゃないの。
     おかしな話なんだけど、でもね、なんて言ったらいいかな……」

    別に魔法がかかっている訳でもない親指を眉間に当てたちほを見て、
    戸田は真面目な声で、

    「真剣な話なんだな」

    と言った。
    それがちほにとっての追い風になった。

    「私ね、
     数字の交渉だと絶対に負けないの。」
    「……ん?」
    「やってみよう。今百円玉幾つ持ってる?」
    「え?百円玉?」
    「そう、私も出す。」

    酒の席で気を昂らせた大人達が愉快に声を重ねて騒ぐ。
    それに包まれ五月蠅いが二人で財布の中を見る。

    「五枚あった」
    「私三枚。じゃあこの残った唐揚げを取引しよう」
    「ええ、何が始まるの?」
    「いいから、但し条件があるわ。
     この交渉で私が勝ったら、ここの勘定は私が持つわ」
    「ええ?本当に?」
    「経費でも落とさない、私の懐から出す。
     じゃあ行くわよ。
     戸田君、この唐揚げにいくら出す?」
    「ええ?これって相手より高値を出したら交渉取れるの?」
    「そうよ」
    「じゃあ百円。」
    「私は二百円出すわ。」
    「じゃあ三百円。」
    「じゃあ私も三百円」
    「え……じゃあ四百円」
    「戸田君」
    「ん?」
    「二百円で引き下がってくれない?」
    「え」
    「二百円にして。それでこの唐揚げ、私に譲って。」
    「………」

    様々な声が辺り一面から聞こえる。
    酒で緩んだ人の口は良く喋る。
    けれどちほと戸田、二人の耳には届かない。
    きりっと開いた戸田の目を、ちほがじっと見つめて待つ。

    「……判った、二百円で良いよ。」
    「よし、じゃあこの唐揚げは私のものね。」
    「……?え、もう一回。」
    「じゃあこの餃子で。」

    餃子の次はたこわさの入った器。
    その次は戸田の手元の飲みかけのカシスオレンジ。
    三回やっても戸田は勝てない。
    ただ手元の五百円を出すと言えば良いだけなのに。
    最後に「判った、良いよ」と言ってしまう自分の口が不思議で、
    戸田が右手で自分の顎をこねる。

    「……どういうこと?」
    「百円とか二百円とか数字がかかってるでしょ。
     右とか左とかそういうものじゃ無理だけど、
     数字が絡む交渉だと相手は私の要求を通してしまうの。
     さっきの戸田君みたいにね。」
    「……上中さんが言ってた感覚って」
    「そう、この事よ。」
    「……でもこの前はこんな感じしなかった、
     あの時だって確かに交渉してた筈だよな?」
    「一回言うだけじゃ駄目なのよ。
     何回かゴリ押して要求する事で相手が折れるの」
    「……じゃあ何でゴリ押ししなかった?」
    「したわ」
    「いや、してないだろ」
    「したわ。あの中学生の時。
     階段の下で。三回も。
     一週間待ってって。
     それで戸田君、三回も良いよって言ってくれた。」

    もう何もかも。
    酒が誘発する言葉達は何もかも。
    戸田の耳には届かない。
    ちほの言葉しか聞こえない。

    「二回目のもう一週間待って、の時に気付いたの。
     数字が関連してるんじゃないかって。
     それを確かめたくて三回目も一週間待たせたの。
     あの日、家に帰って良い気分だったわ。
     お小遣いも上げて貰っちゃって。
     次の告白では戸田君とも付き合おうと思ってた。
     でも、そんなに全てが上手く行く筈ないよね。
     怒ったでしょ、あの時。三回も先送りにするなんて。
     しかも自分の力を確かめる為にだなんて。
     ユーコにしこたま怒られた。
     戸田君の気持ちを考えてないって。
     自分の事に夢中かって。
     ごめん、戸田君。
     自分の事で頭一杯で、試してみたくてしょうがなかったの」
    「……じゃああの後シュンとしてたのは」
    「あは、自分が最低だって思ったからねぇ、
     その時はもうこんな力使うもんじゃないって自責して、
     まぁ、もう懐かしい話だねぇ、こんなの」
    「…お互い思い違いしてたんだな。
     俺は別に怒った訳じゃなかった。
     さっきも言ったけど西嶋が断りにくいのかと思ってた」
    「……それが本当なら聞きたいんだけど、
     何で私に告白したの?私の何が良かったの」
    「うーん……本人に面と向かって話すのは正直凄く恥ずかしいけど」
    「それでも聞きたい」
    「輝いてた事かな」
    「かが……は?」
    「あの時の西嶋は凄かったよ。
     なんか自信満々って感じで生きてるように見えた。
     それが凄く良いなって思って。
     でも、俺が結局告白しなかった件以来、
     一気に元気なくなっちゃったんだよなお前。
     それが俺のせいかと思って、正直気が重かったよ、俺も」
    「それまで交渉で得意になってたのが一気に無くなったからね…。」
    「……西嶋、どうして今回は『ゴリ押し』しなかった?
     俺が相手だったからか?」
    「ん?」
    「だってゴリ押しすればもっと金引っ張ってこれたんだろ。
     営業はいくらで仕事を引っ張ってこれるかが大事だろ。
     どうしてだ。」
    「……相手が戸田君だって事もあるかもしれない。
     けどね、なんか最近駄目なの。
     力を使う気がしないの。
     こんなのズルなんだよね、
     私のズルで色んな人が私の知らない所で迷惑しててさ。
     なんか、実は今の仕事もかなり嫌になってきてるの。」
    「ズルじゃねぇだろ」
    「え」
    「ズルじゃねぇよ。
     持ってる力を使う事はズルじゃねぇよ。お前疲れてんだよ。
     ちょっと気分転換を積極的にした方がいいな。
     流石に仕事を変えろとか辞めろとか無責任な事は言えないよ。
     でも気分転換をした方がいい。
     人間の考え方なんて結構あっさり変わるもんだよ。
     楽しい事して、美味いもん食って、風呂入って寝ろ。
     頭がすっきりする事一杯やろうぜ。」
    「出来るかなぁ……」
    「水族館、行こう」
    「……誰が?」
    「西嶋が。」
    「……誰と?」
    「俺と。」
    「……デート?」
    「お前に告白した時、デート連れてくなら水族館って決めてた。
     好きな映画で水族館デートするシーンが凄く好きでさ。
     本当に楽しそうにデートするんだよ。
     別に付き合ってくれって言ってる訳じゃない。
     ただ、あの時西嶋を楽しませたかった。
     昔に出来なかった事を大人になって回収するのは野暮かもしれないけど、
     こういう人生の楽しみ方も悪くないだろ、きっと。
     どうだ、今度の休み、俺にくれ。」

    戸田君、それは、
    私の事、怒ってないってことですか。
    事実を知っても信じてくれて、
    その上で怒ってないって事ですか。

    ああ戸田君。
    私ねぇ、ずっと気がかりだったんだ。
    君がずっと怒ってるんじゃないかってね、
    私に三回も告白の返事を先送りにした事を怒ってるんじゃないかってね、
    その事をここ十数年ずっとずっと考えてきたんだよ。

    お前馬鹿なんじゃないのって笑ってくれていいよ。
    でも馬鹿だからこういう生き方しかできなかったんだよ。

    けれど今背負っていた大きな岩がようやく降ろせた。
    降ろすには遅すぎたかもしれないし、
    悔やむには長すぎたかもしれない。

    敢えて聞いてはいないけど、
    君はきっと私以外の女性とお付き合いをしたんだろう。
    恨み言を言うんじゃない、そっちの方が望ましいのさ。
    私みたいにグジグジした青春だったならそれこそ申し訳が立たないよ。

    ああもう何考えてるんだろ。
    身体が一気に軽くなった感動で、
    思考が正常に回らないね。

    「行く。」
    「お、マジ?」
    「行く……ねぇ聞いて。ちょっと泣きそう」
    「ええ、俺が悪かった?」
    「いや、私が悪かった……だから泣きそう」
    「西嶋は何も悪くないだろ。
     強いて言うなら俺達それぞれがちょっとずつ誤解してたってだけだ」
    「……戸田君、君、良い男になったねぇ」
    「おっ、お褒めに預かり恐縮です」
    「はは」

    人は自分が抱えている幸福に飽きる事がある。
    とても不思議な話だ、その幸福では満足できなくなるのだ。
    要因は様々ある。本当に飽きてしまったりもするし、
    第三者から幸福の不完全性を指摘されて飽きる事もあるし、
    その幸福が誰かの不幸の上に成り立っている事を知って怖くなる事もある。

    この世に完全な幸福など無い。
    自分がその幸福を許し続けるしかない。

    けれど罪はまた別だ。
    罪からの解放を得るには他人に許してもらうしかない。
    自分がそれを諦める事が出来るものではない。

    十数年の時を越えて許されたちほのそれは、
    戸田からすると取るに足らない出来事だったかもしれない。
    許すに値しない事柄だったかもしれない。

    しかし罪の捉えようは十人十色。
    どんな罪を背負うかも、その人次第なのである。

    ちほは自分の交渉の力で自分なりの幸福を手に入れてきた。
    だが戸田の一件がそのしこりになっていた。
    大口の案件を幾つも取って人生が楽しくてしょうがないちほ。
    色んな噂を社内で流されるもそんな事は気にも留めなかった。

    だがある日に取引先から理不尽な恨み言を言われてしまう。
    それと時期を同じくして、社内の先輩の営業の愚痴も耳に入り、
    噂とはまた別の負の感情がちほの中に流入する。
    それは戸田少年の件と似ていたのかも知れない。
    ずぐずぐと心を冷やし、力を使う事も躊躇ってしまう。

    けれど大人になった戸田の言葉でちほは救われた。
    ちほが自分で選んで苦しめられていた罪はもう無い。
    不思議なものだと思う、こうやって救われる場合もあるのだ。

    戸田と水族館へ行く約束をしたちほは、
    また営業の仕事も精を出し始める事だろう。


    ――――――――――――――――――――――――
    けんいちろうです。
    年に二回程、「もうダメか」と思いつつオハナシを書くのですが、
    今回がまさにそれでした。こんな時に。

    このオハナシはある方が誕生日の時に悪い夢を見、
    誕生日位良い事があっても良いじゃないと私が勝手にリクエストを聞いたものです。
    それがこんなに長引く事になるなんて思ってもみなかった。

    少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
    けんいちろうでした。


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