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イスラム国日本人拘束事件と功利主義
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イスラム国日本人拘束事件と功利主義

2015-02-05 03:43
    連日世間を騒がせているイスラム国(ISIL)日本人拘束事件を、哲学的に考察してみたい。
    そこでまず、トロッコ問題という有名な倫理思考実験を『平和主義とは何か』(中公新書)から引用する。
    あなたは路面電車の運転士で、時速60マイル(約96km)で疾走している。前方を見ると、5人の作業員が工具を手に線路上に立っている。電車を止めようとするのだが、できない。ブレーキがきかないのだ。頭が真っ白になる。5人の従業員をはねれば、全員が死ぬとわかっているからだ(はっきりそうわかっているとする)。ふと、右側へそれる待避線が目に入る。そこにも従業員がいる。だが、1人だけだ。路面電車を待避線に向ければ、1人の作業員は死ぬが、5人は助けられることに気づく。どうすべきだろうか。
    この問題において、選択肢は二つ。
    ・路面電車を待避線に向けて1人の作業員を轢く
    ・路面電車を操作せずに5人の作業員を轢く
    犠牲者の数を最小限に抑えるために、待避線に向ける選択をする思想は「功利主義」であり、いかなる理由があろうとも、目的のために人命を犠牲にしてはいけないとして、路面電車に操作を加えない選択をする思想はカントの「義務論」に当てはめられる。

    このトロッコ問題を参照すると、イスラム国日本人拘束事件は(とてつもなく単純化すると)以下のように解釈できる。
    あるテロ集団が日本人2人を拘束して、日本政府に身代金200億円を要求してきた。身代金の支払いを拒否すれば、2人は必ず殺される。身代金を支払えば、2人は必ず開放される。しかし、味をしめたテロ集団によって今後も多くの日本人が拘束される可能性は高まる。どうするべきだろうか。
    この事件において、選択肢は二つ。
    ・身代金を支払い、2人を開放させる
    ・今後、多くの日本人犠牲者が出ることを憂慮して、身代金の支払いを拒否する

    今回、日本政府はイスラム国にたいして身代金の支払いを拒否した。それはトロッコ問題における「犠牲者の数を最小限に抑えるために、待避線に向ける選択」、つまり功利主義的判断だったといえるだろう。それが正しい選択だったかどうかはわからない。
    国家には国民の生命を守る義務があるが、「国民の生命を守る」とは果たしてどういうことなのだろうか。目の前の生贄を救うことが「国民の命を守る」ことなのか、それとも、多くの国民の代わりとして生贄を捧げることが「国民の命を守る」ことなのか。非常に難しいですね。

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