閻魔殺し
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閻魔殺し

2019-08-19 18:55

    『閻魔殺し』と言われる男の噂、

    聞けば一度死んで土の中、

    しかし次の日蘇り、

    自力で這い出て空の下。

    「そいつの話を聞いてみたいぞ、連れてこい!」

    そう言ったのは城の殿様、
    言葉の真意が透けて判る、
    どんなに偉い方でも死ぬのだけは怖いらしい。

    罪人を捕らえる訳でも無し、
    城から役人どもの行列が、まぁ長いこと。
    長屋の一角に陣取って、まるでド悪者の大捕り物。

    扉を叩かれた『閻魔殺し』は、
    それはそれは大人しく付いて行ったので、
    手に縄も付けない男を取り囲む役人どもは拍子抜け。
    これが噂の『閻魔殺し』なのか。
    役人どもは難しい顔をして城へと男を連れ帰った。

    『閻魔殺し』、
    男がそう呼ばれるのは息を吹き返してからの話にちなむ。

    墓から這い出て家に帰った男、
    それを見て周りの奴らは腰を抜かした。
    お前、確かに死んだはずじゃあなかったか。
    すると男、

    「なぁに、閻魔を殺して戻ってきたのよ」

    と目を細めて、ポツリと独り言のように言った。

    口を吊り上げ笑いながらでもない、
    目をかっぴらいて自慢げでもない。

    「ありゃあまるで、
     戦場で大手柄を上げた後の猛者の顔のようだ」

    これは本当に地獄で閻魔様と一丁、死合ってきたに違いない。
    長屋一番のジジイがそう言うので、
    皆が呼び始めたのが『閻魔殺し』。

    「と、いう事らしいが、間違いないか。」
    「よくは知りませんが、そういう事でしょうな」
    「んん?やけに曖昧な返事だ」
    「へぇ、何せ人様の話しなもんで、
     あっしの知らぬ事まで「そうです」とは言えません。
     ただ、閻魔を殺して戻ってきた、とは言いました。」

    少し疲れているような顔つきで淡々と男が喋る。
    聞けば黄泉から還って七日足らず。
    閻魔と余程激しくやりあったのか男は落ち着き払って、
    撫で肩をダランと垂らしながら返事をしていた。

    殿様の出番は、まだである。
    まず『伺務(うかがいつとめ)』という事前に話を聞く役人、神田の前に通され、
    事の仔細を隅々まで聴聞するところであった。

    「わしも気になるのだが、」
    「なんでございましょう」
    「どうやって、閻魔様を殺した?
     どのような方であった、閻魔様と言うのは。
     閻魔様を殺したら、生きて還れるのか?」

    閻魔殺しと呼ばれる男はため息を一つ吐いて、
    下から舐めるように神田を覗き見た。

    「まぁ、こんな事になるかな、とも思いましたが」
    「な、何がだ?」
    「お役人様は、あっしがどうして死んだか御存知ですかい」
    「ああ、調べた。
     お前は他の男一人、女一人と一緒に川で見つかったな。
     他の二人は溺れ死んでたが、
     お前だけは川のヘリに引っ掛かっていて、
     胸に刺し傷があった。」
    「へぇ、詳しく話すってなると、
     あれは夜の事で御座いました」

    あの夜、赤間橋の上で二人に会いました。
    片方はあっしの女房でありましたが、
    もう一人の男は間男でした。

    随分と前から女房と逢引きしていたのは気付いてて、
    その夜、なかなか帰らない女房を探して、
    たまたま二人でいるところにばったり出くわしたんであります。

    頭に血が上りました。
    コイツが、女房の身体を好き勝手にやってると思うと、
    腕が掴みかかって、殴り掛かっていましてね。
    怒りってやつが、勝手にあっしの身体を操ってるみたいでした。

    けれどいけない、そいつ、小刀をもってやしてね、
    御存知の通り、あっしのここにブスリ、ですよ。

    女房が「やめて」って、男にとりついて、
    刺されたあっしも男を離さなくて、
    あの赤間橋、随分古い橋なんで、あちこち傷んでる。
    三人の重さは無理があったか、
    揉み合って寄りかかった手すりがバキリ、とね。

    お陰で三人まっさかさまですよ。

    水の中でもみ合ったか、
    それとも着物が絡んだか、
    まぁ、あの川も随分深い事で有名だ。
    あっしだけが息も絶え絶え川べりに、
    けれど二人は上がってこなかった。

    でも刺された場所が悪くてね、
    あの世に行かざるをえなかったわけです。

    それで行ったあの世の入り口で、
    女房と男とが二人して立っている。
    はっきりしないながらもフラフラと女房に近寄りました。

    すると女房がね、男の方にプイ、と向いたんでさあ。
    笑ってやって下さい、女房はもうあっしのこと、
    男と思ってなかったんでさぁね。

    それで閻魔様の前に三人並んで、
    お前は生きてる時に、なになに、なになに、
    まぁ念仏よりも長く、しでかした悪い事を説かれる塩梅です。

    それで地獄に落ちる時なんですがね、これが面白い。
    閻魔様がひょいと摘まみ上げて、
    地獄にぽいっと放り投げる。

    男が投げられ、女房が投げられ、
    あっしもね、うにゃうにゃ罪を並べ立てられ、
    「へぇ、その通りで」と言うと、ひょいと摘ままれまして。
    でね、閻魔様がこう言ったんでさぁ。

    「女房に裏切られて可哀想にな、もう一度、女を探してみるか?」

    って。
    それで閻魔様、何をするかと思えば、

    「おおっと手が滑ったわい」

    なんて白々しく、あっしを地獄とは別の方向に放り投げて、
    気が付けば身体が桶の世話になっている。
    まぁ、頑張りましたよ。
    えっちらおっちら這い出てみると、まだこの世だ。

    「それで閻魔を殺して戻ってきた、と喋った次第です。」

    そこまで聞いた神田はちっとも納得いかなかった。
    閻魔様は殺してない、寧ろ情けでこの世に戻ってきた。
    おいお前、じゃあどうしてそんな嘘を吐いた。
    神田が扇子をぴしゃりと閉めてそう言うと、
    男が変わらない様子で、落ち着き払ってこう言った。

    「閻魔を殺したと言えば、
     怖がって他の女は近寄らないでしょう。
     あっしの女は、女房一人だけなもんで」

    始終ずっと疲れたような雰囲気の男だった。
    口もただ喋るだけで、ぴくりとも吊らない。
    しかし初めて男の口が幽かに吊り上がった。
    笑っている、この男。
    それを見て神田がこう問うた。

    「お前、裏切られた女房を今でも好いているのか」
    「トゲで刺されても、長く愛した薔薇は美しいもんで」

    『閻魔殺し』の話は、これで全てで御座います。
    そう言うと男は両手を畳について、
    神田の前に深々と頭を下げた。

    男は顔を上げず、
    神田も何もしゃべらず、


    季節は夏、
    襖を開け放った部屋の外ではセミが鳴く。

    恋人を求めて鳴く七日の命が、けたたましいばかり。


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