Gレコ3話見た感想 ~人命救助にモビルスーツってさ~
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Gレコ3話見た感想 ~人命救助にモビルスーツってさ~

2014-10-11 04:53

     Gレコも早いもので③話まで放送が終了した。
     先行公開分はここまで、次回からは未知のGレコが始まる。
     今回も感想行ってみます。


    ○濃密な世界(生きる)描写

     今話の一番の売りになるであろう部分はやはりここだろう。
     モビルスーツという異様な存在をいかにリアリティあるものとして描くかというのがロボット物において最初の壁となる。
     そこでさらにキャラクターも生きているものとして描かなければならない、情報量があまりに多いジャンルであるが、見事にこの一話で描き切っている。

     例えばGセルフに4人が乗り込むときに、目の点灯をベルリが知らせる描写がある。この機械とそして人のスケールや機能の違いを短く的確に演出している。
     さらにベルリがアイーダが曖昧な指示を出しそれを汲み取ったという、通じ合った無邪気な喜びから少年の純情をも表現していて非常に味のあるいいシーンになっている。
     それに加え、Gレコ動物園というべきたくさんの動物描写だ。モビルスーツの駆動に合わせて家畜の牛かヤギみたいなのが逃げ惑う姿を見せたり。
     この世界の汚染基準や環境のレベルがさり気なく表示されていて、さらに旅行している感もありとても楽しい。

     閃光のハサウェイで、汚染によって海洋生物がやばいことになっていたりするのに比べるとなんとも美しくなったものだ。

     そして例のトイレ描写だ。生きていることをこれほど実感させる描写はあるまいし、それに至るまでに一度、MSのトイレ機能が使われて伏線がはられているというのもまた見事なものだ。

    ○包容力のある大人

     さらにたくさんの大人の描写が出てくるが、妙なくらいに物分かりがいい人物ばかりである。
     情報部の長は、アイーダの憧れた大人がさらに死によって美化された熱情をたたきつけられ毅然と言葉を返す。
     感情の激発こそ開放だと言っていた中期富野の面影は無い。

     さらに母親との関係。いつやばいことになるかとハラハラしていたら、なんと……屈託なく母に「権力を使ってくれませんか」とベルリが頼む始末である。
     ここに来て完全に親子関係に軋轢はないことが確定した。逆に怖い。
     さらにその後、ベルリの手の怪我を見て心配するシーンまで入る。どうしたというんですか監督。マジで怖いんすけど。

    ○人命救助にモビルスーツ

     富野由悠季がターンエーで確信した、モビルスーツという機械への正の部分である。
     巨大なパワーと心の光を利用したスーパー・パワーを備える機械を、しかし戦争と破壊にしか使えなかった初代からVのジレンマと(それを開放しようとしてできなかったダンバインと)生活を助けるという本来の機械の要素に戻したことによる逆説的な答えを得たことが生きている。

    キングゲイナーで度々出てきた土木工事の手伝いをするロボット像をさらに活かし、人命救助をするロボットを描いた。

     殺し合いや人の因縁をうっちゃって、消火剤がついてるの! と人名へ手を伸ばすGセルフはなんと正しい輝きに満ちていて、また助けた人の顔がよく見ていた顔だったから、嬉しさもひとしおある。物語の達成感とテーマを高次元で融合させたとてつもない作業だ。
     これだけのことを25分のフィルムにまとめるとかもう超人の域である。

     そして今回、ベルリとアイーダはキャピタルがエネルギーを世界に分配する役割を持つ権力機構であり人は有限たる力に、エネルギーに対してどう向き合うべきかという問が投げかけられる。
    「神のような男だったのですか?」
     力を扱う意味、そして間接的に力の象徴であるGセルフの危険さをもついたこの一言がさらにこのさきの展開を楽しみにしてくれる。
     だっておそらく監督はこの問いを投げ出すことはしないと思うのだ。だってこれは「子供へのメッセージ」なのだから、きっと答えを高らかに言う気マンマンでいるんじゃないだろうか。
     全くもって目が離せないぞガンダム。



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