ユーザーブロマガは2021年10月7日(予定)をもちましてサービスを終了します

  • [19/6/27更新]映画三枚颪「海獣の子供」宇宙という海、社会という海

    2019-06-22 22:583


    (6/23 ストーリーの着地点などについて追記しました)
    (6/24 作画について追記し、それ以外にも全体的にいくつか修正しました)
    (6/27 表現修正、誤字訂正、コメントに対しての部分を修正しました)


    新作映画「海獣の子供」を見てきましたので、その感想などを書いていきたいと思います。
    ネタバレとか気にしないので注意。
    また、原作は未読のレビューとなっております。



    ―全体を通して―
    まず予告では琉花という少女の冒険譚のような感じなのかな、と思っていたら全く違った内容で驚きました。

    今作は二つの流れの中で物語が進みます。
    ひとつは私たちが日々地球上で行っている様々な行いについて、私たちが太古の昔、まだ海の中で生きていた頃には感じていたであろう”大いなる何か”を思い起こして、どうか今の世界を省みてほしいというもの。(私はこう受け取りました。)
    もうひとつは、その大きな流れの中で琉花が人間関係について、とても大袈裟に表現するなら「悟り」を得るというものです。(祭りでの出来事を真理と読み解くなら、こう表現しても良いと思っています。)

    登場人物の説明は具体的ではあるのですが、その説明の説得力というか”なんでそうなるの?”とか”だからどうするの?”みたいなところは基本的に描かれません。
    作画での説明もエキセントリックな画風でありながら、実は結構直接的な表現が多いのでモチーフに気付くのは簡単です。ただそのモチーフが、劇中でどのような出来事を変換したものなのというのは、正直ちょっとよく分かりません。つまり描写の解釈は人それぞれというところがすごくあるのですが、そういった部分はともかく”着地点”は意外と分かりやすく、そこそこな余韻を感じられたので、決して嫌い作風ではないです。

    ただ映画そのものが抽象的なので、どうしてもレビューも抽象的になるのをご了承いただきたいと思います。

    序盤はとにかく見ている人を色々と精神的に不安にさせる内容が続きます。
    物語のスタートからして「琉花は存在レベルが人とは別の次元に進んだ結果、人ではなくなりました」みたいなエンディングに一直線な感じがしたんですよね。(そういった結果が全部がダメというわけではないにしても。)
    それ以外にも脈絡を無視した展開が続きます。
    この辺りの前後を気にしない飛躍加減も、先の展開に安心できないポイントですね。
    ですが最終的には琉花はしっかりとポジティブな形で、海から陸へ、つまり人間社会への回帰をします。
    私としてはそこで非常に安心した感じです。それははもう九死に一生というレベルで一安心でしたね。
    導入から展開までの何もかもを置いてきぼりにする流れとは一転して、とにかくスムーズで親切な着地点というギャップは妙に心地いいものがありました。
    そういった部分も含めて嫌いにはなれず、面白い面白くないという土俵を外して、案外に心地いい映画になっております。



    ・僕が解釈する、この映画の言いたいこと
    とにかく今作はたぶん全ての命(もっと厳密に言えば命でなくとも)は物理的、精神的に繋がっているということが言いたいのだと思います。
    簡単にいえば、”あなた”も”わたし”も”生きとし生けるもの”は全て宇宙の創生、ビッグバンによって生まれたわけであり、大いなる宇宙もあなたもわたしも、血の繋がりのある一族のようなものであるはず。であれば、そこにはいかなる違いも区別も壁も本来は存在しないんだよ、ということを言いたいのだと思います。
    詳しくは知りませんが、ニール・ドグラース・タイソンという天体物理学者も近いことを言ってたのを聞いたことがあります。

    確かに。

    そこまで突き詰めるなら”わたし”と”あなた”、
    そして”宇宙”に違いなどないように思えますね。

    ただなぜ海でビッグバンが起きてるのが、ちょっとよく分かりませんが、
    海を神聖視するが故でしょうか。
    このあたりは、ちょっと僕の感性ではなかなか理解も共感もしづらい部分です。



    ・バランス感覚に優れた、素晴らしい着地点
    個人的に、この映画の一番素晴らしい点だと思っています。
    見た方なら分かると思うのですが、この映画の着地点、つまり琉花が祭りを越え街に帰って来た時に感じられる安心感は、なかなかほかの映画では体感できないことだと思います。

    この映画、とにかく序盤から不安を煽るシーンが多いんですよね。
    製作サイドは”海”が人間の生活圏ではないというのを承知の上で、登場人物にはほとんどそれを感じさせません。そんな世界観ですから、私はこの映画が非常に恐ろしい結末(例えば琉花が海と不本意な形で一体化するとか)を迎えるんじゃないかと考えていたわけです。

    だって琉花は海に対して一切恐怖を感じていないんですよね。
    ウミとかソラに手を引っ張られて海をどんどん泳いで行く時なんかでも、
    普通だったら泳いで帰ってこれないんじゃないか? とか、
    これ以上は行ってはいけないんじゃないか?、とか
    気になるもんだと思うんですけど、そういうのが一切ない。
    自分はここにいちゃいけないんだという恐怖感が全くないんです。
    これって人間としてすごい無防備ですよね。

    しかも、その琉花の無防備さを誰も気にしないんですよ。
    父親も母親も、琉花の無防備さを怖がったり心配したりしないんですよね。

    例えば、琉花がウミとソラと一緒に海を漂流した時もそうです。
    母親も普通に怒りはしますが、琉花が奇跡的に帰ってこれた喜びとか、
    あるいはそのまま行方不明になっていた可能性への恐怖とか、全然ないんですよね。
    実際に琉花がクジラに誘われて海へ繰り出したときも、両親は琉花が心配というより、彼女が今なんのために海へ船を出しているのかを知りたいといった感じです。

    そういった世界観ですから、もうエンディングで琉花がどうなってもおかしく無いないな、
    という覚悟を持って見守っていたわけです。

    そんな中で、しっかり陸に帰ってきて、しっかり人間社会へ復帰する様子は非常に安心しますし、とても良い示唆だと思います。
    またここまでの恐怖感や不安感は全てが計算づくで、とにかく”全てを体験”したうえで映画館を出てほしいという姿勢が、意外に非常に親切で介護的というか、行き届いている感じがしてとにかく好感が持てました。


    ・アニメ映画史上、もっとも迫力のある力強い作画
    ただ私の場合は、たぶん多くの人とは違ったところにまず惹かれまして。
    それは予告でソラが海に倒れこむシーンのあと、琉花が顔をすごく強張らせて怖がるシーンなんですけれども(笑) 自分でもよく分かりませんがそのシーンが非常に印象的で、実際に映画を見てその辺りを確かめてみたいなーと思ったのが、多分この映画を見たきっかけですね。
    まあ、そのシーン自体は思っていたほど大したシーンでは無かったわけですが。

    本題に戻ります。

    全編を通してまずどれだけの魚が出てくるんだ、って感じです。
    熱帯魚から、エイから、アジから、サメから何から何まで。
    なんなら魚に限らずたくさんの海洋生物が画面に収まらない量で登場します。
    それに、どの魚も非常に細かく描かれ、そして何よりしっかり一匹づつ意思を持って大きく大きく動きが付けられています。とにかくたくさんの魚が映画を一回見ただけではちょっと理解できないぐらい出てくるし、目で追えないほどに動いています。

    海自体も、嵐で荒れ狂う海や、南国の澄み切った海、漁港の海、太平洋の海など、たくさんの種類が登場します。そして、そのどれもが表情付けが丁寧。

    もちろんクジラの髭や、琉花の髪の毛、海中で生まれる空気を表す白い線などなど。
    書かれる線の1本1本に至るまで、いわゆる作画でよく言われる部分においても全編を通してタッチが非常に凝っているというのも驚きです。

    ただ個人的に一番魅力的で印象に残ったのは、やっぱり”海”の恐怖や物理的エネルギーの表現ですかね。たとえば、まず水面、そしてまだ光が届き何が泳いでいるかも分かる水面直下、その下に広がる光も届かない深海。そういった”海”あるいは”水”がもつ無限大のスケール感を描き、海独特の恐怖を余すところなく自然に表現してくれている点は非常に印象的です。
    あとは水中での独特な抵抗感といいますか、例えば巨大な物が近くを通れば、ゆっくりとしかし抗うことが絶対に不可能な力で引っ張られる、あるいは押しのけられる。そういった空気中では考えられないパワーが丁寧に、しっかりと力強く描かれていた点は、海という領域が人間に取って一体どういう領域なのかというのがはっきりと示されていて秀逸だったと思います。


    ・多少気になった点
    ただ少し気になったのは、命というものを過剰に神秘的で大いなるものだとする雰囲気や、野生動物は人間よりも真理に近いというような、一種使い古されたステレオタイプな描写は、娯楽映画ならともかく、こういった映画で採用するには、逆に私たちを真理から遠ざけているような感じもしました。また”言葉”を完全に”絵”や”音楽”の下に置いているというのが何となく気持ちよく腑に落ちない部分もありました。そもそも「大切なことは言葉にしない」と言葉にしているのがよく分かりません。”言葉以外で気持ちを伝える難しさ”を、”言葉で伝える”というのはなんとなくセコい感じです。もっとスマートに表現する方法を考えたほうが落ち着きが良かったのではないかと思いました。



    ・最後に
    ともかく、絵も展開も非常に抽象的ではありますが、伝えたいこと自体は案外とてもストレートで、ある意味では気持ちの良い映画だと思います。
    そういう映画だという前提で見に行けば、決して悪いものではないと思います。
    何より、この手の映画では後味の苦いエンディングも多いですが、今作は苦い結末をありったけ予想させつつも、実はそれはテーマパークの絶叫マシンのようにちゃんと計算されており、最終的な着地点はとても身近なテーマで、見ている人を安堵させてくれる内容となっています。
    ですから、あまりその手の映画を見ないという人ほど、ぜひ劇場で御覧になってくだされば何か面白い体験ができるのではないかと思います。


    またこの映画についての皆様の受け取り方をコメントしていただけると、私も他の方も、きっととても参考になりますので、ぜひぜひコメントして頂けると嬉しいです。
    (返信希望の方はその旨書き添えてコメントお願いします!)

    https://twitter.com/kurokawa321
    ↑またおすすめの劇場公開作品がありましたら、ぜひこちらからお教えください。

  • 広告
  • 映画三枚颪「プロメア」常識では測れぬ怒涛のアクション!!

    2019-05-29 17:30





    新作映画「プロメア」を見てきましたので、
    その評価&レビューをしていきたいと思います。

    ネタバレがたくさん含まれますので、
    映画館へ行く前にこの記事を読むのはオススメ致しません。



    前情報はなし。
    ポスターの色彩がなんとなく気持ちよかったので見ることにしました(笑)
    製作がトリガーだというのも見る直前に友達から教えてもらったくらいです。
    ちなみにトリガー映画は初めて。
    アニメのキルラキルは最初から最後まで見ましたが、それだけです。
    最終番はちょっとアレな感じもしたが、
    序盤から終盤まで熱さアリ笑いアリで大いに楽しめました。

    掴みはどちらかといえば好印象。
    戦隊ヒーローみたいなドでかいハシゴ車(車と表現していいサイズではないが(笑))
    出てくるあたりで、世界観が分かり始めました(笑)

    エイリアン2のローダーみたいな、ロボットとパワースーツの中間みたいなヤツはやっぱり独特の良さがあるなー。ロボットだけでも、キャラクターだけでも成立しない魅力が詰まってる。個人的にモンキーレンチの逆開きみたいなやつで、扉をこじ開けるメカが一番好きです。ああいうのってちゃんとした名前ってあるのかな。

    また氷とか水を思い切って〝扱いやすく〟デフォルメしているのも歯切れのいい感じがして良かった。一方、炎に関してはイマイチ。

    あと、やっぱりスクリーンで何が起きてるかちょっと分かりづらいのが気になりました。
    かっこいいギミックとかその辺り、もうちょっと魅せてほしかったかな。

    そこから先はピザ屋と洞窟のシーン以外は、
    ノンストップのアクションがライドアトラクションの如く、
    目まぐるしくこちらを襲い続けて来ます(笑)
    まあ、付いて行き切れれば多分、超楽しいと思います。
    そうでない方は、まあ冷静にホドホド楽しみましょう(笑)



    ということで、全体的に勢いに全振りの映画でしたね。
    僕もこの映画を見習って開き直ってみていたので、結構面白かったですけど。
    でもトリガーの次回作をまた見に行くかと言われると、ちょっと迷うな。
    万人受けは絶対にしない(笑)
    アクション、勢いについては全く文句なし。
    メリハリの利いたアクションはめちゃ小気味良い!
    流れるようにドッカンドッカン戦う(笑) 笑いもあるし飽きない。
    特にクレイと主人公二人の最終決戦はかなり良かった。
    最終決戦が良いのは大切。

    特にクレイの瞬砕パイルバンカー(だったか?)とか、滅殺開梱ビーム(だったか?(笑))とか最高!
    リオとガロの「避けられたのに!」「やせ我慢だ!」とかも最高!!
    もうどっちも好き放題やってくれ!!って感じでしたね(笑)

    ストーリー? そんなものはありません。
    設定の矛盾? 笑いどころです(笑)(エンジン回すと地球がヤバいって言われているのに、敵も味方もガンガン回すの爆笑した)
    そういう期待はしちゃいけない系ですねコレは。
    正直僕はキャラの名前すら覚えてない(笑)(記事を書くために公式行きました(笑))

    ただ個人的に気になったのは〝熱くない〟こと。
    一番熱かったのがクレイって……。(堺雅人の演技は完璧だったと思います)
    クレイ以外が何も考えてないヤツしかいない(笑)

    デウスエクスマキナでも! 宇宙生命体だの! コンピューター博士だの!
    そこはいい! いいけど!!

    ならせめて、ガロとリオに燃えたかったなぁ。
    〝熱くなる〟ためには大義か動機、あるいは正当な怒りが必要なんだ。
    どれも大してなかったな。

    あとあのロマンのない炎はいいのだろうか? 斬新か知らないけど魅力がないような。
    アレが違っていて、あとは〝熱さ〟さえあれば一点突破の大傑作になれたのに……。

    まあ、とにかくスーパー勢いのある映画には違いありません。
    圧倒的なアクションに不満なしです。
    ぜひぜひ劇場で御覧ください!!
  • [19/7/5更新]映画三枚颪「劇場版 Fate/stay night Heaven's Feel II. lost butterfly」はすべてのFateファンの心に残る。

    2019-05-29 17:30


    (6/30 全体的に多くの加筆・修正をしました)
    (7/3 誤字脱字・ニュアンスの修正をしました)

    「劇場版 Fate/stay night Heaven's Feel II. lost butterfly」を見てきましたので、
    その感想などを書いていきたいと思います。

    ネタバレとか気にしないので注意。

    投稿が遅くなったのはこの映画のあまりのカロリーの重さに、
    レビューを書く気力がちょっと出なかったためです。ごめんなさい。
    見てすぐに今よりも、もっと長いレビューを書いている途中で力尽きまして。

    最近に思いなおして、改めて1から書き直しました。



    ちなみにこの映画は”少し”や”多少”ではなく”完全”にファン向けのものであり、初見でこの映画を見ることは絶対に止めたほうがいいです。
    またこのレビューそのものも、”完全”に同じファン向けのものになっています。
    ご注意ください。




    ―全体を通して―
    いまさらですが結論から申し上げますと、この第二部は完璧と言っていいと思います。
    HFの映画化にあたって、これ以上何も望みようがないほどパーフェクトだと思います。
    原作のあるアニメ映画として、ひとつの到達点というような。
    そういう一種の美しさを感じる完成度でした。
    ただ非常に素晴らしいアニメ化だけに、逆に不安を抱いた点もあります。

    今作は第一部「presage flower」からさらに桜の動きが映画の中心になって行きます。
    つまり、何もかもが”桜をどうするのか”というところに集中していきます。
    あるいは力のベクトルが逆転し、”桜はどうするのか”というところが核心となっていきます。

    今作は第一部から引き続き、士郎や凛、臓硯や慎二などなど
    多数の人物が登場します。彼らの目的は三者三様ですが共通点があるように見えます。
    全員の目的が桜と密接な関係にあるのです。

    「どういった結果を求めるのか? そのために桜をどうするのか?」
    この問いに答えずしては、誰も前に進めない状態に陥っているのです。

    そして善悪は別として、誰もがあの状態の桜を”生かす”あるいは”活かす”方向で話が進みますから、事態はより深刻化します。皮肉なことに、誰よりもそういった結果を恐れていた桜自身が、その後悔のあまり冬木の人間の命を飲み込んでいくのです。(やけ食いと表現してもいい。)

    そして臨界点寸前といった桜は、彼女の人格形成にある意味でもっとも強い影響を与えた兄、慎二を思わぬ形で殺害したことによるストレスによって、ついに完全に”闇”そのものになります。第二部はそこで終わり、ストーリーの着地は第三部までお預けとなります。

    個人的には全編に渡って躍動感ある展開だったと思いますが、アクションシーンは思いのほか少なく、セイバーVSバーサーカー戦以外の戦闘シーンはほとんどありません。
    それでもその戦闘シーンのレベルが並大抵の映画を凌駕してましたね。
    素晴らしくスケールの大きい戦闘を、とてもキレの良いテンポで描き切り、
    原作から想像できる以上の驚きを与えてくれました。
    そして桜に関連する部分についても、この屈指の戦闘シーンと釣り合う、
    あるいはそれを越えていくほどに苦しく、”重み”があったと思います。

    まだ第二部ですので、最終的な着地点次第というところではありますが、
    第三部で予想される展開への”溜め”という点でいうと、まさに完璧と言っていいと思います。



    ・桜について
    この第二部では桜という人間の全てが表現されている、といっていいと思います。
    桜の性格が良い悪いとか、魅力が有るのか無いのかではないか、とかそういったものを超越したものが表現されていましたね。
    泥沼にはまってしまった人間とは、こうも悲しくなれるんですね。

    この映画を見ている間、桜の気持ちを考えて胸が痛くなったのは一度や二度ではおさまりません。特に遠坂が士郎の走り高跳びのことを話しているのを聞いてしまうシーンなどは、もはや涙なくしては見れません。
    何が悲しいって、遠坂にとってはあそこでサッと言えてしまうようなレベルの物なのに、
    桜にとっては後生大事に心にしまっていた宝物だということです。
    この違いは非常に残酷です。

    桜は士郎との絆を奪われたような気持ちになったことでしょうし、結果として桜は士郎の夜の寝室を訪れ肉体関係を結ぼうとします。
    凛から士郎を取り戻すためにはこれしかないと考えたわけですね。
    なんと悲しい発想なんでしょうか。

    これの少し前の士郎の指から血をもらうシーンはまだ奥ゆかしさもあって、なんだかまだちょっとエッチな感じというのを楽しむ余裕がありましたが、今度は非常に直接的に士郎と関係を築こうとするわけです。これすごく悲しいシーンですよ。

    とにかく第二部の桜は非常に負の感情豊かです。
    正直に言うと「あざとい」部分もかなり大きいです。
    けれど、親から捨てられ、蟲に体中を蝕まれ、性的にも精神的にも好き放題されて、
    あげく人間ではなく聖杯に作り変えられたのが桜です。
    許してあげたいという部分もあります。

    それにまだ手遅れではないはずです。
    だからまあ、士郎が味方になってくれるぐらいの救いは望んでもバチは当たらないと思います。

    ただ、それは桜の弱さを肯定するというより、むしろ桜にはもっと強くなってほしい、芯のしっかりした人になってほしい、そういう応援の気持ちです。
    目先の幸せ、士郎の幸せとかそういう安易のものではなくて、
    もっと力強い人生観を養ってほしいなと切に願います。
    このままじゃあ終われませんし、終わってほしくありません。



    ・士郎について
    実は、桜が士郎と遠坂の話を盗み聞きしてしまうシーンと同じか、
    ある意味それ以上に見ていて苦しかったシーンがあります。

    士郎が桜を殺そうと包丁を持って、桜の寝室を訪れるシーンです。
    もうね、士郎が涙を流した瞬間に胸がギュッとしましたね。

    多くの人の助けになりたい、そのために自分以外の誰かを犠牲にしたくない、特に見知った人は。そういう夢を目標を持つ士郎ですから、この状況は非常に苦しいはずです。
    絶対的に矛盾した二つの気持ちがぶつかっているわけですね。
    そして結局桜を手にかけることはできませんでした。

    これはまた、士郎は切嗣ともアーチャーとも違うということを意味すると思います。
    もっとも、それが幸せな結果になるとも限らないですけれども……。

    そういえば士郎が涙を流したのってここか、セイバーを殺したシーンぐらいじゃないだろうか。奇しくもどちらも見知った人の命を天秤にかけた時ですね。
    そう考えると士郎の倫理観というか、正義のヒーロー観が垣間見えるシーンかと思います。

    そしてここで考えたのですが、そもそも「HF」の士郎が自分(「fate」「UBW」の士郎)
    裏切っているという一般の評価は疑問符がつくのではないかと

    たとえばHFの士郎は大勢の命と桜一人の命で、桜の命を取るという点で急に考え方が変わったようだと指摘されますが、そもそも「Fate」あるいは「UBW」において、例えばセイバーや凛の命より、聖杯や大勢の命を優先したことがあったでしょうか。

    つまり「HF」の士郎と、「Fate」と「UBW」の士郎はちゃんと同一人物として筋を通しているのではないかと思うようになりました。

    一見、これはいいことのようにも思えますが、それはつまり特に成長したり、歪んだ考え方が正されたわけではないということですから、なんとも言えないような気もしますね……。
    あるは最初から大して歪んではいなかったということでしょうか。
    そちらのほうが自然で、個人的には好意的な解釈です。



    ・士郎と桜について
    この二人の愛はなんというか、弱い者同士の傷の舐め合いみたいな所があると思います。
    弱者に弱い士郎と、弱者に甘んじる桜。
    ちょっとあまり良い組み合わせとは言えないような気もします。
    HFはFateファン的には士郎が一番ちゃんと人間らしくなるルートと言われたりもしますが、本当にそうなんでしょうか? 大聖杯もなくなり、マキリは潰え、神父も消える。
    まさに大団円という気もしますが、桜と士郎という組み合わせが少し不安な気もします。
    この映画ではただ明るく終わるわけではなくて、負のループから抜け出すだけにとどまらない、ある意味しっかりと現実を受け止めて、かつ上昇志向な二人になって幕を閉じてほしいと思います。



    ・この映画の着地点について
    このHFの三部作。映画化としての完成度については本当に全く心配はしていませんが、
    実はひとつ気にかかる点があります。

    この映画の着地点、つまり桜の着地点です。

    この映画、といいますか原作そのものの着地点は、極端な言い方をすると「士郎は桜を救い、桜はちゃんと士郎に救われました」というだけで終わってしまっているんです。
    仮にこの映画が私の希望通りにトゥルーエンドだとして、原作のトゥルーエンドの桜は奇しくも自分が発端になった一連の惨事について、「罪の意識におしつぶされそうです。でも逃げません。」ぐらいに留まっているんです。(原作プレイ時にはまったく気付きませんでしたが。)

    それってやっぱりちょっと釈然としないですよね。
    桜にこの惨事を防ぐことができたか、あるいはその責任があったとかそういう話では全くなくて。あれほど罪という概念に敏感な桜と、基本的には誰に対してもヒーローでいる士郎。
    その二人が円満に生き延びたにも関わらず、冬木市における無差別的な虐殺に対して、具体的な部分はノータッチでエピローグが進むのはちょっと納得がいかないです。
    まるで冬木市民が必要経費のような扱いになってしまうじゃないですか。

    この第二部のレビューを書くにあたって、この”HF”の物語を捉えなおすと、
    どうもこの部分だけが引っかかってキレイにまとめることができませんでした。
    これは原作の非常に大きな”穴”だと思います。

    もしこれを”穴”としない解釈をするとしたら、つまり魔術師という輩は凛も士郎も桜も、
    どんなに良心があるように装っていても、一般市民にとっては害悪でしかない、
    ということにならざるを得ません。

    なるほど。
    確かにこれなら原作者が士郎を”壊れたロボット”だと言っている意味が分かります。
    魔術師であるくせに倫理観という不要な機能を持つ”壊れた”ロボット、というわけです。
    (魔術師=ロボットということですね。)

    ただ個人的にはそんな一切何にも還元されない結論は、ちょっと受け入れがたいですし、意図的なものではなくて、ぜひ”穴”であったと思いたい部分です。

    ・最後に
    もう既に劇場では公開されておりませんが、fateのアニメを見た、原作をプレイしたという方でこの映画を見てない方は非常に勿体ないです。
    ここまでスケールが大きいのに、テンポやキレが損なわれていないアニメ映画は見たことがありません。とにかく、こんな映画たぶん人生で何度も見れないと思います。
    おうちのテレビでもいいので必ず御覧いただきたいと思います。


    またこの映画についての皆様の受け取り方をコメントしていただけると、私も他の方も、きっととても参考になりますので、ぜひぜひコメントして頂けると嬉しいです。
    (返信希望の方はその旨書き添えてコメントお願いします!)

    https://twitter.com/kurokawa321
    ↑またおすすめの劇場公開作品がありましたら、ぜひこちらからお教えください。