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「珈琲のしみ」橋田奈奈監督インタビュー
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「珈琲のしみ」橋田奈奈監督インタビュー

2021-08-01 14:00

    東京インディペンデント映画祭・ 今回は夏休み企画として

    首都圏映画サークル連合と、その後援会であるReUnionの協力により、「学生による学生映画」の推薦と監督インタビューを行いました。

    推薦作品は早稲田大学内の学生映画祭である、第32回早稲田映画まつりの企画として制作された橋田奈奈監督の「珈琲のしみ」。

    早稲田大学CINEMAX SIDEVARG所属の角田哲史さんがインタビューと文を担当しています。



    「珈琲のしみ」34分 監督:橋田奈奈

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    <あらすじ>

    父・隆志と高校3年生の容子。夏のある日、2人のもとに1枚の絵葉書が届く。
    差出人は、隆志の姉であり、容子の伯母である由紀子だった。
    由紀子の夫である「真さん」がいなくなってから、容子は由紀子の家を訪れていない。
    隆志に連れられ、容子は7年ぶりに由紀子の家を訪ねる。


    <キャスト>
    小川容子、野々瀬隆志、佐倉萌


    視聴期間: 8/8(日)~8/14(土) 

    視聴URL:https://www.nicovideo.jp/watch/1627391943

    ※期間以外は表示されません              

    ※登録料(550円/月)








    橋田奈奈(はしだ なな)

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    1993年生、早稲田大学卒業。

    在学時は稲門シナリオ研究会に所属、映画・映像制作を行う。







    ー『珈琲のしみ』を拝見しました。

    早稲田大学の映画サークルによる自主制作映画『珈琲のしみ』。
    物語の渦中にいる人間の心をしっかり捉え、一つ一つの場面が色づけられているところにひかれました。

    想像を掻き立てられる要素が詰まった素晴らしい作品です。
    学生がつくった映画には、大学生の日常など等身大の世界を描くものが多いように思います。

    ところが本作では、父と娘、夫と離別した女性など、学生の日常から離れた題材が選ばれています。どうしてこのテーマを選んだのでしょうか。

     

    そうですね。早稲田大学の映画サークルが集まって「早稲田映画まつり」を開催しているのですが、そこで企画コンペを実施しました。文芸サークルから原作者、映画サークルから監督を選出するというプロジェクトです。


    「早稲田映画まつり」として映画をつくろうという一つの挑戦でした。

    自分の映画を上映できる二度とないチャンスだと思って、「どうしても撮りたいんです!」と監督に立候補しました。

    いくつか原作が用意されていたのですが、学生の等身大の世界を描いたもの、自分たちの世界を超えていないものが多かった。

    その中で目を引いたのが『珈琲のしみ』の原作となった作品で、一つ頭が抜けていたのです。

    半径数メートルの世界を超えた、「映画的」なシーンがいくつもあった。

    特に、コーヒーをぶちまける場面はまちがいなく映画になると確信しました。

    もう一つ、私は映画をつくるとき、人間関係を生々しく描くというよりも、風景の一つとして収めたいと考えていているのですが、

    この作品なら自分のやり方にあった映画ができると思って原作ごとプレゼンしました。



    ー物語についてお聞きします。

    この作品は、主人公が部屋で眠っているショットからはじまります。

    さまざまな人物が眠っている姿が反復的に出てくるので印象に残りました。

    その意図はなんですか?


    なんでいれたのか、まったく自分でも……(笑)。

    本作では、説明的な部分を省こうと心がけました。

    最初のバージョンは完成版よりも長い50分だったのですが、自分がやりたいことをただ見せる、いわゆる「長回し大好き映画」になってしまった。

    冗長な場面を削っていく過程で、それでも落としきれなかったシーンがいくつか残っていった。

    それらのシーンが、私は個人的に好きなんだと思います。

    (なぜ眠っているショットを多用したのか)理屈をこねたらいくらでもこねられるとは思いますが、あのような瞬間があるから映画になるんじゃないかと常々思っていて。

    意図した動きをしていない瞬間を残しておきたいと思ったんだと思います。

    ただカーテンが揺れているのと同じように役者を撮りたい、風景と同じ感覚で撮りたいと、思っていたんだと思います。

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    ー撮影についてお聞きします。

    物語終盤、容子(娘)が目をさますと、伯母の由紀子がコーヒーを挽いている。

    夜が明けたばかりで画面全体は暗く、対照的に、由紀子の周りにはカーテン越しに光が差し込んでいる。

    由紀子の過去が暗示される重要な場面で、効果的なライティングがなされています。

    光と影の使い方で特に力を入れた点はありましたか?


    撮影にはまったくこだわっていないです。

    私は技術力が皆無の人間で、カメラが扱えないし、編集もできません。

    花火のシーンとタクシーのシーン以外は、サークルの後輩にカメラマンをお願いしました。

    撮影、編集、カラコレと、スタッフに助けられながらつくっていました。

    とにかく運がよかったというか……。

    今まではスマートフォンや友達に借りたカメラで適当に撮っていたので。

    本作ではじめて「映画」を撮ったという感覚をもてたのは、スタッフの技術力が大きいです。

    私は「ここ撮って」といって撮ってもらっただけで、何もわからないまま進めていました。

    照明機材はほとんど使っておらず、コーヒーを淹れるシーンも自然光で撮りました。

    ノイズが乗っかりすぎていて使えないシーンもあって、ちょっともったいなかったなと思います。


    ースタッフとの協力によって、全体的な水準が高まったということですね。

    ロケーションやキャスティングをとっても、本格的な規模でつくられた作品でした。


    本作で自分の枠をはじめて出ることができたのは、スタッフの力です。

    「自分の作品」という感覚があまりありません。

    私がやったのは、監督という仕事だけでした。

    彼らがいなかったらこの作品はできていないので、ありがたいと思ってます。

    最終的には作品を観てもらえることが何よりのお返しになります。

    エゴから出発した映画ではないので、それがすごく嬉しいです。


    ー自主映画の現場では、監督が脚本、撮影も務めていて、「監督のもの」という色合いが強いように思います。

    人にまかせることで、その枠を超えた作品になったんですね。


    自分が得意なことをやって、 できないことは任せるべきなんだと学びました。


    ー橋田さんが得意だった部分、自分はこうしたいとこだわった部分はありますか?


    もともと中高で演劇をやっていたので、演出にはこだわりがあります。

    (脚本は)ほぼあてがきで、演技をしていないように演技をしてもらうことに気をつけました。

    隆志(父)役の野々瀬さんは私の飲み友達というか、たまたま隣で飲んでいたんです。

    話してみると役者さんで、何度か一緒に飲むような間柄で、原作を呼んだときに、この人が浮かんだのでお願いしました。

    ご本人も「どうして俺?」という感じでしたが(笑)。

    確かに「お父さん」らしい俳優ではないのですが、(野々瀬さんがいることで)画面に色気が出たと思います。

    由紀子(伯母)役の佐倉さんは、後輩の映画に出演していたご縁もあってお声がけしました。

    容子(娘)役の小川 容子さんは、もともとスタッフの知り合いの知り合いでした。

    役者になりたいという話を聞いてたので一度会ってみたいと思っていて、実際に会ってみたら一瞬で「あ、この人で行こう」と。

    キャストがあの3名じゃなかったら成立していなかったと思います。

    ただ、演技論ではもめたりしました(笑)。

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    ーどんな葛藤があったのか、差し支えない範囲でお聞きしてもいいですか?


    撮影前の読み合わせで、私は「演技をしてほしくない」と伝えたのですが、「役者に向かって演技をするなってどういうことだ?」と。


    ーそれでも最終的には、橋田監督の演出が採用された。


    というよりも、そうならざるを得なかった。

    不思議な現場でした(笑)。

    絵コンテもまったく描いてなくて、自分はなんて準備ができない人間なんだと落ち込んでいましたが、このシーンはこう撮らないといけないという判断力は、感覚的にもっているんだなと思いました。

    もう一回この映画を撮れる気がしないので。

    珈琲のシーンも絵コンテを描いていませんでした。

    夜が明けてしまうと間に合わないから、とりあえずここから撮ってと指示を出して。

    スタッフには「橋田さんが何撮りたいのかまったくわからないです」と怒られましたが、
    「いいからとりあえずやろう」と……。

    蓋を開けたら、良いシーンになっていたので、ほっとしました。


    ーもともと綿密なプランがあったというよりは、現場の試行錯誤で組み立てていったんですね。


    今はすごく反省してます(笑)。

    我ながら、安定感がないなあと思います。


    ー細部までしっかりと作り込まれた映画だと思って見ていたので、意外でした。


    写真的に映像を撮るのが好きで、長回しを撮るのもそういう理由だと思うんですけど。

    写真を撮るときはあまり理屈だてて考えないので、バチッと構図を決めるのは得意なんだろうなと思います。


    ー家やタクシー、夏祭りなど、ロケーションにも力がこめられていました。

    橋田監督が自身でロケハンをしたのですか?


    ロケハンもほぼしてないですね。

    容子の家は、友人のおうちを使わせてもらったし、タクシーのシーンも、レンタル会社の周りをぐるぐると周って……。

    いやでも、ロケハンしたな、しました。

    両国で撮影したので、スカイツリーを映そうとしましたね。

    おばさんの家は、エアビーアンドビーを通じてレンタルしました。

    オーナーさんがすごく優しい方で、撮影も快諾してもらいました。

    ロケハンに行ったのが前日で(笑)、何考えてるんだろうと思います。

    現地でも、3時間くらいオーナーと喋っていて。

    「コーラでも飲んで」と勧められながら、「ロケハンしたいなあ……」とずっと思っていて(笑)。

    二人でお話していたのが縁側だったのですが、タバコ吸っていいよと言われて、 「ここで吸うのめっちゃええなあ」と……。


    ーそれが実際に本編に採用されたんですね。


    いきなり「どういうシーン撮るの? お祭りあるよ」と言われて。

    お祭りのシーンは別に撮ろうと思っていたんですが、その日はちょうど花火もあがるらしく、しかもロケの最終日だったんです。 

    「え?! そのままいこう!」とそのまま夏祭りに向かいました。 

    もってるなあと思いました。


    ー夏祭りはもともと魅力的なシーンだと思いましたが、狙いを超えた部分として撮られたと聞くと、より感動的に思えます。


    映画としての嘘がなくなったのが嬉しいです。

    たとえば、日を改めて別のお祭りにいったら、ちょっとだけ嘘になってしまう。

    (役者の)感情にとってもよかったです。

    あのお祭りを見て、佐倉さんがほんとうに涙を流していらっしゃって、それも演出を超えた部分でした。

    特別なシーンになったと思います。

    花火のシーンは、原作にはありませんでした。

    珈琲を淹れるシーンの前に、花火を見るという行為を一つ挟んだのですが、それがすごくよかった。

    珈琲のシーンを、明るい方向に動かされた結果として描けました。

    原作はもっとシリアスな描き方をしていて、けっきょく何も変わらないという結末だったので。

    原作を活かしつつも、自分の好みで変更した部分もありました。

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    ーその場で即興的に撮ったり、現場でミラクルが起こったりしたということですが、最終的に編集でまとめる作業も大変だったのではないでしょうか。


    編集は缶詰状態で、半年くらいかかりました。

    編集スタッフと相談しながら進めました。

    私が長くダラダラとつないでしまう部分も、そこは切ったほうがいい、決め手になる部分だけその長さを残せばいいというアドバイスをもらいました。

    その意味では、二人三脚で編集していました。

    自分が編集していたらこの映画にはなっていない。

    その意味でも、私の意図を超えていると思います。

    自分がつくったんだという意識はあったほうがいいのかどうかは人によると思います。

    それでも、その意識が薄まったおかげでクオリティを上げて、いろいろな人に伝わる作品になりました。

    自分を出すべきポイントと、出さないでいいポイントがあるんだなと気づけました。

    もし次に撮るなら、もっと自分を出してもいいかな? と思う部分もあります。


    ー作品の核心に触れる部分ではありますが、「珈琲のしみ」というモチーフについてお聞きしたいことがあります。物語終盤、ある人物が「すべてなかったことにしたい」という言葉を発します。

    これは、消えることなく残り続ける珈琲のしみの「不可逆性」を逆説的に際立たせているようでもあり、最後のショットとあわせて強く印象に残りました。

    原作の「しみ」という主題をどのように解釈して、向き合っていたのでしょうか。


    「しみ」の不可逆性という主題や、「すべてなかったことにしたい」という台詞は、もともと原作にあったものでした。

    さまざまな解釈の可能性をもった素晴らしい原作だったんです。

    ただ、珈琲のしみを珈琲で上書きすることを、私はポジティブに描きたかった。

    たしかに、しみで上書きしたところで元のしみはなかったことにはなりませんよね。

    しかし、単に「なかったことにならない」のではない。

    学生の頃は嫌なことから逃げ続けてきたのですが、年齢を重ねるたびに嫌な経験すらもいい思い出に変わってきていると感じています。

    私としては、辛い過去や消したい記憶を「染め直す」という感覚です。


    それでも人によっては、乗り越えられない思いはたくさんあると思います。

    本作では、夫が「亡くなった」とは明示していません。

    私自身が身内の死を経験していないので、いまの私が想像で書いてはいけないテーマだと考えたのです。

    それがよかったのかどうなのかわからないのですが、だからこそ当たりがやわらかい作品になったんじゃないかと思います。

    自分の経験に当てはめて考えなくてすむので、この作品を観て辛くなることはないと思います。

    本作は、曖昧さを残したものにしたいと考えながらつくっていました。

    次は、経験したことの中から感情を切り取った、自分を反映した作品をつくりたいです。


    ー今後の活動についてお聞きしてもいいですか?


    今は、知人のアーティストのMVを撮ったりしています。

    しばらくは映画をつくろうというふんぎりがつかなかったのですが、最近は、もういっか、やろうか、という気持ちになってきて、(脚本を)書きはじめてます。

    映画にかぎらず、演劇もやれたら面白いなとたまに思います。

    演劇的な演出を映画の中でやったとしても演劇の感動とは別物になる気がしているので。

    映画に演劇に、色々と携わっていきたい、いまはなんでもやりたい状態です。

    小学校の夏休み、高校の文化祭の延長でいろいろなことをやれたら楽しい。

    その感覚でずっとやってます。


    ー映像業界に入って大変な思いをするという話もよく耳にするので、勇気づけられました。


    興味の対象がすごく広いんだと思います。

    映画や演劇に限らず、衣装やヘアメイクにも関心があるので。

    総合芸術としての映画は自分にすごく向いていると思います。

    あと、「遊ぶならちゃんと遊ぼうね」 、ですね。

    「真剣にやれよ仕事じゃないんだぞ」みたいな言葉がすごく好きで。

    本気で遊ぶということを真剣にやらないとな、と思ってます。


    ーそうした本気の遊びを続けるために、考えていることはありますか?


    何本か頭の中にアイデアはあります。

    映画にしたい漫画や小説もあるし、地元の高知で映画を撮りたいし、東京で撮りたいものもある、でもドキュメンタリーもやりたい。

    完成度よりも、自分の中にあるものを作品にすること、とりあえずやってみることを大事にしたいですね。

    『珈琲のしみ』や卒業後に関わった作品の後、燃え尽きていた期間がありました。

    人間関係や環境で摩耗していて、作品をつくれないメンタルになっていたんです。

    いまは、「つらい思いは散々したし、もういいかな、もういいやろ」みたいな気持ちです。

    もともとインターネットを見るのが趣味で、自称ネットサーファーと呼んでるんですけど(笑)、そういうことをいったんやめて、とりあえず頭の中のものを外に出していこう、とにかくやらないといけない…というよりは、ずっとやりたかったんだな、とも思います。

    続けられるのももちろん運なんですけど、続けられる要素が全部そろってるのに

    なんでかたくなにやらなかったんだろう、あとはやるだけかなという感じです。



    ー本日は、ありがとうございました。





    ◇編集後記◇

    「映画とは総合芸術である」という言葉をよく耳にする。映画は、演技、撮影、照明、音楽、編集など様々な芸術的要素を内包したものであるという意味だが、橋田監督とのインタビューを通じて、映画を形作る数多の要素の一つに「運」もあるのではないかと思えた。それほどに、橋田監督のお話から伺える撮影現場の様子と出来上がった『珈琲のしみ』という作品の完成度の高さにはギャップがあった。けれども、物作りの際にクリエイターが周囲の環境の中で使えるものを使い切り、かつ自分の得意な点も使い切るならば、一つ一つの要素は偶然の産物だったとしても、出来上がる作品は素晴らしいものになるはずだ。橋田監督の「本気で遊ぶ」という言葉を何度も反芻するうちに、それは運を使い果たすということなのだと思えてくる。人生における出会いや体験は全て突き詰めればたまたま生まれたものに過ぎないし、そこで得られたものも時間が経てば味わいが薄れて忘れてしまうだろう。だからこそ、そうした運を無駄にせずに全てチャンスとして限界まで使い切ってしまうことこそが本気で遊ぶことなのではないだろうか。このインタビューを通して、僕と同じように読者の方も、そうした橋田監督の遊びの精神に触れて、まだまだ何かやってみようという清々しい思いを抱いてくださるのなら幸いだ。

    角田哲史(早稲田大学CINEMAX SIDEVARG)

    企画協力:首都圏映画サークル連合後援会ReUnion

     
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