さよならリゲル
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さよならリゲル

2019-12-06 18:56

    このオハナシは続き物です。
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    ――――――――――――――――――――
    嘘を言う大人はろくでなしではないか。
    泥棒、人殺し、詐欺師。みんな嘘を吐く。
    大人が嘘を吐いては子供に示しがつかない。
    大人の口から出る言葉は清くなくてはならない。

    だが、それは義務ではない。
    やむを得ず『嘘になる』場合だってある。

    入った事の無い酒場の扉を押す自分の手の感触が違う。
    いつもはもっと高揚した気分を抱く筈なのに、
    ただ、扉に『触った』という感覚しか判らなかった。

    「強い酒をくれ」

    何にしますかと聞かれ、
    洒落た言葉の一つも浮かんでは来ず、
    ただ暗い空気を引き連れてやってきた客が二人。
    その状況を見て取ったのは酒場の主人。
    この手の『とにかく酔いたい客』は何度も見た事がある。
    忘れたい事があるのか、苛立つ事があるのか。
    それで酒が求められるなら店側としては都合を満たすだけ。

    どうぞ、と店主が二つのコップを差し出した。

    「一気飲みはしない方が良いですよ。
     眩暈がして転んだ客が前に居ました」

    経験が主人にそう話させる。
    きっとこういう暗い雰囲気の客は一気飲みをするのだろう。
    だが、言葉が聞こえているのかいないのか、
    客の二人ともコップを顔に近づけて、
    飛ぶアルコールの激しさが鼻に突き刺さったのか、
    思わず二人とも一旦顔をコップから遠ざけた。

    「だから言ったでしょ」

    主人がそう言ったが、
    二人とも別に目くばせをした訳でもなく、
    同時に思いっきりコップを傾け飲みほした。

    「これと同じのおかわり」
    「俺もだ、二つくれ」

    忠告をする分にはタダだ。金がかからない。
    友人に散歩に行こうと言うのと同じだ。優しさがある。

    だが酒のおかわりは金になる。
    店を営めばいるのは優しさよりも売り上げだ。
    もう主人はそれ以上何も言わず、
    二つのコップを引き取った。

    「なにかあったんですか?」

    なんて、
    酒を飲む理由を聞くなんて真似はしない。
    男が強い酒を飲んでいるんだ。
    誰にも言えぬ悩みや辛さ、
    それを強い酒で掻き消そうとする孤独、それが男だ。

    店主が何も言わずに二杯目のコップを差し出したのは、
    自分もそういう時があったからだった。

    コップを残して店主が去る。
    コップはそれぞれの口が求めるままに。
    先程の様に一気に飲み干す事は無かったが、
    それでも酒は途絶える事無く喉の奥へと入っていく。

    「……そう言えば、あの坊主の約束、守れないな」
    「なんだ、旅の途中でどんな約束をしたんだ」
    「ついこないだ泊まった宿屋の坊主だった。
     ドアの隙間から部屋の中を覗かれちまって。
     俺とあいつが話してる時だった」
    「なんだ、バレたのか」
    「アイツも俺ももう大慌てだ。
     俺がその小僧を部屋の中に掴み入れてな――」
    「なんで」
    「なんでって……他にどうするんだよ」
    「……いい、俺が悪かった。続けろ。」
    「……それでよ、内緒にする代わりに約束したんだ。
     あいつの首と胴体が繋がったら、
     また二人してその宿に寄ってやる、
     その時に話を聞かせてやるって……。」
    「ああ……そりゃ出来ない約束だ」
    「だろ。そっちはそういうの、無かったのか。」
    「……無いね。そもそも無理だ。
     頭が無いんだから。会話が出来ない」
    「あ……そりゃそうか。
     でも道中で誰か気の良い奴とかいなかったのか」
    「いつも逃げ回ってたよ。石も沢山投げられた。」
    「そうか……そっちも苦労したな。
     お前の方もよくやったよなぁ、
     話せない身体だけの奴と一緒に旅をするなんて」
    「――謝るつもりだったんだ。」
    「なにをだ」
    「俺は昔、あいつを殴った」
    「ほう?」
    「蹴ったし、石を投げた。何個も投げたんだ」
    「いじめっこだな。首が無い相手にそんな事するんじゃ」
    「ああ、そうだ。俺はいじめっこの安い優越感に浸ってた。
     あいつの首が戻ったら、
     うるさいって言われる程に謝るつもりだったんだ」
    「そのいじめっ子がどういう心変わりで一緒に旅したんだ?」
    「……最初怪物だったんだよ、あいつは。俺の中で。
     でも蹴って叩いてするうちに気が付いたんだ。
     こいつは人間だ、ただ首が無いだけで――」
    「……困ってる」
    「そう、困ってる……困ってたんだアイツは。
     俺は見えてない事を良い事に、
     さんざん痛めつけた後に優しくアイツの肩を叩いた。
     トン、トトン、トンって。それが俺達の合図でさ。」
    「やってたな」
    「ああ、
     それで、さも痛めつけた奴とは別人だよ、と。
     そんな風にあいつの背中を優しく撫でた。
     それから色々な合図を教え込んで、旅をして……」
    「大したもんだ」
    「でも俺もあいつを痛めつけた。
     知ってるか?あいつの服の下は傷だらけだ。
     俺みたいなゲスな奴らに散々痛めつけられたんだ……。
     アイツの血で固まっている服を取り換えてやる時、
     服の下の傷が、俺を責めたよ。
     この中のどれかはお前が付けたものだって。
     だから旅をした。」
    「おい、アイツが言った言葉を覚えているか。
     お前と一言も話した事の無かったアイツがお前の名前を知った時、
     もっと早くお前の名前を知りたかったと言っただろ。
     どういう事か判るか。
     お前の名前をもっと口にしたかったって、
     そう言ったんだよ。
     そんな事、お前を本当の友人だと思ってなきゃ言わない、
     お前がさっきまでウダウダ言ってたのは勝手な自己陶酔だ、
     確かに………」

    ぷっつりと、
    突如として男の話ている声が途絶え、
    まるで魂が抜き取られたかのようだった。
    身体は少し後ろへと傾き、
    手に持っているコップの中は溢れてしまうのではないか。
    カウンターの中からマスターは心配そうに覗き込み、
    かたや、もう片方の男はその様をじっと見る。

    「……いや、何を言いたいんだろうな俺は。
     ここで何を言い争ったって、
     肝心のリゲルはもう居ないのにな。」

    言葉が、哀しみを呼んで、
    押しかけた哀しみが喉の奥に詰めかける。
    とおせんぼされた二人の喉が喋るには、
    やはり、強い酒を飲むしか無いだろう。
    双方コップを持ち上げ傾け、
    ぐいっと一気に飲み干せば、
    もうマスターも問わずに替える次の酒。
    ヨナだけは唇を静かに震わせて涙を滲ませていた。

    良い事が起こると思っていた時に、
    悪い事が起こってしまうのはとても惨(むご)い。
    リゲルの顔は穏やかだった。
    胴体も落ち着き払っていた。
    首が体の上に乗り、友人の二人は笑みを浮かべたのだ、
    さぁ、今日は三人でこれまでの旅路の話を笑いながらしよう、と。
    だが遂に二体から一体となったリゲルはうつ伏せに倒れ込んだ。
    おい、どうした、リゲルどうした。
    駆け寄った二人がリゲルの身体を抱きかかえ、
    肩を揺さぶり頬を叩き、
    焦りが満ちる二人はとっさにリゲルの首を見た。
    首は確かに繋がっている。
    上は顎の下、下は鎖骨の上。確かに繋がっている。

    ラバンの方がリゲルの首元に手を当てた。
    それを見てヨナもリゲルの心臓の上に耳を当てた。
    気絶しているのかも知れない。
    首と胴体が分かれてたのが急にくっ付いたんだ、
    気絶の一つや二つするかも知れないだろ。
    生きていれば首が脈打つし、心臓が鼓動を刻む筈。

    両者とも目を閉じ、
    集中させたそれぞれの耳と指、
    リゲルの生きていると信じ必死に生きる合図が来るのを待ったが、
    首も心臓も二人に生を感じさせない。

    長く長く、
    二人がリゲルの身体に触っていたが、
    先に身体を離したのはヨナだった。

    「どうだ」

    それにラバンがそう問いかけたが、
    目を細めたヨナが言ったのは、

    「いや」

    という一言だけだった。

    「お前こうなるって判ってやがったな。
     だったら事前にそう言え、ばか。
     言いたい事とか、色々あるに決まってんだろうが。
     死んだら何も出来ねぇだろうがよ……」

    嗚呼、そうは言うがラバン。
    もし、死ぬから身体と一緒になりたいとリゲルが言って、
    お前はそれを黙って見過ごす人間だろうか。
    お人よしにも首を担いで数年数里、
    首だけの怪物の為にどれだけの苦労を費やしてやった。
    そんなお人よしのお前がそれを聞いて、
    むざむざ身体と一緒にさせまいよ。
    どこかで神が御覧ならばそうラバンに語りかけても良かろうに、
    花の一つも囁かないし、風の一つも慰めない。
    傍らのヨナも下唇を噛み、
    両手を拳にしてリゲルの亡骸を抱きかかえるだけだった。

    恐らく、暫く忘れる事は出来ないだろう。
    例え強い酒を何杯あおったとしても。
    心許せる女を何度抱こうとも。
    酒の器に振れる度に冷たくなっている体の温度を思い出し、
    女の身体に触れる度に抜け殻の身体の弱さを思い出す。
    ああリゲル、ああリゲル。

    この世の人間達にとってお前は終生怪物だったろうが、
    俺達にとっては紛れもなく一人の人間だった。

    「今頃かな、そろそろ森が躍り出す」
    「思ったんだけどな。
     あの森に憑いてるのは人間の魂だよ」
    「死んだ踊り子が乗り移った説か?」
    「あの森にはきっと心があるよ。
     リゲルに墓を作ってやった後、
     あんなにするりと出られただろ。
     きっと森達も気を遣ってくれたんだ。」
    「同情か」
    「いや、きっと尊重だ。」
    「……なるほど……。」
    「俺は墓参りに来るよ。エラメルトの森に。」
    「そうだな。
     他の奴はこう思うかも知れない。
     エラメルトの森に墓を建てるなんて馬鹿の所業だ、
     踊り狂う草木に踏みつぶされるからと。
     でもきっと墓はあのままだ。そうだろ?」
    「ああそのそうさ。だから絶対に行く。」
    「俺もだ。今夜の酒にかけて」
    「今夜の酒?もっと他にかける物はないのか」
    「なんだ知らないのか?俺達の地方じゃこう言うんだぜ。」

    緩慢な死だったのかも知れない。
    首と胴を切り離されたその日から、
    今日と言う日に至るまでの全てが長い長い死だったのかも知れない。

    男達が酒を飲む。
    遂には涙しようとも。
    御伽噺の様に語られた男の一生に幕が降り、
    その首と胴に寄り添った男達は人知れず乾杯を。

    今この夜、
    二人の男が流す涙はかけがえのない友人を失った悲しみと、
    その友人が『人間』としてようやく死ねた事への安堵が混ざり、
    酒が宥める気休めよりも、
    深々と上り立つそれぞれの記憶がただ、
    二人の肩を優しく抱くだけ。

    さよならリゲル。
    今宵はその魂がエラメルトの森と共に踊り楽しむ事をただ祈る。


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