凡人が考えたGレコという物語の展開予想が完全に敗れ去った話
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凡人が考えたGレコという物語の展開予想が完全に敗れ去った話

2015-04-16 21:39


    *注;この文章の大半は、18話視聴以前の考えがベースになっており、本編の内容とは一切合切関係ありません。



     ライダー一挙放送にかまけ、クロアンも純潔のマリアもファフナーも見れず、あまつさえGレコを見ないという犯罪じみた日々を送っていた自分もついにGレコを見ることが出来た。

     情報が公開された瞬間から僕は富野由悠季という一世代を作り上げた伝説のクリエイターの最新作に、心ときめいていた。
     僕は「ブレンパワード」という作品が大好きである。
     これはVガンダム以降、アニメ制作に携わる機会がなかった富野監督が、アニメ復帰一弾として作り上げた作品で、心を震わせてもらった作品だった。
     オルファンという神のごとき古代遺跡の研究に囚われた家族に違和感を感じた主人公がその家を飛び出して苦悩する作品である。主人公の懊悩、そしてそのライバルであるジョナサン・グレーンという主人公の影のような男との対話。
     それを支える宇都宮比瑪というたくましい少女との触れ合いにより、頑なだった少年の心が成長していくさまにたまらなく心を揺さぶられる。
     
     富野作品はひと通り見てきたけれど、僕は若造でザンボット~ファーストガンダムまでの名作をリアルタイムで見れず、ネタバレくらいまくった後に見た人間だから、新鮮な気持ちで見れたのはこのブレンパワードが初だった。
     そして、まっさらなまま作品を味わうことで感動して、心から富野由悠季を好きになったのはこの作品のおかげだった。
    (すいませんリーンの翼は未見です)

     ところで富野作品の特徴として親子関係が非常にこじれているというものがある。Zガンダムのフランクリン・ビダンのようなガチクズ親から、ダイターン、Vガンダムの人間としてちょっとやばい親など親が登場する作品はだいたいその関係が歪んでいる。。
     ザンボット3のような例外もあるが、基本的に富野作品の親は一癖ある人間が多い。
     
     しかしGレコでは初めてそのような関係性が崩れていったのだ。
     
     主人公、ベルリと母の間にはかつての富野作品で見た憎しみ部会関係など微塵もなかった。
     
     第一話でベルリは学友に「運行長官の母を持つ」と揶揄され、少し顔をしかめていた。
     これはコンプレックスであり、これを乗り越えていくことがテーマなのかなと僕は思ったし、そのことでブレンパワードが頭をかすめた。同時に少しがっかりしたものだ。その話はブレンパワードである程度解決されていたのだから。
     だが次の話で、なんとベルリと母は笑いあいながら抱擁までし合ってみせたのである。
     正直目が点になった。
     今までこんな穏やかな親子関係を富野作品で見たことがなかったからだ。
     凄まじく警戒した。
     いつ「これ……母さんです」とVガンダムみたいにならないかと。
     
     だがしかし、同時に思ったのだ。今回はこのプラス面での親子関係が主軸になってくるのではないかと。
     結論から言えばそんなものは欠片も関係なかったし、Gレコを読み解く上でまるで見当外れな視点だった。
     だが取り敢えず、僕がGレコに何を求め、そして盛大にどういう間違いをしたのか語ってみたい。
     Gレコが何を伝えたかったかなんてのはほかの頭がいい人たちが凄まじく詳細に解説してくれているし、こんな旬を逃した状態で語っても面白く無いだろうから。
     
     
     さて、僕はGのレコンギスタという話を親子関係という視点で収束を始めるのではないかと考えたわけだ。
     これは話数を消化するごとに僕の早とちりな脳は確信を深めていく。
     
     Gレコの序盤はだいたいこういう話だ。
     海賊行為を働いてきたモビルスーツを鹵獲してみればそこからはアイーダと名乗る少女が出てきて、その少女を助けに来たモビルスーツを、ベルリは成り行きで撃墜してしまう。
     そのモビルスーツに乗っていたカーヒルという人物はアイーダの恋人であり、その罪悪感からベルリは海賊軍へと身を投じる事になるというのが前半の主な流れだ。
     
     目立つ登場人物において、親持ちの人間がとても多い。
     
     ベルリ 運行長官の母を持つ
     アイーダ 軍事長官の父を持つ
     天才クリム  大統領の父を持つ

     主要登場人物のだいたいが立場を持つ親を持っているという共通点がある。
     この主要登場人物の中で一人だけ例外がいる。 とりあえずノレドやラライアはヒロイン枠として別に考える。
     それはライバルキャラのマスクである。
     明確なライバルキャラとして描かれるマスクは親を持たない。しかし彼は在る人間の強い影響を受けている。
     それはもちろん、情報部のクンパ・ルシータ大佐である。クンパ大佐の働きにより、キャピタルタワーの自衛組織でしかなかったキャピタルガードはキャピタルアーミーとして組み替えられ、その重要なポストにクンパはマスクを見込んで編入させる。

     いわばベルリが運行長官の息子だから、キャピタルガードに入ったのとあたかも対応するようにマスクはキャピタルアーミーに入っているとも取れる。
     マスクは情けない男である。終盤に至るまで戦闘で勝ち星を上げたことが本当に1回もない。
     新型モビルスーツに乗り込み、ベルリに突っかかっては負けるのを繰り返す。これはガンダム以降の富野作品の様式美でもあるが、シャアやジェリドは左遷されているし、マシュマーは強化人間にされる罰も受けている。
     しかしマスクはそんな派手な黒星まみれの戦歴でも軍の中で一定以上の発言権を常に保ち続けている。これは違和感であるが同時に伏線でもあるのかと考えた。
     
     これはクンパ大佐の圧力ではないだろうか。そう考えればクンタラという崖っぷちの立場での失敗連打を繰り返しても残れることに辻褄は合う。このコンプレックスが爆発することで作劇にもダイナミックさが産まれるし、後半に明かされることで納得感も出る。
     だがなぜクンパ大佐はこんなにもマスクに肩入れするのか。見込んでいるとはいえ納得できる許容量を超えている。
     しかしそれが、マスクが大佐の血縁者だったら?
     彼が度を越してマスクに甘い理由もこれでいっぺんに説明がつく。
     これにより主要登場人物すべてに「親と子」という1つのテーマで線引がされた。
     さらにベルリとアイーダの二人にも何らかの血縁関係があるのではないかという示唆が初期から行われていた。
     
     主役機、Gセルフにはレイハントン・コードという謎の生体認証があり、それはベルリとアイーダ(とラライア)しかつないこなせなかった。生体認証で、二人しか使えないという点で最も簡単に考えられるのはベルリとアイーダに血縁関係があるということである。
     1話の段階でこの2人(3人)の間には血縁関係があるのではないかと噂されていた。
     
     さらにアイーダには父しかおらず、ベルリには母しかいない。 
     僕の中にはアメリア大統領とスコード教幹部の禁断の恋によって生まれた子供と、そのスキャンダラスな出来事から愛憎交えたスペクタクルが展開されるのではないかという妄想に染まりきった。
     
     その想像は話を越し、実際にベルリの母が相当無茶をやってベルリを助けにシャトルで来る所で確信に変わった。
     それはその少し前にアイーダの父が最前線へと登場するのとほぼ時を同じくしていたからだ。
     親たちが出会い、そしてドロドロの昼ドラ展開するんちゃうの? やったぜ。と僕はガッツポーズをしながら次週を楽しみにしていた。
     
     さらに考えを決定づけたのは富野監督がGレコを作成に取り掛かる前にやった講演会で、関心ごととして知らず知らずに刷り込まれてしまった慣習や常識といったものが産む偏見に対して考えているという旨の発言をしているのを小耳に挟んだからだ。
     アメリア軍の重鎮とキャピタルタワーの運行長官という敵対組織の(実際は違うんだけどこの時はそう思っていた)トップ二人の許されざる恋によって生まれた姉弟が、両親の都合により離れ離れになった。
     その理由が、両親それぞれが仕事と立場を選んだが故の結果であり、国の壁という慣習や常識が産んだ悲劇である。
     さらにそれが原因として実の姉弟であるベルリとアイーダが殺し合いをするような出会いをしてしまったのだ。
     それはまさしく両親たちの、ひいては世界の体面と常識が産んでしまった悲劇として描ける。
    「慣習と悲劇」というマクロな視点と「親と子」というミクロな視点がこうすることで繋がる。
     そして昔のようにわだからまりから戻れない親たちと、屈託なくしがらみに囚われず家族として絆を深める子どもたちを対比させ、子どもたちはそういう固定観念にとらわれぬまま家族として生きることをやるのかなと思ったのだ。僕の中では完全にGレコは「親子の物語」として読み解かれていった。

     ならその落とし所は? 
     ベルリとアイーダは上記の分析から敵対することはほぼ無いはずだ。実の姉弟でも争うしかないとかいうのはブレンパワードでやったことだし。
     
     
     ここでもう一つ登場するのが、度々本編で触れられていた「クンタラ」という概念である。
     これはGレコの世界における人種差別、あるいは階級差別のようなものであり、クンタラの人間は普通より社会的に一段下がる扱いを受けるらしい。
     
     そして、ならば親子関係においてさらに歪なものを抱える第三者を投入することで、その歪みをより可視化するのだろうと考えた。
     クンタラという設定はまさしく「社会が生み出した固定概念」というやつだ。過去の奴隷階級のようなもので、クンタラだからというだけで差別を受けている。
     このクンタラだからという慣習で差別を受けている常識に、何かとんでもないどんでん返しを与えてやれば、「刷り込まれた常識で判断することの危険」を伝えられる。
     そしてこのクンタラもまた「血筋によって受け継がれる」ものであるということだ。
     マスクことルイン・リーはこのクンタラという被差別階級に生まれている人間である。彼にクンタラという呪いを与えたのはもちろん親であり、Gレコの社会全てだ。
     クンタラという設定は血のつながりという設定と非常に相性がいい。
     
     それを考え僕は、上記で上げた本編描写から読み取ったものからも、マスクとクンパは血がつながっているのではないかと考えた。
     
     だがこのまま組んたらの設定をただの被差別者としてのみ扱ってしまえば、弱者のヤムに稀ぬ暴発を力で押しつぶすだけの後味の悪さが残ってしまう。
     そこでまず、物語の展開にダイナミズムを持たせるためにクンタラの設定にも大きな仕掛けがあるのではないかと考えた。
     
     本編中でクンパ大佐は、あきらかに一介の地上人には持ち得ぬコネクションを持つ姿を描写される。
     
     それはフォトンバッテリーを作る宇宙の人々へ通信を行う描写がある。
     宇宙戦を開始したタイミングで、クンパ大佐は宇宙への情勢に対して明らかに地上の人間が知る由もないことを知っており、それを度々描写されていた。
     つまり宇宙へのパイプを持っているというのは明らかであるが、ではそのパイプはどこからゲットしたのだろうか。
     宇宙エレベーターの利権を言ってに占めるキャピタルタワーの重鎮だから?
     しかし同じくらいの権力があるベルリ母はそのようなパイプを持っている形跡がない。
     これはクンパ大佐独自のコネクションということになる。
     ではそれはなぜ持っているのかということを考えると、もちろん「クンパ大佐が宇宙勢力のスパイである」という結論に行き着く。
     
     ではなぜ宇宙とクンパ大佐が繋がっていなければならなかったか。諜報部の長という立場以上のことを彼は行い、なんらかの野望を秘めているような立ち振舞をする。
     このキャラをこの位置に配置した意味とは。そこから逆算し伏線が最後にどう解かれていくのかを考える。
     
     前述したが、Gのレコンギスタはクンタラが被差別階級という常識がなんらかの転倒をおこすのではないかという推測が成り立つことを話した。では常識の転倒とは? それは「価値観が逆転する」ことがわかりやすい。
     僕はマスクの父がクンパ大佐であり、クンパ大佐はクンタラに関係があると考えている。それと宇宙への特殊なコネクションという要素を足して考える。
     
     そもそもクンタラはなぜ差別されるようになったのか。本編ではほぼ終盤までそれは語られない。なぜひたむきに隠すのだろうか。それは設定考えてないなんてことはありえない! つまりクンタラの発生した理由は隠さなければならないほど物語にとって重要なのではないかとかんがえられる。
     それから察するに僕はこう結論づけた。
     
     クンタラは元々、地球圏の本来の統治権を持っていた――。
     という歴史があるのではないだろうか、
     
     フォトンバッテリーを配布するキャピタルタワーは宇宙に住む人々が持ち込んだ建造物である。これを地上にもたらした宇宙人技術者は絶対にいるはずであり、その技術と裏腹に地上の文明は中世時代で止まっている。
     そんな科学技術の後退した文明の中、圧倒的な科学力を盛った技術者たちは英雄のように、あるいは神のように扱われたのではないか。
     しかし彼らは特権により次第に傲慢になっていき、地上の人間にその座を追い落とされる。
     追い落とされた彼らを、傲慢になってしまった失望と怒りから地上人は「クンタラ」と呼び嫌った……。
     そのようなバックストーリーを妄想すれば、クンパ大佐が何を望んだか自ずとうかがい知れる。
     
     彼は本来クンタラが地上の支配者であった歴史を知っており、地上を正当に支配できる権利がクンタラにはあるという妄執を抱いている。
     しかし社会常識からそのようなことは言えないので、出自を偽ってキャピタルタワーへと出仕し、内部から変えようと能力を生かして上に上り詰めた。
     野望のために彼は身重の妻と子を捨てていった。その子がルイン=マスクである。
     ルインは母に育てられ、父であるクンパを知らずに育つ。母もクンパの立場を考えて何も言わなかった。
     上り詰めた彼は、自分が老い先短いことを知って諦めの境地にいたが強くたくましく育ってルインを見て、息子になら先をたくせると考え野望を成就しようとついに動き出す。
     
     というストーリーだと僕は確信していた。
     野望のために家族を捨てたルインとクンパ。そして立場と権力によって家族をばらばらにされしまったベルリとアイーダ似たもの同士の対になっており、そんなマスク達を見て改めて自分たちの関係を考えなおすこともできる。
     これが僕の考えたGのレコンギスタという作品だった。
     
     そんなものは15話を超える頃には全く見当違いの妄想だということがわかってしまったのだが……。
     Gのレコンギスタはそんな生ぬるい家族の話ではなかった。
     もっと巨大で、もっととんでもないものだったのだ。
     
     それがどういうものかは別の機会に書こうと思う。
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