その九人はどうした 前編
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その九人はどうした 前編

2020-01-25 18:53

    ナザレのイエスを知ってるかって。
    ええ、知ってますよ。
    それが、どうかしたんですか。

    えっ。
    いや、それは今初めて知りました。
    あのお方が、死んだって?
    しかも、十字架に磔(はりつけ)にされて?

    一体どうやったんですか。
    千人の兵隊でも出向いたんですか。

    私は確かにナザレのイエスを知ってると言いまわってます。
    はい、あのお方が神の御子だとも、言っています。

    ちょっと、あの、さっきのは冗談でしょう。
    あのお方が死ぬ訳がない。
    それに死に方が磔だなんて。
    そんなの、まるで罪人がひっ捕らえられて、
    なんの抵抗もないまま受ける仕打ちの様じゃないですか。
    貴方達はあのお方の恐ろしさを知らないから、そんな嘘を――。

    えっ 本当なんですか。

    そうですか……。

    ははぁ、なるほど。
    あのお方をそうして運良く殺せたもんで、
    ついでにあのお方を神の御子だと言ってる奴らも、
    一緒に殺して行こうって、そういう魂胆なんですね。
    私はこれから殺される訳だ。

    なるほど、貴方は優しい方だ。
    あのお方を神の御子じゃなかったと証言するなら、
    命は助けてやると仰るとは。

    いやぁ、無駄で御座いますよ。
    私みたいな一人の貧乏人がそんな嘘を言った所で、
    あのお方が神の御子だという事実が変わる訳でも無し。

    なんでそんなにあのお方を神の御子だと信じてるのか、不思議ですか。
    じゃあまぁ、私が初めてあのお方に会った時の事を、
    少し、お話ししましょうか。

    私は昔、石工をやっておりました。
    もっぱら家を作る際の下働きで、
    親方達が削った石を運んだり、
    ゴミを払ったり、まぁその程度の働きでした。

    それがある日、咳が止まらなくなったのです。
    何日もゲホゲホとやってるもので、
    親方は私の事を現場から摘まみ出し、
    それだけではなく、神殿にまで連れて行ったのです。
    神官様が私に「お前はらい病だ」と言ったので、
    私はらい病人が羽織る黒の濃い茶色の布をまとわされ、
    そのまま外に放り出されました。

    御存知の通り、
    自分はらい病人だという証の茶色の布を羽織ってるので、
    町の中の誰も私に近づかなくなりました。
    仕事にもいけません。
    一緒に酒を飲んだ友人も私を見て逃げるようになり、
    私は、それまでの一切を失いました。
    ただ、得たものは、同じらい病の茶色い布を被った、
    病人の仲間だけです。

    恐らく、私はまだその時らい病になっていませんでした。
    ちょっと、喉の調子が長く悪かっただけなのです。
    でも神官様の仰る事は絶対で、
    渡された病人の印の布を脱いでいる所を見たら、
    この町に病気を振りまく悪党だとされて、
    石打ちで殺されてしまいます。
    しょがなく私は神官様に行けと言われた所に行ったのですが、
    そこには、本当にらい病にかかっている人達が居ました。

    ええ、恐らく人生で一番強い嫌悪感を覚えましたね。

    こんな連中と一緒にいたら、
    らい病でなくとも、らい病になってしまう。
    こんな、肌が変に盛り上がり、ボロボロで、
    まるで豚の悪霊でも乗り移ったのかと思うような、
    醜い姿になってしまうと。

    どうですか。
    自分がらい病じゃないのにらい病人と一緒に居ろと言われたら。

    私は至極まともな考えをしていたので、
    出来るだけ彼らから離れて過ごしました。
    寝床と定められている洞穴に居た時も、
    施しのパンを求めて町中へ行く時も、
    何かにつけて、一番外側、それも出来るだけ離れた所に居ました。

    そうしますとね、
    何故か町の人達は、誰も私にパンを施してくれなかったのです。
    他の仲間はその日を凌げるだけのパンを貰っているのに、
    何故か、私にだけ、パンが恵まれませんで。

    私の居たその町では、
    そういった『お恵み』は町の人間の自主的なもので、
    誰に施すかまで、施す側が決めるのです。

    二日が経ち、三日が経ち、
    私に施す町の人間は誰もおらず、
    かといって、私は他の仲間からパンを分けて貰うのも躊躇いました。
    手渡されたパンから、らい病が移ってしまうのが、
    怖かったのです。

    三日目の暮にようやく私の前に人が現れました。
    以前働いていた現場の石工の親方がパンの切れ端を私の前に投げたのです。
    そのまま何も言わずに去ってしまったのですが、
    その去り際の親方の目を私今でも忘れません。
    まるで、汚れた犬でも見る様な瞳で、
    私はそんな目で見られた事が心底悔しく、
    道の上に投げられたパンを拾う事が出来ず、
    いよいよ日が沈みかかってもそのままでした。

    愚かでした。
    私はこう考えてました、
    余程の貧乏人や、
    大病に侵され神官様から「らい病だ」と言われた奴らは、
    もうまともな人間として戻ってこれない所に置かれた、
    人間の出来損ないであると、
    そう考えていたのです。

    咳さえ治れば、神官様に治癒した事を認めて貰えれば、
    私はまた「ちゃんとした」人間に戻れるのだと、
    そう考えていた頭では、到底そのパンを拾う事は出来ませんでした。

    日が暮れてしまえばもう洞穴に帰らなければいけません。
    でも、パンを貰えた仲間はなかなか帰ろうとしませんでした。
    私は彼らに気付いて、どうして帰らないのか、と尋ねました。
    すると、誰一人返事をしないどころか、
    じっとその場に座っているのです。
    私は気が付きました、
    彼らは私がパンを拾うのを待っていたのです。

    彼らが何で待っているのかはその時は理解できませんでした。
    ですが、私が渋々パンを拾い上げると、
    ようやく皆が腰を上げ、私も一緒に洞窟へと帰ったのです。

    そこで親方に投げられたパンを食べたのですが到底足りる量ではなく、
    久しぶりにパンを得た私の腹は欲張り、
    余計に空腹を覚えました。

    いや、ちょっと待って下さい。
    砂です。
    ええ、その時に、口の中で鈍い感触があったのを思い出しました。
    地面に落ちた際に砂粒がそのパンにめり込み、
    それを思いきり噛んでしまって、
    あれは本当に惨めな気持ちになりました。
    そのままジャリジャリ口の中で言わせながら食べ終え、
    腹も鳴り、惨めな気持ちで心が一杯で、
    そのまま眠ってしまえば悪夢でも見るに違いない、
    そんな事を思っていると、
    ある一人の仲間が、自分の分のパンを分けて、差し出してきたのです。

    何も言わず、差し出されたパンを私は受け取り、食べました。
    ええ、その手は、らい病人の手でした。
    ぶくぶくと膨れ、小指はもげ落ちてて。

    けれど考えられませんでした。
    このパンは、純粋な優しさという感情だけが理由で、
    相手がらい病だとか、人間の出来損ないだとか、
    そんな今まで私が嫌悪していた考えは一切頭には沸かず、
    相手の優しさを純粋に理解した私は、
    そのパンを受け取って、口に頬張ったのです。
    あんなに美味しかったパンはありません。
    甘いとか、塩辛いとかそういうのではなく、
    あのパンには確かに優しさがあったのです。

    なんで町中で私だけパンを貰えなかったか、と?
    恐らく、私の見た目が病人らしくなかったからではないでしょうか。
    『哀れな者を助けよ』、という言葉がありますが、
    私はその点、中途半端だったのです。
    茶色の布を着ているだけで、別段肌も崩れていませんでした。
    町の連中は、見た目が明らかに『病人』だという外の仲間に施す事で、
    ある種の満足感を得ようとしていたのかもしれませんね。

    それで、ナザレのイエスとの出会いはまだかと。
    すいません、どうせ殺される身だと思うと、
    沢山話しておかないと損だと思いまして。
    ところでどなたか、私の為に水を一杯頂けませんか。

    どうせなら、喉が潤った状態で話したいもので。
    ええ、きっと話し終えたら貴方達は、私を殺すでしょうから。
    せめて水の一杯くらい強請っても良いでしょうに。


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