メペの花嫁 前編
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メペの花嫁 前編

2019-07-24 07:49

    睡眠とは人智の及ばぬ所が多い。

    意識は無い。
    だが心の臓は脈打ち、血は巡り、胃は物を消化する。
    意識の知らぬ所で人間の身体は生き物として動き、
    他の者がその状態を見ても、寝ていると認識、
    すなわち『生きてる』状態だと認識するのだ。

    病院の記録に残る最初の『患者』は女。
    父母娘の三人家族の母親で、
    朝になかなか起きてこないのを不思議に思った夫がこれに近づき、
    何度も声をかけてみるも目を覚ます気配が無い。
    身体をゆするも駄目、
    上体を起こしてみるも駄目。
    終いには叩いた事の無い彼女の頬を叩くも、駄目。

    娘も連れて家族三人で病院に駆け込んだ夫は、
    青ざめた顔で妻を背負って息を荒げていた。

    事情を説明された医師が調べるも、
    眼球運動から『寝ている』状態だと判定される。

    されど夫が食い下がる。
    聞いて下さい先生、耳元で叫んだし揺すりもした、
    身体を起こしもしたし頬まで叩いたんです。
    先生、あなたならここまでされても目を覚ましませんか。

    しかし妻の身体が言っている。
    私は眠っているのだと。
    医師はその事を極めて医学的に夫に説明した。
    娘は寝続ける母の身体に寄り添いその会話を耳に通す。

    夕方を越えても起きる様子が無ければまた来て下さい。
    もしかすると日頃の家事で強烈に疲れている反動かも知れません。
    そう言われてしまい、夫も仕方なく引き返す。
    妻はよく働いてくれている。
    もしや日頃の疲れが自分の知らぬ所で蓄積していたのかも知れない。

    しかして時間が無情に過ぎる。
    昼になり、夕になり、
    それでも妻が目覚めない。
    朝飯、昼飯、三時のおやつも食べてない。
    人間とは物を食べる生き物である。
    このまま夕飯まで口にしないとなると流石にいけない。
    再び妻を背負って夫が病院まで赴いてみると、
    そこには朝には見えなかった人だかりがごった返していた。

    話をオカルトに一旦移す。
    この時代のオカルトの有名所と言えば、
    どれもこれも偉そうな名前を持つものばかりだった。
    『首無し卿』に『コウモリ伯爵』、『足切り将軍』。
    いずれも大人が子供に語って聞かせる怖い話の花形達だが、
    それとは一線を画した存在だったのが『メペ』だった。

    病院で目を覚ましたある男。
    彼は油汗をかきながら飛び起きた。
    男の妻は布団の上でうたたねをしていたが、
    旦那の跳ね起き具合に目が覚めた。
    アンタは丸一日寝てたんだよ、起きて良かった。
    そう喜ぶ妻の肩を抱いて夫がこう言ったのだった。

    「メペだ、メペから何とか逃げられた」

    これは、ある街の長い八日間の話である。

    一日目の昼を過ぎたあたりから病院は賑やかになり始めた。
    やってくる誰も彼もが二人組もしくは三人組。
    そのうち一人は眠りこけ、
    連れてくる人間は青ざめる。
    医者は悉く『寝ている』との判定を下し、
    対して『異常』と訴える家族はなかなか病院を離れなかった。

    「おい、こりゃあ一体どういう事だ」

    夕方になって妻を担いできた先の夫が近くの男に尋ねた。
    男は待ち合いの長机に座り、
    その肩には妻なのだろう、女が寄りかかって寝ている。

    「ああ、お宅も同じ症状か」

    背負われた妻を見て男がため息を吐く。
    それを見た夫はまだ察する事が出来なかった。
    妻と同じような状況の人間が病院のそこらに溢れている事に。

    初日、病院に連れて来られた『起きない人』は女が多かった。
    男が担いでこれたからである。

    二日目になるとどっと『起きない男』の量も増えた。
    一日経っても起きない夫や彼氏に焦り、
    荷馬車等に乗せて女達もやってきたからである。

    先生見てくれ、うちのが起きないんだ。
    私の恋人も起きないの、先生どうしてかしら助けて。
    寝床から蹴り落としても弟が起きねぇ、流石におかしい。

    医者もいよいよ焦り出した。
    点滴を血管に繋ぎ、栄養を『患者』に摂取させねば。

    オカルトと科学、医学が陣取り合戦をしているような時代のただなか。
    暗闇には魔物、夜には悪魔が跋扈していると人が信じる環境に、
    科学や医学が『探求』という名の光を差していく事で、
    それまで我が物顔で居た魑魅魍魎達は居場所を狭めていった。

    だが『夢』は未だ人智のメスが届いていない。
    そこはまだオカルトの独壇場であり、
    夢魔もその一つであった。

    「先生、男が一人目を覚ましました!」

    突然の報告に聞いた医者の緊張がゆるむ。
    なんだ、やっぱり寝ていただけじゃないのか。
    こんなに集団で目が覚めないのも何かの偶然に違いない。

    「メペだ、メペに掴まって夢の中から出れなかったんだ」

    だが目を覚ました男の証言は医者の味方をせず、
    寧ろ未知の霧で街一体を包み込んだ。

    メペとはまた可愛らしい名前だが、一体。

    「夢魔だ、しかも飛び切り若い、いや、あれは幼い奴だ。
     遊んで遊んでと追い回されて、
     捕まっちまえばあとはもう地獄よ。
     夢の中でやりたい放題やられて、
     うう、思い出しただけでも恐ろしい」

    一体どんな遊びをしたのですかと医者が聞く。
    問題に取り掛かるにはまずその詳細を知る事が肝心だ。
    幽かに震えるように肩をすくめ、
    目を覚ました男は直ぐには答えなかった。
    だが医者が「落ち着きながら、ゆっくりで良いですよ」と語りかけると、

    「先生、あんた、腕を引き千切られた事があるかい」
    「すいません、もう一度」
    「子供がバッタを捕まえて好奇心に任せて足をもいだりするだろ。
     俺もガキの頃はそういう心無い悪戯をした事があった。
     まるきりそれと同じだったんだ、
     殺そうとは思ってないのが目を見て判る、
     あいつは丸きりそのままガキなんだ、
     バッタの足をもぐように俺の腕を、こう、」

    何かが喋る男の口に栓をした。
    医者は悟る。
    この男、気が狂う寸前から命からがら逃げ伸びたのだ。
    精巧な夢の中は現実との区別がつかない。
    虫のように腕をもがれる体験とは恐ろしいものだったろう。
    それに腕だけ、とも言ってない。
    とびきり恐ろしい記憶だろう、男の口を封じたものは。

    それから極僅かだが目を覚ます人間が現れ、
    その全てがメペの名前を口にする。

    なるほど、メペか原因は。
    ではそれに対する有効な投薬を、

    とはならない。当然である。
    なにせ相手はオカルト、しかもメペなんぞ聞いた事も無い。
    夢魔である事が判って余計に始末が悪くなる。

    「先生、どうしてうちのは目を覚まさないんですか」
    「先生、このまま息子が目を覚まさなかったら……」
    「先生、夫の目をどうにか覚まして」
    「先生」
    「先生」

    思わず医者が歯噛みをする。
    無理もない、歯噛みもする。

    救いを請われて打つ手がない事のなんというもどかしさか。
    医者達は不安に支配された患者の家族に向かって、
    「大丈夫、じきに目を覚ましますから」と宥めて回る。
    言う間でもなく気休めだ、目を覚ます当て等どこにある。
    しかし患者の家族を落ち着かせる事も医者の仕事に含まれる。
    だが保証の無い未来を口から出すのは心苦しさの極みであった。

    神よ、この街がソドムとゴモラより醜かったのですか。
    貴方に決定的な背きでも犯したのですか。
    ソドムとゴモラでさえ交渉の余地を与えられたのに、
    御覧下さい、今この街はただ寝るだけでこんなにも苦しんでいます。

    如何か慈悲を。

    医者が机の上で手からペンを落とし、それを拾い上げる事無く、
    両手を組んで神に祈ったのは五日目の朝方の事だった。

    「先生」
    「……大丈夫だ、ちょっと目を休めていただけだ。
     患者用のベッドの事だったな。
     どうしようか、急ぎで街の大工を……いや、彼らも起きてるかどうか」
    「起きました!」
    「ん!誰がだ!?」

    誰かが患者達にキスして回ったのだろうか。
    最早寝かせるベッドも足りない程に溢れていた眠り人達。
    それが一斉に目を覚まし始め、
    その家族と抱き合う光景が病院の中に満ちた。

    医者達は起きた患者の状態を確認して回り、
    やはりその全てからメペの単語を聞いた。

    こうも証言が一致しては、
    一連の睡眠騒ぎが夢魔『メペ』の仕業であると認めざるを得ない。
    だがそんな不安を払拭する程にあちらでもこちらでも患者が覚醒。
    医者達は不安を抱きながらも一先ず胸をなでおろした。

    だが酷い汚れはなかなか落ちないものである。

    病院に運び込まれた患者は大人が大半を占めていた。

    患者の証言によればメペはまだ幼い。
    大人に遊んでほしかったのか、子供の患者はごく少数。
    可能性としては遊ぶ事に飽きて全員を眠りから解放したか。
    なんて、自分もかなりオカルト寄りの考えをするものだ。
    そんな事をある医者が考えてほくそ笑んでいると、
    回診する患者の中にまだ目を覚まさない者がいる。
    少女だった。

    「先生」

    親達が心配そうな眼差しを向ける。
    医者はそれに慣れている。
    ここは病院、病んだ者の集う場所。
    病んで不安の気持ちを目に宿さない者などこの世にいない。

    ここは病院、手遅れの者は死に至る。
    それにすがる家族の姿も飽きる程見る。

    「大丈夫です、周りを見て下さい、
     皆がこの奇妙な睡眠から解放され始めている。
     個人差でしょう、娘さんももう間もなく目を覚ましますよ」
    「ええ……」

    少女一人。
    この少女が目を覚まさないなら、
    きっとこの親達は悲しみにくれるだろう。
    それでなじられるのなら仕方ない。
    ここは病院、自分は医者。
    そういう世界に身を置くと覚悟を決めているのだ。

    しかし夕方が始まろうとする刻限、
    その少女も目をいよいよ覚ました。

    他の患者達はすでに寝床から上がり、
    めいめいが家に帰っていた。

    「おはようお嬢ちゃん。よく寝たねぇ、気分はどうだい?」
    「ここは病院?」
    「そうだよ」
    「あなたは医者?」
    「そうだよ、君の様子を見ていたんだ」
    「他の人達は全員起きた?」
    「うん。……ん?確かに君以外は全員起きたけど、
     一つ聞いて良いかい、今起きたばかりの君がなんでそれを?」
    「私がメペに言ったの。
     ありがとう先生、私もう家に帰るわ。
     からだはとっても元気なの。
     パパママただいま。
     さぁ、家に帰りましょ。ここ薬の匂いがくさいわ。」


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