「わぁぁああああ! ねぇねぇ、すごいよ! 起きて起きて!」

「んー…」

 彼女が興奮した様子でバシバシとたたき起こしてくる。

 勘弁してくれよ…。こっちは怠惰に怠惰を重ねた夏休みに朝五時起きというミッションを課されて寝不足なんだ…と思いながらも、眠たい目をこすり窓を覗き込む。

「うぉぉぉおおお! すげー! めっちゃ綺麗じゃん!」

「でしょでしょ!? 渋ってたけど、来た甲斐あったでしょ? ほら、わーい!」

 わけもなく僕らはハイタッチをした。

 僕等は今日、遠出して海へ遊びに来ていた。電車から見える窓の外には、日光を反射してキラキラと輝く海が一面に広がっている。青々とした空には大きな入道雲が浮かんでいる。最高の眺めだ。


「海海海ーっ!」

 彼女は嬉しそうに歌を歌いながら、一体何が入っているんだと突っ込みたくなる巨大な大きさのバックから様々なものを取り出す。浮き輪に、ビーチバレーに、何故かアヒルのおもちゃまで入っていた。

「なんだよこれ、小さい子のお風呂じゃないんだから…」

「あー、スイカ割りもしたかったのに…」

 僕の話なんて全く聞いていない様子で張り切っている彼女。初めての海にテンションが上がっているようである。明るい陽射しの下で、白い肌が眩しかった。そういえば、今まで意識したことはなかったけど彼女は滅茶苦茶色が白い。それこそ、透き通るほどに。

「どうしたのー?」

 まじまじと彼女を見る僕の視線に小首を傾げる彼女。きょとんとした様子が可愛くて、僕は何だか照れてしまった。僕等は、手をつなぎながら浜辺を歩く。こんな夢みたいな日々と夏の暑さにすっかり浮かれてしまいそうだ。


 海の家のかき氷。彼女の念願だったスイカ割り。ビーチバレー。盛りだくさんな一日は、あっという間に過ぎてしまう。気づけば、夕暮れだ。

「わー、夕方の海もなんだかめちゃくちゃキレイ……」

 どこもかしこも家族連れやカップルで賑わっている中、僕等は少しだけ人気の少ない離れた場所で海を見ていた。僕の肩にもたれ掛かりながら、このまま彼女と他愛もない話をしてずっと夏休みのままでいられたら良いのに。ぼちぼち中盤後半戦に差し掛かりつつあるカレンダーが恨めしい。

「そうだ、いいこと考えたっ!」

 突然立ち上がると、あたりから長い木の枝を引っ張ってきた彼女。浜辺に何やら落書きを始める。

「恥ずかしいから見ちゃダメだよ! ちょっとの間、目をつぶって待ってて!」

 言われたまま、素直に待っていると、出来上がったのは…。

「ほら、見てみて!」

 誇らしげに指をさす彼女。相合傘だ。不器用な文字で、僕と彼女の名前が並ぶ。

「……ありがとう」

 夕方の海と、大好きな彼女と、相合傘。幸せだ。このまま時が止まればいい、そう願うほどに。

「ずっと一緒にいようね」

 普段照れくさくて言えない言葉でも、このロマンチックなシチュエーションなら言えてしまう。笑顔で喜ぶ彼女の反応が目に浮かんだ。が…。

「…そうだね」

 いつもの彼女と違う。笑顔なのに、心ここにあらずといった表情だ。

 何故だろう。僕は急に不安になった。今までにないぐらい、彼女を遠く感じた。胸の鼓動が一気に早くなる。こんなに幸せな一日が、急に現実に引き戻された気がした。

「…ごめん、なんでもないよっ! ごめんねごめんね!」

 僕の様子に気づいたのか、彼女がいつもの様子で謝ってきた。が、わかる。どことなくよそよそしくて不自然だ。

「大好きだよ…」

 絞り出すような儚い声。その声が、ずっと耳に残って離れない。さらに、残暑のじっとりした暑さが僕に絡みつき、不安を駆りたてる。

 蝉の声がただただ虚しく浜辺に響いた。夏が去ろうとしていることに必死で抵抗するかのように。