• 第4話 東方魔導札 ―壺中の天地と緋想天―

    2019-09-16 15:49

     週末の午前。
     私は生まれて初めて、喫茶店という場所に足を踏み入れた。
     しかも家族以外の大人の人と。

     予想はしていたが、胡蝶さんは女性だった。
     黄金色の髪はたっぷりと伸びていて、まるで豊かに実った稲穂のようだった。
     髪を後ろにまとめ、スーツ姿という模範的な社会人の格好をしていたが、
     掛けている眼鏡が瓶底のように丸っこいので、なんだか子供の私にも親しみやすかった。
     あるいは親しみを感じた理由は、
     実際に聞いてみた胡蝶さんの声が、予想以上に優しいものだったからなのかもしれない。

     私は緊張を誤魔化すためにストローを咥える。
     胡蝶さんはコーヒーを、私はコーラを頼んでいた。
     我ながら子供っぽい。
     普通の作家さん達は、打ち合わせの時に何を頼むものなのだろうか?

     胡蝶さんは丁寧に封筒を紐解くと、A4紙を取り出してさっと目を通す。
     チラリと覗き見てみたが、
     そのA4紙にはワープロで打ち直された英雄物語が印刷されているらしかった。

    「正直驚きました、博麗先生以外にこんな文章が書ける女の子がいたなんて・・・」

     博麗先生、その単語が出た時。
     私は息が詰まるような後ろめたさを感じた。

     やっぱり、すぐにバレるものなんだ・・・。

    「ただ、残念ですが・・・。この作品は、そのまま出版するのは難しいんです」

     私は下唇を噛みしめる。
     そっか、そっか・・・そりゃそうか・・・。

    「理由は、お分かりですよね」

    「はい・・・」

     俯く私を宥めるように、胡蝶さんは穏やかに語り掛けてくる。

    「こういうケースは珍しくありません、むしろあるあるです。
     わざと露骨にモチーフを真似る作家さんも、結構います。
     多くの場合は問題にならない程度に改訂して、編集会議に持って行くのですが・・・」

     胡蝶さんはA4紙を置くと、その隣に手を組んだ。

    「あなたの場合、問題となる要素が作品の根底から絡みついています。
     まるで魔王奇譚の世界の中に、そのまま存在しているかのような作品でした」

     恥ずかしくて、苦しくて。頭がいっぱいいっぱいになる私に。
     胡蝶さんは優しく笑いかけた。

    「比那名居さん、魔王綺譚、大好きなんですね」

    「はい・・・」

     少しだけ間を置いた後。
     胡蝶さんは少しだけ歯切れの悪そうに話を続けた。

    「あなたの作品を世に出すことは難しいんですが、
     その・・・、これとは別にあなたに依頼したい仕事がありまして・・・」

     私は目を上げると、胡蝶さんはバツが悪そうに額を掻いていた。

    「物語の代筆、まあ、その・・・つまるところ、ゴーストライター、です」

    「ゴースト、ライター・・・?」

     思わぬ言葉に、私は唖然としてしまった。

     ゴーストライター?
     ゴーストライターって、あのゴーストライター?
     なんで・・・?
     なんだ、なんで、なんで、なんでっ!!

    「酷な話なのは重々承知しています。
     本来なら未来ある新人の先生に依頼するような仕事ではないということも。
     それでもこれはあなたが適役なんです、これができるのはあなただけなんです」

     今にも爆発しそうになる私に対して、胡蝶さんは頭を下げた。
     テーブルに三つ指をついて、まるで土下座のような姿勢で、深々と。

    「どうか引き受けてください、お願いします」

     私はしばし押し黙った。
     色んな感情が一気に込み上げてきて、ぐるぐるぐるぐると渦を巻いている。
     どうすればいいのかわからなくて、わけがわからなくて。

     それでも、「あなたしかいない」なんて言われたのは、生まれて初めてだった。

    「わかりました、やります」

     私は身を乗り出すように声を上げた。

    「いえ・・・、やらせてください!!」

     胡蝶さんは驚いたように目を丸くした後、安堵したように破顔して、
     胸に手を当てて深々と息をついた。

    「よかった・・・。ありがとうございます、比那名居先生!!」

     比那名居先生。
     そんな風に呼ばれた時、私はようやく喜びを実感し始めた。

     そうか、私、『先生』なんだ・・・!
     ゴーストではあるけれど、ちゃんと作家になれたんだ!

    「本当にありがとうございます! 助かりました!」

     胡蝶さんは笑顔で私の手に掌を重ねる。
     胡蝶さんの体温は、陽向で暖められた木の床のように温かかった。
     私はなんだか恥ずかしくなって、慌てて手を引っ込める。

    「あの、それで・・・、私は誰の作品を代筆すれば・・・?」

    「ああ、それなんですが。実は既にその先生をお呼びしているんです。
     いや、本当によかった。もし断られてたら大変なことになってましたよ、あははっ」

     その悪びれもしない態度に、私は内心ムッとする。
     何だこの人、初めから私が断るなんて思ってなかったって言うの?

     疑念を沸かせる私をよそに、胡蝶さんは席から立ち上がって大きく手を振る。

    「あっ! いらっしゃったみたいですね! 先生、こっちですよ!」

     来たんだ、私が代筆する物語の作者が。
     今更ながらに緊張してくる、怯えが出てくる。

     どんな人なんだろう、怖い人じゃないといいな・・・。
     厳しい男の人とかだったら嫌だな・・・。

     そんな嫌なイメージに囚われていた私に、ふと鈴の転がるような声がかけられた。

    「え・・・。比那名居、さん?」

    「へ?」

     女の人の声だった、それもかなり若い人。
     いや、というよりも、むしろ。『聞き覚えがあった』のだ、この声は。

    「そんな、まさか・・・」

    「博麗先生! 代筆してくれそうな方、見つかりましたよ!」

     恐る恐る視線を挙げると、そこに立っていたのは。
     博麗 玲夢、その人だった。

  • 広告
  • 第3話 東方魔導札 ―壺中の天地と緋想天―

    2019-09-16 11:02


     あの子のようになりたくて。
     あの子の存在に近付きたくて。


     幼き日の私は、『魔王綺譚』という一冊の本に心を奪われた。
     ジャンルは伝奇小説。
     主人公『マリー』とその仲間が力を合わせて、復活した魔王に立ち向かう英雄譚だ。
     今なお完結していない長編作品だが、その構成は比較的単純で区切りがいい。
     魔王綺譚は一巻に一章ずつ物語が分けられており、
     その章毎にゲストキャラクターとゲストキャラクターに因縁のあるボスが登場し、
     マリーとゲストキャラクターが友情を深めてボスと対決するというのが話のメインだ。
     最後の敵であるはず魔王は、その存在を匂わせるだけで未だに登場していない。
     もしもこの魔王綺譚に最大のネタバレがあるとするなら、それは魔王の正体だろう。


     物語の面白さもさることながら、私はこの魔王綺譚が、
     私と同い年の女の子が書いた物語だという事実に何よりも惹きつけられた。

     こんなに面白い物語が書ける女の子がいるんだ。
     大人顔負けの知識を持っている天才少女作家が実在するんだ。

     まるで街頭に誘引される羽虫達のように、凡人は天才に寄って集っていくものだ。
     数多の凡人達と同じように、私は博麗 玲夢という一人の天才に魅了された。

     だからこそ、同じ教導院に彼女がいたと知った時は、心臓が止まるのかと思った。
     後ろ髪を引かれるような思いで地上の教導院に嫌々入学したことなんて、
     その時だけは頭から消し飛んで、ただひたすらに興奮した。

     同じクラスに配属された時は、運命だとさえ思った。
     私は彼女と引き合わせられるのが天の意志なのだと、本気でそう考えていた。

     けれど。

    「博麗さんって、もしかしてあの博麗さん!?」
    「すごーい! 私、大ファンなんです! 魔王綺譚、全部初版で持ってます!」
    「サインしてください!」

     魔王綺譚に魅せられた羽虫は、私以外に幾らでもいた。
     天の意志なんてどこにもなかった。私はただの、みっともない勘違い女だったのだ。

     それから私は、中古のノートパソコンを買って、物語を書くことに没頭した。
     私はお前達とは違うんだ、私は魔王綺譚の光に誰よりも近付いて見せるんだ。
     まるで譫言のように、私はそう繰り返した。

     元々文章を書くことは好きだったが、本格的に物語を書くようになってからは、
     私は魔王綺譚の作者である博麗 玲夢を徹底的に研究した。
     ストーリーを解剖して、世界観を分解して、文体を統計して、インタビューを分析して、
     特に気に入っていた巻は写経さえした。

     そして私はいつしか、博麗 玲夢の完全なコピーになることが目的になっていた。

     わかっている。
     こんなの全然、アートじゃない。
     仮に博麗 玲夢と全く同じ技術を身につけられたところで、
     私は絶対に博麗 玲夢になることなんてできないだろう。

     それでも。

     せめて空想の世界の中では博麗さんの隣に並びたくて。
     せめて物語の中では博麗さんと友達になりたくて。

     そして私は1つの物語を完成させて、出版社の賞に応募した。
     タイトルは『英雄物語』。
     なんのことはない、ストーリーと登場人物以外は魔王綺譚の丸パクリだ。
     博麗 玲夢の、完全なデッドコピーだ。

     そして私は今、玄関の扉に背を預けながら、携帯電話を握りしめている。
     絶望に満ちた、惨憺たる思いで知らせを待っている。

    「馬鹿みたい・・・」

     本当に、馬鹿みたいだ。
     今日、嫌というほどに思い知らされた。
     私は博麗 玲夢になれっこないのだ。

     多分、英雄物語も落選していることだろう。
     他でもない、魔王綺譚の版権を持っている出版社が公募している賞なのだから、
     英雄物語が魔王綺譚のコピーであることなどバレないわけがない。

     それでも諦めきれなかった、どうしても諦めたくなかった。
     コピーでこそあったものの、英雄物語は私が魂を込めて書いた作品には違いがないのだ。
     評価されて欲しかった、認めて欲しかった。
     私は――

     その時、携帯電話が鳴った。

     肩が大きく跳ねて、私は慌てて画面を確認する。

    「知らない番号だ・・・!」

     まさか、まさか、まさか、まさか・・・。
     私はゴクリと生唾を飲み、通話のアイコンをタップした。

    「はい、もしもし! ひ、比那名居です!」

    「もしもし、こちら北枕社の編集部です。
     ははは。声がお若い、本当に学生さんだったんですね」

     脚が震える、呼吸が荒くなる、手にはじんわりと汗が握る。
     震える私に、電話先の女性は明朗に告げた。

    「おめでとうございます! 比那名居さんの『英雄物語』、見事入賞しました!
     私はこれからあなたの担当編集になる『胡蝶』と申します。よろしくお願いします!
     挨拶とこれからの打ち合わせに伺いたいので、ご都合のいい時間はありますか?」

  • 第2話 東方魔導札 ―壺中の天地と緋想天―

    2019-09-15 16:30

     酷く息苦しい学校生活の1日も過ぎて、放課後。
     今日の出来事で思い出せるのは、無駄に力を入れた研究発表で大恥をかいたことだけだ。
     完全な空回りだったらしく、クラスメイト達は怪訝に首を傾げていて、先生も苦笑い。
     評価は下から2番目の『銀賞』だった。
     私は夕陽の差し込む窓辺の席で、深々と溜め息をついた。

    「はぁ・・・、今日も誰とも仲良くできなかったな・・・」

     そりゃそうだよね、私だってこんな陰気な奴がいたら関わりたくなんかない。
     私は教科書で隠した文庫本に視線を落とした。

     それは大ヒットを記録している伝奇小説の最新巻だ。
     拷問のような時間である昼休みも、私はこの本のお陰でなんとかやり過ごせている。
     ・・・というよりも、この本に依存して、私はずっと自分の殻に閉じこもっている。

     巻末は主人公のマリーが、深淵に呑まれていく友達を助けるために、
     必死で駆け寄って手を伸ばすシーンで終わっている。
     『引き』というやつだろう。この終わり方はズルい。次の巻も買うしかないじゃないか。
     私は待ち遠しくて待ち遠しくて、この巻だけでも既に3周してしまっていた。

     私は本を閉じると、一つ大きくため息をついて窓越しに茜色の夢幻園の空を見上げた。

     友達の為に命を懸ける、か。
     それってどんな感覚なんだろうな、と私は思う。

     自分の命より大切なものを守るために戦う英雄達。カッコいいし、素晴らしいと思う。
     けれど、そもそも戦ってまで守りたいものを持っていない者はどうすればいいのだろうか?
     覚悟を決めて戦ったとしても、足手纏いになるだけの弱い戦士に居場所はあるのだろうか?
     何の目的も使命もなく、ズルズルと人生の無駄遣いをしている私みたいな奴って、
     物語の中には存在する価値さえもないのだろうか?

    「主人公、か」

     私は教室の中心へと目を移す。
     そこでは一人の少女が、多くのクラスメイト達に囲まれて談笑をしていた。
     今日の話題は、どうやら彼女が研究発表で『特賞』を取ったことについてのようだ。
     すごいな、昨日は体育の授業でハットトリックを決めて大喝采だったのに。

     文武両道、容姿端麗、つまるところ才色兼備。
     おまけに結界術の1級試験を最年少で突破したという記録を持つ、
     絵に描いたような正真正銘の天才少女。

     彼女の名前は、博麗 玲夢。
     由緒ある巫女の家系、博麗一族の最高傑作。

     主人公っていうのは、彼女みたいな人のことを言うんだ。
     血統に恵まれていて、凡人よりも努力家な天才のことを言うんだ。
     私みたいなクズとは違うんだ。

    「あんな風に、なりたかったな・・・」

     同じ名家の血筋なのに、どうして私と彼女はあんなに違うんだろう。
     どうして私は、彼女のようになれないんだろう。
     答えの出ない問いは澱となって、私の中をぐるぐると回り続けた。

     ふと、その時。
     クラスメイト達に囲まれた博麗さんはつい、と、こちらへ視線を移した。
     目が合った、博麗さんと。ジロジロ見てたことに気付かれたの?
     私は慌てて視線を文庫本に落とし、上目遣いにチラリと博麗さんを確認した。

     博麗さんはジッとこちらを見つめたままだった。
     そして1つだけにっこりと笑うと、私の方へ歩み寄ってきた。
     ・・・私の方に!?

    「比那名居さん」

    「は、はぃ!?」

     鈴の鳴るような声で名前を呼ばれると、私は上ずった声で返事をする。
     博麗さんは私の机の上に手を着き、目をキラキラさせて言った。

    「今日のあなたの研究発表、とっても良かったよ!
     私と感性がすごく似てるんだと思うんだ!」

     一瞬、何を言われているのかわからず、固まってしまった。
     私は目を見開いたまま、身動き一つできなかった。

     しばし硬直していると、
     遠巻きに私と博麗さんを見ていたクラスメイト達がヒソヒソと話し始める。

    「へー、あのダメ天子がね・・・」
    「すごいよね、博麗さんが褒めるなんて」
    「誰にでも得意なことってあるんだね」

     私はようやく自分が褒められているんだと気付くと、
     心の底から歓喜と興奮が――湧き上がらなかった。

     私の中に満ちたのものは、困惑だけだった。

     なんでみんなのいる前でそんなこと言うの?
     そういう話がしたいなら、私が一人になるまで待っててくれればよかったのに。
     そして・・・それは皮肉なの? 同情なの? あなたは特賞で、私は銀賞なのに。

     私は俯いた。
     こんなことしか考えられないなんて、なんて嫌な奴なんだろう、私は。
     違うんだ、こんなことを考えている場合じゃないんだ。
     私はずっと待ってたんだ、こういう風な、博麗さんと仲良くなれるチャンスを。

     何か言わないと、何か返事をしないと。
     彼女に気に入られるような、最高の反応をしないと。

     必死で思考をぐるぐるさせている間、博麗さんは困ったように首を傾げたが。
     ふと、何かに気付いた様子でこちらの手元を覗き込んだ。

    「あれ、比那名居さん。今読んでる本って、もしかして――」

     その瞬間、私の脳から理性(ヒューズ)が飛んだ。
     思考が真っ赤になって、弾けるように過熱して、私は思わず叫んで立ち上がった。

    「見ないで!!」

     大きな音があった後、教室はしんと静まり返った。
     クラスメイト達が好奇の視線が、私と博麗さんに集まっている。
     前の席の机は崩れ、博麗さんは目を丸くして、倒れた椅子の隣に尻餅をついていた。

    「あ、あ・・・」

     私は、博麗さんを突き飛ばしていたのだ。
     状況がわかってきたと同時に、クラスメイト達が声を上げる。

    「は、博麗さん、大丈夫!?」
    「おい、比那名居、お前!!」

     私はどうしようもなくなって、慌てて教科書で隠したその本を鞄の中へ押し込むと、
     逃げ出すように教室から走り去った。
     いや、逃げ出すように、じゃない。逃げたのだ。
     怖くて、苦しくて、悔しくて、恥ずかしくて、どうしたらいいのかわからなくて。
     兎に角あの場から離れたかったのだ。

     廊下を走り、校門を抜け、通学路の半ばまで来ると。
     私はようやく、自分のやってしまったことを実感し、頭を抱えて唸った。

    「最低だ、最低だ、最低だよ・・・!」

     せっかく博麗さんが話しかけて来てくれたのに。
     褒めてくれたのに、認めてくれたのに。
     あれが切欠で仲良くなれたかもしれないのに、私は・・・!!

    「う、あ、ああ・・・!」

     情けなくて、惨めで、消えてしまいたかった。
     生きてきた中で、自分自身のことを一番嫌いになった瞬間だった。

     その後、私は幽鬼のような足取りで部屋に戻ると。
     玄関の扉に背を預けて蹲り、泣いた。

     鞄の中に慌てて隠した、私の大好きな本。
     その著者は、『博麗 玲夢』その人だったのに。